1、罪と罰


 王宮前の広場はごった返していた。
 これから行われるものを知れば当然とは思うものの、人間の性と言うものを疑いたくもなる。場違いと言うのか、罰当たりと言うのか。だが、それを否定するのは難しい。何故なら、人々は知らないから。
 木で出来た即席のステージにはその存在を誇張するかのように白いロープが輪を作って吊るされていた。これから行われるのは言うまでも無く公開処刑。一人の命がこの日、この場所で消されるのだ。そんな罪人の罪は疑うどころか笑ってしまうくらいの重罪だった。

 人々の囁き合いが大きくなった。人混みが自然と道を作る。その道を歩いて行くのはこのステージの関係者。神父に処刑人に、罪人。喪服に包まれた神父の後を歩いたからだろうか、その容姿がいやに目立った。
 白銀の髪が揺れ、蒼い双眸が凛と佇む。これから殺されると言うのに、その少年は平然としていた。死を目前にして取り乱す死刑囚の例は数え切れない。だが、この少年は例には当てはまらない。
 この歳で、死を目の前にして平然としているなど、最早異質だった。強がった死刑囚も瞳の奥の恐怖は消し去れない。そう、少年の目は死刑囚の目ではなかった。その精神は常軌を逸している。

 やがて、彼等はステージに立った。少年はロープの前に立たされ、民衆の方に顔を向ける。広場に集まった誰もがその蒼い瞳を見た。透き通った宝石のような青い瞳ではなく、くすんだ空のような蒼。其処に光は無かった。いや、感情そのものが存在しなかった。


「これから、死刑を執行する」


 初老の神父の声が高々と響き渡った。民衆がざわめく。
 広場を囲む一つの家の屋根に止まっていた鳥が羽ばたいた。黒いカラスばかりだった中で、唯一いた平和の象徴である白い鳩。その飛んで行く後姿を少年は見つめていた。

「罪人、ソラ=アテナ。この者の罪は、戦争に紛れての大量殺戮、国家破壊工作、要人誘拐……」

 次々に並べられる罪状。それを読み上げる神父の声に耳を傾ける。どれもこれも身に覚えがあるから救えない。歴史に残る大犯罪者だな、とソラは心の中で自嘲した。
 革命が終わったばかりのこの世界。人々は喜びに満ちている。
 人とはなんと罪深い存在なのだろうか。互いに傷付け合い、殺し合う。その事実に気付きもしないで喜び合う。実に滑稽だ。自分の罪を正当化するつもりなど毛頭無いが、そう言う意味で人は皆大量殺人犯だ。

「何か、弁解はあるか?」

  神父が振り返り、腫れぼったい目を向けた。ソラは小さく笑う。
 心優しいのか、残酷なのか。神父の言葉にソラは少しだけ脳を回転させた。人々はどんな答えを求めているのだろうか。泣いて謝って、助けてくれと縋り付いて許しを請う姿だろうか。それとも、あくまで残酷な犯罪者だろうか。
 だが、そこでソラは考える事を止めた。考える必要など無いのだ。どうせ自分は死ぬのだから、ここで何を言おうともすぐに誰の手も届かない場所へと逝ける。馬鹿らしくて笑ってしまった。
 弁解など。

「……俺は、自分のして来た事に後悔なんてしていない」

 広場からは怒声にも近い野次が一気に溢れ出た。それらを聞いてソラは満足そうに笑う。民衆の歪んだ感情が目に見えるような気がした。
 そんな狂気に包まれた広場の端で、一人場違いなほど冷静に全てを見ていた少年はゆっくりと瞼を閉じた。真っ暗な視界には何も無い。そして、再び眼を開ける。紅い炎のような双眸が煌煌と輝いた。

 あの男……ソラは、無罪だ。

 少年は心の中で思う。
 無実とは言わない。大量殺戮も、国家破壊工作も、要人誘拐も、真実だから。だけど、少年は知っていた。人々が知らない真実を。世界の一部の人間だけが知る真実。それを知る者は全てを隠してしまおうとしている。
 戦争の傷跡が深く残り、不安定な世界に彼のような存在を残しておくのは危険だと判断したんだろう。だけど、それでは余りにも残酷ではないか。

 ……世界は一人の英雄を殺そうとしている。だけど、その事に誰一人気付かない。

 こんな馬鹿な話があるだろうか。
 英雄と言えば、少年もまた英雄だった。彼はこの革命の中心人物。革命軍を率いたリーダー、イオ=フレイマー。革命後、人知れず姿を消した男がこんな場所に堂々といるとは誰も思うまい。
 イオは死への階段を昇り始めたソラを遠くから見つめる。ここからでは小さくてよく見えないが、彼は笑っている。いつものあの卑屈で冷静な笑みで。きっと、その瞳も変わらず残酷なほど蒼い空の色をしているのだろう。

 柄にもなく感傷に耽っていた事に呆れて自嘲気味に笑った。
 そういえば、彼女はどうしているだろう。泣き虫だった彼女は、今も泣いているのだろうか。あの大きな籠にも思える城の中で。
 イオが見つめた先は、王宮の窓の一つ。処刑台の前にある大きな窓。城の中心、きっとそこにいるだろう。あの泣き虫の王女様は。

 王宮の一室、王女の寝室。大きなベッドにふかふかの枕。そこに顔を埋めて少女は嗚咽を噛み殺して泣いていた。今頃、公開処刑が行われている。ソラが死のうとしている。
 革命後、帝国は滅び去ったが帝国思想は色濃く残っていた。その為に、帝国そのものを無かった事には出来なかったのだ。人々の中には反革命主義の者もいる。だからこそ、この少女が指導者に選ばれた。革命を起こした軍のリーダーであるイオではなく。
 指導者と言う役は重過ぎる。だが、倒れる事は許されない。その重圧は、彼女の細い双肩には余るけれども。幾ら帝国の血筋唯一の生き残りである第一王女、サヤ=レィス=ルーサーにしても。
 長い事この王宮にいなかったこのサヤにしてみればここはとても心を休める事の出来る場所とは言えなかった。手入れが行き届き埃一つ落ちていない部屋も、一点の曇りも無い白い壁も、柔らかな笑顔を浮かべる女官達も何もかもが違うのだ。彼女には、綺麗に刈り込まれた緑の庭よりも砂埃の舞う砂漠の方が落ち着くし、高価で美しい絹のドレスよりも、煤けた麻布の服の方が気楽だった。
 だから、こんな場所息が詰まりそうになる。本音を隠して建前だけで生きて行く世界など。
 だが、サヤの心はそれどころでは無かった。この公開処刑のせいで、心は嵐とも言える。ソラは、サヤの最も親しい者だった。この世界で誰が敵になろうとも、ソラだけは味方でいてくれる。それくらい、ソラの事を信頼していた。

 どうして、彼が死ななければならないのか解らない。王女と言う特権で、この処刑を無かった事に出来るのならばすぐにでもそうするのに。
 サヤの力でも出来ないくらい、ソラの背負ったものは大きい。それでも、サヤはソラを助けたかった。いつでも自分を護ってくれたソラを。ソラは恩人なのだ。何度もサヤを護り、救ってくれた。
 あんなに優しい人を他に知らない。あんなに強い人を知らない。
 サヤは、歩き出した。広場を見渡す事の出来る窓へと向かって。暗い部屋から広場を見下ろすと、その中心には確かにソラがいた。このまま、殺されてしまうのか。

 ソラは沢山の怒りを、憎悪を受けながら平然と笑っている。結局、ソラが演じたのは残酷な殺人犯だった。今までの戦乱を締め括るのに丁度いいステージになる。

「……他に、言う事はあるか?」

 苦い顔をした神父は言った。さっきの弁解を求めたのが失言だったとでも心の内で後悔しているところだろう。しかし、ソラはそんな神父に追い討ちをかける気満々だった。


「この罪深き世界の者達よ!! 争いは終わらない。お前等が望んだ事だ。人は生まれながらにして血を求め、互いを傷付け合う下等な生物だ。……平和など砂上の楼閣に過ぎない。再び戦乱が起こった頃に、歴史は繰り返されるだろう……」


 広場は狂気を通り過ぎ、静寂を保っていた。ソラは広場の端にいるイオと、上の宮殿にいるサヤを一目見てから目を閉じた。

 閉じた目の中には、ソラの記憶全てが走馬灯のように巡った。