戦場は酷いものだった。圧倒的な兵力と武力の差は、虐殺でも見ているかのようだった。あまりの惨さに人は目を覆うのだろうが、ロックが今まで見て来た戦争はこういうものだった。己の信念を通す為だとか、大切なものを守る為だとか、綺麗事並べたって結局は殺人なのだ。
 全てを救うだなんて、ロックでさえ不可能だ。自分の力量を知っているから、何時からか理想を語る事は無くなった。夢は見なくなった。客観的に現実を見据えて、将来的に最も良いだろうと思われる道を機械的に選択して来た。そうでなければ、心などいとも簡単に砕け散るだろう。
 だが、完全に心を捨て切る事など、出来はしない。それは最早、人ではない。
 自分は神ではない。不可能を抱える人間ならば、あくまでも人間の側でものを考え、意思を持って行動すべきだ。例えそれが間違った選択だったとしても。


「リオン!」


 ロックは叫んだ。しかし、酷い戦塵と人の中でリオンの姿は見つけられない。武器を持ったところでリオンには戦えない。人を殺すどころか、虫一匹を殺す事にすら同情して躊躇してしまうような男なのだ。
 薄汚れた革命軍を避けながら、見覚えのあるリオンの姿を探した。その時だった。遠く離れた先で、リオンの碧い髪が見えた。既に戦闘になっているらしい。初めて握ったであろう剣で、敵の攻撃を受け止めている。ロックは大きく地面を蹴った。


「其処を退けぇ!」


 リオンの剣が弾かれた。敵は大きな斧を振り翳している。それが稲妻のように一気に振り下ろされた。リオンは目を閉じ、自分の愚かさを恨んだ。しかし、その斧がリオンに衝突する事は無かった。
 高音が響き渡った。ロックは一瞬で引き抜いた銀色の剣でその巨大な斧を受け止めると、そのまま旋回させて弾き飛ばした。その勢いを殺さぬまま、一気に剣で鎧ごと貫いた。敵の血液がボタボタと乾いた地面を濡らして行く。
 その一瞬の達人芸に、誰もが戦いた。ロックは叫ぶ。


「俺は国境なき騎士団零番隊隊長、ロック=アルファだ! 剣を捨てろ! この戦争、俺が貰い受ける!」


 空気が凍結した。誰もが息を呑んだ。ロックは声を上げた。


「退け!」


 その瞬間、国軍は一気に逃げ出した。我先にと背を向け走る姿は敗走したかのようだった。
 革命軍は満身創痍だった。ロックはついさっき弾き飛ばした斧を見詰める。


「ロック、さん」


 力無い声で、リオンが言う。震えていた。


「どうして」
「――ふざけるな、馬鹿野郎!」


 ロックは肩で息をするリオンの頭に拳骨を落とした。


「人一人の命はちっぽけだと言ったが、それは決して、命を粗末にしていいと言う事じゃねぇぞ!」


 戦塵が晴れて行く。リオンは呆然と、ロックを見詰めている。
 ロックは周囲を見回した。


「お前等もだ! 命を粗末にするな! お前等はこれから、この戦争で死んで行った者たちの思いを背負うんだろう!」


 彼方此方で剣の落ちる音がした。


「命を懸けると言うことは、決して死んでもいいと言う事ではないぞ!」


 同じように、目からは透明な雫が落ちて行く。次々に零れ、地面を濡らして行く。
 こんな時代で、こんな世界で、命の重みを訴える事は間違っているかも知れない。だが、リオンが言ったように、犠牲が無ければいいとか、救いたいという願いは、ロックだって同じだ。長く戦争に関わって行く内に薄れてしまったが、平和な世界をずっと願い続けて来た筈だった。


「リオン、本部と連絡を取れ」


 ロックは国軍が落とした武器を眺める。革命軍のものとは違い、真新しく、殺傷性に優れた武器だ。


「この戦争はただの宗教戦争じゃないな。裏で糸を引いている何者かがいる」


 無神論者のロックとは言え、宗教を否定するつもりはないのだ。思想の違いで争う事もあるだろうが、宗教が悪いとは言わない。
 宗教が悪くなるのは、政治と結び付いた時だ。
 何者かがこの戦争を利用している。自分は、戦火の届かないところで悠々と傍観しながら。


「戦争を終わらせよう」


 ロックは言った。





 





絶望を希望に
闇を光に

きれいごとを現実に




2、語る 理想を





「応援を呼べ」


 返り血を浴び重くなった黒色のマントを翻し、ロックは早足に歩き出した。
 弱々しい日光を遮るようなテントの下、リオンは電報を通じて本部との連絡を取った。ことの詳細を受けた本部からは、応援として同じ零番隊のシヴァを向かわせると短く答え、すぐに通信を切断した。それは盗聴を防ぐためであり、世界各地からの通信が控えているためだ。
 その様子を離れたところから眺めていたロックに、リオンは早口に言った。


「シヴァさんが此方に向かわれるそうです」
「シヴァか……」
「はい。……何か?」


 ロックは首を振って背を向けた。腰に差した剣は既に手入れを終えたのだろう。テントの外では革命軍が先の戦闘で受けた傷を癒し、または仲間の死を悼んでいる。
 リオンは目を伏せた。


「ロックさん」


 掠れるような声で、リオンが呼んだ。ロックは振り向くこともしなかった。


「僕は……、強くなりたいです」


 強く、強く拳を握る。自分の無力さがこんなにも辛くて、愚かさで泣き出したくなるなど知らなかった。
 漸くロックは振り向いて、リオンの正面に歩み寄った。そして、右手を振り上げた。
 肉を打つ乾いた音がした。


「人が一人、死んだぞ」


 ロックに表情は無かった。リオンの顔は横を向いたまま動かない。忙しなく動き回っていた革命軍の面々が、時間を止めたかのように此方を見て停止していた。
 苛立ったように、繰り返した。


「人が一人、死んだんだぞ。……お前の、せいで」


 リオンはロックを見た。
 ロックは、黙って腰の剣を抜き、リオンの首に突きつける。周囲でどよめく声がした。


「これは武器だ。人を傷付け、殺す為のものだ」


 動けないリオンを蔑むように、冷たく鋭い眼差しでロックは見詰めている。


「あの時、お前が何も考えずに持ち出した剣が誰かを殺すとは考えなかったか? そうして人を殺して、革命軍を救ったと正義面でもする気だったか?」


 剣をしまうと、鋭く唾鳴りの音がした。ロックは目を細めてリオンを見た。


「挙句に強くなりたいだなんて、勘違いも甚だしい。自分の行いを思い直してみろ。あの時、お前が考え無しに戦場に飛び出したせいで、俺は振るう必要の無かった剣を振るい、殺す必要の無かった人を殺した。誰が被害者だ、誰が加害者だ。強くなって如何するつもりだ。人を殺しに行くのか」


 捲し立てるような凄い剣幕で、なるべく無表情を保とうとしただろう面には、消し去ることのできなかった憤怒が浮かんでいる。鬼だ悪魔だと恐れられるロックが、名も知らぬ死者の為にこんなにも怒っている。それが革命軍には想像も付かなかった。
 世は戦乱で、戦うことが楽しいという快楽殺人者は多くいる。それが間違いだとロックは言わないけれど、それでも無表情に人を救い続けている。本当に大切なものを守る為、救うべき人を救う為に。


「戦争の当事者でないお前が善悪を判断するな。何も知らないだろう。革命軍だから正義? これまで虐げられたから可哀想? だから、政府軍は皆殺しか?」
「違う!」


 否定の言葉をリオンは叫んだけれど、続ける言葉は出て来なかった。ロックはまた、無表情に戻っていた。


「言っただろう、善悪の境界線は曖昧だと。国境なき騎士団は中立。どちらの軍にも属さない。革命軍に人権があるように、政府軍にも生活がある。戦っている相手は敵ではなく、人間だ。よく、覚えておけ」


 踵を返したロックはまた早足に歩いて行った。
 それからの記憶が、リオンにはまるで無かった。虚無と抜け落ちてしまったのか、それとも屍のように時間の経過を待っていたのか。あの日あの瞬間を何度も何度も頭の中で再生しては考え、肯定しては否定する。そんなリオンの前に影が落ちた。


「おい、リオン」


 ロックとは異なる低く地を這うような声だった。顔を上げると、見覚えのある色黒の男が立っている。
 肩に刻まれた紋章が国境なき騎士団ということを証明している。金色の短い髪が夕焼けに透けていた。


「シヴァさん……」
「隊長が呼んでる。来い」


 つい先程到着したばかりだとでもいうように、シヴァは旅姿のままだった。砂を吸い込まないようにと巻いた口布のせいで声はくぐもって聞き辛く、機嫌が悪いのか銀灰色の目は細められている。
 零番隊の切り込み隊長と呼ばれるシヴァ・レミリス。齢二十三にして群を抜く剣技の才と、常軌を逸した驚異的な運動能力と、短絡的で好戦的な性格から破壊神の異名を持つ男だ。副隊長のリオンにとっては部下だが、実力は天と地ほども違う。そもそも、副隊長などと呼ばれてはいるが、名ばかりだ。零番隊の者は誰一人リオンを認めてはいないだろう。
 すぐに背を向けたシヴァの背で、煤けたマントが翻った。早足に歩くシヴァの肩の銀色のエンブレムが太陽光に光った。
 すっかり固まってしまった足に鞭打って、リオンは腰を上げた。前を行くシヴァの腰で、二本の剣が互いにぶつかっては鳴っている。リオンの腰には何も無い。脳裏に過るのは、あの時ロックに言われた言葉だ。彼等が当たり前のように腰に差している剣は人を傷付け殺すもの。ロックもシヴァも、全てを覚悟して腰に差しているというのだろうか。
 シヴァは背を向けたまま、何も発さぬまま一つのテントの下に入った。後を追ったリオンが入口を潜ると、正面の無表情のロックが座っていた。


「急に呼び出して悪かったな」


 ロックが言った。シヴァは漸く強張った表情を崩し、笑顔を見せた。


「構いません。どうせ、俺は本部で留守番でしたから」


 基本的に二人組での任務が義務付けられている零番隊だが、隊員数は七名。故に一人が常に本部に残って、各隊員と連絡を取り合ったり、調査を行ったりしている。リオンはこれまで常に留守番であったが、今回が初めての任務であった。
 今回残っていたのはシヴァだったが、留守番は性に合わないのだろう。


「酷い有様ですね。食糧・物資が不足しているどころか、女子供まで戦場に駆り出して……」


 シヴァは横目に、テントの外を見た。


「女子供が戦場に出るようになったら、負けるって相場で決まってる。革命軍も終わりですね」
「このままだったらな」


 ロックの言葉に、シヴァが眉を顰めた。


「革命軍に肩入れする気ですか」


 低く、シヴァが訊く。ロックは静かに首を振ってシヴァを見た。


「違う。この戦争は宗教戦争でも、革命戦争でもない。自分は戦火の届かぬ場所で、糸を引いて見物している人間がいる」


 鋭く、ロックはリオンを見た。


「上辺の情報に踊らされるな。物事の本質を見抜け。戦争に被害者も加害者もない。関わった全てが被害者で、加害者だ」


 勿論、俺もな。
 そう付け加えて、ロックは自嘲するように笑った。これまで黙っていたリオンは、堪え切れなくなって叫んだ。


「なら! 誰が悪いというんですか!」


 誰を恨めば、誰を憎めば、誰を殺せば救われる。縋りつくような叫びを真正面から受け止めて、ロックははっきりと言った。


「政府軍も正しい、革命軍も正しい。皆、自分らしく生きようとしているだけだ」
「そんなの!」


 きれいごとだと叫ぼうとして、リオンは口を噤んだ。このまま叫んでしまったら、つんと熱くなった目頭から不要なものが零れ落ちてしまうような気がした。そのまま黙り込んだリオンが俯くのを見て、ロックは無表情に戻っていた。


「自分らしく生きようとして、殺し合わなければならないのは世が悪いんだ。実現する力があればきれいごとではなくなる。俺は、この戦乱の世を変えたいんだ」


 ロックは静かに立ち上がった。腰に差した剣が揺れる。
 自分自身を戦争の加害者であると言いながら、理想を語ろうとするロックが何を願うのか気になった。冷たい現実を知りながらも夢を見ようとするロックの見据える未来を見てみたかった。リオンは俯いたまま、問い掛けた。


「どんな世界を作りたいんですか」


 数秒の沈黙を挟み、ロックは微笑んだ。それは元来のロックからは想像も付かない程の儚い笑みだった。


「誰も殺されない世界だ」


 これは戦いを失くす為の戦いなのだ。理想を叶える為の現実で、夢を見るための残酷な世界。
 ゆっくりと歩き出したロックは、すれ違いざまに小さく言った。


「ついて来い」


 シヴァとリオンは黙って、ロックの後を追った。





2010/11/6