13,An indulgence.










 旅は道連れ世は情け。そんな諺があったなと思い出すと同時に、それが真理であると気付いたルビィは心の弾む音を聞いたような気がしていた。
 オリーブの村から共に旅立つこととなったエメロードと肩を並べ、同性ということもあってか、久方ぶりに会話らしい会話をし、談笑するということをルビィは思い出した。いつも背を向け真っ直ぐに歩いて行くダイヤを追い掛けていたルビィにとって、エメロードは初めて出来た肩を並べられる友人であり、仲間でもあった。
 エメロードが旅立つことに関しても、それが道中を共にするということに対しても、ダイヤは何も言わなかった。興味感心が一切無いのだろう。妙な荷物が増えた程度にしか、感じていないのかも知れない。どちらにせよ、ルビィは魔族であるダイヤの心中を察する術を持ち合わせていなかった。ただ、言いたいことは包み隠さずはっきりと告げるダイヤが遠慮することなど有り得ない。不満ならば既に二人を置いて天空へと飛び立っていることだろう。
 荒涼たる岩砂漠は果てしなく続いている。食糧も満足に確保出来ない痩せた大地を踏み締める両足は棒のようになっているけれど、強靭な肉体を持つ魔族のダイヤが休もうと提案する筈も無い。強大な自然災害に遭遇してから一日と経っていない中で、疲労は既に頂点へ達しようとしていた。


「ねえ、ダイヤ」


 渇いた空気に、エメロードの美しい声が響いた。振り返ることも歩調も緩めることもしないダイヤの耳に、その声は届いているのか。
 だが、エメロードはそのままに続けた。


「丁度良い休息場所が、ありそうだけど」


 エメロードの視線の先、曇天の下に一本の煙が生き物のように揺らめいている。火の無い処に煙は立たない。火があるのは、生き物がいる証拠だ。其処で漸く、ルビィの鼻腔に香ばしい食欲をそそる匂いが飛び込んだ。
 同時に鳴いた腹の虫に、エメロードが苦笑する。ダイヤは半身に振り向くと、酷く冷たい目を向けた。


「行きたいなら、行けばいい。俺には関係の無いことだ」


 そうして背中を向け、ダイヤは歩き出す。エメロードは困ったように溜息を吐いた。
 ダイヤは冷たいと感じさせるだけの物言いをするし、態度をはっきりと見せる。けれど、それでもルビィ達がはぐれない程度の歩調で、飛び立つこともなくわざわざ危険を冒してまで大地を踏み締めているのは何故なのだろう。
 エメロードはダイヤに臆することなく、食い下がる。


「でも、この先何時休めるかも解らないわ。休める時に休むべきだと思うけど」
「……お前、癇に障るぜ」


 瞬間、ピリリと火花が散ったように感じた。苛立ちを隠すことないダイヤの口調は尖って行く。


「休みたいのはお前等であって、俺では無い。休みたいなら、勝手に休めよ」
「そうね。じゃあ、お言葉に甘えて」
「好きにすればいい。俺は行く」
「何をそんなに焦っているの? 急ぐ旅でもないんでしょう? それとも」


 エメロードの目が、鋭く光った。


「怖いの?」


 その瞬間、ダイヤの手が剣に掛かった。
 空気が張り詰め、ダイヤの目に燃え盛る炎にも似た殺気が浮かぶ。


「死にたいのか」
「言われて怒るのは、図星を突かれたからでしょう」


 これ以上、ダイヤの神経を逆撫でしないで欲しい。仲裁に入るべきと思いながら、その術を持たないルビィは右往左往するばかりだった。
 エメロードが譲る筈も、ダイヤが折れる筈も無い。八方塞な状況を変えたのは、他ならぬダイヤだった。


「――俺は、忠告した。行きたいなら、来い」


 そう言って、ダイヤは立ち上る煙の下へと歩き出した。
 呆気に取られるルビィに、エメロードは片目を閉じて悪戯っぽく笑う。一歩間違えばエメロードは目にも映らない速度と剣技で、惨殺されていただろう。猛獣使いと賞賛したいと思いながら、ルビィは苦笑交じりに歩き出した。
 立ち上る煙の下には、小さな集落があった。村と呼ぶのも烏滸がましいだろうそれは、数軒のあばら家の集合体に過ぎない。それでも活気に満ちた周囲に群れるのは、人間とは明らかな一線を引く異形の化物達だった。
 テントのような出店で、行列を成す魔族を相手に商売をするのは魔族だ。毒々しい色と模様で、しゃがれた声で見たことも無い巨大な肉の塊を売り捌いている。その賑やかなざわめきは雑音と化し、言語すらルビィには理解不能だった。


「死にたくなきゃ、その面を隠すことだな」


 冷たく吐き捨てたダイヤは、それまでの町での対応とは打って変わって深く被っていたフードを取り払い、凛と背筋を伸ばして化物の群れに突き進んでいく。その背中を見失わないよう、ルビィとエメロードはフードを目深に被って駆け足で後を追った。
 巨大な鉄柵の上で、これまた巨大な肉の塊が焼かれている。香ばしい匂いに鳴り続ける腹を押さえ、ルビィの目は釘付けとなった。
 此処が魔族の集落であることは、最早明白だった。人間が歓迎されないとは解っているが、それでも貨幣があれば食料も手に入るのだろう。不意にポケットを探ろうと手を伸ばせば、気配で察したらしいダイヤが皮肉そうに鼻を鳴らした。


「共食いでも、するつもりか?」


 言葉の意味が解らずにルビィが顔を上げる。その刹那、高らかに魔族の嗄れ声が響いた。


「さあ、次の商品は――」


 集落の中央、開けた広場を取り囲む魔族がざわめいた。競売でも行われているのだろうと思い、向けた目に映ったものをルビィは信じられなかった。
 人間だ。魔族の持つ太い鎖の先に、首輪に繋がれた人間の子供が二人。
 怯えるように身を寄せ合う骨と皮だけの乞食にも似た二人は兄妹だろうか。襤褸布を被ったような衣服とも思わぬ布を巻き付けて、取り囲む魔族の猛り狂う声に体を震わせている。
 仕切る紫色の蛙に似た魔族が、少女に値段を付けて行く。魔族の群れから上がる金額が増えるに連れ、広場は狂気に満ちて行く。
 ルビィは、思わずダイヤに縋った。


「な、何、が」
「見れば解るだろう。此処は魔族の集落で、人間を売買している」


 言われてみれば、魔族の集団の中に痩せた傷だらけの人間が鎖に繋がれて働かされている。
 老若男女問わず、休めば鞭で打たれ、皆一様に昏い目で歩き続ける。小さなあばら家の中では少女とも呼ぶべき若い女達が異形の化物に縛られ犯されている。小さな子どもが紐で巻かれ、大きな金網の上に乗せられる。
 魔族の唸りの中に、確かに悲鳴が、助けを求める声が聞こえている。
 共食いでも、するつもりか?
 ダイヤの声が脳内に蘇り、その意味を悟ると同時にルビィは口元を押さえた。空になった胃からせり上がるのは臓腑を焼くような胃液だ。けれど、吐き出すことすら出来ず、ダイヤに縋りながら震えるだけのルビィの背をエメロードが頻りに撫でる。その手もまた、震えていた。
 生きたままに焼かれる子どもの悲鳴が耳を劈く。肉の焼ける臭いが、ルビィの鼻腔を突く。ダイヤは言った。


「アリザリンの町では、人間が魔族を生きたままに切り刻んでいた。同じことだ」


 顔色一つ、眉一つ動かさずに言ったダイヤの声は平静と変わらない。
 ダイヤにとっては、同じことなのだ。人間も魔族も獣も植物も、皆同じことなのだ。ルビィは、堪らなくなって問い掛けた。


「ダイヤも、人を食べるの……?」


 恐ろしいと知りながら、訊かずにはいられなかった。けれど、ダイヤは平然と答える。


「まあ、調理法次第だな。丸焼きは好きじゃない」


 それはつまり、ダイヤにとっても人間は食糧の一つなのだ。
 ダイヤの腰に刺さった剣がルビィを切り裂き、喰らう様を想像して身震いする。それは恐ろしい妄想ではなく、有り得る現実だ。
 競り落とされた幼い兄妹の妹が、泣き叫びながら兄から引き裂かれ、魔族の下へ連れて行かれる。少女は奴隷として使われるのだろうか。それとも、生きたままに炎に焼かれるのか。ルビィはダイヤの衣を掴む手に力を込めた。


「助けたいか?」


 冷たい光を宿らせた青い瞳が、ルビィを見ていた。
 ルビィが頷こうとする寸前で、ダイヤはすっと目を細めて言った。


「そんな道理は無ェよな」


 否定を許さないような厳しい口調で、ダイヤは言った。


「この世は戦乱だ。魔族が人間を殺すのが悪ならば、人間が魔族を殺すのだって悪だろう。覚えておけ」


 凍り付くような冷たい目で、声で、ダイヤははっきりと告げた。


「どちらか一方が悪い戦争は無い」


 残された兄が、引き離された妹の名を幾度と無く呼びながら、それでも魔族は彼を売り捌いて行く。
 これが、当たり前なのだ。人間が魔族を殺すように、魔族も人間を殺す。納得しようと頭の中でダイヤの言葉を繰り返しながら、ルビィの頬には一筋の涙が伝っていた。
 オリーブの村での自然災害。掴み切れなかった人の命が、今目の前で当然のように奪われて行く。命が大切だというのはきれいごとだ。命は唯一無二ではなく、代替の出来る品物なのだ。
 けれど、それでも。


「でも、こんなのは嫌だよ……!」


 助けを求める声を無視することなんて、出来ない。それでも、自分に出来ることは何も無いのだ。
 人間と魔族が、共存出来る世界があればいいと願った。けれど、そんなものは理想論だ。ルビィの背を撫でるエメロードの掌だけが唯一温かく、優しかった。ルビィの肩を抱きながら、エメロードが「ルビィは優し過ぎるよ」と呟いた。
 ダイヤはルビィの頬を伝う涙を見て、問い掛ける。


「可哀想だと、同情しているのか?」
「違う……!」
「情けを掛けることが、お前の言う優しさか?」
「違う……!」
「独り善がりの正義を押し付けることが、お前の言う優しさか?」
「違う!」


 蔑むように、ダイヤはエメロードに目を向けた。


「お前はオリーブの村で、誰構わず人間を助けようとしたが、それが魔族だったなら助けはしなかっただろう」


 エメロードは答えなかった。否、答えられた筈が無い。
 ダイヤは黙り込んだ二人を睨んでいる。


「優しさと言えば、殺戮も正当化されるのか?」
「違う!」


 ダイヤは興味も無さそうに、鼻を鳴らした。


「優しさが免罪符になる世界なんてねーよ」


 それが真理と悟り、ルビィは発する言葉を失った。
 一見すれば若いダイヤも、ルビィの倍以上の時を生きている。この世界の冷たさも不条理も、エメロード以上に知っている筈だった。ダイヤは相手を傷付ける為に言葉を放つのではない。思ったことをそのままに言い放っているだけだ。ダイヤは酷く冷たいけれど、何時も正しい。
 と、その時。太陽が曇天の中に消えた。
 賑わっていた広場の中央から悲鳴が上がった。
 どよめく魔族の群れが、蜘蛛の子を散らすように解けて行く。乾いた岩場の上に、袈裟懸けに切り落とされた少年の死体が赤く染まっていた。
 悲鳴を上げて逃げ出す魔族と人間達、商品である子どもを惨殺された魔族が、剣を携える影に向けて叫んだ。


「てめぇ、何しやがる!」


 それが、その魔族の最後の言葉となった。
 背後に立つ影によって頭頂より一刀両断にされた肉塊が崩れ落ちる。広場の狂気は集落全体に感染し、辺り一帯は騒然となった。
 血の滴り落ちる剣を携える二つの影。明瞭にならない世界で、ダイヤが剣を抜き放つ鞘走りの音だけが鮮明に響いた。


「あはははははははははっ!!」


 笑い声だ。狂気に染まった、子どもの声。
 雲間に滲む日光が、子どもの姿を照らす。ルビィの目に、夜空に似た濃紺が映った。
 そして、彼方此方から上がる悲鳴と血飛沫。惨殺されて行く魔族と人間。逃げ惑う全ての生物を余す事無く斬り殺していくその様は死神のようだった。そして、エメロードの背後に銀色の刃が光った。
 鋭い金属音が高く響き渡る。
 振り下ろされた刃を受け止める一本の剣が誰のものかなど、考える必要すら無い。ダイヤの剣は子どもの剣を受け止め、弾き飛ばした。
 弾かれた子どもは猫のように飛び退いて、ダイヤからじりじりと距離を取って行く。


「人間の臭いだ」


 濃紺の長髪が風に舞う。愉悦に揺れる瞳も等しく濃紺だ。
 魔族の、子ども。青白い頬には血液が張り付いている。
 ルビィはその少女を目の当たりにし、背筋に冷たいものが走った。
 ダイヤと間合いを測る少女ともう一つ、同じ濃紺の短髪と瞳の少年が集落を縦横無尽に駆け抜けながら全ての命を搾取して行く。


「あんた、魔族だろ」


 少女が言った。ダイヤは答えない。


「何で人間なんかと一緒にいるの?」


 問い掛けた言葉がルビィの耳に届いたと同時に、その姿がダイヤに襲い掛かっていた。
 紺色の閃光が、火花を散らす。ダイヤが忌々しげに口元を歪めた。


「てめぇに、関係無ェだろ」


 糞ガキ。そう言い放った瞬間、ダイヤの剣は少女の体を貫いていた。
 口から零した赤い鮮血。少女が崩れ落ちる。遠くから返り血に染まった少年が駆けて来る。


「姉ちゃん!」


 血溜まりに沈む少女に手を伸ばそうとする背後で、ダイヤの剣は振り上げられていた。
 そして、一閃――。積み重なるように、少年もまた血液を吐き出して倒れた。
 何が起こっているのか、理解の追い付かない状況のままルビィは二人の子どもを見て思わず問い掛けた。


「殺したの――?」


 ダイヤは鼻を鳴らす。


「この程度で、死ぬかよ」


 返り血に染まる二人の魔族の子どもは、酷く幼い顔で呼吸を繰り返しているが、意識は無い。
 剣の血を振り払い、ダイヤは鞘に納めた。ぐるりと周囲を見渡し、舌打ちを一つ。血の海となった集落に、生き物の気配は無かった――。





2012.4.18