14,The strong.










「ほらよ」


 素っ気無い言葉と共に投げ渡された一切れの黒パンに、ルビィは空腹が満たされるかという生命維持の疑問以上に、それが人間の食糧であることに心底安心した。屍累々とした集落から離れ、血の臭いも肉の焼ける臭いもしない岩場に腰を下ろし、大きく溜息を零す。
 何が起こったのか未だに理解し切れていない。
 人間を売買し、家畜のように殺戮し搾取する魔族の集落。突如現れた二人の子どものような魔族の姉弟は、全ての生命をまるで遊びの一つであるかのように虐殺して行った。それを越える圧倒的な剣技で仕留めたダイヤは、返り血を浴びることもなく平然と人間の食糧に喰らい付いている。


「食わねぇのか」


 あの地獄絵図を目の当たりにして、食欲があるならまともな感覚ではないだろう。
 そう言いたいのを呑み込んで、ルビィは硬くなった手元の黒パンを握り締めた。同様に、与えられた食糧を弄ぶだけで一向に口に運ぼうとしないエメロードは俯いたまま言った。


「あの子達は……」


 それが誰を指しているのか解らず、首を傾げるダイヤは口に含んだパンを忙しなく咀嚼していた。
 エメロードが、魔族の、と付け加えたことで漸く理解したらしいダイヤが、眉一つ動かさずに平然と答える。


「さあな。その内に目を覚まして、また何処かで剣を血に染めるだろう」


 何かを堪えるように、エメロードは眉を寄せた。
 一見すると年端もいかぬ幼い子どもが、狂気に満ちた笑い声を響かせて同胞を殺戮して行く。其処にあるのは純粋な愉悦だけだ。食事を終えたダイヤはコップ一杯の水を喉の奥に流し込みながら言った。


「魔族は皆、本能のままに生きている。殺すことにしか価値を見出せない者もいる」
「でも、同じ魔族なのに!」


 思わず叫んだエメロードは、すぐに俯き言葉を濁した。
 ダイヤはそれも気に留めることなく、凍り付いたような無表情で遠くを見詰めていた。


「別に、全ての魔族が魔王軍て訳じゃねぇよ。本能のままに生きる馬鹿だっているさ」
「――ダイヤ、も?」


 ぽつりと問い掛け、ルビィは口元を噤んだ。
 どんな答えを期待しているのだろう。縋る相手を間違えている。そう思いながら、ルビィはダイヤの答えを待った。
 ダイヤは言った。


「生きたいように生きているという点においては、同じことだろうな。ただ」


 青い瞳が、きらりと光った。


「己で己自身を制御することだ。駆り立てる衝動のままに生きることに、俺は価値を見出せない」


 意外な答えだと思いながら、ルビィは続ける言葉を持たなかった。
 その時だった。ダイヤが剣に手を伸ばすと同時に、あの笑い声が高らかに響き渡った。


「――馬鹿みたい!」


 愉悦に満ちた弾むような声と共に、曇天の合間に覗く日光を反射した銀色が光った。
 ルビィの眼前に舞い落ちた白い羽根。銀色を抑え込んだダイヤの後方、殆ど垂直に脳天を割るような一撃が振り下ろされる。悲鳴も、瞬きも間に合わない刹那。今にも崩れ落ちそうな不安定な岩場を足場にしているとは思えぬ強い力で、ダイヤは剣を旋回させてそれらを弾き飛ばした。
 飛び退いた二人の藍色の瞳が嬉しそうに歪む。


「魔族の癖に」
「人間を守るのか」


 責め立てる口調に反して、その幼い面は嬉々としている。ダイヤは忌々しげに青い目を細めた。


「お前等に、俺を責める権利があるか?」


 そんな権利は誰にも無い。この二人の子どもにも、ダイヤにも、ルビィやエメロードにも、魔族にも人間にもそんなものはありはしない。
 ダイヤの剣は鈍い銀色を反射していた。


「ガキが、百年早ェんだよ!」


 その刃が一閃し、一瞬にして二つの刃を弾いた。
 高音を響かせた剣が岩場の奥へと転がり落ちていく。衝撃に痺れた掌を押さえる二人に、ルビィは如何することも出来ない。ダイヤのように剣を握ることも、避難することすら出来ない。
 二人は互いに顔を見合わせると、――吹き出すように笑った。
 腹を押さえ、目尻に涙を浮かべるその様は人間と変わらないのに。


「いいね、アンタ」
「殺してやりたい」


 その中には、消えることのない殺戮への衝動が猛り狂っている。
 二人の口元が弧を描く。ダイヤが舌打ちした。きっとこの子どもは、片割れが死んでも、首が飛ばされても、ダイヤの喉笛に喰らい付くくらいのことは平気でするだろう。
 武器を失った筈の二人の爪が異様な速度で伸びる。一瞬にしてそれは研ぎ澄まされた刃となった。
 それまでがまるで遊びであったかのように速度を増した二人が一気に間合いを詰める。ダイヤは一瞬、ルビィをエメロードを一瞥し、大きく翼を広げた。
 二人が瞠目し、呆気に取られる。ダイヤは、刃も爪も届かぬ天空から呆れたように見下ろしていた。


「俺を殺したきゃ、此処まで来やがれ」


 小馬鹿にするように鼻で笑うダイヤの口元が、微かに歪んでいる。――笑っている。
 命を狙われていながら、この状況を楽しんでいるのだ。空から見下ろすダイヤの心中が理解出来ず、ルビィは居た堪れなくなる。けれど、その瞬間。


「あはははははっ!」


 笑い声が響いた。それは狂気に染まらぬ、純粋な子どもの笑い声だった。
 ひぃひぃと、苦しそうに息継ぎしながら笑いこける二人に愕然とする。数秒前まで命のやり取りをしていた筈なのに、腹を抱えて笑っているのはどんな道理なのだろう。宙に浮かぶダイヤもまた、既に剣を収めている。


「何アンタ」
「最高だね」


 二人が武器を仕舞ったことを確認して、ダイヤはゆっくりと地上に降り立った。
 上空の吹き荒れる風によって乱れた銀髪を整えることもせず、ダイヤは一度鼻を鳴らして元の場所に腰を下ろした。戦意は互いに失せたらしい。魔族同士でしか解り合えない何かが、彼等の中に流れているのかも知れない。取り残されているルビィとエメロードがほっと息を逃がした。


「――へえ、旅をねぇ」


 興味深そうに言った少女が、藍色の瞳を爛々と輝かせる。
 すぐに打ち解けたエメロードの話を聞き逃すことなど無いようにと耳を傾ける二人は、まるで行儀の良い飼い犬のようだとルビィは思った。対してダイヤは不機嫌そうな顔でそっぽを向いている。
 二人は、ラピス・ラズリと名乗った。姉がラピス、弟がラズリだ。正真正銘の血の繋がった魔族の姉弟で、年齢は人間で言う十五歳程だと言う。
 この世に生を受けてからずっと、戦いの中に身を置いて生きて来たとラピスは語った。それは決して不幸な身の上話ではなく、何処か誇らしげに堂々と話す武勇伝のようだった。誰かの命を搾取する為だけに生きている。己の内に猛り狂う殺戮への衝動のままに生きる様は何処か潔くすらあり、美しかった。
 自らのことを語ったラピスは、それからまじまじとダイヤを見た。視線が居た堪れないのか不機嫌そうにダイヤが「何だよ」と言い捨てればラピスとラズリは無邪気に笑った。


「それにしてもアンタ」
「本当に魔族なの?」


 続け様に喋った二人を一瞥し、ダイヤはそっぽを向いた。
 ダイヤが魔族でないなんて、ルビィにはその質問の意味が解らない。少なくとも、人間は翼など持たない。ラピスとラズリは言った。


「白い翼を持つ魔族なんて、聞いたことない」


 確かに、とルビィは思う。
 ルビィの思い浮かべる魔族は何時だって恐ろしくて、醜悪で、凶暴な生物だった。嘗て出逢ったコーラルもそうであったように、魔族は人間が思う以上に美しい生き物なのかも知れない。ダイヤは答えなかった。
 黙ったダイヤに興醒めだとでも言うように、二人は再び、ルビィに向き直った。


「ねぇ、アンタ」
「俺達が怖くないのか?」


 その瞬間、二人の刃がぎらりと光ったように見えた。
 竦みながら、ルビィは二人と距離を取りつつ答えた。


「怖いよ」


 笑いながら人間だけでなく同族すらも斬り殺していくその鬼神のような戦いぶりも、人間を肉の塊としか見ていない魔族も、自分の故郷を滅ぼした強大な武力も怖くない訳じゃない。
 ただ。


「私は、ダイヤが怖くないだけ」


 全ての魔族がそうではないことを知っている。
 はっきりと答えたルビィに、二人は笑みを深くした。


「何だよ」
「人を悪者みたいに」


 軽口のように言う二人に陰は無い。欺瞞も駆け引きも存在しない、抜身の思いを二人はいとも簡単に振り翳す。


「弱っちい奴が悪いんだよ」
「弱者は徒党を組んで、強者を悪者にしたがるからな」


 何処か達観した物言いに言葉を失えば、二人は嬉しそうに笑うだけだった。
 其処で二人はふと上空を見上げた。


「この世界は間違ってる。私達は間違ってない」
「だから、俺達は全てを壊す」


 溢れる破壊、殺戮への衝動。それは津波のように押し寄せては全ての呑み込み消し去って行く。
 それまで黙っていたダイヤが、ぽつりと口を開いた。


「別にお前等が何をしてもしなくても、弱者は勝手に淘汰される」


 所詮、この世は弱肉強食だ。
 違いない。顔を見合わせたラピスとラズリが、嬉しそうに笑った。





2012.5.21