家族の肖像

Corridors of light.
始まりの物語















 蜂谷家の大黒柱、蜂谷裕に大きな転機が訪れたのは遡ること二十数年前。二十三歳の誕生日を迎えた春先のことだった。
 中学時代よりの夢であった甲子園優勝を終に最後の夏に果たしたものの、致命的に不利な体格と膝の故障を理由に野球という競技からは遠ざかることを決意した。高校時代の曲者揃いのチームメイトを纏め、優勝まで導いたそのカリスマ性を世間は大きく評価した。加え、学力面では夏からの驚異的な追い上げによって、全国有数の難関校である国立大学を現役で合格。選んだ学科は心理学部だった。
 学部選択には理由があった。
 中学三年の夏、実家が放火被害に遭い、両親と死別。火災に巻き込まれた弟はPTSDを発症。偶然、その場に居合わせなかった裕自身も酷い悔恨の念を抱き、双極性障害を患う。幸い、どちらも軽度のものであったことから日常生活に支障は来すことは無かった。
 裕は野球、延いては仲間の存在に支えられ完治し、弟は兄の存在に救われ快方に向かうことになる。
 全てが順調に進み、高校三年生の最後の夏。優勝を賭けた決勝戦で裕は生涯忘れられない出会いを果たす。
 対戦校の四番は同い年ながら、プロからも即戦力と囁かれる正に才能が服を着て歩いているような天才選手だった。苦手なコースが無く、打てば長打かホームラン。現実味を帯びない怪物染みた打率を築き上げる少年は、天真爛漫な子どものように笑いながら、がらんどうの瞳を持っていた。
 父の喪失、母からの虐待。後に母は彼の運び込まれた病院の屋上から投身自殺。当時、小学生だった少年には堪え切れない悲劇が続き、過度のストレスによってPTSD及び双極性障害を発症。それは奇しくも、蜂谷兄弟の有り得た未来、相似形に他ならなかった。
 がらんどうの瞳。後に裕はそれを振り返る。もう二度と見たくない瞳だと。
 これ等の過去を通し、人の心に興味を持った裕が心理学部を選択し、臨床心理士を目指すことになるのは殆ど必然だった。
 とはいえ、両親は無く、親戚は疎遠だった裕が大学へ通うには経済的な問題が大きかった。奨学金とアルバイトの掛け持ち、更に学業と実習に追われ生活は多忙を極めた。睡眠時間を削ってレポートを書き、寝る間も無くアルバイト、勉強。それでも、それまで続けて来た野球の経験から根性論で全てを物理的に捻じ伏せる。結果、裕は高校時代から付き合っていた彼女とも疎遠となる。
 当時の裕を知る人間は、歩く屍のようだったと振り返る。紙のような白い面と塗り潰したような隈は消えることなく、筋肉は削げ落ちていた。
 けれど、大学生活は順調そのものだった。単位を一つとして落とすことなく、成績も上々、実習経験も積み重ねて行く。二十歳を越えた頃には、朝早く夜遅い生活から、それまで居候していた親戚宅から離れ独り暮らしを始めた。気の良い親戚は裕にとって掛け替えのないチームメイトの従兄弟の家だった。二つ下の弟を頼み、引っ越した先は木造二階建てのトイレ・風呂無しの1kで、角部屋日当たり良好ながら格安という曰く付きの幽霊物件だった。けれど、多忙を極めた裕にとっては眠るだけの部屋だった為、何の問題も無かった。
 その頃の裕には、幽霊以上に懸念する問題があった。
 夜遅くまでアルバイトをしていた居酒屋の同僚、ある少女のことだった。母子家庭で育ったという少女は精神面に問題を抱えており、誰かに依存し、更に自傷癖があった。決して親しい間柄ではなかったが、些細な切欠から少女の相談係という役割を担う羽目となり、日を追う毎に依存し生活を圧迫するようになっていた。
 事実無根ながら妊娠を訴え、更に流産した責任を取れと募ることもあった。アルバイト先に押し掛けて自傷することもあった。意にそぐわない返答に逆上し刺されたこともあった。疎遠だった当時の彼女の元に押し掛けたこともあり、別れる原因ともなった。 深夜早朝問わずの電話、訪問、強迫。それでも縋る少女の手を振り払えなかったことが裕の敗因だった。
 脇腹を刺され入院した夜、命の危険を感じた。自身の生活だけで精一杯の毎日に、懇意でも無い少女を受け入れるだけの余裕等ある筈も無かった。それでも、嘗て見たがらんどうの瞳が忘れられず、自分が手を振り払えば少女が本当に死んでしまうと思っていた。
 八方塞の闇の中で、一筋の希望が差したのはその夏のことだ。
 あのがらんどうの瞳をしていた少年が、光り輝くような笑顔を浮かべて現れたのだ。プロ野球選手としての活躍は聞き及んでいたものの、多忙を極めた生活で久しく会わなかった旧友の登場に裕自身は元気付けられた。そして、安い居酒屋で昔話に花を咲かせながら、互いの現状を語り合った。少年は裕の状況を重く受け止め、一人の女性を紹介した。
 小鳥遊由輝。当時二十五歳の新人弁護士だった。
 プロ野球選手という顔の広さと人脈の賜物だった。嘗ての仲間からの支援を受けながら裕の生活は少しずつ改善に向かい、由輝の法的処置により少女との関係も離れ始めた。嫉妬に狂った少女が由輝を襲撃するという事件もあったが、経験豊富な彼女はそれを物理的に捻じ伏せ、交番に突き出すという荒業すら遣って退けた。伸ばされた手を振り払えない裕にはない潔さ、凛とした佇まい、絵に描いたようなキャリアウーマンの逞しさを由輝は持っていた。
 少女との関係が完全に切られるまで三年。最終的に少女は傷害罪、脅迫罪諸々の容疑で逮捕された。
 裕が如何にか大学を卒業し、大学院へと進学した春。殆ど自然に二人は結婚した。各地から友人が祝福に訪れ、身内だけで細やかながら結婚式も挙げた。プロポーズは当然ながら由輝からだった。裕は学生結婚であり、経済的にも余裕が無いことから反対していた。けれど、由輝は鼻で嗤いながらこう言って退けた。


「養ってもらいたいだなんて思っていない。家庭に納まるつもりもない。ただ、あんたを放って置くと私の寝覚めが悪いのよ」


 女傑の彼女らしい言葉に、裕は笑いながらそれを受け入れた。安物ながら指輪も購入し、忙しない裕の生活に彼女が加わった。
 蜂谷裕、二十三歳。小鳥遊由輝、二十八歳の頃のことである。
 経済的な理由から、由輝はそれまで住んでいたマンションを引き払い、裕のおんぼろアパートへ転居する。幽霊物件と言われていたものの、両者とも朝早く夜遅い生活からアパートは眠るだけの部屋であり、何の問題も無かった。特に、由輝は幽霊の存在には否定的であり、一切気にすることも無かった。
 由輝が第一子を出産したのはそれから一年後。裕が大学院二回生のことだった。計画性の無い出産であった為、特に職場では新人である由輝への風当たりは厳しく、退職を余儀なくされた。生活費の殆どが由輝頼みだったこともあり、経済的に圧迫されてはいたが、二人にとっては大した障害ではなかった。
 裕は学校の合間を縫ってアルバイト生活を続け、由輝は貯金を切り崩しながら内職をし、逞しく子育てをした。
 二人にとって初めての子どもは大きな男児だった。極めて健康であり、賢く、殆ど手の掛からない由輝そっくりの子どもだった。そんな息子に、裕は妻の名前から一字とって『大輝』と名付けた。明日のことも解らないような毎日の中で、息子の存在は二人にとって正に大きく輝く希望だった。
 幽霊物件であったアパートの住人は非常に好意的であり、特に大家は大輝の世話を進んで引き受けてくれたという。
 そして、大輝が保育園に入園後、由輝は再就職した。以前と同じ法律事務所であり、時間にも融通が利く恵まれた職場だった。
 それから四年、裕は大学院六回生、二十八歳。由輝は三十三歳、大輝は四歳になった。元々の賢さや由輝の子育ての甲斐もあり大輝はすくすくと成長していた。高校時代は致命的に小柄だった裕の背も伸び、女性にしては体格に恵まれた由輝と並んでいたこともあり、大輝は周囲の子どもに比べて大きく、落ち着いていたという。
 由輝も弁護士としての仕事も軌道に乗り始め、収入も安定しつつあった。彼女が双子の女児を身籠ったのはその年だった。
 大輝の時以上に大きな胎を抱えた妻の姿に裕は狼狽えたが、由輝は終に出産前日まで逞しく弁護士として働いていた。
 翌年、裕は大学院を卒業し、氷河期と呼ばれる就職難の中、地元の心療内科に就職。一年目の給料は労働に見合わぬ雀の涙程だったが、三児の父親として夜勤のアルバイトを掛け持ちし、体調を崩すことも多かった。そんな裕を支えたのは、やはり、妻である由輝だった。
 三十四歳を迎え、由輝は妊婦ながら変わらず逞しく働き、家計及び夫を支えた。出産は大輝の時以上の安産で、産後の体調も母子共に良好だった。妻の面影を色濃く残した双子の女児に、裕はやはり妻の名から『ひかり』と『ひかる』と名付けた。
 朝早くから夜遅くまで保育園にいた大輝は我儘も殆ど言わず、玩具も満足に買い与えらえないながらも二人の妹を喜んだ。良く出来た子どもだと褒められていた反面、大輝は裕にとって酷く扱い辛い子どもだった。というのも、何事にも迷いが無い由輝に言えない我儘は全て裕に向けられていたからだった。それでも辛抱強く大輝と向き合った裕と、厳しくしっかり者の由輝に育てられた結果が大輝の人格を形成していた。
 更に、裕が三十二歳を迎えた社会人三年目。仕事は順調であったが、生活はやはり多忙を極めた。由輝は三十七歳になり、独立の話も上がっていたが、家庭のことを考えあっさりと断念した。その年、大輝は小学校三年生、双子のひかりとひかるは三歳。由輝は次男、祐輝を出産した。
 家族が増えたものの、共働きということもあり収入は安定し、家計も潤いつつあった。臨床心理士の父と弁護士の母、二男二女の家族は界隈では中々に有名だったという。
 そして、裕が三十四歳の頃、更なる転機が訪れる。四年務めたクリニックの院長が代わり、経営方針の違いから独立を選択する。周囲からは無鉄砲だと非難されたものの、由輝だけは理解を示した。その信頼に応えるように裕は、それまでの実績やクライアントからの信頼、コネによって独立に成功し、安定した生活を手に入れた。
 家族六人に1kは狭く、一家は知人の紹介から県内の長閑な土地の一戸建てに引っ越した。子どもたちは広い家と自分の部屋に大喜びした。子どもの生活を考え転校させることはなく、一家は穏やかに、賑やかに生活していた。
 その生活に終止符が訪れたのは間も無くのことだった。立派に夫を、家計を支えた由輝が子宮頸癌を発症した。同時に、妊娠が発覚した。
 医師の宣告は厳しいものだった。癌の進行は早く、一日一秒でも早く手術して取り除かなければ命が危ない。けれど、その場合、子どもの命は無い。由輝と息子の命を天秤に掛けるような選択肢だった。
 裕の思いは殆ど決まっていた。けれど、どのように妻を説得しようか頭を抱えた。というのも、宣告を受けた時も由輝はぴんと背筋を伸ばして眉一つ動かさず、「そうですか」と返事しただけだった。
 由輝の気持ちは痛い程に解っていたけれど、それでも自分の為にも子どもの為にも、彼女は無くてはならない存在だった。十歳になった大輝、五歳になった双子のひかりとひかる、二歳の祐輝。まだまだ甘えたい年頃だ。下の子を待望する彼等に真実を告げるのは胸が張り裂けそうに辛かった。
 子どもを諦めろとは言えなかった。裕自身、その子に逢いたかった。
 医師の宣告を受けた夜、裕は由輝を話をした。子どもを断念し、手術を受けることを説得するつもりだった。けれど、それを見越していた由輝は神妙な面持ちの裕をじっと見据えて笑ってこう言った。


「貴方が何を言いたいのか解るよ。でもね、絶対諦めないから」


 由輝はまだ膨らまない腹を撫でながら言った。


「死んでもいいとは思わないわ。あの子達の成長も、この子の顔も見たいもの。だから、最後まで諦めたくないの」


 それは、出産ギリギリまで手術を延ばすという提案だった。けれど、由輝の癌の進行状況から時間に猶予は無かった。今日、明日にも如何なるか解らない状況だった。
 それでも揺るがない由輝の意思の強さに、裕は何も言えなかった。ただ、只管に自分の無力さを呪い、後悔するだけだった。
 如何して、彼女の癌に気付いてやれなかったんだろう。如何して、彼女を支えてやれないんだろう。自分が死ぬかも知れないこんな状況で、弱音も泣き言も吐かず、誰よりも状況をしっかりと把握して、なんて立派なんだろう。
 何で彼女だったんだろう。如何して俺は、代わってやれないんだろう。
 気付いた時には涙がぽつりと零れ落ちた。それは、二人が結婚して十一年、裕が初めて由輝の前で見せた涙だった。
 それでも、由輝は笑いながら裕の頭を撫でて言った。


「不安が無い訳ではないのよ。でも、如何してか頑張ろうって思うの。まるで、この子が励ましてくれるみたいに」


 由輝は肌身離さない愛用の手帳から、一枚の白黒のエコー写真を取り出して見せた。
 何処が何かも判別出来ない影の群像を見詰める裕に、由輝は細かく説明しながら言った。


「大輝やひかり、ひかるや祐輝とは違うの。あの子達って、私に似てるでしょ。でも、この子は――貴方に、そっくりだから」


 彼女がその写真の何処を見てそう判断したのか裕には解らない。けれど、確信を持って由輝は言う。


「貴方と出逢った時のことを今も覚えてる。小柄で女の子みたいな顔して、見るからに頼りなさそうで、歩く屍って言われるくらいボロボロだったよね」
「うるせーな」
「でも、絶対に逸らさない強い目をしてた」


 ソファに深く腰掛けながら、由輝は愛おしそうに写真の輪郭を指先でなぞった。


「貴方の考えがあんまり甘っちょろくて、世間知らずで、御人好しなもんだがら私は呆れたし、否定したよね」
「……覚えてるよ。俺の為を思って言ってくれているって解ってたけど、中々厳しい叱責だった」
「そうだね。でも、貴方は一度だって目を逸らさなかった。真っ直ぐ前を見据えていた。その目が、何より好きだった」


 ぽつりと、写真の上に滴が落ちた。それが初めて見る妻の涙だとは、裕はすぐに解らなかった。
 由輝は一粒だけ涙を零すと、鼻を啜ってそれまでと変わらず話し続けた。


「誰かの為に一生懸命なところも、子どもみたいにやんちゃで偶に悪ふざけが過ぎるところも、自分が一杯一杯なのに相手を気遣える優しいところも、意外と頑固で一度決めたら絶対に自分の意思を曲げないところも、私より背が低いことを気にして毎朝こっそり牛乳を一気飲みしているところも、全部全部、好き」


 溢れそうな涙を両目に溜めて、微笑む由輝は裕を真っ直ぐに見据えていた。


「あの子達、私にそっくりだからさ、サバサバし過ぎてるというか、あんまり自分のことを顧みないのよね。私も実は精神的に参っちゃう時があるんだけど、何故だか貴方を見るとふーっと肩の力が抜けた。きっとこの子は、私にとっての貴方みたいな存在になるよ」


 頑張り過ぎてしまう、努力が当たり前の彼等の逃げ場になる。
 甘えることを許される、弱さを受け入れられる存在になる。そう言って由輝が微笑む。
 裕は終に何も言えないまま、涙を浮かべる彼女の肩を抱き寄せた。



 そして、その年の七月二十三日。午後一時。陣痛が始まった。
 母体の安全を第一に考えるという医師は指示し、由輝は分娩室へ運ばれた。忙しなく動き出す状況で裕は最後に彼女の手を握り、汗ばむ美しい面に向けて「死ぬな」としか言えなかった。
 彼女の姿が見えなくなった後も、後悔していた。如何してこんな時に上手い言葉が掛けられないんだろう。如何して、もっと励ましてやれないんだろう。分娩室から聞こえる彼女の絶叫に居ても立ってもいられず廊下を右往左往する。子どもは従兄弟の家に預けていた。
 そして、午後十一時。今で嘗てない難産に裕自身気が狂いそうだった。けれど、その時、分娩室から微かな泣き声が聞こえた。
 それまで聞いたことも無いような微かな弱々しい、掠れるような泣き声だった。分娩室の扉が開け放たれ、看護師が小さな赤子を抱いて現れた。
 小さかった。上の兄弟の半分も無いんじゃないかと思った。けれど、真っ赤な身体で、初めての呼吸の苦しさに全身を震わせて叫ぶその様は、正に生命の証明に他ならなかった。
 小さな我が子を抱き、裕は由輝の元へ急いだ。疲労にやつれた由輝は我が子の姿を見ると、眩しそうに目を細めて微笑んだ。
 掌程も無い子の頭を撫で、由輝が言った。


「子どもの誕生日と命日を一緒になんかしないからね」


 彼女らしい言葉に、強張っていた肩の力が抜けた。裕が泣きそうに笑うと、由輝はやはり、最後に笑みを浮かべていた。
 その言葉通り、由輝は日を跨いだ午前十二時半に逝去した。享年、三十九歳だった。
 末の息子は『和輝』と名付けた。これから大きな困難が待ち受けるだろう家族の『和』となれるよう、更に上の兄弟と同じく妻の名から一字取って付けた。
 和輝は所謂未熟児で、生まれてからは暫く保育器から出られなかった。更に身体が弱くすぐに体調を崩して周囲を心配させた。裕は家庭を支える為にそれまで以上の多忙となった。子ども達は寂しさを抱えながらも、妻の言葉通り保育器の中で必死に生きようとする弟の存在に支えられていた。
 その和輝が我が家に帰ることが出来たのは殆ど一歳になってからだった。近所に住む白崎家の末の息子と奇しくも同日に生まれたことから、裕や兄弟が見られない時は預かってもらっていた。
 多くの人に支えられながら、和輝は兄弟と同じく成長した。けれど、身長だけは裕に似て伸びなかった。兄弟のお下がりの服に着られている様を見ながら、それだけは心の中でこっそりと謝罪した。





 そして、それから十五年。
 蜂谷和輝が仲間と決別した中学三年生。――物語は動き出す。



2013.9.7