とっぷりと日の落ちた夜半過ぎ。結局解けなかった暗号は、練習後に匠と頭を付き合わせて如何にか解読した。書いた本人が読めないものを解読した時の気分はFBIにでもなった気分だった。兎に角、解読した神部さんのメールアドレスを携帯の電話帳に登録する。解読しても結局、暗号には違いなかった。
 意味不明に長くて、無駄にアルファベットを利用している。俺のs.m.2-5@を見習え。イニシャルと誕生日しか入って無いんだぞ。覚え易いよう親切で短くしたのに、夏川には「どんだけナルシスト」と嗤われた。解せぬ。
 さて、初めは何て送るべき何だろう。
 和輝からアドレス聞きました? 俺のも登録して?
 いやいや、別にそんな必要ねーだろ。この子は俺に興味ある訳じゃないし。でも、それなら何でわざわざ俺にアドレス教えるんだよ。期待すんだろ。


「アドレス聞きました。箕輪、ですっと」


 余計なことを言うのは止めよう。藪蛇になったら困る。同じクラスだし。
 溜息を吐きつつ携帯を閉じる。傷だらけの赤い滑らかなボディーを撫でる。もっと良い言葉があったんじゃねーかな。
 一人部屋でぐるぐる考えベッドに沈み込む。途端、携帯がちゃっちいメロディで呼び掛けた。慌てて携帯を開くとメール受信。やべえ、心臓がばくばくする。
 震える指でメールを開く。


『明日の朝練、外周にするって』


 送信者、白崎匠。
 がっくりと肩を落とした。どうせ、和輝からの伝言だろう。本当にあいつ等何なんだよ!
 と、苛立ちを越えて呆れた時。再びメロディが鳴り響いた。
 メール受信、神部響子。


『練習お疲れ様。急にごめんね。今日はありがとう』


 簡潔な文章には可愛らしいデコメールが躍っている。久しぶりな女子とのメールのやり取りに自然を浮足立って顔がにやけてしまう。少し前までは女の子とのやり取りなんて慣れ切っていたのに、自分らしくないと思いつつ部活の練習に忙殺されていたのだと言い訳する。
 何か返事をするべきだろうか。少し逡巡し、ぽちりぽちりとぎこちなく文章を打った。
 神部さんもお疲れ。気にしないで。
 素っ気無いと思われるのも嫌だから、最後に星の絵文字を添付する。送信。
 送信を確認し、ふう、と息を吐き出した。無意識に息を詰めていたらしい。
 返事は早かった。


『和輝君、元気だった?』


 二言目には和輝か、と当たり前のことに落胆する。俺がこの子と連絡を取り合う理由は和輝のことしかないと解り切っているのに。
 和輝は何時も元気だよ。神部さんこそ、大丈夫?
 疑問形に終わるメールを送るのは、このやり取りを終わらせたくないからじゃない。決して。こんなの社交辞令だと、何度目かも解らない言い訳を自分にする。


『ありがとう。断られるのは解ってたから、そんなにショックじゃないよ』


 そんなに。
 打ち込まれた文章を復唱する。欠片も期待していなかったと言えば嘘になるのは当然だ。振られたくて告白する人間なんていないだろう。
 何て返事をしようかと思案中、此方の返送を待たずメールが受信された。


『今回は色々ありがとね』


 このメールは続かない。本能と経験で察知し、俺は素早く終了の言葉を打ち込む。


『俺は何もしてないから、お礼なんていいよ。また明日、学校で。おやすみ』


 しつこいと思われないように簡潔に。
 すぐに戻って来たメールには四度目になる『ありがとう』と就寝の挨拶が可愛らしく彩られていた。メール終了、時間にして僅か三十分。
 沈黙する携帯をベッドに投げ捨て、大きく背伸びをした。
 世の中には生まれ持ったヒーロー、主人公がいる。和輝はきっとその一人だ。対する俺は所詮は噛まれ犬、当て馬訳のモブでしかない。和輝が野次馬犇めく入部説明会で言い放った言葉を思い出す。
 モブはいらねーんだよ。なあ、それって俺も?
 思い浮かんですぐに首を振る。そんなこと言う訳が無い。俺の勝手な妄想の中でさえ和輝は何処までも良い奴で、最高に格好良い男だった。



少年Sの憂鬱(3)




 意外なことに、神部さんとのメールのやり取りは続いていた。
 教室じゃ殆ど話もしない挨拶程度の関係だったのに、家に帰れば他愛の無い会話をする。相手の顔が直接見えない分、形に残る文章には気を使わなければならない。ゲームやドラマと違って先を決めるのは他の誰でもない自分なのだと思うと、自然と内容も形式ぶった当たり障りのないものになってしまう。対して神部さんは相変わらず可愛らしい絵文字やデコメールで飾られ、フランクに返してくれた。
 日々の練習とイケメン共への嫉妬で荒み切った俺のオアシス。御無沙汰だった女子との会話は心を弾ませてくれる。神部さんが自分に靡かないということは解り切っていたけれど、現実を直視しなくていいメールなら想像するくらい自由だろう。そうしてストーカーが生まれるのかと思うとぞっとするけれど、俺は其処まで入れ込めないし、何より時間が無い。
 部室で着替えをしていると、珍しく携帯が鳴った。パンダのような白と黒のアンダーシャツに袖を通し、ロッカーに閉じ込めていた携帯を開く。メール受信、神部響子。


『部活頑張ってね』


 彼女みたいだ、とにやけてしまった。解ってる。この子が好きなのは俺じゃなくて、和輝なんだ。
 だったら、期待させんなよ。嬉しさと同時に湧き上がった苛立ちは一瞬で消えた。体中に力が湧いて今日の地獄のトレーニングメニューも乗り切れそうな気がする。
 俺の顔を横で見ていたらしい夏川が、残念そうな目を向けていたけど気にしない。何処までもストイックな夏川には絶対に理解出来ない。
 ちなみに今日は、勾配のきつい学校周辺を延々と走り続ける体力アタックだ。最下位には匠考案の厳選筋トレメニューが進呈される。絶対に負けられない。
 ありがとう。お蔭で頑張れそう。
 嘘偽りの無い返事をする。今日は地獄だと昨夜伝えてあったから、気遣ってくれたんだろう。そういう優しさが何処までも身に染みる。うちのイケメンキャプテンは、練習に関しては一切手を抜かない鬼と化す。この場所に癒しは無かった。


「最近、よくメールしてるよな。彼女でも出来たかー?」


 間延びした軽口を叩く和輝の言葉も嫌味に聞こえない。授業中の居眠りによる寝癖で色素の薄い髪の左半面は絶壁になっていた。何でこんな奴が好きなんだろう。
 鏡に映る自分を見る。今日も髪はワックスで固め、適度に立たせている。俺だってブサメンって訳じゃないのに、和輝がいるだけでモブになってしまう。
 からからと笑う和輝は悪戯っ子のようだ。


「そんなんじゃねーよ」
「どうだかなー。まあ、お前のプライベートに干渉する気は毛ほどもねーけど、それで練習手ェ抜いたら地獄を見るのはお前だからな」


 笑っていた筈の和輝の目に真剣な色が浮かび、身を固くする。顔は笑っているのに、目は笑っていない。
 地獄を見たことのある面々がびくりと肩を跳ねさせた。すかさず、早々に着替え終えた醍醐が横から口を挟んだ。


「まあ、いいじゃねーっすか。ねえ、箕輪先輩」


 醍醐は単純馬鹿な可愛い後輩だ。だが、フォローに入ったのではないと解っている。
 俺を蹴落として、地獄の筋トレメニューの生贄にしようとしている。畜生、此処に俺の癒しは無い。
 校門に出ると我が野球部の紅一点、霧生さんがストップウォッチ片手に待機していた。女子にしては背の高い彼女は、くっきりとした二重瞼が印象的な、溌剌とした女の子だ。俺は美脚だと思うけど、脚フェチの和輝は彼女に見向きもしない。
 輪になって準備運動をし、校門前に一列に並ぶ。この体力アタックはゴールまでの時間と順位で争わされる。ゴールするまでの最遅タイム、過去の記録との比較から決められる最下位は誇張表現でなく地獄を見るのだ。当分は筋肉痛で日常生活もままならないだろう。基本的には一年が生贄になる。


「では、位置について」


 霧生さんの透き通った声が聞こえた。今日は何としても負けられない。


「用意、ドン!」


 横一列のまま、揃ってスタート。いきなり飛ばす馬鹿はいない。約二名を除いて。
 我らがキャプテンは、相棒の匠と何やら賭けをしているらしくいきなり全力疾走だ。それで体力が持つのかと思われがちだが、和輝が途中リタイアしたことは一度も無い。匠が来るまで持久走は和輝の独壇場、無双状態だったから張り合いがあって楽しいのだろう。
 先に角を曲がった和輝と匠の後姿はすぐに見えなくなった。
 追い掛けるのは夏川だ。あの長い手足に勝つには、和輝のように速度を上げるしかないけれど、後半きつくなってノルマ達成出来なければ最下位決定だ。目先に囚われてはいけない。
 外周の度に罰を受けていた後輩も大分鍛えられて来たようで、スタートダッシュから速度も落ちないし、上体も安定している。ただ無暗に走らされている訳では無い。加えて、常に上位グループである俺達三年にはハンデとして、水の詰まったペットボトルを両手に持っている。手首を鍛えることが目的らしいが、これが地味にきつかった。
 一周目を終え、二周目に差し掛かる。今日は何週走ればいいのか部員には知らされない。マネージャーの霧生さんが毎回ランダムに籤を引いて決めている。最低二十周であることは確かだが、先の見えない持久走は正直気力が持たない。和輝に言わせれば、試合だって何時まで続くか解らない、後何周で終わるという甘えが試合で悪影響になる、とのことだ。解るような、解らないような。本音を言わせれば、きっとその方が面白いから、と返って来るだろう。
 お前みたいな体力馬鹿と一緒にするなよ。十五周目を終え、十六周目に突入する。だんだんと強くなって来た日差しを受けながら、重くなって行く足を必死で動かす。終わりは見えない。額に滲んだ汗が目に入って視界がぼやけた。
 二十周目。ゴール地点には霧生さんしかいない。
 二十五周目。まだ終わらない。
 三十周目。好い加減、脚が棒のようだ。持ち上げていた筈のペットボトルが自然と下がって来る。すぐ後ろにいた筈の後輩は何人か引き離したようで足音が減っていた。
 三十六周目になると、先にいた筈の和輝が俺を抜かして行った。序盤よりは大分ペースが落ちているけれど、それでも揺るがない体幹で真っ直ぐ口元に笑みすら浮かべて走って行った。追い掛ける匠も俺を抜かして行く。
 終に、四十周に突入した。過去最高は五十二周だった。当時はまだ俺は一年で、先輩や和輝に十周近い差を付けられて吐きながら如何にかゴールした。その頃に比べればまだマシだ。俺も成長しているのだと過去の記録が教えてくれる。繰り返される反復練習よりはやる気が出る。
 四十七周。シャトルランのようだ。厳しさは比べものにならないけれど。
 五十周。また和輝と、少し遅れて匠が俺を抜いて行った。前には空湖と宗助がへろへろになりながら歩いているのと変わらないようなペースで走っていた。擦れ違い様、頑張れと声を掛けて行く。返事は無かった。歩く屍のようだ。
 水分補給はしっかり行っている。ペットボトルを持つ掌の感覚が無い。けれど、故障中の和輝でさえ同じメニューを熟しているのだから、弱音なんて吐ける筈も無かった。
 五十六周目。ゴール地点で、胡坐を掻く和輝が大きく手を振っていた。傍で匠が大の字になって寝転んでいる。おいおい、過去最高じゃねーか。
 二周遅れの俺が恨めしげに目を向けても、和輝はけらけらと笑っていた。びっしょりと汗を掻いて、長袖のシャツは肘まで捲り上げられている。
 後、二周。この気力が持つのかと半ば疑問に思いながら、自分はロボットだと暗示を掛ける。大分ペースも落ちてしまっている。体中が鉛のように重い。シャツが汗で貼り付いて気持ち悪い。けれど、その時、校舎から管楽器の目を覚まさせるような音が響き渡った。
 教室の窓から、日光を反射させ光るサックスを抱えた少女が大きく手を振っている。神部さんだ。
 畜生。
 ペットボトルを握り締め、袖で額を拭った。負けられるか。
 自分のことながら単純だと思ったけれど、男なんてそんなもんだ。
 突然、生気を取り戻したように速度を上げた俺に、後輩はかなり驚いたようだった。無我夢中に走り続けた結果、俺はノルマを達成した上、自己記録を更新するに至った。
 ゴールでは夏川が片膝を抱えて意味深に口角を釣り上げていた。既に殆どの体力を回復したらしい和輝が遅れる後輩に檄を飛ばす。練習中は正に鬼だ。
 霧生さんの記録する仲間のタイムを確認し、和輝が言った。


「五十七周は過去最高か。……にしても、ゴールが見えてからペースが上がるなんて殊勝な奴等だよ」


 可笑しそうに言って、和輝はペットボトルのスポーツ飲料を煽った。
 先の見えないゴールに向かって全力疾走出来るなんて和輝くらいだよ。内心悪態吐く。校舎の窓の向こうに神部さんはもういなかった。
 結局、最下位は醍醐だった。先の見えないゴールに体力をセーブした結果が自己記録を大きく下回ったことが決め手となったのだ。恨めしげに五十メートルダッシュを始める俺達を、醍醐は端で只管筋トレメニュー消化する羽目になる。勿論、通常メニューも減らされることは無い。
 延々と筋トレする醍醐の足を押さえてやる蓮見はご愁傷様と笑っている。この後のメニューを打ち合わせようとバインダーを片手にやって来た和輝が何やら話し掛けて来たが、俺は上の空だった。
 残り二周という疲労困憊の中、泥沼を行進しているような酷い倦怠感を取り払い目を覚まさせてくれたのは仲間の激励でも、和輝の叱咤でも無く、気紛れのように鳴り響いたサックスの音色だった。
 解っている。神部さんが好きなのは和輝で、俺の仕事はその橋渡しに過ぎない。この世界にはヒーローと呼ばれる主人公がいて、俺は所詮モブでしかない。俺は択ばれなかった人間だ。


「なあ、箕輪」


 軍隊トレーニングのような部活を終え、屍と化した仲間が列になって歩く姿は中々ホラーだ。会話すら煩わしいとばかりに、揃って口を真一文字に結んで帰路を辿るのに、先頭を歩く和輝は踊るような軽やかな足取りで此方を振り返った。
 血色の良い面をオレンジ色の外灯が照らしている。


「今日の体力アタック、ラストスパート凄かったな」


 断トツ一位の和輝に言われても嫌味でしかないけれど、其処に悪意なんて欠片も無いことを知っている。確かに、我ながらあのラストスパートは中々のものだった。
 俺は和輝の言葉に満更でもない薄ら笑いを返しながら、ポケットの中で震えていた頭の弱い愛玩動物のような携帯を取り出す。
 メール受信、神部響子。


『練習お疲れ様。走っているの窓から見えたよ。頑張ってたね』


 窓から見えたのは俺か、それとも和輝か。
 つい悪い方へ転がりそうになる思考を無理矢理停止させる。返信は後回しにして、下らない和輝との会話に意識を戻す。


「今日の賭けの戦利品」


 たった百二十円ぽっちの缶ジュースを頬に寄せ、至極嬉しそうに微笑む。
 匠との競争の結果は今のところ全戦全勝らしい。それでも懲りずに挑んで来る匠は、和輝にとって張り合いのある相手なのだろう。
 これまでの持久走を思い返す。匠が来るまで和輝はぶっちぎりの一位だった。終わりの見えないゴールを一人探し続ける和輝の不安を、付いて行くだけだった俺達は知らない。そして、張り合う相手のいないあの持久走は最早機械的にゴールを目指し続けるだけのものだった。
 地獄のような二年間の内、およそ半分。和輝の生活そのものが、終わりの見えない持久走だった。俺は傍にいたつもりになって、一緒にその持久走を走ってやることは出来なかった。
 和輝を置いて、俺だけが幸せになるのか?


「和輝。俺、お前に紹介したい子がいるんだ」
「何何? 彼女か?」
「俺じゃなくて、和輝に」


 言えば和輝は目を真ん丸にして、すぐに呆れたように肩を落とした。


「またその話かよ」
「いいから、聞いてくれ。神部さんは本当に良い子なんだ」
「なら、尚更、俺に近付けるなよ。今度はその子が、標的になるんだぞ」


 諭すように、叱り付けるように和輝が言った。
 自分と同じ目に遭わせたくないのだろう。和輝の思いは痛い程に解った。それでも、俺は引けない。


「俺は、ずっとその子と話したり聞いたりしてたんだ。ちょっとやそっとで逃げ出すような子じゃないし、友達もちゃんといるし。お前の外見だけに惚れたって訳じゃねーよ? 部活の姿とか、大会とか、学校生活とか……」
「好い加減にしてくれよ!」


 和輝の怒鳴り声を、久しぶりに聞いたと思った。
 突然声を上げた和輝に、だらだらと背後を追っていた面々が揃って顔を見合わせる。誰もフォローに入らない。そう言う役目は、何時も俺だった。
 言い放った後、和輝はまるで自分が失言したかのように口を噤んだ。ばつが悪そうに目を伏せる。
 ああ、俺ならフォローするのに。和輝が気にすることねーだろ。間違ってねーから。おいおい、お前もしつこかったって、なあ。謝っちまえよ。……お前って、誰だっけ。あ、俺か。
 俺がこいつを追い詰めて、怒らせたんだ。挙句、見当違いの罪悪感を負わせてんだ。
 俺、何してんだろう。何がしたいんだろう。何がしたかったんだっけ。
 和輝が苛立ったように後頭部をガリガリと掻き毟りながら、吐き捨てるように言った。


「お前の考えが解んねーよ」


 俺の考えって、何だっけ。
 俺の答えを聞くことなく、細い足を踏み鳴らして和輝は列を外れて歩き始めた。過保護な匠が慌てて後を追い掛けて行く。立ち止まった俺に質問は浴びせられない。そういう役回りも、俺の役割だった。
 残されて棒立ちする自分を思い浮かべて、なんて情けないんだと涙が出そうだった。和輝は何時だってあんなに格好良いのに、俺はあいつを支えてやることさえ出来ないで空回りして。傷付けたい訳でも、怒らせたい訳でも無かったのに。
 どよめく後輩に、夏川は適当に手を振って解散を告げる。新チーム間もないのに、上級生のこんなどうしようもない諍いを目の前で見せちまったことも情けなく思った。
 此方を窺うような後輩もだんだんと離れて行く。ぽつんと残されるのかと思ったら、夏川が呆れ切ったような目で此方を見ていた。


「箕輪、この後ちょっと付き合え」
「え、」
「コーヒーくらい驕ってもらうぞ」


 やれやれ、とでも言いたげにポケットに手を突っ込んだまま夏川が歩き出した。
 行ってしまった和輝も心配だったけれど、匠が追い掛けたなら良いだろう。それに、合わせる顔も無い。夏川が振り返らないで歩いて行くのを良いことに、俺は一度だけ、鼻を啜った。

2013.1.20