「ふざけるなッ!」


 静寂を裂いた叫び声に空気がざわりと動いた。前後左右に送られる人々の視線が蠢く。叫んだ青年は金色の髪を怒りのせいか逆立て、青い目でロックを親の仇だとでも言わんばかりに強く睨み付けていた。
 青年の名前はクラフという。革命軍を率いる若きリーダーだ。恐らくは二十代前半だろう容姿はロックと同じく、まだ少年のあどけなさを残している。ただ、青い瞳は常人とは異なる強い光を宿していた。
 ロックは腕を組んだまま、むっつりと黙っている。クラフの叫びなど耳障りだとでも言いたげに目を伏せ、眉間に皺を寄せている。クラフは、拳を握った。


「降服など、できるものか……!」


 それは尤もなことであった。
 ロックは、革命軍のリーダーであるクラフ及び幹部を集めた。軍議を執り行うと思われた張り詰めた空気の中でロックはただ一言、降服しろとだけ言った。それが長き戦いに疲弊して、気力だけで此処に立っている革命軍に対してどれ程辛い言葉なのかは、リオンには計り知れない。
 降服をして戦争が終わったとしても、ふりだしには戻れない。失われたものは戻らない。このまま戦い続ければ革命軍に更なる死者が出ることは間違いないけれど、ロックの言う通りに降服してしまったら彼等の誇りは粉々に打ち砕かれてしまうだろう。
 長い沈黙の後、ロックは漸くクラフとちらりと見て言った。


「ならば、このまま戦い続けて全滅か? それがお前のできる最良の判断か?」


 クラフは押し黙った。
 リオンがクラフに会ったのは今この瞬間が初対面だ。けれど、リーダーにしては聊か短気過ぎるこの青年が何の迷いも苦しみもなく仲間を戦場に送り出せるような人間にはどうしても思えない。ロックにはそれも解っているだろう。クラフは絞り出すような声で、悔しそうに言った。


「お前等は……俺達を助けに来たのではないのか……!」


 リオンは何も言えなかった。隣でシヴァは黙ったまま目を伏せ、苦虫を噛み潰したような顔をしている。


「俺達は国境なき騎士団。絶対的正義と永久の中立を信念に、戦争を終わらせるために来た」
「俺達革命軍が降服して戦争が終われば、それで終いか。傷跡だけ残して、救世主気取りか。何が国境なき騎士団だ、何が絶対的正義だ。お前等は……ただの偽善者だ!」


 捲し立てるように言ったクラフは辛そうに目を伏せる。握り締めた拳が唸るように鳴った。テントの中に重く苦しい沈黙が幕のようにすっと下りて来る。誰も何も言えなかった。
 リオンには何が正解で何が不正解なのかなど解らなかった。けれど、革命軍が降服して戦争が終わったとしても、それが本当に正しいことだと言えるのだろうか。
 誰も答えが解らない。袋小路に迷い込んで出口を探している。ただ、ロックだけが何の迷いもない真っ直ぐな目と毅然とした態度で言った。


「やっぱりお前等は、何も解っちゃいねぇ」


 呆れたような、侮蔑したような口調だった。ロックはいっそわざとらしいくらい盛大な溜息を吐いて立ち上がる。腰に差した剣がカシャンと鳴った。


「全てを見せてやる。お前の戦いの本当の姿を」


 そうしてテントを出て行くロックを、慌ててリオンが追った。テントの中では互いに視線を送り合う人々の様子をシヴァが横目に見ている。クラフは、勇み足でリオンに続いた。
 ロックは歩くのが速い。急いでいる訳でもないだろうロックの歩調に追い付くためにリオンは大急ぎで走った。


「ロックさん、待ってください!」


 リオンを一瞥し、ロックはすぐに正面に視線を戻した。


「俺は神じゃねぇから、全てを救うことはできない。だが、俺は悪魔でもねぇから、全てを切り捨てることもしねぇ」


 なあ、リオン。と、それまで聞いたこともないような掠れる声でロックは言った。


「誰がどんなに骨砕こうが救えるものもあれば救えないものある。……でも、諦めることだけはしねぇ」


 その言葉の意味を、リオンは噛み締めた。
 ロックは恐ろしく強い。騎士団でも最強を誇る剣の腕を持ち、零番隊という問題児の集まりを纏める圧倒的な統率力はカリスマ性と呼ばざるを得ない。
 けれど、そんなロックにさえ救えないものはあるのだ。これまで彼の手は多くの命を救っただろう。けれど、その反面で一体どれ程の命を救えず唇を噛んだだろう。
 何の迷いもない足取りで真っ直ぐに革命軍の本拠地からロックは出て行く。当然のようにリオンは後を追ったが、クラフはその境で立ち止まってしまった。罠と疑ったのかも知れない。ロックは背中を向けたまま言った。


「真実が知りたければ付いて来い。……皆、な」


 そこで漸く、クラフは自分の後ろに仲間が大勢追い掛けて来ていたことに気付いた。
 これが罠ならば、このまま革命軍を連れて行けば皆殺されるだろう。そんな危険を冒してまでロックの言葉を信用して付いて行く必要はない。狂人の戯言を聞き流してしまえばいい。けれど、クラフは、どうしてか歩き出そうとする足を止めることができなかった。
 頭では理解しているのに、まるで強い引力のようにロックに吸い寄せられる。クラフは苦しそうに言った。


「付いて来たいやつだけ、付いて来い。無理強いはしねぇ」


 クラフがそう言ったと同時に、皆が一斉に足を踏み出した。クラフが驚いたように目を瞬かせると、一人の男がからりと笑って言った。


「無理強いも何も、俺達は始めからお前に付いて行きたくて付いて来たんだぜ?」


 何を迷う必要がある。真っ直ぐな信頼に、クラフは胸が熱くなるのを感じた。
 止まらないロックの足はただ只管に痩せた大地を踏み締め、真っ直ぐに政府軍の本拠地、かつてのこの国の首都へと向かって歩き続けていた。





 





必ず助ける、だなんて
無責任なことが如何して言える

互いに伸ばされなければ
其の手を取ることなどできはしないのに




3、其の手を握る





 人種差別は無くならない。
 この宗教戦争の中には人種差別によって虐げられて来た者達の怒りや苦しいが詰まっている。目や髪、肌の色が違うから。そんな比べる必要もないものを間違い探しのように比べて、傷付け傷付き合っている。


「見える世界は、他の誰とも違わないのに……!」


 この戦争の中に埋もれた憎悪を、絞り出すようにクラフは言った。
 クラフの家族は、その眼の色から悪魔だと蔑まれ、柱に縛り付けられて生きたまま業火に焼かれたという。そのときクラフだけが偶々その場に居合わせなかったが為に生き残った。
 けれど、心臓が停止する瞬間まで政府への恨みを吐き続けた己の肉親の死に様を見た青年が何を思ったかなど想像に難くない。彼が人を殺してでも革命を成し遂げたいという気持ちは、リオンには十分に理解できた。
 ロックは何も言わなかった。目の前には、要塞を思わせる強固な石の壁が迫っていた。
 城壁には見張りだろう武装した兵士が何人も歩き回っている。物陰に隠れることもせず、馬鹿正直に真正面から歩いて来る革命軍に気付かぬ筈が無かった。
 兵士の一人が叫んだ途端、蜂の巣を突いたような騒ぎに革命軍の面々は動揺を隠せないでいる。このままではいい的だ。けれど、ロックだけが真っ直ぐに歩いて行く。


「国境なき騎士団、零番隊隊長、ロック・アルファ。参る」


 すらりと腰から剣を引き抜くと、ロックは小さく息を吸い込んだ。けれどその次の瞬間、銀色の二筋の閃光が城壁を駆け抜けた。 地震のような揺れと轟音と共に、城壁の一角が音を立てて崩れていく。酷い砂埃に噎せ返りながら、リオンは何時弓矢が飛んで来ても対応できるようにと身構えた。
 ロックは言った。


「見ろ、これがお前等が戦って来た相手の本当の姿だ」


 砂埃を吸い込まぬようにと口に当てた布を外した瞬間、鼻孔に入り込んで来たのは眩暈がするような血と腐った肉の臭いだった。少しずつ晴れていく視界の向こうでは、誰も想像しなかった世界が広がっていた。
 誰もが呆然と口を開けたまま、けれど何の言葉も発することができなかった。握られた武器は振るわれず、戦う筈の敵は視界に映らない。目の前に広がっていたのは、地獄だった。
 城壁の向こうには町が広がっている筈だった。周辺国との貿易が盛んなこの国の首都は常に賑わい、人で溢れていた。だが、今はそんなもの何処にも無かった。


「これは、一体……」


 漸く声を発したのは、リオンだった。
 武器を構える兵士も、生活豊かな国民も一向に姿を現さない。崩れた城壁の向こうで、寂れた町と乞食のような姿で物陰に隠れ怯える人影がちらほら。城壁で見張りをしていた筈の兵士は一体何処へ行ったのか。
 ロックの剣が収まる鋭利な音が合図であったように、それまで人形のように固まっていた革命軍はざわざわと動揺し始めた。


「どうなっているんだ、これは……。政府軍は何処に行ったんだ」


 動揺を隠せないクラフが独り言のように呟いた。ロックは嘗ての面影を消し去った首都であり城下町であったその場所を見詰め、言った。


「政府軍なんて、端から存在してなかったんだよ」


 その意味を掴み兼ねたクラフが怪訝に眉を寄せる。ロックは不機嫌そうに目を細め、話し始めた。


「この戦争は仕組まれていたんだ。統治者の暗殺、対立の激化、周辺国の介入、そして戦争へ。全ては隣国の謀。永い戦乱に憔悴したこの国を掠め取るように奪い去るつもりだったんだ」


 内陸国に囲まれたこの国は唯一海上に面している。故に盛んな貿易で潤う市場を羨まぬ国が無い筈がない。この国を奪い取る為に一体何人の人間が傷付き、或いは殺されたというのだろうか。
 周辺国から武器を含む物資の援助を受け続ける間に、所謂政府軍は何の信念も持たない傀儡に成り下がっていただろう。気付いた時にはもう手遅れだ。攻め込む革命軍を相手に、この頃の政府軍に何ができただろう。誰が被害者で、誰が加害者なのか。
 ロックの言っていた誰もが戦争の被害者で加害者であるという言葉の意味を、リオンは改めて噛み締める。あのとき言い放ったロックは一体どんな気持ちでいたのだろうか。そして、自分を助けるために政府軍の人間を殺したとき、どんな気持ちだったのだろう。あのとき、呆気なく斬り殺された兵士は何を思っただろう。


「馬鹿じゃねぇなら、考えろ。本当に大切なものは何だ、守りたいものは何だ。互いに辛くて苦しくて、死にたいとさえ願う中で何の為に生きようとしているのか解るだろう?」


 家の影で、クラフとは異なる肌の幼い少年が怯えたように此方を覗いている。痩せこけ張った頬骨と、木の枝のように細い身体。あれは、嘗ての革命軍。


「国とは人なんだ。それでも、剣は必要だろうか」


 息が詰まるような永い沈黙の後、ぽつりと呟くように言ったロックはまるで、自分自身に言い聞かせるようだった。リオンは黙り込み、自分の右手を握った。何の考えもなく剣を握ったその手は小さく無力だ。
 其処此処に転がる死体に群がる蝿の群れ、腐る肉片と生まれる疫病。互いに言葉を失った政府軍と革命軍の中、ロックは黙って砂地を踏み締めて崩れた建物に進み入る。怯えたように肩を震わす少年の前に転がる、既に男とも女とも見分けのつかない人間のなれの果ての傍に歩み寄った。
 男だったのならば、愛するものを守るために剣を握ったかも知れない。女だったならば、愛するものを待っていたのかも知れない。ロックは静かに膝を着き、パチンとマントを外し、人々の目から隠すように死体の上へそっとそのマントを掛けた。
 リオンの隣で、クラフが拳を握ったのが見えた。クラフだけではない。拳を握った革命軍から炎が消えていく。クラフの瞳で強く輝いていた光は、ゆっくりと下ろされた瞼の下に消失した。けれど、再び目を開いたその瞬間、それまでとは違う太陽にも似た金色の炎が揺れていることに気付いた。そして、その眼は真っ直ぐにロックを捉えている。


「どうすればいい」


 それは迷い故の問いではない。自分達のやるべきことは解っている。ただ、目の前の男への確認だ。
 ロックはゆっくりと立ち上がり、振り向いた。既に戦意を失っている政府軍と衰弱した民間人の命はロックが握っているも同然だった。


「お前等の国を、救え」


 そう言ったとき、クラフの強張った表情が和らいだ。そして、クラフは傍にいた男に言った。


「革命軍にある有りっ丈の食糧と、医療物資と、動ける人間を全て此処へ。……一人でも多くの人を、救おう」


 それに抗う者はいなかった。意味を悟った革命軍は数秒の沈黙の後、笑顔と共に大地が揺れるような唸りを上げた。伝達へと走った男とは反対に、正面を見詰めたままのクラフは早足に城壁内へ進む。足元で冷え切った砂が舞う。瓦礫を越え、ロックの隣に立つと言った。


「ありがとう……」


 そのまま擦れ違うように、クラフは家の影に隠れていた少年の傍にしゃがみ込んだ。その隣を勢いよく革命軍が駆け抜けていく。
 ロックは目を伏せ、歩き出す。弾丸のような革命軍の間を擦り抜けてリオンの傍に戻った。


「ついて来い、リオン。国境なき騎士団、零番隊の仕事を見せてやる」


 猛禽類に似た金色の目は、既に獲物を見つけたとでも言うように光っていた。




2010/11/16