酷い倦怠感はまるで体中が鉛にでもなったかのようだった。
23.アフターダーク<後編>
晴海高校の夏が終わってから二日後、漸く自分の中で気持ちに区切りがついて高槻の病室を訪れた。終わらない夏が窓の外から嫌という程に厳しい光を向けて来る。負けて惨めな自分を嘲笑うかのように、と言うのは未だ敗戦から立ち直れていない為だったのかも知れない。 相変わらずベッドの上で、据え付けられたテーブルに幾つもの冊子を重ねていた高槻はそれらを全て閉じた。そのままの仏頂面で、傍のパイプ椅子に座るように顎でしゃくる。促されるまま座れば藤は無数の冊子の下に埋もれていた文庫本を取り出して興味も無さげに開いた。 聞くだけ聞いてやるから、さっさと話せ。 高槻は言葉にせず、そんな態度を取る。それが余りにも彼らしくて、がちがちに張っていた肩の力が抜けた。 「負けました」 「知ってる」 言えば即座に切り返す。相変わらずだな、なんて。 「先輩達、格好良かったです」 高槻がぱらぱらと頁を捲る。 脳裏を過る彼等とのやり取り。感傷に浸りそうになる自分に頭を振って話し続ける。 「俺達と出会えたこと、後悔したことなんて一度も無いって、言ってくれました」 「……藤も成長したな」 ぽつりと、高槻が言った。 和輝にとっては先輩でキャプテンでも、高槻にとっては後輩の一人だ。そんな当たり前のことを思い出して笑う。同時に、ふと、赤嶺の冷たい目を思い出して体が強張った。高槻が目聡く視線を投げるが、結局何も言わなかった。 「陸に会いました」 なるべく表面に感情を出さぬように、普段の態を装って笑う。高槻にはきっと、全部御見通しなのだろうけど。 「先輩はそう言ってくれました。でも、陸は、俺が間違ってるって、言いました。俺がいなければ、誰も不幸にならなかったって」 高槻は何も言わずに頁を捲り続ける。 「勝者が正義なのは解っています。だから、負けた俺が間違ってる。……そんなこと、言われなくても解ってるのにね?」 わざとらしく首を傾けて、悪戯っぽく笑ってみる。高槻は目もくれない。けれど、きっと本の内容なんて全く頭に入っていないだろう。 沈黙が流れた。開け放たれた窓から流れ込む風がカーテンを揺らし、レールと金具が静かに鳴った。 漸く高槻は文庫本を閉じ、ゆっくりと顔を向けた。 「勝ったから正義だなんて結果論、俺は嫌いだ」 外界の光を背負いながら、真摯な目を向けて高槻が訴え掛ける。 そうだろ? 高槻が問い掛ける。 「お前は間違ってなんかいない」 二年前、仲間は自分を否定した。たった独りで歩き出した自分を正しいと認めてくれる人はいなかった。 一年前、世界は自分を悪者にした。お前なんかいなければと蔑んだ。――けれど。 仲間、が。 「たった一度の敗北で、全てが否定されるなんてことあって堪るかよ」 馬鹿馬鹿しいと、高槻が少しだけ笑う。 「良いことを、教えてやるよ」 彼らしくない子どもっぽい笑みを浮かべ、高槻が言った。 「昨日な、外出許可が出たんだ」 「え、」 「それで、袴田に会いに行った」 その瞬間、得体の知れない悪寒が過ぎ去った。 大丈夫、大丈夫。此処はもう、あの場所じゃない。 「一年ぶりに会ってみたら、随分とやつれてたよ。あの似合わない金髪も丸めて、丸刈りになってた。まあ、すげー似合わなくて笑ってやったんだけどな」 此方の様子も気付いているだろう。それでも、高槻が何も気付かないような素振りで話し続けてくれることが嬉しかった。 一年前の事件以来、顔を見ていないどころか近況すら知らなかった袴田を思い浮かべる。何処か吹っ切れたような高槻の顔は明るい。 「お前の話をした」 それまでの楽しそうな笑みを崩さぬまま、高槻が言う。 「一年前、お前が手を伸ばし続けた意味をずっと考えてたらしい。……恥ずかしい話だが、俺もお前の行動を知るまで、袴田の気持ちなんて欠片も考えたこと無かったんだ」 何処か困ったような顔で笑うその姿は高槻らしくなかった。 「俺はあいつを、仲間を守った気になって、守られた側の気持ちなんて全然解ってなかった。押し付けた偽善が相手を傷付けてたなんて、解ろうともしてなかった。結局、一年前の事件はその場しのぎの上っ面の平穏に甘んじて、仲間の気持ちを踏み躙って来た俺への罰だ」 「そんなことない! だって、実際に皆は守られて、救われてた!」 「だからそれは、結果論だろ」 びしりと言い切った高槻はもう笑っていなかった。 「結果が良ければ過程が許される訳じゃねーよ。学校から消えた袴田が敗者になったから、必然的に俺が正義とされただけだ」 高槻は真っ直ぐ見据えている。 解るか、和輝。そう前置いて、高槻が言う。 「どっちが正しいとか間違ってるとか、そんなことは問題じゃねーんだよ。勝ったのは強いからだ。負けたのは弱いからだ。でも、弱いことは悪いことじゃねーんだよ」 其処で漸く、高槻が笑う。 「此処で終わる気は無いんだろ?」 「……当たり前です」 「次に勝ちたいなら、負けから学べ」 それは正論過ぎて、反論の余地も無い。 手厳しいな、と密かに笑った。 |
2012.9.16