4,Sacrifice.
コーラルに手を引かれるまま宮殿内を駆け回る。思えば、戦場以外で走ったのは随分と久しぶりだとダイヤは思った。翼を持って生まれた自分は歩かずとも世界を見ることが出来たし、何者に囚われることもなく自由に生きて来た。世界の覇権を賭けて争う人間と魔族を客観視しながら、生きたいように生きている。それは自分の力だ。例え魔王の息子であっても無くても、自分はそうとしか生きられなかっただろうと思う。 宮殿内は決して狭くは無い。それでも、入り口には彼女の出入りを禁ずるかのように兵が配置され、窓には鉄格子がある。傍から見れば軟禁状態の彼女が屈託無く笑い、誇らしげにクオーツのことを語る様がダイヤには理解出来なかった。 走り疲れたのだろう。一休みしようと提案したコーラルは緑豊かな中庭の芝生の上に座り込んだ。ダイヤは少し悩んだが、結局、隣に座ることにした。 「お前、一体何時から此処にいるんだ?」 「さあね。物心ついた頃から、此処にいるよ」 ふうん、と相槌を打ちダイヤは視線を巡らす。日に焼けた壁に囲まれた此処は、体の良い牢獄のようだ。そう感じるのは、自分が何処にでも行ける翼を持っているからか、それともただ単に捻くれているからか。ダイヤには解らない。 誇らしげに、コーラルが言った。 「でもね、此処にいる限り、私は安全なの」 「安全?」 「外の世界は戦乱だし、町に出ればきっと人間は私を恐れるもの。クオーツはね、私を守ってくれているんだよ」 コーラルの気持ちが、ダイヤには解らなかった。 守られたことなど無かったし、必要すら無かった。コーラルは何か言いたげなダイヤに微笑みを返して言った。 「ねえ、私と一緒に此処で暮らさない?」 コーラルの唐突な申し出にダイヤは言葉を失った。この少女の言っている意味がまるで解らない。 「嫌だ」 「如何して? 此処は安全だし、食べ物も美味しいし、クオーツは面白いし……」 「確かにそうかも知れない。だが、此処には自由が無い」 「……そうね。今は、そうかもね」 困ったように笑いながら、コーラルが言った。 「でも、近い未来必ず人間と魔族が共存出来る世界が訪れるよ。クオーツが、必ず創ってくれる」 「……何故、そう思う」 問い掛ければ、コーラルは嬉しそうに笑った。子どものような無邪気な笑みだった。 「クオーツを、信じているから」 何故、とは訊けなかった。無条件の期待、信頼。そのどちらも自分には無いものだ。そして、この先も必要の無いものだと思っている。 ダイヤは、例えクオーツが人間と魔族が共存出来る世界を創れなくても、関係が無かった。戦乱の世が続いても生きていけるだけの強さがあるからだ。だが、全ての魔族がそうではない。人より遥かに強靭で長命で、異能を持つ魔族が拮抗して争い続けるのは、その個体数が圧倒的に少ないからだ。戦力差を数で埋めて来る人間は鼠のように無数の子を生し兵隊に仕立て上げて行く。その生殖力に対抗出来ぬ魔族の中には、こうして人に守られなければ生きられない者もいるのだ。 ダイヤはコーラルを見たときに、思ったのだ。まるで飼い犬のようだと。クオーツがどれ程の聖人君子だとしても、コーラルが憐れだと思った。だが、違うのだろうか。 ――人間と魔族って、本当に解り合えないのかな。 ルビィの声が脳裏を過った。そんなことは解らないし、興味も無い。どちらが勝ったとしても自分は自分の思うように生きるだけだ。 だけど、それ以外の道があるのかも知れない。勝者と敗者ではない、別の道が。それを創ることが可能なのかも知れない。 「……出来るといいな。魔族と人間が、共存出来る世界が」 「出来るよ、きっと」 そう微笑んだコーラルの純粋さが、ダイヤには痛かった。自分の生き方を揺るがすような痛みに目を背け、天を仰いだ。何者にも囚われることのない白亜の浮雲が、自由に空の海を泳いでいた。 一方、ルビィは昼間とは思えぬ湿気に満ちた暗闇の中、地の底まで続くのではないかと思う程に深い階段を下って行く。一体此処は何処なのか、何処に向かおうとしているのかすら問うことが出来ぬまま、ルビィは黙ってクオーツの後を追った。時折、振り返っては此方を気遣う姿は紳士的で、自分勝手に歩き続けるダイヤとはまるで違う。 それでも地獄に向かっているかのような恐ろしさが拭い去れない陰気な空間で、ルビィは少しでも早く目的地に到着することを願った。クオーツが自分を殺す理由は無い。ダイヤの存在を思えば危害を加えることも無いだろう。打算的な考えで後を追う自分の狡猾さに辟易しながら、闇に慣れた目が階段の終わりを捉えた。蝋燭の薄明りの奥に広い空間があるようで、ルビィはほっと胸を撫で下ろす。クオーツは横顔を向けて言った。 「此処は研究施設なんだ」 「研究?」 「そう。砂漠に強い植物を作る為の品種改良なんかが主だね」 「へぇ」 陰気な空間に漂う懐かしい土の匂いに心が安らぐ。きょろりと周囲を見渡したルビィの視界の端に、奇妙なものが映り込む。 無数のガラス瓶に入った赤い液体。凝視するルビィにクオーツは言った。 「それはね、コーラルの血なんだよ」 耳を疑うその単語に眉を寄せると、クオーツは苦笑した。 「魔族の研究も、行っているんだよ。人間より優れた種族である彼等の欠点はその低い生殖力だ。それを人間と配合することで新たな強い種族が生まれる。我が国は、人間にも魔族にも負けない強力な軍事力を得られるんだ」 誇らしげに話すクオーツの言葉に、奇妙な呻き声が混ざっていた。その方向を見れば、全身を鱗に覆われた魔族がベッドに拘束されている。 無数の人間が、銀色のナイフを掲げる。それが振り下ろされる寸前に、ルビィは目を背けた。身を裂かれた魔族の悲鳴が闇に木霊する。 「な、何を……!?」 生きたままに身を刻まれる苦痛が、辛苦がその悲鳴から、呻き声から伝わる。目だけでなく、耳すら塞ぎたい地獄のような状況だった。それでも平然とクオーツはその様を見詰め、微笑んでいる。 「言っただろう。研究をしているんだ。魔王軍と対等に渡り合うには、人の力だけでは不可能なんだよ」 同様にベッドに縛り付けられた人間の馬事雑言が聞こえる。人形のような無表情で男は、魔族から採取した皮膚を移植していく。 クオーツは微笑みを絶やさない。 「あれは奴隷だ。彼等に魔族の力を移植し、洗脳し、最強の戦士を、神の軍を作るんだ」 「こんなの酷過ぎるよ!」 阿鼻叫喚の地獄絵図に、堪らずルビィが叫んだ。それまで微笑んでいたクオーツは表情を消し去った。 「なら、他に如何しろと?」 自分の行為に何の疑問も抱えないまま、クオーツは当然のように言う。 「この地を狙うのは魔族だけじゃない。人間だってそうだ。この町の平和を、人々の生活を守る為には戦うしかない。その為には最強の軍隊が無ければならない」 「そうして……人間と魔族の共存する世界が創れると言うの!?」 「そうだ。アリザリンが世界の頂点となることで争いは無くなり、人間と魔族の戦いも終止符が打たれるだろう」 カツン、と足音が響いた。 「そして今度は、お前等が人間と魔族を支配するのか」 ルビィの振り向いた先に、青い瞳が輝いていた。無表情ながらもその瞳に映る微かな光は炎にも似ている。魔族や奴隷達の悲鳴が今も響き、酷い血の臭いが満ちている。 ダイヤは周囲を一瞥し、興味も無さそうに言った。 「武力による支配……。それがお前の言う共存か?」 「不満かい?」 「いや……」 そう言ってダイヤは踵を返した。 「行こう、ルビィ」 「ダイヤ……」 黙って階段へと足を踏み出したダイヤに、微笑みを浮かべたままクオーツが言った。 「気を悪くしないでくれよ。これは平和を得る為の最小の犠牲なんだ」 「好きにするといい。俺には関係の無いことだ」 言い捨てて、ダイヤは颯爽と階段を上って行く。向けられた背中からは何も感じられない。 怒りも悲しみも、諦めも何も無い。興味を失ったようにダイヤは振り向くことも無く淀みない足取りで階段を上がって行く。早足に行くダイヤの後を懸命に追いながら、それでもルビィは背中に突き刺さる魔族や奴隷達の悲鳴に耳を塞ぎたくなる。此処で行われているのは研究という名目の拷問だ。けれど、戦場では極普通のことなのだろう。一体誰が、彼等の罪を裁けるというのか。 地上に出ると眩しい程の太陽が迎えてくれた。それまでの地獄がまるで嘘のような明るさに眩暈がした。 「ダイヤ……」 同じ魔族として、本当に何も思わないのだろうか。そう問おうするが、ダイヤは無言のまま歩き続ける。 「宿を取ろう。直に日が暮れる」 宮殿の外には相変わらず平和な街並みが待っている。賑わう人並みも、溢れる笑顔も、美しい街路も何もかもがルビィには虚無に見えた。 彼等が名君と讃えるクオーツが、宮殿の地下で何を行っているかなど知らないだろう。否、知ったとしても彼等は理解するのだろう。 ゆっくりと太陽が死んでいく。その腹を食い破って夜が顔を出せば、周囲の人は消えて凍り付くような風が吹き始めた。黄砂を運ぶ夜風に当たりながら、人の消えた街並みをルビィは見ていた。微かに聞こえる明るい音楽は、何処かで娯楽の舞台でも行われているのだろうとダイヤが言っていた。一晩一食付の安宿で、ダイヤはベッドに腰掛けて何時も腰に差している剣の手入れを始めている。だが、ルビィは昼間に見たあの地獄のような情景が如何しても忘れられなかった。 「ねえ、ダイヤ?」 ダイヤは顔を上げない。 「あたしは村が襲われた時、こんな争いの世は無くなればいいって思ったの。人間と魔族が共存出来る世界が創れたらって、クオーツの夢にも共感したよ。だけど、あの人のしていることは本当に正しいことなの?」 ふとダイヤに目を向けるが、やはり顔を上げる事もしないまま剣の手入れをしている。聞いていないのだろうかと、ルビィが再び窓の外に目を戻そうとした時、ダイヤはまるで独り言のような小さな声で答えた。 「さあな」 漸く、ダイヤは顔を上げた。 「魔族の生まれを知っているか?」 唐突な切り口に動揺しつつ、ルビィは首を振った。 「魔族ってのはな、人間の恐れや憎しみと言った負の感情から生まれた存在だと言われている。だから、種によっては人間を襲うし、喰らう」 悲しい存在だな、とルビィは思った。人によって生み出され、人を滅ぼす為に生き、人によって殺されていく。 ダイヤは言った。 「でもな、生まれなんて下らねぇよ。もしも本当に人間によって生み出されたとしても、今は人間と同じ生ある命だ。必要なのは生まれではない、生き方だ」 「それでも、魔族は人を滅ぼそうとするのね」 「ああ。それしか存在意義を見出せない者もいる」 全ての魔族が、ダイヤのように己の思うように自由に生きられる訳ではないのだ。 ダイヤは言った。 「魔族と人間が共存する世界なんて、夢物語だ。そういう意味では、クオーツのしていることが最も現実的なのかも知れないな」 「そうして作られた世界に、何の意味があるの?」 「少なくとも争いは無くなるだろう。毒を以て毒を制す遣り方は間違っていない」 「でもそれは、新たな毒を齎すような気がする……」 ダイヤは黙った。手入れが終わったのか剣を鞘に納め、枕元に置く。 「もう、寝ろ。早朝の涼しい内に、砂漠を抜けなくてはならないからな」 ダイヤはランプを消した。窓の外から零れ落ちる月光を見詰め、ルビィはベッドに潜り込んだ。 魔族と奴隷の悲鳴が今も耳の奥に残っている。今夜は魘されそうだと、不吉にルビィは思った。 |
2011.11.06