23,Happiness.
「ガーネット?」 以前見た、灰色の霧のような煙に満ちた薄暗い瞬間。この場所が魔族の根城とされる魔王城なのだろう。 ルビィは周囲をぐるりと見渡した。恐らくきっと、自分の姿は誰にも見えないし、聞こえない。これはダイヤの記憶で、自分は干渉すら出来ないただの傍観者だ。 「ガーネット……」 幼い、子どものようなダイヤが不安げに視線を彷徨わせている。まるで、母親を見失った迷子のようだと思った。 ダイヤもこんな顔をするのかと、静かに驚いた。窓の無い僅かな蝋燭の灯だけが照らす廊下で、ガーネットを呼び続けていたダイヤがぱっと目を輝かせた。宝石のような青い瞳は、闇の中にいても尚、煌々と輝いている。 「ガーネット!」 子犬のように駆けて行く先には、探し求めたガーネットがいた。 ダイヤ程ではないけれど、現実のガーネットに比べ僅かに幼い。 「ダイヤ、お前何処にいたんだよ」 何処か表情を硬くしていたガーネットが、安堵の息を漏らす。跳び付いたダイヤを抱き留めるガーネットは笑みを零した。ダイヤだけでなく、あの鉄面皮のガーネットの知らない一面を垣間見る。だが、同時に悟る。ルビィは、ダイヤのことを何も知らない。 ルビィが知る二人は、浅からぬ因縁を持っているようだった。けれど、過去の二人を見ればそれは、憎悪だけではないのだと解った。 「ガーネットを、探していたんだよ」 そう言って、ダイヤが泣き出しそうに顔を歪ませた。 ガーネットはダイヤを愛おしむように撫でる。 「お前は探さなくていいんだよ。俺が、お前を必ず見付けてやるんだから」 そうして、くしゃりと二人が微笑む。 むず痒くなるような幼い二人の遣り取りに、ルビィは知らずの内、笑みを零していた。ダイヤが笑うところを、ルビィは知らない。何時だって仏頂面で、周り全てが敵だというような鋭い眼光を放っていた。 「行こう、ダイヤ」 ガーネットに手を引かれ、ダイヤは背を向ける。其処にあの白亜の翼は存在しない。 ダイヤは必要時以外は、翼を丁寧に折り畳んでいる。けれど、それは忽然と消え失せてしまうものだった。もしかすると、ダイヤの翼はルビィが思う以上に儚く、脆いものなのかも知れない。 嬉しそうに歩いて行く二人の背中を眺めながら、ルビィは静かに微笑む。何時だって仏頂面で、感情すら解らないと言うダイヤにも、喜怒哀楽が存在するのだと確信した。 歩き出した二人の背中を、誰かが射抜くように見詰めている。振り返ったルビィの目に映ったのは、群青の髪と銀色の瞳を持つ魔族の青年だった。それは凍り付いたような瞳で、愉悦に満ちたように口元を歪めた。途端に背筋を走った悪寒にルビィは身体を震わせた。未だ嘗て感じたことの無いようなその魔族の放つ空気は、例えるなら――絶望。それに似ていた。 「なあ、ガーネット」 手を引かれるダイヤが微笑む。 「俺達、ずっと一緒にいられるかな?」 「何だよ、急に」 「俺、ガーネットとずっと一緒にいたいんだよ」 「何で」 問い掛けるガーネットは訝しげに言った。けれど、ダイヤは意にも介さずに答えた。 「だって、俺、ガーネットが好きなんだよ。一緒にいると楽しくて、嬉しいんだ」 そう言って笑うダイヤを、ガーネットが撫でる。その掌も、視線も、全てが相手を、ダイヤを愛おしいと言っているようだった。 「きっと、一緒にいられるよ」 「本当?」 「ああ、約束だ」 ガーネットが、微笑む。 それは泣き出したくなるような二人の幸せな日々だった。 ダイヤは、ガーネットは願ったのだ。一緒にいることを。だた、それだけだった。他には何も望まなかった。何でも無い日常を重ねて行けたら、彼等は幸せだったのだ。 * 「何だよ、これ」 無造作に投げ出されたそれは、何の変哲もない一本の剣だった。幼いダイヤがそれを拾い上げ、不思議そうに見ている。 ルビィは周囲を見渡す。場面が切り替わったのだ。 見詰める其処は、屋外だった。けれど、太陽を覆うような鉛色の雲と、噎せ返るような灰色の濃霧が陰湿な空気を醸し出している。魔王城の中庭だろうかと見当を付け、ルビィは夢を傍観することに決める。どうせ、自分の力で覚醒することは出来ないし、夢の中の彼等に干渉することも出来ないのだから。 剣を見詰めるダイヤの正面には、やはり、何処か幼いガーネットが腰に手を当て立っていた。 「剣だよ、剣」 「そうじゃなくて、如何してこれを俺に渡すのかってこと」 呆れたようにダイヤが言う。この頃のダイヤは、ルビィが驚く程に表情豊かだ。 ガーネットが答えた。 「自衛の為だよ」 「何で」 「お前は、魔王様の後継者の一人だろ。他の後継者の方々が、お前を狙わないとも限らない」 「そんなもの、俺は全く興味無いのにな」 さらりと告げたその言葉は真実なのだろう。ダイヤが望んで後継者になった訳でも、魔王になりたい訳でも無いのだ。 今度はガーネットが、呆れたように息を吐いた。 「どちらにせよ、お前は弱いからな。俺が守ってやれない時もあるだろう」 「余計なお世話だよ」 「お前には牙も爪も、鱗も毒も無い。ただ、傷の治りがちょっとばかり早いだけだ。これじゃ、人間と変わらないな」 その通りだった。この頃のダイヤには、あの翼は存在しない。 小馬鹿にするように言うガーネットも、ダイヤのことを思っての行動だろう。渋々と言った調子で剣を構えるダイヤに、ガーネットが眉を寄せる。 「お前、剣を持ったことがあるのか?」 「ある筈無いだろう。全部、お前の真似だ」 ダイヤがはにかんで笑う。初めてとは思えぬ慣れた手付きで、ダイヤが剣を振り下ろす。空気を切り裂く鋭い音が、ルビィの耳元まで届いた。 驚愕に目を見開いていたガーネットは、嬉しそうに口元を歪ませた。 「なら、話は早いな。俺が稽古を付けてやる」 「お前で相手になるかな」 軽口を叩くダイヤが、笑う。 銀色の髪と、青い瞳。それ以外はまるで人間のような魔族の子ども。けれど、彼は魔王の末子だった。 剣をぶつけ合う度に、高音が鳴り響く。火花が散るような激しいぶつかり合いに干渉する者はいない。稽古とはいえ、剣は触れれば切れる本物だ。二人は真剣を振り翳しながら、互いに手加減するような素振りも無く、何処か楽しそうに口角を釣り上げる。 在りし日の、二人の姿だった。 一頻り剣をぶつけ合い、二人は倒れ込んだ。額に汗の滴を貼り付かせ、大きく深呼吸をしている。 「良いよ、お前。センスあるよ」 「そりゃ、どうも」 倒れ込んだまま、ダイヤは空に手を翳す。鉛色の広がる空が眩しい筈も無い。けれど、ダイヤはすっと目を細め、言った。 「なあ、ガーネット」 「何だ?」 「知ってるか? この世界の何処かには、天辺が見えないくらい高い山とか、光すら届かないくらい深い水溜りとか、地平線の広がる無限の大地があるんだって」 「ああ」 「何時か、行ってみたいな」 それが夢物語であるように、ダイヤの言葉は現実味を帯びない。ガーネットは、小さく言った。 「行こうぜ」 「え?」 「何時か、一緒に行こうぜ」 がばりと飛び起きたダイヤが、目を瞬かせた。そして、吹き出すように笑う。 「珍しいな。お前が、そんな冗談を言うなんて」 冗談じゃねーよ。ガーネットが身を起こす。 「勝手に諦めて、自己完結してんじゃねーよ。本当に欲しいものは、自分の手で掴み取れよ。魔王様の末子なんだろ」 「ガーネット……」 ダイヤが、言った。 「じゃあ、約束な」 すっと向けられた拳は、人間で言うところの指切りだろう。 拳をぶつけ合い、二人が笑う。再び寝転んだダイヤが、悔しげに言った。 「羽根があればいいのにな。そうしたら、お前を連れて何処へでも行けるのに」 水面に波紋が広がるように、二人の姿は掻き消されていく。場面が切り替わるのだろう。 けれど、ルビィは握り締められたダイヤの拳をじっと見詰めていた。 |
2013.11.9