40,Determine.










 ジルコン達は、ルビィは思う以上に逞しい子ども達だった。指示された通り正確に動く彼等は、最早孤児の集団ではなく、軍隊にも等しかった。
 彼等の手伝いが何か出来ないかと、恩返しにならないかと、ルビィはジルコンの仕事を手伝うと進み出た。喜んで賛成する訳ではなかったが、ジルコンはルビィの同行を許可した。その程度には、信頼されているとルビィは判断する。
 子ども達は、ジルコンの指示に従って正確に行動する。一人が囮となって気を引き、その隙に物を盗む。行為そのものは悪なのだろうが、彼等の技巧は素晴らしかった。店先の食物を盗まれたと言うのに、店主は気付きもせずに客と談笑している。それを繰り返すこと十数回。あっという間に大量の食糧等の物資が集まっていた。
 子ども達を纏めるのはジルコンだ。彼は子供離れした頭脳で、仲間を動かす。機転を利かせて作戦も変更する。仲間の命を第一と考えていることが、傍目にも解る程に慎重だ。


「如何だ、すごいだろう!」


 戦利品を肩に担ぎながら、ジルコンが躍るような足取りで言った。
 隠れ家へ向かう子ども達は軍隊に見付からぬように分散している。ルビィは苦笑交じりに頷いた。
 その反応に気を良くしたらしいジルコンが鼻唄を唄い出す。単純で可愛らしい子どもだ。背負っているものは大人以上に重いけれど、それでもこうして朗らかに笑っている。
 彼等の専用通路のある路地裏へ入り込んだ時、周囲が騒然となった。
 騒ぎの中心は、商店の賑わう表通りだ。ジルコンは気配を押し殺しながら、外壁からそっと顔を覗かせて様子を窺う。
 まさか、仲間が捕まったのか?
 ジルコンの顔に焦りが滲む。けれど、其処にいたのは彼の仲間ではなかった。


「いたぞ! ――魔族だ!」


 声を上げる軍隊の言葉に、ルビィは反射的に街路を覗いていた。
 空から注ぐ日光を反射し、銀髪が美しく輝いた。透き通る清流のようだった。
 ダイヤだ。
 駆け寄りそうになったところで、ジルコンが庇うようにルビィを路地裏へ押し留めた。


「やっと姿を現したか、魔物め」


 忌々しげにジルコンが言う。
 街路に飛び出したダイヤが、負傷したのか腕を押さえて猫のように身を低くしている。腰に剣は無く、翼もしまい込まれている。何かに吹き飛ばされたのだろう。周囲は砂塵が舞っていた。
 突如、姿を現したダイヤの存在に人々が恐れ戦き逃げ惑う。彼等の胸には、嘗て起こった魔族による虐殺の記憶が鮮明に残っている筈だ。
 ジルコンもまた、殺意にも似た眼差しを向けている。大勢の敵意、殺意に晒されながらダイヤは立ち上がり、能面のような無表情で周囲をぐるりと見回した。視線を受けた民衆が悲鳴を上げる。当然の反応だ。
 ダイヤが無害であるとは、ルビィにも言えない。けれど、まるで病原体のように、化物のように恐れるのは異常だ。確かに強力な力を持つ異形の種族なのだろう。けれど、彼は人間以上に強い信念と理性を持っている。
 足元の汚れを払いながら、ダイヤは言った。その正面には、昨夜対峙したあの兵士がいた。紅いマントを棚引かせる様を見れば、もしかすると彼は兵士を率いる団長なのかも知れない。


「成敗してくれる!」
「成敗って」


 ダイヤが、小馬鹿にするように笑った。


「おめでたい人間だな。自分が、正義だって?」


 その問いに、今にも切り掛かりそうな男は動きを止めた。
 ダイヤは構える事無く問い掛ける。


「相手の素性も知ろうとせず、町に侵入した魔族だから皆殺しか?」
「何が悪い!」
「俺が仮に、死と同時に周囲を爆破させる能力を持っていたら如何するんだ」


 仮定を上げても意味が無いことだ。ルビィは冷静に思うが、軍隊の動きを止めるには十分だった。
 兵士はダイヤを取り囲む班と、民衆を非難させる班に分かれそれぞれが己の仕事を理解し熟している。周囲を囲まれ、上空にすらダイヤの逃げ場は無い。その絶体絶命の状況でも、ダイヤは、笑うのだ。


「正義だなんて言葉を平然と吐く奴、俺は信用出来ないな」


 そう言って、ダイヤは地面を蹴った。浮かび上がるような軽やかな動きに、男の反応が一瞬遅れる。その隙を逃すまいとダイヤは男の右肩に手を添え、独楽のように勢いよく旋回した。遠心力を加えた強烈な一撃は男の後頭部に当たり、反動で兜が落下する。
 後頭部を押さえた男がふらふらと歩き出す。身体を支える為の無意識の行動だろう。ダイヤはその男に足払いを掛ける。いとも簡単に転んだ男の喉元を足で押さえ、ダイヤは鼻を鳴らした。


「世の中、善悪で判断出来ることなんて少ないぞ。この町の掟に従って安寧を得ているお前等は、家畜と一緒だ」


 酷い言い様だが、否定出来なかった。
 男が先頭不能と判断するや否や、周囲を取り囲んでいた兵士は一様に弓を構えた。ダイヤが一瞬、まずいという顔をする。
 空は飛べない。剣は無い。風で吹き飛ばすか? だが、そうして飛ばされた矢が何処へ飛ぶのか解らない。一瞬の逡巡、矢は、放たれていた。
 空気を裂く無数の音。軍隊は勿論、民衆すら仕留めたと思っただろう。ルビィは堪らず、ジルコンを押し退けて声を上げていた。


「ダイヤ――!」


 その瞬間、青い目がきらりと輝いた。
 青い目に映ったのは足元の男の剣だ。矢が届く刹那程の時間に気付き、引き抜き、構えた。そして、鼻先まで迫った鏃を、一本の剣で粉砕して行く。人間には到底不可能な速度の芸当だった。民衆には何が起こったのかすら理解出来なかっただろう。
 ダイヤの周囲には歪み切った鏃が、近付くことを拒絶する結界のように落下していた。
 剣を手にしたダイヤに、兵士が焦りを見せる。彼の剣戟の凄まじさは、知っている筈だ。けれど、それでも攻撃を止めぬ兵士達が第二の矢を構えている。ダイヤなら、それを簡単に振り払うことが出来るだろう。――そう解っているのに、ルビィは自分の足を押し留めることが出来なかった。
 兵士に囲まれたダイヤも、ルビィの存在に気付いている。声を掛けないのは、其方へ意識を向けさせ、危害を加えさせない為だ。


「こんな使い古された陳腐な武器と戦法で、俺を討ち取れると思っているのか?」


 敵意を剥き出しにするダイヤに、取り囲む兵士が一瞬戦く。元は傭兵だという彼等であっても、ダイヤとは踏んで来た場数が違う。
 一本の剣だけで大勢の兵士を圧倒しながら、ダイヤが微笑む。その瞬間、ダイヤの背後に影が沸き上がった。それは銀色の閃光となってギロチンのように振り下ろされた。――刹那、飛び退くようにして躱した。勢い余って砕かれた石畳が悲鳴を上げる。
 身を低くしたままダイヤは、その影を睨んだ。影は大きな鎧を守った兵士だった。


「魔物め……」


 忌々しげに、男が吐き捨てる。ダイヤは立ち上がった。
 剣を向け、対峙する。糸が張り詰めるような緊張感が周囲を満たして行く。互いの出方を窺い、その緊張が切れる瞬間、同時に二つの影が地面を蹴った。高音が響く。二本の剣が交わり、激しく競り合う。軋むような音が周囲に広がって行く。
 ダイヤは、兜を深く被った男をじっと観察する。壮年の人間の男だ。掌から伝わる剣戟の重さに、彼の強さを実感する。ダイヤは知らず笑っていた。それは全ての魔族が持つ闘争本能だった。青い瞳に、炎が灯る。
 戦うことが、楽しい。力を振るうことが、嬉しい。今この場で剣を握り、人間と争うことがこんなにも喜ばしい。そういった本能を、ダイヤはギリギリで圧し留めている。本能に身を任せてしまえば、この場にいる全ての人間を虐殺してしまう。
 それでも、いいんじゃないか?
 一瞬、そんな考えが脳裏を過る。
 だって、人間じゃないか。否、魔族だって同じだ。如何して俺が、関係の無い奴等の命の心配までしなければならないんだ。
 ダイヤの掌に力が籠る。それを感じ取っただろう男が、驚愕に目を見開いた。弾かれる。男はそれを本能で察知した。けれど、それと同時に、周囲より一斉に矢が放たれた。
 それは一分の隙も無いよう、一斉に暴風雨のように放たれた。ダイヤの背中に翼が現れる。対峙する男も、迫る矢も全て吹き飛ばそうとしていた。それで終わりだ。だが。


「ダイヤ!」


 ぱちん、と。シャボン玉が割れるような音が脳内に響き、ダイヤは思考を止めた。
 一見すれば絶体絶命の状況だった。其処に小さな影が躍り出る。――ルビィだった。
 ダイヤを庇うよう両手を広げ、文字通り矢面に立ち塞がった。ダイヤにとってそれは意味の無い、ともすれば蛇足と呼ぶべきものだった。
 放って置けばいい。その思考を、理性が押し留める。


「退け、ルビィ!」


 広げられたルビィの腕を引っ掴み。翼の下に抱え込む。
 降り注ぐのは、容赦のない鋭い鏃の雨だ。魔族のダイヤとて、無事では済まないだろう。悪態吐きながら、ダイヤは覚悟を決める。野次馬と化した民衆から悲鳴が上がった。
 その瞬間、何処からか現れた光の壁が一直線に伸びた。それは小さな空間を築き、襲い来る矢を一つ残らず弾き飛ばして行った――。
 訪れない痛みにダイヤが目を見張る。蛍のように静かに発光するその空間を、知らない筈も無い。二人を囲む小さな部屋は、周囲から隔離され何者にも干渉することは出来ない。
 石畳を打つ乾いた音が、反響して行く。


「何、面倒事に巻き込まれてんだよ」


 金髪を揺らしながら、蜜色の瞳で蕩けそうに微笑んでいる。トパーズだ。ダイヤは、ふっと肩の力を抜いた。
 新たな魔族の登場に民衆が、兵隊がざわめいた。トパーズは周囲を一瞥し、辟易したというように息を零す。


「ジェイド」
「ああ」


 声を掛けられたジェイドは掌を翳す。身構える兵を意に介さず、ジェイドは掌から白い光を放ち始めた。
 ジェイドの魔法は、空気を媒介として幻想を見せる。ダイヤが、それを声で制した。


「止せ、ジェイド!」


 従うように、ジェイドも光を収めた。既にトパーズの魔法も消えている。
 ダイヤは翼を丁寧に畳んだ。その下から、身を小さくしたルビィが現れる。


「もう、いい……」


 そう言って、ダイヤは膝を着いた。昨夜受けた傷が深かったのだろうかと、ルビィが慌てて様子を窺う。けれど、傷は既に癒え、やがて痕すら消えるだろう。
 疲弊し切った様子のダイヤを心配そうにジェイドが覗き込む。ダイヤは俯き、表情は見えない。


「疲れちまった。行こうぜ」


 顔を上げたダイヤは、少し笑っているようだった。それは余りに彼らしくない表情だった。ルビィは肩を竦ませる。
 立ち上がり、膝を払ってダイヤが言った。


「邪魔したな」


 それだけ言い残して、この町で受けたことを何もかもを無かったことにしようとしている。ダイヤは背を向け、民衆の元から歩き出していた。
 呆気無い魔族の退場に、拍子抜けとばかりに民衆が囁き合う。


「何だったんだ、結局」
「あの魔物、何もしなかったな」
「兵隊が追い掛けなければ、こんな騒ぎにもならなかったんじゃないか」


 民衆の囁き合いが、一つの答えを提示している。


「あいつは、悪い魔物じゃなかったんじゃないか?」


 ルビィは頷きたかった。声を大にして叫びたかった。
 兵隊は一晩中、丸腰のダイヤを追い回した。何の危害も加えなかったダイヤへ、一方的に暴力を振るった。ダイヤは何もしていないと、皆に訴えたかった。けれど、その権利はルビィに無い。
 立ち去ろうとするダイヤの背中を、ルビィは追い掛けようとした。人込みの中から、声がした。


「ルビィ!」


 呼ばれた先、振り向いたところでジルコンが立っていた。数人の仲間を引き連れている。その中には、スピネルの姿もあった。
 疑惑に満ちた目を向け、ジルコンが問い掛ける。


「お前、魔物の仲間だったのか……?」


 裏切られたというように、ジルコンが傷付いた顔をする。
 この子はもう十分に傷付いた。これ以上苦しむ必要なんて無い。手を差し伸べたいと、切に願った。
 先を歩いていたダイヤが足を止め、振り向く。感情の読めない無表情で、ダイヤが何かを言おうとした。その言葉の先が、ルビィには予想出来るような気がした。


「そうだよ」


 ダイヤを遮ったルビィの声に、ジルコンが、スピネルが言葉を失う。ルビィは無表情に、突き放すように言った。


「黙っていて、ごめんね」
「何で……、何で魔物の仲間なんてしてるんだよ!」


 悲鳴にも似たジルコンの叫びに、ダイヤはもう何も言わなかった。既に背を向け、歩き出している。
 ルビィもまた、立ち止まる訳には行かなかった。


「全ての魔族が悪ではないよ」
「そんなの、嘘だ!」
「貴方にも、何時か解る」


 先程の、民衆の囁き合いが全ての答えだ。
 これ以上の言葉は不要だとルビィも、ダイヤ達を追って歩き出す。動揺し行動を起こせない兵隊と、野次馬の中でジルコンだけが振り絞るように声を上げる。


「裏切り者!」


 けれど、ルビィは振り返らない。
 前だけを見据え、歩き続ける。歩調を速めればすぐにダイヤへ追い付いた。
 ダイヤはやはり、何も言わない。町で何があったのか興味が無いのか、今は訊く気が無いだけなのか、トパーズとジェイドも何も問い掛けはしなかった。ルビィは言った。


「……さっき、私を町に残そうとしたでしょう」


 ダイヤは黙ったままだ。
 あの時――、追い縋るジルコンに、ダイヤはルビィを押し留めようとしたのだ。こいつは人間だ。俺達とは関係無い。だから、危害を加えるな。此処に置いてやってくれ。そういった意味を込めて、ダイヤが口を開いたことは明白だった。
 図星を突かれたからか、機嫌が悪いのか、ダイヤは口元を真っ直ぐに結んだままだった。
 ルビィは声を低く、唸るように言った。


「もう二度と、私を置いて行こうとしないで」


 以前も、ダイヤはルビィを突き放そうとした。
 ルビィを守る為に、自分の身を差し出したこともあった。理由は解らない。ダイヤにだって、解っていないだろう。けれど、確かな事実が一つ、ルビィには解っている。ダイヤにとって、ルビィはどうしようもなく弱い存在なのだ。守らなければ生きていけない存在と、そう捉えている。そして、ルビィは自分の無力さも痛感していた。
 それでも、ルビィは訴える。


「何処に身を置くかは、自分で決める。私は私の意思で、貴方と一緒に行きたいの」
「……後悔するぞ」
「しない」
「じゃあ、」


 ダイヤの腕が伸び、ルビィの頭をくしゃりと撫でた。


「泣くんじゃねーよ」


 ぶっきら棒に、ダイヤが言った。
 裏切り者と言った、ジルコンの声が頭から離れない。裏切ったつもりなんて無かった。傷付ける気なんて無かった。一緒にいてあげたかった。
 それでも、この道を捨てることは出来ない。択んだのは自分だ。
 頭を撫でたその掌が、ジルコンと重なる。ルビィは頬を濡らす涙を、乱暴に拭った。





2014.1.3