足元に転がった一枚のコイン。見慣れぬ絵柄と刻まれた文字に眉を寄せる。顔を上げた先が寂れたゲームセンターであることに気付き、合点がいったと和輝は一人頷いた。
 部活が午前練習で終わった穏やかな昼下がりだった。
 練習後に最早恒例となった昼食会を早めに切り上げたのは、偶々部員の中で数名急ぎの用がある者がいたからだ。その内の一人である匠は自分を連れて早く帰ろうと忙しなく仕度していたけれど、宿題を教室に忘れた為に同行出来なかった。自分の落ち度であるし、今更一緒に帰れないからといって落ち込むような神経も関係性も持ち合わせていない。
 部室施錠後に一人帰路を辿り、気紛れに学校付近の商店街へ立ち寄った。そして、話は冒頭に戻る。
 普段から寄り道をしない為、財布を持ち歩かない主義だ。思えば、ゲームセンターに立ち寄ったことも無い。高校生として如何なものだろうと、箕輪辺りに訊かれれば笑われると想像した。そして、勝手な妄想に持ち前の負けん気を発揮し、拾い上げたコインを片手にゲームセンターに突入した。
 店内は薄暗く、籠り切った紫煙の臭いが其処此処にこびり付き後ろ暗い雰囲気を醸し出している。こんなところにいれば補導されることも頷けると一人納得し、踵を返そうかと逡巡する。コイン一枚で何が出来ると自分自身に言い訳をしながら、自分一人が補導されることで仲間が蒙る迷惑を思い視線を出入口に向けた。その時だ。


「あれー、珍しいな」


 間延びした何処か能天気な、聞き覚えのある声が耳に突き刺さる。
 別に悪事を働いた訳でも無いのに、びくりと肩を揺らしてしまったのは不覚だった。視線を向けた先で、長身痩躯の糸目の少年。意地の悪い笑みを口元に浮かべ、見浪翔平は此方を見て可笑しそうに言った。


「こんなとこで何してんの、蜂谷和輝?」


 わざとらしく、人の名前をフルネームで呼び付ける。相変わらず嫌味な奴だと胸の内で吐き捨てれば、伝わったらしい見浪が更に笑みを深くした。


「別に、只の暇潰しだよ。それより、お前は?」
「ゲーセンにゲーム以外の目的で来る奴いんのか?」


 馬鹿じゃねーの、と見浪が笑う。
 こいつとは馬が合わないな、と思う。価値観も笑いのツボも何もかもが違う。人を馬鹿にすることに愉悦を感じるような捻くれた性格の少年と同じにはなりたくない。
 見浪は此方の思考を知ってか知らずか、平然と入り口を掻い潜って傍まで歩み寄った。


「和輝ってゲームすんの? インドアっていうより、野山を走り回ったり、木登りに熱中したりしそう」
「馬鹿にしてんのか? してんだよな?」


 言えば、からりと見浪が笑う。


「そういうイメージってだけだよ。ムキになんなよな」
「なってねーよ」
「じゃあ、そういうことでいいよ」


 自分から絡んで来た癖に、猫のような気紛れさで見浪は和輝の横を擦り抜けた。
 もう帰ろうか、と溜息を零しつつ歩き出す。帰って昼寝して、ジョギングでもしようか。見浪の言う通りになるのは癪だが、実際のところ、室内に籠ってゲームするよりも屋外で身体を動かす方が性に合っている。
 履き慣れたローファーで薄汚れたリノリウムを叩けば、まるで此方を見張っていたかのようなタイミングで見浪が呼び掛けた。


「なあー、暇なんだろ?」


 箱型ゲームの影からひょっこりと顔を覗かせて、見浪が笑った。


「暇なら、一緒にゲームしようぜ」


 浮かべられた薄い笑みに、言葉以外の思惑があるようで警戒してしまう。それすら予期していたように見浪は自分の無実を訴えるように両手をひらひらと振って見せた。


「……いや、財布持ってねーから」
「え、忘れたの?」
「持ち歩かない主義」
「意味解んねー!」


 何がツボに嵌ったのか、見浪は腹を抱えてゲラゲラと笑い転げている。


「財布も無ぇのに、ゲーセンで如何やって暇潰す気だったんだよ!」
「コイン拾った」


 見せ付けるように一枚のコインを提示すれば、見浪はきょとんとした数瞬後、プッと吹き出した。
 コインって、一枚って。人の言葉を復唱しながら見浪が笑う。そんなに笑うことなのだろうか。見浪の笑いのツボが浅いのか、自分の思考回路がおかしいのか。第三者のいないこの場所では判断が付かない。
 見浪はヒィヒィと苦しそうに呼吸を繰り返しながら、息も絶え絶えに言った。


「じゃあ、そのコインで遊ぼーぜ。一枚だけど」


 明らかに此方を馬鹿にした物言いに、流石にイラつく。
 見てろ。
 握り締めた一枚のコインと共に、和輝は店内の奥へと足を踏み入れた。



共闘ガンゲーム(1)




「ありえねー……」


 ぽつりと零された見浪の言葉に、胸がすくような心地だった。
 有り触れたコインゲーム。ハンドル型の投入口にコインを落とし、鏤められたそれらを手元に引き寄せるゲームだ。呼称は様々なれど、所謂プッシャー機と呼ばれるそれは実に有り触れた年季の入った代物だった。シンプル故に奥深いと嵌り込むユーザーも少なくは無い。
 一枚のコインから数十枚、数百枚に至る程の枚数を獲得した和輝の手元には、満杯になったコイン専用のトレーが二つ積み上げられていた。
 有り得ないものを見るような目で、見浪は和輝の淀みない操作を見詰めている。
 落とす位置を入念に探り、丁寧に確実にその地点を狙って投入している訳では無い。適当と呼ぶに相応しい乱雑な手付きで投入し、それが何故か絶妙な位置に収まってコインの山を呆気無く崩して行く。まるで手品でも見ているようだ。
 それまでのことも忘れて感心し切りの見浪を尻目に、和輝は満杯になった三つ目のトレーを置いて席を立った。この店ではどうやらコインの枚数に応じて商品が貰えるらしい。其処はやはり、寂れたゲームセンターらしく駄菓子や見慣れぬキャラクターのぬいぐるみ等、低年齢向けの品ばかりだった。
 商品交換の出来るカウンターには、派手な半袖シャツを纏った壮年の髭面男性が怠そうに立っていた。和輝の運んだトレーを胡乱に見遣る。まるで、ズルでもしたんじゃないかと疑っているようだった。
 コインの数に応じた商品を黙って指差す。クリスマスシーズンに見かけるサンタの靴のような駄菓子セットの大袋三つ分、業務用のような大量のガム、大振りの灰皿、持ち歩けば衆目を集めそうな得体の知れない大きな得体の知れないぬいぐるみ、一昔前に流行ったらしいアニメのフィギュア。どれもこれも魅力を感じない。
 否な選択肢だな、と唸れば、隣で見浪が指差した。
 あれにしろよ、とまるで連れ合いのように見浪が指し示す先にあったのは所謂ゲーム無料券。何と驚くことに十回分だった。
 そんなにゲームをするつもりも無い。納得行かない顔で見浪を見れば、既に我が物顔で交換を済ませていた。


「いいじゃねーか。どうせ、どれも惹かれねーんだろ?」
「だからって、十回もゲームする気はねーよ」


 まあまあ、と憤ってもいない此方を諌めるような物言いだ。
 一々勘に障る男だなと内心ごちて、和輝は溜息を零す。


「偶には今時の高校生らしく、ゲームで熱くなろうぜ」


 スポーツに熱中するのも、高校生らしいじゃないか。なんて口にはしない。どうせ、柳に風。
 人の無料券を片手に歩き出す見浪の行先は既に決まっているらしい。妙な休日だと何度目になるかも解らない溜息を呑み込む。こんな奴の為に、幸せを逃がす必要も無い。


「これこれ」


 そう言って見浪が指すのは、先程の箱型ゲーム機。所謂ガンゲームだった。
 まあ入れよ、と自宅を紹介するような物言いで見浪が広告の垂れ下がった出入口を潜る。わざわざ大きく垂れ幕を持ち上げる見浪に他意は無い筈も無く、殆ど身を屈める必要も無く入った和輝を見て笑っていた。


「結構古いゲームでさ、この辺じゃあ此処にしか入ってねーんだよ」


 面白いのにな、と勝手に無料券を投入する。
 仕方ないと隣に座れば、目の前には大きな画面と二つの安っぽい玩具の銃が据え付けられていた。プラスチックの水色とピンク色のそれを交互に見遣ると、見浪は慣れた手付きで画面の表示を選択していく。銃の照準がカーソルになっているらしい。
 ミニゲームモードとストーリーモードの選択に行き着く。背後に浮かぶ青い海と薄気味悪い幽霊船に、ゲームの内容を把握する。


「ストーリーモードはステージクリアする度にコイン投入しなきゃなんねーの。難易度も跳ね上がるし。しかも、セーブ機能は無しっていう鬼畜使用」


 燃えるよなーと笑う見浪には正直付いていけない。ゲーム好きの匠なら喜んで参加したのだろうけれど、生憎彼は此処にいない。
 ストーリーモードを選択すると有り触れた発砲音が聞こえた。
 最初の簡単なチュートリアルを流し読み、手元の銃の操作方法を記憶する。引き金と、二丁の間にあるハンドル。どちらも年季が入っている為か所々色褪せていた。


「とりあえず、和輝は迫って来る敵を撃ちまくってくれればいいから。そんで、必要な時は俺が指示する」


 此処で反論する理由も無い。画面から視線を動かさない見浪に見える筈も無いけれど、頷いておいた。
 ゲームスタート。静かな潮騒とカモメの鳴き声。凪いだ水面が日光を反射しキラキラと輝いている。穏やかなゲームの始まりをぼんやりと見ていると、隣で見浪が来るぞ、と言った。
 その宣告通り、何の前触れも無く画面右から軋みながら焦げ茶色の大船が現れる。左下の船長らしき髭面で右目を隠したキャラクターが開戦を告げた。展開について行けない和輝は突如目の前に迫った振り下ろされる剣に圧倒される。
 それが振り下ろされる前に、見浪の銃が火を噴いた。マシンガンのように打ち放たれたそれは目の前の男の腹部を蜂の巣にする。呻き声を上げ倒れた男に目を遣る余裕も無い。次々に迫る敵を機械的に斃して行く見浪の横顔には軽薄な笑みが浮かんでいた。
 やっぱり、こいつとは相容れない。
 改めてそう認識し、和輝はチュートリアルで学んだ操作方法のまま敵を迎撃する。隣で見浪が「そうそう」と上から目線でその操作を評価する。そういう見浪は慣れた手付きで遠くから狙って来る狙撃手を撃ち落としていた。
 如何やら、自分達は海賊らしい。今更の設定に気付く。そして、現在は敵である海賊に遭遇し海戦を繰り広げている。無我夢中で敵を蹴散らせながら口元を結んだ。
 見浪が言った。


「そろそろ中ボスだから」


 その言葉通り、画面には大剣を両手に携えた大男が現れた。
 銃を向ける相手に対して剣で迫って来るというのも如何なのだろう。こいつ、死ぬ気か。敵の気概に感心すればいいのか、その中ボスを裏ワザのように火薬樽への発砲から一瞬で倒した見浪の手際を賞賛すればいいのか解らない。
 殆ど何もしないまま終了を告げたファーストステージに、左下で船長が激励の言葉を贈ってくれた。パーフェクトだと賞賛するように、事実、体力ゲージは互いに満タンのままだった。
 セカンドステージ。画面中央にカタカナで表示される。画面奥から迫るのは如何やら海軍らしい。どちらが悪者なのか解らない。(海賊なのだから、此方が悪者なのだろうけれど)
 揃いの制服を着こんだ筋骨隆々たる精悍な男達が雄叫びを上げる。開戦を告げた船長に苛立つ。見浪も同感らしく、カーソルである照準は船長の眉間に合わされていた。


「見浪ってさ」


 迫り来る敵キャラクターへ乱射しながら、和輝は口を開いた。


「何で、野球してんの?」


 他意を含まない純粋な疑問に、見浪はくつりと喉を震わせて笑った。
 高校球児の資格を問う口調ではない。見浪は余所見すんなと軽口を叩きながら、的確に敵を斃して行く。
 和輝もまた、正義を掲げる敵キャラクターに同情しつつも横一列に並んだ彼等を、先程の見浪のように火薬樽を爆破することで蹴散らす。


「見浪のこと、よく知らねーけど、多分お前って野球以外でも通用する人間だと思うんだよな」


 相手の嫌なところを突く言動も、厭らしい戦略を立てる頭脳も、凡才とは言い難い優れた才能も、長身痩躯に整った顔立ちも。野球から離れ、こうして並んでみると改めて思う。
 見浪は笑っていた。


「褒めてんの?」
「いや、純粋な疑問」
「ああ、そー」


 まるで興味が無いと突き放すような口調で、見浪が言った。
 このステージにボスと呼ばれるキャラクターは存在しないらしい。ただ、距離を取った軍船から断続的に巨大な鉄塊――砲弾が放たれる。
 空中に浮かぶそれらが襲い来る前に撃ち落とす。放たれたばかりの砲弾は爆風を受けて軍船に落下し火柱を上げた。自分の放った砲弾で、自分の船が沈む。嫌なゲームだな、と皮肉っぽく思った。


「深い意味はねーよ。多分、お前と一緒。ガキの頃から野球してたから、それをするのが当たり前になってるだけ。まあ、嫌いだったら続けてねーけどな」


 軽口のような口調に、何か見浪の本性が隠されている気がして無意識に探ってしまう。自分の悪い癖だと思うけれど、簡単には直らない。
 セカンドステージクリア。何時の間にか海面に沈んで行く軍船を背景に、キャプテンが賞賛する。
 見浪は三枚目の無料券を投入した。


「勝敗に強い思い入れはねーよ」


 軽く笑いながら見浪が言う。画面にはサードステージと表示された。
 画面の奥からやって来るのは二隻の海賊船。延々とこの繰り返しなのだろう。迫り来る敵を撃ち、船を沈める。そうすることでクリアされるゲームの何処に面白さを感じるのか和輝には理解出来なかった。
 ゲームをすることが無い訳ではない。むしろ、匠が中々のゲーマーなので対戦ゲームは腐る程やって来たし、RPGも傍観して来た。二人で協力して敵を倒すというこういったゲーム自体が初めてだった。思えば、自分が対戦して来たのは何時も血の通った人間相手だ。
 見浪は、そうではないのかも知れない。ふと、そんなことを思った。


「俺は、ただ単純に相手を蹴散らしたいの。必死こいて向かって来る相手の戦略ごと捻り潰して、負けて悔し涙を流す姿を嗤ってやりたいの」


 逸脱した価値観を知らしめるように、歌うような口ぶりで見浪が言った。


「でも、実際にそれをしたら犯罪になりそうだろ。だから、俺は正々堂々野球で捻り潰すことにしてる訳」


 捻り潰すということの概念が、自分と見浪では違うようだ。
 解り合えないだろう価値観を思い、和輝は銃を握る手に力を込めた。それは違う。おかしい。間違っている。そんな問答に意味は無いし、正解や不正解があるものとも思えない。見浪の言うそれは世間一般では不正解と称されるものなのだろうけれど、考え方は歪んでいてもやり方は間違っていない。
 暴力も暴言も無い純粋なゲーム。相手を傷付け踏み躙ることが許される方法。それが見浪にとって野球であり、このガンゲームなのだろう。


「何、否定しねーの?」


 肩透かしを食らったように見浪が言った。


「否定して欲しいのか?」
「そういう訳じゃねーけど、お前ってそういうの嫌いそうだから。割と熱血君だし」
「短気は認めるけど、熱血ではねーよ」


 自分は所謂少年漫画の主人公にはなれない。
 和輝は笑う。迫る敵キャラクターを撃ち殺す。血飛沫が妙に現実感を煽り、逆にこの小さな個室を非現実的に思わせた。


「考え方なんて人それぞれだろ」


 コンボ達成。互いの体力ゲージは満タンのままだ。
 画面奥に見える銃口を見浪が撃ち抜き、和輝は横にある火薬樽へ発砲する。横から振り上げられた剣は振り下ろされる寸前に爆風に呑み込まれ、画面から消え失せて行った。

2013.4.13