10、この手に
ソラがサヤ直属の騎士になったのは、それから数日後の事だった。長い間の空席は突然現れた少年によって埋まり、時は流れ少しずつ時代も変わる。
鏡の前に立ってソラは自分の姿を奇妙なものでも見るように眉を顰めていた。
白い鎧、白いマント。白一色の装束かと思えば、腰には重厚な純白の立派な剣が差されている。白の中に浮ぶのは、蒼い双眸。
「何で、白?」
ポツリとソラは呟いた。
少し離れたところの椅子に座って重苦しい本を今日も飽きもせず読み漁っているリューヒィは数秒して顔を上げた。
「王宮にいる騎士は代々白なんだよ」
「じゃあ、レナードさんは」
「……あの人は特殊!」
漆黒の鎧で闇のマントを翻すいつかのレナードの姿が頭を過った。
特殊の意味はよく解らなかったが、ソラは自分の白い鎧に納得しかねていた。どうせなら、黒い方が色々と都合がいい気がしたからだ。
「白なんかすぐに汚れんだろ……」
「それだよ」
リューヒィは真っ直ぐソラを指差す。
「王宮の騎士の白いマントは、汚れちゃならねぇんだよ。ここは戦場じゃない。そのマントが、血に染まる事はありえない」
騎士の純白は、不殺の証。
いつでも血塗れだった自分を思い返して、ソラは鼻で笑った。
「……俺のは、紅の方がよかったんじゃないか?」
生きる為に殺し、護る為に殺し。結局、血塗れにならなければ何一つ出来なかった。
白を保ち続けるなんて不可能だと言う事は、ソラが一番よく解っていた。でも、リューヒィは小さく困ったように笑う。
「ばーか。サヤ様が、お前に白を着て欲しかったんだよ」
剣など持った事も無い少女が、自分とは違う世界で生きて来た強者を護ろうと言うのだ。それは非常に滑稽だったけども、ソラは少しだけ嬉しかった。
誰かに護られたかった訳じゃない。誰かに愛されたかった訳でもない。ただ、知って欲しかった。見っとも無くてもここに存在しているんだと言う事を。
生きる意味を必死に探していたあの頃では、こんな日が来る事なんて考えられなかった。
ソラはポツリと呟く。
「……いつか、誰も殺さず……誰にも殺されない時代が来ればいいな……」
剣なんて振わない時代が来ればいい。当たり前に生きられる日が来るといい。
純粋な願いだった。
その時、レナードが部屋の扉を開けた。
その瞬間、空気が凍るように冷えて行きソラとリューヒィから表情が消えた。
「……そんな構えるなって」
だが、二人の様子は変わらない。
レナードはソラをあの村へ向かわせた張本人だ。そこに何が起こるかも予想は出来ていた筈なのに。いや、予想していたからこそだったのだろうけども。
村人を殺させ、一つの集落を壊滅させた。一体何の為に?
「レナードさん……。あなたは……ソラに何をさせたのか解ってるんですか……?」
「解ってるも何も、その為にやってんだよ」
そう言ったレナードの紅い目は、血溜まりの色をしていた。
「俺は俺のやった事に後悔なんてしてないし、悪いとも思わない。お前も騎士である以上、これは当然の事だ。そもそも、国王直々の命令だしな」
「じゃあ、国王が死ねと言ったら死ぬんですか?! 殺せと言ったら、俺でも平気で殺すんですか?!」
「ああ、当然だろう」
リューヒィは息を呑んだ。
普段は温厚で頼りになる兄のような人なのに、指令となれば鬼にも悪魔にもなる。老若男女問わず平気で殺し、その後に残った憎悪や怨恨に振り向きもしない。
『世界最強』と呼ばれた冷酷な男がそこにはいた。
「お前も今まで沢山殺して来ただろ? 今更、善人ぶっても何も変わらねぇよ」
ソラは目を伏せたが、すぐに真っ直ぐレナードを見つめた。
「人の命を数で言うなよ」
「綺麗事だな。数えられたくないのは、それが余りにも多過ぎるからだろ。」
「そうだよ。俺はいつでも過去から目を背けて来た。だから、ああやって人殺しだと言う事実を叩き付けられて立ち上がれなくなったんだ」
真っ直ぐ前を見据えたソラの目には、もうあの時のような絶望は無い。覚悟を決めた目だった。
「俺はもう逃げない」
血塗れの過去に目を背けたら、もうそこから抜け出せない。過去は過去として受け止めよう。逃げるのはもう終わりにして、向き合わなきゃ何も変わらない。
「……それだよ」
レナードは優しく微笑む。それは、いつもの彼だった。
「俺達には騎士だとか何だとか名称はあるけども…、結局はただの殺人者だ。救世主なんかじゃない。綺麗事で殺人を誤魔化すな。殺したなら、その絶たれた命を背負わなきゃならない。命とは責任だよ」
ソラが今過去と向き合っているように、レナードはずっと昔からそうやって生きている。誰かを殺している自分を見下しながら、誰かを護っている自分を見つめながら。
レナードは、いつかの質問を再び言う。
「お前は、今、死にたいか?」
その答えを、ソラは探していた。一度目はセルド、二度目はレナード。
死にたいと答えた事もあるし、解らないと答えた事もある。興味無いと答えた事もある。じゃあ、今は?ソラは呟くように答えた。
「……どうだろう?」
訊き返して、ソラは眉を下げた。
予想通りだと言わんばかりに、レナードは満足そうに笑った。
「そうだよな。お前はここにいる限り死なないだろうよ、その騎士の白い装束である限りは。でもな、死ぬ時には死ぬ。そうやって流れに身を任すのが、一番正しい事なのかも知れないな……」
生きる時に生きて、死ぬ時に死ぬ。
自然の摂理に従った生き方だ。
「レナードさん、一つ訊いていいすか?」
「何だ?」
ソラはレナードに人差し指を向ける。
「何で、あんたの鎧だけが黒なんですか?」
レナードは動きを留めた。
騎士は白や銀の鎧を皆が纏っているのに、レナード一人だけが異質に漆黒。それは何か重要な意味を持っているような気がしていた。
「何故か? 簡単な理由だ、血が目立つからだよ」
小さく自嘲気味にレナードは笑う。
「黒ってのは、最強の色なんだよ。血も何もかも、闇に隠してしまう」
レナードの言葉が、酷く空しく感じた。
ソラは何も言えなかったが、リューヒィは代わって言い返す。
「……俺は、白が最強の色だと思いますよ。どんな色にも染まりながら、その存在は消えない。闇さえも薄くする光の色だ」
「リューヒィは、本当に理想主義だな」
この時代の理想主義と言うのは、何も知らないと言う事だ。
無知と言うのはそれだけで罪だけども、ソラはリューヒィのその純粋さに救われていた。
「それは、当然です。科学者だろうと、俺は人間ですから。非現実的でも、夢は見ます」
そういう事が大切なんだと、ソラは知っていた。
殺人者も、良心はある。悪魔でも正義はある。たった一つでも揺ぎ無いものがあれば人は生きていけるんだと、ソラは知っている。
「目に見えるものが全てじゃない。そうでしょう?悪だと言われ続けたものが、誰かにとっては正義である事もあるように。俺は現実的な意味でレナードさんやソラに比べたら無知なのかも知れない。でも、俺はちゃんと知ってますよ。この世界に悪なんていない、ただ、何万通りもの正義があるだけなんだって」
ソラが人を殺し続けたのは、自分が生きる為だ。それは悪なんかじゃない。
もっと深く考えれば、ソラは誰かの為に生きようとしていた。それが、殺された人にとっては悪だったと言う事。
「レナードさんの中にも正義はある。俺の中にも、ソラの中にも。だけど、その正義と言う解釈の違いがぶつかり合って解り合えなかった時、戦争は起こるんだ」
レナードは小さく笑う。
リューヒィのこの真っ直ぐさは、多くの人が失ってしまった大切なものだ。だから、レナードやソラは持っていない。目を逸らしたくなる冷たい現実を見続けて来たせいでひねくれたのかも知れない。
「じゃあ、リューヒィ。お前の正義は何だ?」
「俺の正義は……」
リューヒィはようやく目を伏せて考える。
正義とは常識だったから、今まで考えた事も無かった。常識とは何かを問われているようなものだ。代わりにソラは口を開く。
「正義なんか言葉に出来ねぇよ。それは目に見えない漠然としたものだから」
「へぇ?」
「俺にとっての正義は俺が信じたもの。正義だから信じるんじゃない、信じたから正義なんだ」
正義とは信じる心だと、ソラは言いたいのだろう。
だからこそ、今日も何処かの世界では宗教戦争が起こり続ける。
「いつか、あんたと対立したとしても俺は譲らない。そういうものが、もう、俺にはある」
挑戦的な笑みを浮かべたソラの蒼い目が凛と輝く。脳裏に過った声は、あの孤独を一人噛み締めて生きて来た少女だった。
――私はあなたを信じていい? 信頼させてくれる?
何があっても護ると決めた。その為なら何を失ってもいい。大切なものが出来た。
冷たい廊下を歩き続けて来た中で、ようやく見つけた光。
「そうか……」
レナードはポツリと呟いて、踵を返して歩き出す。部屋の中には扉の閉まった音が妙に響いた。
レナードは乾いた足音を響かせて廊下を急いでいた。何がある訳でも無いのに、無性に一人の人物に会いたくなったから。
曲がり角に差し掛かった瞬間、気配を感じた。
「レナード!」
そこにいたのはセレスだった。金髪と紫の瞳は今日も相変わらず美しい。
セレスの姿を確認して、レナードは肩を落とした。
「セレス」
「何? どうしたの?」
妙な安心感がレナードを包み込んだ。心配そうなセレスの手を無意識に握り締めている。
「揺ぎ無いもの……俺にもあるんだよな」
大切なものを確かめるようにレナードは笑った。セレスは意味が解らなかったけども、つられて小さく笑う。
大人っぽい綺麗な顔立ちなのに、セレスは子供っぽく笑う。
「何だか解らないけど……、私にとってもレナードは揺ぎ無いものよ」
セレスは微笑んだ。
それから数日は平和な日々が過ぎた。
事件が起こってから考えれば……、それは単なる嵐の前の静けさに過ぎなかったのかもしれない。
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