8,Reminiscence.










 とうとう迎えが来たのかと、思ったのだ。

 民衆の前で、理不尽な馬事雑言を浴びながら炎に呑み込まれた父が、子どものようにしゃくり上げる母に埋葬された晩のことだった。裏切り者だと、危険分子だと、白い眼で睨まれながら母は口元を真一文字に結んで、黒焦げで異臭を放つ父の遺体を背負って町から随分と離れた岩場の隅に小さな墓を建て、自害した。後を追えるようにと、母は最期の優しさに小さなナイフを残してくれた。
 首筋に突き立てられた刃を滑らせれば、鮮血が噴水のように吹き出す。事切れた母はもう何も言わない。――俺はただ、無心に穴を掘り続けていた。
 顎から滴り落ちるものが汗なのか涙なのか、俺には解らなかった。死して尚、人目を避けるように建てられた墓を空しいと思うけれど、隣に母の墓を作らなければならなかった。歪な石で固い地盤を削るのは中々に困難で、死体となった母がそうであるように、俺の手もまた泥だらけで、血塗れだった。
 何が間違っていたのだろうか。何が正しいのだろうか。如何すれば父は火炙りになんてならずに済んだのだろう。如何すれば母はこんなところで隠れるようにして自らに刃を突き立てずに済んだのだろう。解らないよ。
 卵のように体を丸めさせた母を暗い墓穴に押し込んで、掘り起こされた赤土を被せて行く。
 ねぇ、如何して?
 如何してなの?
 お母さん、知ってるかな。俺、今日で十歳になったんだ。
 親父の酒場を継ぐのが、俺の夢だったんだよ。いつも賑やかで親父の誇りだった酒場は取り潰されて見る影も無いけど。
 女の子が欲しかったと言いながら俺の頭を撫でてくれたお母さんの為に、可愛い孫を作ってやりたかったんだ。
 ねぇ、如何してなの?


「――人間ってのは、訳が解んねぇな」


 大きな満月を隠すように、現れた影は碌な足場一つ無い小高い岩山から見下ろしていた。人間にはある筈の無い月光に照らされた白亜の翼が、降り注ぐような満点の星空に浮かんでいる。音も無く羽ばたく其れは、不機嫌そうな仏頂面で俺の前に降り立った。
 白く滑らかな肌と、透き通るような銀髪と、宝石のような青い瞳。背中の翼が無くとも一目に人外のものであると解るのに、胸の中に沸き立つのは恐怖でもなければ驚愕でもなく、ただ純粋な感動だった。
 其れは墓と呼ぶには余りに質素な墓石の前にしゃがみ込み、なあ、と声を掛けた。


「苦しくないのか、土の中ってのは」


 俺に向けた言葉ではなかった。答えがある筈も無いのに、其れは少し苛立ったように声を荒げる。


「黙って無いで、何とか言ってみろよ。なあ」
「言える筈無いよ」


 其処でぴたりと其れは動きを止め、ゆっくりと俺を見た。その美しい面には純粋な驚きが浮かんでいる。


「もう、死んでるんだから」
「そうなのか。そいつは、悪かったな」


 其れは再び墓石に向き合うと、白亜の翼を器用に畳み込んで手を合わせた。
 人ではない其れが魔族だと気付いたのは、その時だった。満月を背負ったその姿が余りに幻想的で、美しくて、まるで天から来た神の使者のように思ったのだ。其れは少し眉を寄せて謝罪の言葉を口にする。悪かったな、安らかに眠れ、と。
 其れは再び俺に目を向けた。


「お前、こいつ等の血縁者か?」
「……俺の、親父と、お母さん」
「ふうん。お前の、名前は?」
「ルブライト……」


 其れが、瞬きをする。長い銀色の睫が静かに震えた。


「お前が殺したのか?」
「違う」
「じゃあ、誰が殺したんだ?」


 母が命を絶ったナイフが、今も冷たい土の上に転がっている。現実味を帯びない幻想的な容姿からは想像も付かない粗暴な口調で、此方を気遣う神経など微塵も持ち合わせていないような言葉で、其れは平然と話し掛ける。だからか、悲劇とも呼ぶべき両親の死は意識から切り離されてしまった。


「自分で命を絶ったんだ」
「――自分で?」


 俺の言葉が信じられない其れは訝しげに眉を寄せ、目を細める。


「理解出来ないな。如何して自分で死ぬ必要がある」


 それを、俺に言わせるのか。
 黙り込むと、其れはふんと鼻を鳴らして立ち上がった。


「死んで何が解決する。死ねる度胸がありながら、出来ないことがあるとは思えないな。お前の親は、負け犬か」


 違うと、叫びたかった。お前になんて解らないと、訴えたかった。けれど、言葉は何の形にもならず喉の奥に消える。何も言い返せない自分が悔しくて情けなくて、ただ俯いて拳を握り締めた。


「おい、ルブライト。顔を上げろ」


 俺より背の高い、青年と呼ぶべき容姿を持つ其れは顔を覗き込んだ。悪意など無かったのだろう。其れの目は純粋で、好奇心に満ちている。


「何で、泣いてるんだ?」


 心底解らないらしい其れは、弱ったと眉を下げている。


「何処か痛いのか? 腹が減ってるのか?」
「違う……」
「じゃあ、何で泣くんだ。頼むから、泣かないでくれよ。お前が泣いていたら、俺まで悲しくなっちまうじゃねぇか」


 その顔は本当に、今にも泣き出しそうだった。如何して、お前がそんな顔をする必要がある。あんなに酷い言葉を投げ付けて置いて、如何してそんな優しく労わるんだ。
 お前は魔族だろう。人間の敵なんだろう。なのに、何でそんな顔をするんだ。何で。


「――俺」


 覗き込んで来る青い瞳が余りに綺麗で、意味の無いことを言ってしまう。


「今日で、十歳になったんだ。……おめでとう、って、言って欲しかったんだ」


 おめでとう、おめでとう。生まれて来てくれてありがとう。生んでくれてありがとう。机を囲んで食事して、ケーキを食べて、抱き締めて欲しかったんだ。頭を撫でて欲しかったんだ。
 冷たい母の死体を墓穴に押し込んだ。溢れた血液が両手を濡らした。


「抱き締めて、欲しかったんだよ……!」


 其処で漸く、涙が零れ落ちた。堰を切ったように溢れ続ける涙と嗚咽。其処に町の人間は誰もいないと解れば、声を張り上げて泣き出した。
 驚いたように目を真ん丸にしていた其れは、暫く俺を見ていたかと思うと、静かに強く、優しく抱き締めた。突然のことに言葉を失った俺は抱き締める細い腕を不意に掴んでいた。


「おめでとう、ルブライト」


 棒読みの言葉が、ぎこちない腕が、困ったように下げられた眉が、穏やかな青い瞳が、其処にあった。
 人間の敵で、悪で、害である筈の魔族。強大な力と残虐な心で破壊の限りを尽くそうとする魔族。化物だと恐れられ、忌み嫌われている魔族。
 ゆっくりと離れた其れは、白い歯を見せて悪戯っぽく笑った。鋭い犬歯が見えるが、それ以上に無邪気な笑顔から目が離せない。人間なんかより遥かに美しく、優しく、強い。


「生まれて来て、良かったな」


 他人事のように呟きながら、幼子にするように頭を撫でる。其れは物言わぬ冷たい墓石を一瞥すると、何か悪戯を思い付いた悪童のような笑顔を浮かべて言った。


「死んだお前の親の代わりに、俺が言ってやるよ。お前が生まれたこの日に、お前が死に絶えるその時まで」


 魔族の寿命は人間などより遥かに長い。一見青年に見える彼もまた、自分には想像も付かない程の年月を重ねて来たのだろう。そう思うと、向けられる笑顔は何か深い意味があるような気がして来る。


「だから、もう泣くな」


 びしり、と額に指を弾き、其れは笑った。子ども染みた仕草が余りにも不釣り合いで、虚を突かれたように瞠目すれば其れは欠伸を噛み殺しながら白亜の翼を広げた。一陣の風が短い前髪を揺らした。
 そのまま飛び立とうと、闇に浮かび上がるような羽根に力を込める其れに、叫んでいた。


「お前、名前は!?」


 其れは、口角を釣り上げて笑った。皮肉っぽい笑みがやけに様になる。


「ダイヤだ。忘れんじゃねぇぞ」


 ダイヤは、高度を落とした月夜に向かって飛び立った。羽ばたきが風の中に掻き消されていく。満天の星空に吸い込まれていくような背中を見詰めながら、魔族である其れの名を口の中で繰り返す。ダイヤ。子どもっぽい笑みが瞼の裏に焼き付いていた。



 階段を踏み外したような浮遊感と共に、ルブライトは目を覚ました。明け切らぬ窓の外には人影一つ無い静かな通りがあった。
 何時の間に眠ってしまっていたのだろうと目を擦りながらルブライトは寝惚けた頭を抱える。リターナーの会談があった。ダイヤの歯に衣を着せぬ物言いに激昂した仲間の声が今も耳に残っている。ルブライト自身は、ダイヤの言葉など受け流して気にもしていないのだけれど、自分のことのように憤り叫んだ仲間の優しさに微笑む。心優しい、大切な仲間だ。
 ダイヤの勝手な言い分も、無遠慮に言い放つ言葉の数々にももう慣れた。それだけ、ダイヤとの付き合いは長い。母が死んで天涯孤独となったあの夜の約束以来、ダイヤは一年に一度だけ現れる。あれからもう十年以上の月日が流れたけれど、律儀に約束を守るダイヤは押し付けがましく感謝の言葉を求めたりしない。ダイヤにとってはただの退屈しのぎ、暇つぶしに過ぎないのだから。
 今年もやって来たあの白亜の翼を持つ魔族は、組織内に余計な軋轢を生み出して置きながら、既にそんなことは興味が無いと記憶にすら残していないのだろう。くつりと喉を鳴らすと、それは皮肉めいた自嘲となった。
 その時、背後から何の殺意も無い小さな気配が動いた。


「――ルブライト」


 遠慮がちに名を呼ぶ声に振り返ると、其処にはダイヤが初めて連れて来た人間が居心地悪そうに立っていた。早朝と呼ぶにもまだ早い時刻に目を覚ますとは思えず、眠れなかったのだろうと見当を付けてルブライトは殊、優しい声で言った。


「如何したんだ、ルビィ?」


 漆黒の髪と瞳を持つ間違うこと無い人間の少女が、不安げに瞳を揺らす。何処にでもいるだろう何の特徴も無い少女だ。ダイヤが連れているのが不思議な程に。
 ルビィは何か言い淀むように数回口を開閉させると、終に意を決したように言った。


「さっきは、本当にごめんなさい」


 『さっき』という言葉に、あの会談からそれ程時間は経過していないのだと気付いた。机に向かって書き物をしながら眠ってしまった時間は短かったらしい。ルブライトは苦笑した。


「君が気にすることは何も無いよ」
「でも、ダイヤが酷いことを……」


 ふつりとルブライトの中で淀んだ感情が浮かぶ。ダイヤのことで、如何してこの少女が謝らなければならないのだろう。まるで、お前よりも自分の方がダイヤに近いのだと暗に告げられているようで苛立つ。お気に入りの玩具を取られたような、子ども染みた醜い嫉妬だ。ルビィに悟られぬように内面を押し隠し、ルブライトは答えた。


「ダイヤとは付き合いが長いから、慣れてるんだ。相手を思いやることも無く、思ったことをそのまま口にする。本能のまま生きる野生動物に近いんだ」
「……」
「だからこそ、嘘や誤魔化しは無い。口は悪いけど、悪意は欠片も無い」


 微かな優越感と共に、ルブライトは微笑む。不満げに唇を尖らせるルビィに、ルブライトは内心で安堵する。
 魔族の中でも一線引くダイヤの中に、自分以外の人間に踏み込んで欲しくない。それが何故なのか、ルブライトにも解らなかった。


「……ところで、そのダイヤは何処に?」


 姿の見えないダイヤを探して視線を巡らすが、ルビィが首を振るだけだった。


「さぁ。勝手に何処かに行っちゃったよ」


 行先も告げないで、自分勝手に振る舞うその様は本能のままに生きる野生動物と同じだ。魔族にしても規律くらいあるだろう。そういう面も含めて、ダイヤは特殊だと思うのだ。


「そうか。ま、朝には帰って来るだろうさ。さて、俺もそろそろ寝ようかな」


 わざとらしく大きな背伸びをして、ルブライトは立ち上がった。ルビィは漸く不安げに揺れる瞳を消し去り、微笑んだ。
 ――その時だ。
 叩き壊されんばかりの勢いで扉が叩かれたかと思うと、此方の返事など必要無いと言わんばかりに蹴破られる。咄嗟に身構えることも出来ずに硬直するルブライトとルビィの前に、ずらりと無数の凶刃が頭を上げて並んでいた。





2012.1.25