無料券の投入も八枚目。予定調和のようにすらすらとステージをクリアし、ファイナルステージも間近だと見浪が笑う。その横顔だけは年相応なのに、それまでの言動やその裏に隠された真意が重なって昏い陰を感じさせる。 人懐こい笑顔の裏で何を考えているのかなんて、和輝にとっては与り知らぬ世界だ。 「このステージの中ボスがうちの監督に似ててさー」 画面奥から迫る一際大きな海賊船。掲げられた不気味な海賊旗が風に揺らぐ。 見浪は子どものように目を輝かせながら言った。 「遣り甲斐があるんだよね」 果たして、その遣り甲斐とは。 見浪の言葉の真意が垣間見え、和輝は身震いした。 共闘ガンゲーム(2) 骸骨のような中ボス、敵船の船長を乱射モードで撃ち殺した見浪はこの上なく嬉しそうだった。 こいつでもこんな顔するんだな、と感心する程度には輝いていたと思う。状況は不穏極まりなかったけれど。 ファイナルステージまであと一歩。弾む口調で見浪が言う。 何時の間にか敵キャラクターには体力ゲージが表示されるようになり、ただ闇雲に撃っただけでは斃されなくなっていた。弱点を的確に撃ち抜かなければ倒れないという鬼使用に苦戦し、互いの体力ゲージも半分程に減らされていた。 それでも如何にか見浪の言う最後の中ボスを倒せば、画面はそれまでと異なり、不穏な鉛色の雲が空を埋め尽くし始めた。周囲は濃霧に包まれ、柱の軋む音が不気味に響く。幽霊でも出そうな雰囲気に自然と身構える。 ファイナルステージまで来たのは初めてだ。見浪が言った。 「ファイナルステージは、シングルプレイじゃ到達出来ない使用になってんだよ。ひでーよな」 「お前、友達いねーの?」 「こんなゲームに何時間も付き合う御人好しの友達はいねーな」 見浪が笑った。何時の間にか時刻は四時過ぎだ。私服の見浪は兎も角、和輝は制服姿のままだ。遅くまでこの格好でうろつきたくないけれど、此処で今更ゲームを中断する気も無い。セーブ機能は無いのだ。 無料券も無くなった。濃霧の奥から不気味な船の影が現れる。それまで見て来た強靭で立派な船とは違う、今にも沈みそうな所謂、幽霊船だった。 「ファイナルステージが幽霊船ってことは、ネットのネタバレで知ってたんだけどな。そのボスが鬼畜過ぎるらしくて、上級者でも斃すのは至難の業らしいぜ」 開戦だ。キャプテンが声高々に叫ぶ。 揺れる画面の動きで、此方が幽霊船に乗り込んだのだと理解する。飛び込んだ先は正に魑魅魍魎が跋扈する混沌の闇だった。薄暗い船内の至る所を襤褸布を纏った骸骨や、ゾンビが徘徊している。 ホラーゲームじゃねーか。零した独り言に見浪が笑った。 ギャアギャアと不気味な鳥の鳴き声がする。日本人は水辺に昔から恐怖を感じるらしいが、海上の幽霊船とは中々解っているではないか。名前も知らない製作者を内心賞賛しつつ、迫り来る骸骨戦士を撃ち抜く、胴体は幾ら狙ってもダメージが加算されない。一撃貰って得た情報で、的確に急所らしき頭蓋を狙い撃つ。対して見浪は遠くから迫る、羽根を持った奇妙な化物を無言で撃ち落として行く。 一切の無駄を排した見浪のプレイはかなり上手いのだろう。初心者も初心者である和輝から見ても解るその手際の良さで、貰えば致命傷になり兼ねない一撃を持つ敵を見分け、真っ先に撃ち殺している。死んでいる相手に対して殺すという行為は適切なのか、和輝には解らない。 体力ゲージも残り僅かだ。体力回復が出来ないという鬼畜使用。こんなゲームに需要があるとは思えないけれど、見浪のような熱心なプレイヤーもいるのだから世界は広い。 正面から特攻して来るゾンビの頭部を撃ち抜けば、糸が切れたようにその場で崩れ落ちた。画面が赤く点滅し、二人掛けのシートが振動する。耳元に据え付けられたスピーカーから警戒音が鳴り響く。これまでにない怒涛の盛り上げに、無意識に肩に力が入る。野球の試合なら兎も角、慣れないゲームの世界では培って来た勘も意味を成さない。 「出て来い!」 突如響いた声に肩が跳ねる。隣で見浪が笑いながら「大丈夫だって」と励ます。 悪い奴ではないのだろうと思う。歪んだ価値観を持ってはいるけれど。 地響きを思わせる足音と共に現れたのは、人間とは形容し難い文字通りの化物だった。画面に収まり切らぬ巨体は苔生す岩のように所々が変色し、粘着質の液体が身体から流れ落ちる。 気持ち悪ィ。見浪が言った。同感だ。その意味を込め頷く。 「そんなでかい図体して、いい的だぜ」 手当たり次第に発砲するが、その所謂ラスボスは毛ほども利いていないと嘲笑うように、棍棒に似た恐ろしい形の武器を振り上げた。 「避けろ!」 言いながら見浪がハンドルを掴む。回転の勢いと同じく画面が傾いた。棍棒は虚空を切り、耳元で風切音が聞こえる。今更ハンドルの存在価値を知り、只管発砲し急所を探る見浪に代わって避ける役割を担う。 クソッ。見浪が悪態吐く。化物は口を大きく広げ、緑色の粘液を吐き出した。画面が緑色に覆われ、体力ゲージが大幅に削られた。 「んだアレ!」 どうやって避けろってんだよ! 叫びながら見浪は攻撃の手を休めない。和輝は殆どハンドルに掛かり切りで銃を発砲する暇も無い。 頭部。腹部。手足。何処を狙っても化物の体力ゲージは減らない。回避不能の緑色の粘液を吐き出されてしまえばゲームオーバーにも程近い。絶望的な状況で見浪が舌打ちする。 「おい、テメェ等!」 耳元で聞こえた声に苛立つ。今のは化物か、名ばかりのキャプテンか。判断は付かないけれど、今は余計な茶々を入れないで欲しい。化物の不気味な笑い声と低い鳴き声が響き渡る。 化物の瞳が赤く光る。あの緑色の粘液が来る。 回避不能だ。ゲームオーバーか、と見浪が力無く零した。けれど、和輝は手放し掛けた銃を手にした。 「まだだ!」 吐き出される口元を狙い、集中砲火する。それまで此方の攻撃は何一つ利いていなかった化物は嘲笑うように赤い瞳を歪め――動きを止めた。 吐き出される筈の液体は空中に飛散し、雨のように化物の頭上から降り注ぐ。化物の体力ゲージがじわりと削られた。 自滅させるような攻撃手法は、先程のステージで砲弾を撃墜した時と同じだ。相変わらず趣味の悪い製作者だ。 「なるほどー」 感心したように見浪が言った。そして、再び銃を強く掴むと今度は何かを狙うかのような的確さで、顔面を集中攻撃して行く。 「脳味噌は頭蓋骨が守っていても、眼球まで守れねーだろ」 その言葉通り、巨体に見合わぬ小さな目をスナイパーのように狙い撃つ。 攻撃が届いたらしく、化物が呻き声を上げて後ずさった。体力ゲージが削られる。 「目だ。目ん玉狙うぞ!」 「ああ!」 突破口を見付けたと、互いに息巻いて銃を乱射する。 振り下ろされる棍棒のパターンを読み解く。右、左、横、粘液。上、横。まるで自分がゲームに入り込んでいるような奇妙な感覚だった。見浪が銃を撃ち放てば和輝がハンドルを握る。避けることに成功し、二人で集中攻撃。グリップが汗で滑る。高がゲーム、されどゲーム。何時しか熱中した二人はゲームにのめり込んでいる。 「来るぞ、和輝!」 「解ってる!」 互いの背中を合わせているかのような共闘だ。相手の呼吸すら感じる。 化物の体力ゲージもあと僅か。――その時。 和輝の頭上に、映像では無い鋭利な刃物が光った。 横目にそれを捕らえた見浪が和輝の腕を引っ掴んだ。凶刃は横薙ぎに振り切られ、虚空を裂いた。 突然の状況に目を白黒させる和輝が、見浪の膝の上に倒れ込みながらグリップを掴む。見浪は得体の知れない凶器と対峙した。 凶器が振り上げられる――刹那、伏したままの和輝がその腕を蹴り上げた。弾かれた凶器は小さな個室ゲーム機の天井に跳ね返り、見浪の足元に滑り込む。それを好機と席に乗り上げた見浪が凶器を握っていた腕を引っ掴み、捻り上げた。 和輝は警戒音鳴りやまぬゲームの中で迫り来る化物の眼球を狙い撃つ。呻き声を上げながら振り上げられた棍棒が現実とリンクする。見浪が、片手に謎の腕を拘束したままでハンドルを回転させた。勢いよく傾く画面の上で棍棒が振り切られた。風切音。和輝が、見浪が照準を合わせる。 「――終わりだ!」 二人の声が重なると同時に、放たれた二つの銃弾は化物の双眸を撃ち抜いていた。 青い血飛沫を上げながら化物が後ろに揺らぎ、倒れて行った。ぴくりとも動かない体が塵のように風によって運ばれていく。 ゲームクリア。コンプリート。 ちゃちな文字が躍る左下で、名ばかりのキャプテンが拍手していた。 エンディングのスタッフロールを尻目に、和輝と見浪は互いに顔を見合わせた。どちらからともなく向けられた拳をぶつけ合う。見浪は引っ掴んだ腕を離すことなく、ゲーム機を出た。 如何やら、それは強盗だったらしい。 寂れているとはいえ、日も沈み切らぬ商店街で大胆な犯行だなと呆れてしまう。だが、店の外は既に日が沈み外灯が道を照らしていた。 カウンターの下で怯え切っていた店長らしき髭面の男が、結果として強盗を捕らえた見浪と和輝に何度も何度も感謝の言葉を述べた。こちとら人助けのつもりでした訳ではない。運が良かっただけだ。そう言って言葉を遮ろうとした和輝を押し退け、見浪が前に出る。 「客を危険に晒して、のうのうと自分はカウンターに隠れてたのかよ」 店長を責める物言いに、邪気は無い。和輝はそう感じたけれど、店長はそう思わなかったらしく戦いた。 ゲーセンといえど、客商売だ。既に寂れているけれど、そんな悪評を流されれば経営に差し支える。 見浪の性格を察して和輝がそれを遮ろうとする。見浪は悪戯を思い付いた悪童のような軽薄な笑みを浮かべていた。 「こっちは出るとこ出てもいいんだぜ」 まるで悪者の台詞だ。 むしろ賞賛されるべき行いをしたのに、何故こんな立場になっているのか和輝には理解不能だ。だが、見浪は店長の非をこれでもかという程に羅列し捲し立て、終には半ば脅し取るような形で現金五万円を手に入れたのだった。 行こうぜ、と金額に余り納得がいかないような不満顔で見浪は店を後にした。和輝は、強盗に入られた上、高校生に現金を渡す羽目になった店長に同情しつつ、会釈を一つして見浪の後を追い掛けた。 時刻は既に六時を回っている。一つのゲームに随分と長い時間集中していた為、狭い空間で凝り固まった全身を伸ばすように軽い柔軟をする。鼻歌交じりに先を歩く見浪の横顔に、先程の不満顔は欠片も無い。全ては演技だろう。 「本当、良い性格してるよな」 嫌味のつもりで吐き出した言葉に、見浪がへらりと笑って「そりゃどうも」と言う。 褒めたつもりは微塵も無い。 「今日は楽しかったぜ」 振り返った見浪が、何処か幼い笑顔を浮かべて言った。 毒気を抜かれた気になって、肩を落とす。ごちゃごちゃ考えているのも馬鹿らしい。和輝も釣られるように笑みを浮かべた。 「俺も。こんなにゲームに夢中になったの初めてだよ」 「初体験って奴だなー」 「気色悪い言い方すんじゃねーよ」 言えば、見浪がけらけらと笑う。こうしていれば、明るくて茶目っ気のある良い奴なんだけどな。そう思いながら、思い浮かぶ見浪翔平は何時だって不敵な笑みを浮かべる性悪な少年だった。先入観なのだろうかと見遣るが、彼は何も変わらない。 見浪が言った。 「次会う時は夏大の抽選会だな。今度こそ、お前のチーム叩き潰してやるよ」 「やれるもんならやってみな。そんな半端な鍛え方、してねーから」 叩き潰すと称する見浪はきっと、正攻法では挑んで来ないのだろう。此方のトラウマを探り、弱味に付け込んで来た二年前を思い出す。それでも、彼等は反則等一つも犯していない。一年前は野次に潰され掛けた自分を救ってくれた。それは彼の求める結末とは異なったからだろう。 「その金、如何すんだ?」 何と無く、見浪が手持無沙汰に弄っていた万札を見遣る。物欲も金銭欲も無い。その現金がどうなろうと構いはしないけれど、持っていたが為に見浪が危険に晒されるのは困る。 そう言えば見浪が笑った。お前、良い奴だな。なんて言う。 「悪銭身に付かずって言うだろ?」 こうすんだよ。 そう言って、見浪は駅前で募金を呼び掛ける団体の持つ募金箱に現金を押し込んだ。面食らった女性は息を呑んだが、次の瞬間には団体が揃って頭を下げ、何度も感謝の言葉を並べた。 ありがとうございます。ありがとうございます。 見ればその団体は、難病を患う少女を救う為に募金を呼び掛けていたらしい。感謝の言葉も受け取らず、見浪がひらひらと手を振って歩いて行く。 自身を歪んだ人間と称し、その言葉通りのえげつないプレーを見せる。全ての言動に裏を滲ませ、覗き込む者を深淵へと誘い込む。才能ある選手を呼ばれながら本人は実に淡泊で、物事への興味は薄く執着も無い。 和輝は、見浪を変わった奴だと思う。同時に、悪い奴でも無いと思う。価値観は違うけれど、一緒にいて面白い奴だとも評価する。 「見浪!」 呼び掛ければ、見浪と共に傍を歩く仕事帰りらしき数人が此方を見遣る。すぐ何事も無かったように歩き出す人々の群れの中で、対峙する見浪だけが異質だ。 驚いたように糸目を少しだけ開いた見浪が何処か新鮮で、笑ってしまう。 「試合で会うのを、楽しみにしてる」 きょとんとして、見浪が笑った。 「俺の台詞だ。俺達に負かされるまで、負けるんじゃねーぞ!」 「負けねーよ!」 もう二度と、誰にも。 呑み込んだ言葉を吐き出すつもりは無い。それでも、何かを覚悟した和輝の目に見浪は口角を釣り上げる。 「その言葉、忘れんなよ」 捨て台詞のように吐き捨てて、見浪は踵を返す。やがて駅の改札に吸い込まれて行った細いシルエットを最後まで見送る。 帰るか。地上の光に駆逐された夜空の星を探しながら、和輝もまた帰路を辿った。 |
2013.4.13