01.Who Killed Cock Robin.
(箕輪翔太)




 世間を欺く他称、冷酷非道な少年は過去の悲劇等覚えていないと周囲に知らしめるように極めて明るく振る舞っている。
 高校時代の友人は一生ものだと誰かが言った。大いに頷く俺は、少なくとも自分の高校生活はその少年に出逢う為に存在したのだと確信している。その程度には彼を信頼し心酔していた。
 人々が押し付ける勝手な理想像や期待を当たり前のように叶えて来た少年はまるで妄想から抜け出して来てしまったヒーロー、救世主のようだ。絵に描いたような万能人間である彼が、実は年相応に煩悩を抱えていること、親しい間柄になると砕けた物言いになること、運動神経が抜群で集中力が在るにも関わらず成績は壊滅的なこと、御人好しに見えて実は疑り深く簡単に人を信用しないこと、人を惹き付ける笑顔の裏で独りで膝を抱えていることなんて、誰も知らなくていい。

 そう、知らなくていいんだ。




「おーい、箕輪ぁ」

 大きく手を振って駆け寄る我らが小さなキャプテンは今日も輝くような笑顔を浮かべている。周囲の人間が何を言っても如何だって良いと開き直った彼は興味の無いものに、わざわざ目を向けることは無い。色めき立つ女子生徒も、羨望の眼差しを向ける男子生徒も、期待と困惑を綯交ぜに見遣る教師陣も彼の視界にはもう映らない。
 信じられるものしか信じない彼は、通り過ぎて行く風景の一つでしかない大勢の生徒等に期待しない。昨年、何も知らない他人が手前勝手に彼を傷付けた結果がこれだ。今更、掌を返したってもう遅い。

 もう、遅いんだ。


「よお、和輝。肩は大丈夫か?」
「まあまあかな。ちょっと痛む。雨が降るのかも知れない」
「そっか。じゃあ、早めに外練切り上げて、校舎に避難しよう。和輝は先に戻ってアイシングしとけよ?」
「ああ、サンキュー。箕輪は優しいな」
「そうか? こんなん、普通だろ」
「いやいや、匠ならもう怒鳴ってるよ。もっと早く言えって」



 肩を竦める和輝に、今の俺は如何映っているのだろう。口角が吊り上りそうな嘲笑を如何にか苦笑に留める。
 くるりと踵を返す和輝が、半身振り返って笑う。何時もの、人懐こい微笑みだ。



「何だか、箕輪といると、中学時代を思い出すよ。あいつ等もぶっきら棒だけど、心配性だったから」
「止せよ」
「はは。じゃあ、悪いけど、先に戻ってるから」


 漸く歩き出した和輝の背中に、大きく溜息を吐く。
 止せよ。あんな奴等と、一緒にするな。
 最後までお前を信じなくて、否定した癖に縋り付いたあいつ等と一緒にするな。理解出来ないと切り捨てて、理解しようともしなかった上辺だけの『元』チームメイトと一緒にするな。

 捨てたものを今更欲しがったって、もう遅過ぎる。
 あいつはもう、俺達のものだ。



 だれがこまどりころしたの?



(それは 私よ)




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薄暗い箕輪の独白。
和輝への陶酔と、その元チームメイトへの嫌悪。





02.Solomon Grundy
(浅賀 達矢)



 強くなりたかったと、あの少年が言った。まるでつい零してしまった弱音や泣き言にも似た言葉の裏にある、血を吐くような叫びに気付くことが出来たのだろうか。それこそが彼の願いで、祈りで、――信頼だったのだと、気付く日は来るのだろうか。


「お前等、ほんまに仲ええなあ」


 毎日のようなメールの応酬を傍目に、いっそ小馬鹿にするような溜息を吐き出してやる。
 授業や練習中以外は携帯を手放さない理由を知る数少ない人間である俺は辟易する。彼女でも出来たか、なんて仲間の軽口をさらりと受け流した大和の意識は今も携帯に向けられていた。
 ああ、好い加減にしろよ。
 大和は中学時代に蜂谷和輝と仲違いしたと聞いた。引退試合を切欠に自分達から離れて行った彼に対するふがいなさ、申し訳無さ、自責の念で行動一つ起こせぬまま大和はその土地を離れた。
 高校一年の頃に組まれた練習試合で敵対した彼に、勝つ為に中学時代のトラウマを抉るような戦略を立てた。勝利への渇望は悪くない。けれど、大和は勝ちたかったのではなくて、傷口に塩を刷り込んで、瘡蓋を剥がして安心したかっただけだろう。ああ、此処にはまだあの傷がある。俺達のことが刻み込まれている、と。
 トラウマを克服して勝利を掴んだ彼は満身創痍で、格好良いとはお世辞にも言えない姿になっていたけれど、それでもあの少年は大和に真っ直ぐ向き直っていた。
 互いに隠し続けた本音を吐露し、自分達は和解出来たのだと、大和は微笑む。

 俺は、失笑する。

 和解? 冗談だろ。
 和輝の優しさに付け込んで、縛り付けただけだろう。

 如何足掻いても、お前は加害者なんだ。自身を守る盾も、遣り返す剣も放棄した少年にお前は、お前等は拳を振り上げたも同然なんだよ。
 解って欲しかったけれど、決して言葉にしなかったあの少年。告げなかった自分の責任を負って元チームメイトの怒りを責めないし、敵対することに怒りも無い。あるがままを受け入れるだけだ。
 でも、お前等は違うだろう。言葉にしなかった癖に、いざ伝わっていなかったからと言って、感情に任せて怒りを、悲しみをぶつけて来た。


(口にもせず、解ってくれるだなんて、烏滸がましい)



 滑稽な元チームメイト達。そのまま何も知らないまま、解らないままでいればいい。そうして彼の優しさに甘えていればいい。微温湯のような箱庭で、そのまま腐ってしまえ。

 彼は、お前達に、もう何も期待していないよ。



 ソロモン・グランディ
 月曜に生まれて 火曜に洗礼
 水曜に結婚して 木曜に病気
 金曜に危篤 土曜に死んで
 日曜に墓の中
  はいそれまでよ 
ソロモン・グランディ

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傍観する浅賀の嘲笑。





03.There were two birds.
(蝶名林 皐月)




 あいつが手を差し伸べてくれて、俺は此処に立つことが出来た。
 暗い昏い闇の中で蹲ってた俺を引っ張り出して、太陽の光に目が眩んだ俺が道を誤らないようにゆっくりと歩いて行く。
 手が離されても、俺が独りきりにならないように、立ち止まっては振り返って微笑んでくれる。

 俺の、俺だけの、神様。


「あいつは、俺達のことなんて、初めから信じて無かった」


 誰かが言った。中学時代、元チームメイトの顔なんて覚えていない。
 通り過ぎて行く風景の一部だ。側溝を歩く蟻の群れだ。極めて如何でも良い無駄な存在だ。ただの頭数。将棋の歩兵。
 信じてくれなかったことを恨むなら、お前は信じてくれるような努力をしたか?
 典型に違いない。同じ目標に向かう仲間だなんて薄ら寒い。そんなもの裏を返せば利害の一致。其処に絆だの友情だのごちゃごちゃ並べ立てたって何もならないのにね。



「何も言ってくれなかった。あいつは黙っていなくなった」



 匠も、陸も、大和も、大勢の元チームメイトも、馬鹿じゃないかと。
 呆れてものも言えねーよ。和輝に何を求めてるんだか。
 あいつの背中だけを追い掛けて来た俺は考える必要も無く解ってたよ。黙って背中を向けたなら、それが答えだ。緩められた歩調にも、振り返る横顔にも気付きもしない癖に。


(沈黙こそが、最大の信頼だったんだよ)


飛び去った鳥は、戻らない。



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蚊帳の外の皐月の憤怒。




04.A swarm of bees in May
(夏川啓)



「才能に満ちたあいつ等に、俺はもう不要なんだよ」



 柄にもなく図書室で小説を読み耽る和輝が、目を伏せたまま素っ気無く答えた。其処に諦観や侮蔑は微塵も感じられない。
 学期末の試験に向けて勉強に励んでいるかと思えばこの様だ。自分の学力が底辺であることを自覚している割には行動が伴わない。
 勉強そっちのけで何を読んでいるのかと表紙を覗こうとすれば、察した和輝が文庫を持ち上げてくれる。掌サイズの文庫は小説と呼ぶには薄っぺらい。


「……カモメのジョナサン?」
「そう。高槻先輩が貸してくれたんだ」


 なるほど。
 誰よりも何よりも早く美しく飛行しようとしたジョナサン・リヴィングストン。逸脱した価値観故に群れから追い出され、それでも自分の生き方を曲げようとしなかった。
 伏せていた目を上げ、和輝が微笑む。相手の全てを受容する慈愛に満ちた穏やかな瞳。


「ジョナサンは格好良いな。俺もジョナサンになりたい」


 緩く弧を描く口元から零れた言葉に嘘や偽りは無い。
 必要の無い嘘を、和輝は吐かない。



「飛行のみを生きる目的にするのか?」
「生きる為に飛ぶんじゃなくて、飛ぶ為に生きたいんだよ」



 解るか、なんて和輝に言われたらお終いだな。此方の思考を察したらしい和輝が不満げに口を尖らせていた。
 飛ぶ為に生きたいと語る和輝が何を思うのか、俺には解らない。
 何か一つを目的に生きる姿は美しいけれど、反面それはとても脆いと思う。幾つもの柵の中で生きる和輝には不可能だろう。だからこそ、憧れるのか。



「あいつ等は、それが出来る」



 何か一つを目的に生きられる彼等に、自分は不要な存在だ。そう言って和輝が伏せ目がちに笑うから、胸の奥に淀んだ何かが溜まって行くような気がした。

 なあ、天才達。

 お前等が否定したものは、嘗てお前等を導いた闇夜の灯だろう。自身の目的を見付けた彼等が迷わないように、静かに消えようとしている灯に、お前等は気付けるか?
 才能に導かれたお前等と違って、和輝は何も持たずに闇の中を駆け出した。お前等が惜しむ才能は、実力は和輝が自力で掴んだものだ。周りから求められたお前等と違って、和輝は始めから仲間から信用されていた訳じゃない。始めから何でも出来た訳じゃない。幾つもの苦難を乗り越えて、一本の糸を手繰るような毎日を積み重ねて作り上げて来たんだ。

 簡単に否定してくれるなよ。


 才能に恵まれたお前等が、其処に立てるのは何故だか忘れたか?
 何故、和輝がお前等と一緒にいたのか、解らないか?
 如何して、和輝が独りの道を選ぶのか知っているか?


 お前等が天才だったから? 人より恵まれていたから?
 違うよ。他の誰でも無い、和輝自身がお前等を信じ、認め、好きだったからだよ。

 お前等の灯はまた独りで消えようとしているよ。
 今度は、気付けるかな。消えてしまったら、次は無い。これが最後だ。



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諦念を知る夏川の傍観。
















alternative.

既存の支配的なものに対する、もう一つのもの。





2013.9.7