18,Light.










 出立の朝は、眩暈がする程の蒼穹が広がっていた。痩せた大地に吹く風は何処か寒々しく、まるで誰かの死を悼んでいるようにも思えた。
 見送る村人の中に、短い間とはいえ共に旅して来たエメロードがいる。その隣に立つのはジャスパーの子どもだった。厳しい暴力を受けて来た子どもは傷だらけで、痩せっぽちだった。見送り等不要と言わんばかりに、早々に背を向けたダイヤは振り返らない。目立つ銀髪をフードの中に押し込め、静かに歩き出した。
 後ろ髪引かれるような思いで、ルビィはダイヤを追い掛ける。結局、見送る彼女に気の利いた言葉の一つも掛けることが出来なかった。そんなルビィの後悔を察しているかのように、エメロードは曇りの無い笑顔で手を振った。
 ジャスパーが埋葬されたのは、朝日が昇ったばかりの早朝だった。白んだ空の下で、固い大地を抉り、その亡骸を葬った。村の厄介者扱いかと思えば、誰もが彼の死を悼み、悲痛な表情を浮かべていた。けれど、ダイヤに対する視線は感謝に満ちていた。
 何かに掻き立てられるような早足で進むダイヤに、ルビィは追い縋る。背を向けた先で、彼等は姿が見えなくなるまで見送ってくれるのだろう。


「ねえ、ダイヤ」


 感情の無い横顔に声を掛けるが、振り向くことはない。それでもルビィは言った。


「ジャスパーは幸せだったのかな」


 死の瞬間、確かに彼は微笑んでいた。まるでダイヤが救世主であるかのように、裁きを受ける罪人のように刃を自らの首に滑り込ませた。
 ずっと、死にたかったのだろうか。死にたいと思いながら、如何して生きようとするのだろうか。ルビィには解らない。死ぬことは恐ろしいことで、許されないことだと思っていた。
 振り向くことの無いダイヤが、静かに言った。


「俺に、人間の感情が解ると思うのか」


 侮蔑するような物言いで、ダイヤが鼻を鳴らす。魔族であるダイヤには当然のこととは思うものの、ルビィには如何してかその言葉が不貞腐れた子どもの言い訳染みて聞こえた。
 何かに掻き立てられるようなダイヤの背中を押すのは、恐らく苛立ちだろうとルビィは想像する。理解出来ないことが、腹立たしいのだ。ジャスパーを追い込んだ二十年の空白は、長命なダイヤにとってはほんの僅かな時間の流れでしかなかった。その価値観の違いを、ダイヤはきっと理解出来ない。
 そして、理解出来ないことを苛立つダイヤは、人間を理解したいのだ。
 ダイヤは何かを思い出したように、口を開く。


「……ジャスパーを拾った時。あいつ、死にたいって言ったんだよ」


 不機嫌そうにダイヤが言う。


「もう死に掛けみたいなもんだった。放って置いたってどうせ死ぬのに、わざわざ俺に言ったんだ。聞いてやる義理も無いし、死にたいなんて考えたことも無かったから、興味が出たんだよ」


 それが何時もの、ダイヤの気紛れだった。相手の意思も無視して、自分の思うように行動する。


「あいつ、集落に連れて帰っても、ずっと殺してくれって言うんだよ。そしたら、あいつの父親が出て来て、襲い掛かって来て、返り討ちにして……。また、死にたいって言った」


 周囲の話を聞く限り、ジャスパーは親の愛を知らない子どもだった。それでも、子どもは親を愛するし、守ろうとする。
 誰にも必要とされず、ただ一つの居場所を失ったジャスパーが死にたいと願う気持ちが、ルビィには想像出来る。けれど、ダイヤはそうではないのだろう。


「騒ぎが落ち着いて、さっさと出て行こうとしたら、ジャスパーが縋って来た。殺してくれって」


 心底不思議そうに、ダイヤが言う。


「死にたいなら、勝手に死にゃいいだろう。何でわざわざ俺に頼むんだ。そう言ったら、勝手に助けたお前が責任を取れなんて、抜かして来やがった」


 言葉は苛立っているのに、その口調には怒り等微塵も感じられない。ダイヤが続けた。


「しょうがねーから、約束したんだよ。何時か必ず、俺が殺してやる。だから、それまで生きてろって。それから、ちょくちょくあの集落覗いてたんだ。ジャスパーは俺の顔見る度に、妙に嬉しそうに約束を確認してた」


 親の愛を知らず、居場所を見失ったジャスパーが、縋り付いた先が魔族であるダイヤだった。彼等の言う凡そ一年間の間、ダイヤがどの程度顔を覗かせたのかは解らない。けれど、その頃のジャスパーにとってはそれが救いで、希望で、光だった。
 何時でも心に火を灯してね、とエメロードが言った。人は、何か一つでも縋るものがあれば生きて行ける。溺れる者が必死に掴んだ先が魔族だったとして、一体誰が責められただろう。


「それから二十年。人間にしてみれば、随分長い時間だったみたいだな」


 あの長老の言う通り、もしもダイヤが十年前に訪れていたら、何が変わっただろう。
 きっと、その時にジャスパーは死を望んだのだろう。そして、ダイヤも拒みはしなかっただろう。けれど、二十年という時を経て、ジャスパーは親となり、子を生した。――そうだ。ダイヤが十年前に訪れていたなら、あの子どもは存在し得なかった。
 突き放しながら、暴力を浴びせながら、ジャスパーが必死に愛した子どもだった。ダイヤがジャスパーを愛していたとは思えない。けれど、彼を支えていたのはダイヤとの約束だった。殺してやるから、生きていろ。そうして生きることを口に出して許容してくれる存在が、ジャスパーにとっての救いだったのだろう。


「人の命は短いな」
「そりゃ、ダイヤに比べたらそうでしょう」


 見た目がルビィと殆ど変らないとしても、魔族は人間よりも遥かに長命だ。
 ふと気になり、ルビィは問い掛けた。


「二十年もの間、何をしていたの?」


 大方、興味が薄れて、疎遠になっていたのだろう。答えを想像しながらルビィが待っていると、ダイヤはその予想を裏切るようにはっきりと答えた。


「逃げていたんだ」
「え?」
「魔王軍から。ラピス・ラズリの時に、見ただろう。あれに、ずっと追われているんだ」


 遠く砂嵐を巻き起こしながら進軍する魔族の群れ。鱗や牙、毒や甲羅を持つ異形の軍。そして、それらを率いていた紅い目の魔物。
 ダイヤが言った。


「一か所に留まれば、奴等を誘き寄せることになる。……お前の村のようにな」


 自分の村が滅んで行く様を、ルビィは鮮明に覚えていた。家屋の残骸に潰された両親、燃え盛る木々、泣き叫ぶ子ども、血塗れの屍――。
 山奥の寂れた村を襲撃するには、余りに強大な軍勢だった。人間の殲滅を目論む魔王軍の一部が偶然村を見付け、人を殺戮したものと思っていた。けれど、あの魔物はダイヤを追って来たのだ。
 ルビィが言葉を失って立ち尽くしていると、ダイヤが感情の読めない青い瞳で問い掛けた。


「俺を恨むか?」


 ルビィは首を振った。
 ダイヤが望んで引き寄せた訳ではないと知っている。それどころか、それを考慮して近付こうとしなかった。すぐにでも飛び立とうとしたダイヤに縄を打ち、その場に繋ぎ止めたのは村人だった。
 ただ、ルビィは知りたかった。


「如何して、追われているの」
「魔物は人間のように、簡単に子を生すことは出来ない。その中で、魔王の後継者は僅か七名。末席の俺を疎んでいる輩も多いだろう」


 後継者争い。何とも人間臭い理由だと思いながら、ルビィは言った。


「じゃあ、あのガーネットという魔族も、後継者の一人なの?」


 ダイヤは首を振った。


「いや、ガーネットは魔王の血筋ではない。魔王四将軍の一人だから、まあ、エリート様ってところだな」


 ダイヤにとってガーネットは部下に当たる魔族だ。けれど、その間柄は主従関係とは異なる、浅からぬ因縁があるようにルビィには感じられた。それを問い掛ける前に、ダイヤが言った。


「俺に、自由をくれた」


 ぽつりと零されたそれは、何処か独白のようだった。
 ルビィの知るダイヤは何時だって、自分の思うように行動し、羽ばたく自由の象徴だった。けれど、嘗てはそうではなかったのかも知れない。ルビィには想像も付かないが、ダイヤにもきっと幼少期があった筈だ。大空を羽ばたく鳥だって、生まれた瞬間から羽ばたけた訳では無いのだから。
 自由を与えたというガーネットに、ダイヤは今、追われているのだ。恐らく他の後継者によって、ガーネットは嗾けれた。
 ダイヤを見れば、魔王等という地位に興味があるとはとても思えない。それでも、殺し合いをしなければならないのだろうか。


「ガーネットも、殺すの?」


 その瞬間、ダイヤは何かを堪えるように眉を寄せ、口を閉ざした。それきり、その件には一切言及しなかった。





2013.10.26