美しい世界、美しい人、美しい魂。
 そんなもの欠片も信じられなかった俺はきっと何処までも歪んだ人間だ。だから、誰の事も信じられずに全部背負って独りきりでここまで来た。正解も楽な道も本当は解ってるんだ。でも、人を信じる勇気が無かったから用心深いみたいに見せて孤独を選んだ。この苦しさは汚れた世界のせいだと思いたかった。自分は何も悪くないんだと言い聞かせてた。でも、本当は……俺は、信じたかったんだ。
 何の確証も無くて、裏切られてボロボロに傷付いても、飼い犬みたいにずっと信じていられる底抜けのお人好しと馬鹿馬鹿しさに憧れていた。

 高槻はいつものように先に帰るつもりだったが、桜橋や和輝と話していたせいで帰る時刻は皆と重なった。皆と一緒に帰るのは一体何ヶ月ぶりだろうかなんて考えて、すぐに止めた。過去を振り返る余裕なんて俺にはないだろう。
 夜になって空には少し雲が出て来たようだ。星空を埋める鈍色の雲を睨み上げ、高槻は溜息を零す。今日は色々な事が有り過ぎた。萩原にしても、桜橋にしても、和輝にしてもだ。今更、初秋に起こって終わった事件を掘り返してどうするというのだ。終わってなんていないと和輝は言うけれど、もう終わったのだ。いや、終わらせたと言うべきか。
 校門を潜ってすぐ、家が近所である和輝とは別れた。それから高槻は他の部員と一緒に帰路を辿り始めたが、ふっと頭の中に昼間聞いた萩原の忠告がフラッシュバックした。反射的に振り返った先に和輝は既にいない。桜橋が心配そうに声を掛けるけれど、気のせいだと思い込んで歩き出す。その一歩を踏み出し、高槻は最後に振り返った。


――終わったと、本当にそう思いますか?


 和輝の問いが聞こえた気がした。鈍い頭痛を覚えて額を押さえ、高槻は立ち止まった。
 何なんだ、一体。萩原も和輝も揃って同じ事を言いやがって。あの事件はもう終わった、過去の遺物だ。それを掘り起こして一体どうするんだ。
 否定的な思考とは裏腹に足は鉛のように重く動かない。何時までも立ち往生していると桜橋が問い掛けて来た。


「大丈夫かよ、高槻。真っ青だぞ?」


 冷や汗が頬を伝う。激しい動悸が指先の痙攣に伝わり、思考が纏まらない。でも、一つ解る事がある。
 俺は、こんな事をしている場合じゃない。


「なあ、桜橋」


 高槻は目を伏せたまま言った。


「お前等は一体何処まで知ってる……?」


 じわりと足元から恐怖が上って来る。高槻の質問の後、数秒の沈黙がやけに長く、そして重く流れた。そして、桜橋は少し考え込んでから静かに答えた。


「お前等が頑なに積み重ねて来た嘘が全てだ」


 振り返った時、桜橋は真っ直ぐ見詰めていた。高槻は少しだけ笑う。嘘だと解っていたのだろうか。
 何時だって傷付く事が恐くて、裏切られるくらいなら信じなければいいと言い聞かせて来た。でも、こいつ等は当たり前のように信じてくれているじゃないか。嘘で誤魔化されて蚊帳の外に追い出されたこいつ等が傷付かなかった筈が無かった。それなのに、こうして付いて来てくれた。
 高槻は唾を呑み込み、そっと口を開く。


「本当は、お前等に相談するべきだったんだよな」


 独り言のような言葉は僅かに桜橋の耳にだけ届いた。だが、彼はその意味が解らず眉を寄せる。高槻は少しだけ笑い、突然走り出した。
 その高槻の突然の行動に焦った桜橋は小さくなる背中に向かって叫んだ。何度も名を呼んだが高槻は振り返らず、桜橋は舌打ち混じりに追って走り出す。焦った箕輪達が呼ぶけれど桜橋もまた、振り返らなかった。
 その頃、校門で別れた和輝はゆっくりと薄暗い家路を辿っていた。しんと静まり返った見慣れた町の中、自宅が数十メートルと迫ったところで和輝は見当違いのところで角を曲がる。そのまま暫く歩き続け、忘れ去られたような小さい公園に出た。白い砂の広がる広場の中央まで歩き、和輝は足を止めて振り返った。


「俺に何の用ですか」


 薄闇に浮ぶ幾つもの黒い影。校門を出てから、無数の足音が一定の距離を保ってぴったりと付けて来ていたからすぐに気付いていた。闇に慣れた目を凝らせばそこにいる人間が誰か解った。今日の昼休みに会ったばかりの金髪達が薄ら笑いで立っている。
 恨まれる覚えは無い、と否定出来ない自分を和輝は自嘲した。有ると断言は出来ないけれど、零だと胸を張る事は出来ないのだ。俊足に物を言わせてさっと撒いてしまえば良かったのだろうけども、そうするには余りにも自宅が近過ぎた。校門で別れて走り出せば高槻達が不審に思っただろう。
 思いつきのままに選んだ行動が正しいとは言えない。でも、巻き込めない。だって、皆、もう自分の事で精一杯なんだから。
 金髪達が輪になってじりじりと距離を縮めて来る。冷や汗が頬を伝い、圧倒的不利な状況に恐怖からか膝が震えた。
 恐い。逃げたい。でも、逃げ場が無い。殴られるのも痛いのも嫌だ。だからって助けを求める相手なんかいない。いや、助けなんか求める気は無いんだ。だって、約束したから。
 皆、自分の領分で出来る事を頑張ってる。俺も頑張るって約束したんだ。俺は何でも出来る神様みたいに万能じゃないから、人が背負っているものを軽くしたり代わりに背負ってあげたりする事も出来ない。俺に出来るのは、彼等に迷惑を掛けない事くらいだ。
 和輝はぐっと息を呑んだ。嫌なものは嫌だし、恐いものは恐い。でも、逃げても変わらない。俺が逃げる事で他の誰かが苦しむんじゃ何の意味も無いじゃないか。
 目の前に金髪が立って見下ろしても、和輝に恐怖はもう無かった。むしろ睨み付けるようにして見上げ、身構える。振り上げられた拳に光る銀色の指輪を見て、見当違いのところで痛そうだなぁと考えていた。高校に入ってから何回拳を振り上げられたんだろう。高槻や木島にも殴られ掛けたし、この金髪に至っては今日で二回目だ。ただし、殴られた事は無いのだけど。
 振り下ろされようとする拳を見て和輝は閉じようと目を細め、その視界に腕を押さえる掌を映した。
 掌を見て笑ってしまったのは、その人物が誰か解ったからではない。


(俺はいつも守られてるなぁ)


 掌で拳を制した男は和輝の笑みが自嘲の笑みだと気付いただろうか。和輝は少しだけ眉を下げた。


「何でこんなところにいるんですか、萩原先輩」


 金髪は、自分の背後にいるのが萩原だと気付いた瞬間、表情を強張らせた。
 萩原は表情は変えずに素っ気無く言い捨てる。


「お前に怪我されると困るんだよ」


 和輝は力無く笑った。萩原は金髪を押し退けて輪の中に閉じ込められている和輝を引っ張り出して歩き出す。金髪は早々と背中を向けようとする二人に向かって怒鳴り散らした。


「待てよ、てめェ!」
「待つ訳ねェだろ、頭使え」


 振り返りもしないで歩いて行く萩原は苛立っているようだった。和輝は腕を引っ張られながら荒々しい歩行に付いて行くが、後ろから金髪――達が追って来る事に気付いて振り返った。
 金髪が、雲間から差した月光に煌く。振り上げられた拳に光る銀色の指輪。弾丸のような勢いも何故かスローモーションのように見えた。このまま拳を避けて懐に潜り込んで……。和輝の思い描いた動きは萩原も同様だ。だが、和輝はそうしなかった。
 振り下ろされた拳を両手で受け止め、足に力を入れて踏ん張ろうとした。だが、パンチの重みか体重の軽さか堪え切れずに体は後ろに倒れ込んだ。尻餅を着いた和輝を見て金髪達は笑い、萩原は眉を寄せる。
 和輝を庇うように萩原は前に進み出るが、和輝は立ち上がってそれを制した。


「萩原先輩、手ェ出さないで下さい」
「は?」
「俺も手ェ出しません」
「何言ってんだ。そんな状況かよ」
「……先輩が守ろうとしたもの、俺も守りますよ」


 ピタリと萩原の動きが止まる。和輝は息を整えながら周囲に牽制の視線を送りつつ言った。


「皆、鈍過ぎるんですよ。いや、優し過ぎるんだ。皆、自分以外の人を守ろうとして歪み合ってる」
「何の事だ?」
「俺は萩原先輩を信じてるって事ですよ」


 和輝は振り返って笑った。


カタルシス・3

本当は、信じたかったんだ、信じて欲しかったんだ


 険悪な空気の流れる公園を二つの金色のライトが照らした。突然の光にそこにいた人間は皆、例外無く目を眩ませてしまう。和輝は明暗の激しさに視界を真っ白く変化させてしまったが、数秒の後に目が慣れた頃、ライトの正体が何だったのか気付いた。
 運が良いのか悪いのか。そんな事を思って和輝は笑った。視線の先には自転車に跨った高槻と桜橋がいる。高槻は徒歩だから誰かの自転車を借りて来たのだろう。


「キャプテン、桜橋先輩。家、こっちでしたっけ?」
「馬ァ鹿。野暮用だよ」


 桜橋は自転車に跨ったまま公園に侵入し、ライトを金髪達の群れに当てた。眩しそうに手で顔を隠す金髪の顔を確認し、桜橋は眉を寄せる。


「やっぱり、な」


 意味深な言葉だと思った。何か思うところがあるらしい桜橋は一通り顔ぶれを確認した後、口角を吊り上げて高槻に目を向ける。高槻は無表情で何も言わなかった。
 妙な沈黙が流れた。居た堪れなくなった和輝は意味を問うように桜橋へ視線を送る。桜橋は数秒の沈黙を挟んで答えた。


「こいつ等は、去年の初秋に辞めた野球部員なんだ」


 金髪達を顎でしゃくりながら桜橋はシニカルな笑みを浮かべる。和輝は表情を硬直させた。桜橋はゆっくりと口を開く。


「去年の初秋に起こった事件を教えてやるよ」


 辺りはしんと静まり返っていた。桜橋の声が妙に響く。


「去年の夏大会、甲子園から遠ざかっている晴海高校は地区予選準々決勝で敗退した。そして、引継ぎ式で高槻がキャプテンになった」


 それは誰もが知る公式の情報だ。


「その頃は野球部も大所帯でな、部員同士の諍いも表面化しちゃいないがしょっちゅうだった。八十人以上の部員がいるのにレギュラーは極僅かだからさ、嫉妬や羨望もあった。水面下ではイジメに近い事もあったらしくて、毎年、人間関係が理由で何人も退部届けが出されてる。……萩原と袴田もその一つだ」


 和輝は萩原に目を向ける。萩原は居た堪れなそうに目を伏せていた。


「将来を期待されていた天才、それが当時の袴田だった。その袴田と萩原は一年の頃からいがみ合ってた所謂、犬猿の仲だった訳だ。……野球部なんて言っても爽やかなだけじゃないからさ、陰険な事もあった訳よ」
「水面下で争ってたって事ですか?」
「俺はそんなガキじゃねぇ」


 それまで黙っていた萩原が口を挟んだ。


「俺は始めから相手にしてなかった。向こうが一方的に突っ掛かって来てただけだ」
「そう。問題を起こしたのは袴田なんだよ」


 桜橋は萩原を指差して言う。


「集団暴行事件は嘘じゃなかったんだ」
「は?」


 和輝は眉を寄せる。


「どういう事ですか?」
「正しくは、集団暴行『未遂』事件なんだ」


 頭の中で言葉を反芻して和輝は首を傾げる。まるで、意味が解らない。だが、桜橋の言葉を繋げて和輝は奇妙な事実に目を丸くした。


「集団暴行未遂を起こしたのは、袴田先輩……」
「そう」
「そんな」


 袴田は被害者じゃないか。
 そう言おうとした言葉は出て来なかった。和輝はこんがらがる頭の中を整理しながら注意深く桜橋の話に耳を傾ける。


「去年の初秋、袴田は萩原を呼び出し、リンチしようとしたんだ。その仲間がそこにいるやつ等だよ」


 桜橋は周囲の金髪達を顎でしゃくって言う。


「だが、萩原は多勢に無勢にも関わらず勝ってしまった。……萩原は正当防衛だったんだ」
「正当防衛で終わらなかったのは、袴田先輩が予想以上の大怪我を負ってしまったから」


 和輝の言葉を肯定するように桜橋は頷いた。


「袴田は大きな期待を背負った天才投手だった。それが怪我で再起不能。しかも、相手は萩原だ。元を正せば悪いのは袴田だけどな、勝手に問題起こして勝手に怪我して終わるなんて事には……出来なかったんだよな」


 桜橋は問い掛けるように目を向けたが、高槻は目を伏せている。だが、和輝が目を向けると高槻はポツリと語り始めた。


「俺は校舎裏で地に伏す血塗れの袴田達と、肩で息をする顔を腫らした萩原を見た。いつかこうなる事は解ってたのに止められなかったのは俺の責任だ。このままじゃ袴田も萩原も処罰されちまう。……確かに、袴田は自業自得だよ。でも、全て失っちまったあいつに追い討ちを掛けるような真似は出来なかった……。同じように、正当防衛の萩原もさ」


 そう言った高槻は和輝を見て少し笑った。


「お前の言う通り、俺は自己中心的な人間だ。俺は二人を庇ったんじゃない。二人が処罰される事で野球部が消える事を一番先に考えた。だから……、事実を隠蔽したんだ」


 それで作られた話が高槻と萩原の対立だろう。
 和輝は黙った。これが晴海高校野球部の隠蔽。でも、それだけで終わってしまうのでは彼が救われない。和輝は黙っている萩原に目を向けた。


「萩原先輩、何か言ってない事がありますよね」
「……何の事だ?」
「もう、全部話してすっきりしましょうよ。あんたが全部の罪被って終わるんですか? 萩原先輩が袴田先輩達を殴ったのには意味があったんじゃないですか?」
「ああ、あいつ等は前々から気に食わなかった」
「それだけじゃない筈だ。あんたも庇ったんでしょう」


 高槻は眉を寄せる。


「誰を?」


 その問いの答えは和輝も既に解っていた。


「キャプテン、あなただと思いますよ」


 高槻は息を呑んだ。


「俺……?」
「何で萩原先輩はわざわざ圧倒的不利な喧嘩に独りで突っ込んで行ったんですか」
「性分だよ」


 萩原は自嘲気味に笑うが、桜橋は一足先に和輝が何を言おうとしているのか気付いて額を押さえた。


「そういう事か」


 自然と笑みが漏れたのは、理解出来た事に対する達成感じゃない。悔しくて、悲しくて、もう笑うしかなかったのだ。桜橋は言った。


「お前ならそんなの相手にしなかっただろーがよ。それをわざわざ真っ向から向かって行ったのは、高槻を庇ったからだ」
「俺を庇っただと?」
「集団暴行未遂事件……。本当に狙われたのは萩原じゃなくて、新しいキャプテンになった同じ投手の高槻だったんだな」


 萩原は目を伏せるが、それが返って肯定を示す事になっている。
 話はこうだ。
 袴田にとって格下の高槻がキャプテンに選ばれた事は認められる事ではなく、それを解らせる為か腹いせか高槻を呼び出してリンチしようとした。だが、その事実を知った萩原は高槻を庇ってその場に行き、逆に袴田達を倒してしまう。
 そこまでは良かった。だが、萩原はその場で袴田に選手として致命的な怪我を負わせてしまい、現場を何も知らない高槻に目撃された。そして、高槻は野球部存続の為、或いは二人を庇う為に事実を隠蔽した――……。
 全てを理解した面々はすっかり黙り込んでいた。和輝は静寂の中で拳を震える程強く握り締める。
 馬鹿げている。俺ならこんな間違いはしない。いや、俺達なら。
 和輝の頭に浮んだのは匠だ。だって、こんなものを何ヶ月にも渡って隠して誤魔化して、一体何をやっている。まだ仮入部の自分ですら解る事に、どうして彼等は気付けなかったのだ。萩原が気に食わないなんて理由で人に怪我を負わせるような男だろうか。それなら、今日のように助けに来てくれる筈がない。高槻だって、対立を理由に部員が辞めるのを黙って見過ごす程無責任ではないだろう。
 皆がそれぞれお互いを守ろうとして擦れ違った。もっと早く、自分の抱えているものを話せば解決した筈なのに。


「何で、言ってくれなかった……」


 そう言う高槻の声は震えていた。萩原は自嘲気味に笑う。


「言える訳ねーだろ。これは俺の勝手な行動」
「そうやって全部背負い込んで……、俺が本当にそんな事望んだと思うのか!」


 高槻は言った。


「言ってくれよ! そんなに頼りにならねェキャプテンだったかよ!」
「……お前なら、言ったか?」


 萩原の問いに高槻は口篭もる。結局は似たもの同士なのだ。


「俺達はさ、お互い悩みを打ち明けるとかそういう『オトモダチ』じゃないんだよ。背負ったもんは見せないで背負い続ける。それを黙って見てる。そういう冷えた仲間だったんだ」


 萩原は吐き捨てるように言って歩き出す。高槻は目を伏せ、言い返す言葉を見つけられずにいた。和輝は首を傾げて問い掛ける。


「何処に行くんですか?」
「……帰るんだよ」
「このまま、何も終わらせないまま?」


 理解出来なかった萩原は振り返って和輝を見た。


「何が言いてェ」
「今まで萩原先輩が歩き出せなかったのは、過去を終わらせなかったからですよ。今、こうして終わろうとしているのにあなたはこのまま何処に行くんですか」
「……?」
「俺はあなたが、野球部に戻りたいと思っている事くらい知っていますよ」
「俺が……?」


 和輝は真っ直ぐに萩原を見た。このまま全部の罪を背負って独りで苦しむなんて不公平だ。


「萩原先輩はずっと外から野球部を守ってくれてた。俺の事も助けてくれた」
「気紛れだよ」
「もう、偽悪なんて見飽きたぜ。戻って来いよ、萩原」


 桜橋がそっと言った。


「俺は幾らお前自身が悪者だって言ったってそうじゃねェ部分を知ってるんだ。辛い事独りで抱え込まないで、少しくらい分けてくれよ。……もう、俺だって傍観者でいたくねェ」
「桜橋……」
「もういいでしょ」


 和輝は笑った。


「俺は全部信じます。萩原先輩も、キャプテンも、桜橋先輩も全部全部信じます。だから、戻って来て下さいよ。このままBAD ENDなんで絶対嫌だ」
「何で、信じるんだ」
「何で?」


 和輝は楽しそうに笑って手を伸ばした。


「だって、萩原先輩は嘘が下手そうだ。……いや、俺は萩原先輩の事は嘘だって解っても信じられる。自分じゃない人の為に一生懸命になれる人だから」


 萩原は照れ臭そうに頬を掻いた。正面切ってそんな事を言われても困る。だが、同じように高槻は笑って手を差し伸べた。


「もう一度チャンスをくれないか」


 高槻は言う。


「俺は今度こそお前を最後の最後まで信じる。だから、お前も俺を信じて欲しい」


 萩原は数秒沈黙し、一声可笑しそうに笑った。そして、すっと手を伸ばして二人の手を取る。


「その言葉を、俺も信じていいか?」


 答えなんか訊かなくても解ってる。すぐに高槻の怒鳴るような「当たり前だ」という声が闇に響いた。取り残された桜橋はふっと居た堪れなそうにしている金髪達に目を向ける。


「お前等も、戻りたかったら戻って来いよ」


 最終的に決めるのはお前等自身だと、桜橋は言った。
 春の風が吹く。夜の温度に冷えた風は満開の桜を散らしながら吹き抜け、それぞれの心の中に棲んでいる何か冷たいものを攫って行った。高槻は顔に笑みを残して和輝に目を向ける。不思議なやつだな、なんて月並みな事を考えて。
 こいつはきっと解ってない。信じるという事がどれ程難しいのか。
 本当はありがとうと言うべきなんだろう。でも、今更言うのは照れ臭い。だから、高槻は無言で和輝の後頭部を叩いた。

2008.3.16