11、悪夢より <前編>


 山村の一件以来、ソラには多くの指令が来た。どれもこれも、平たく言えば結局『殺人』。殲滅だとか、暗殺だとか。
 しかし、王女直属の騎士だと言う事で通常に比べれば断然少ないものだった。

 そうして、数日が過ぎた。


 その日は朝から雨が降っていた。霧雨のようだったけども、時間が経つに連れて激しさを増して、日が暮れる頃にはもう豪雨と言っても間違いでは無く雷も鳴り出していた。
 ソラはいつも通りの一日を過ごしていた。リューヒィも、サヤも、レナードも、セレスも。そうして今日は終わり……明日には真っ青な大空が見られるだろうと信じていた。


 夜、十一時。
 王宮は静まり返り、静寂を保っている。衛兵の姿も少なくなった。特に、王の間の正面には誰もいなかった。ただ、世界最強の騎士が立っているだけで。

 軽いノックの音が静かな廊下に響いた。
 レナードは扉をゆっくりと押して開け、胸に手を当て礼をする。ここへ来るのも慣れ、礼儀もすっかり身に付いた。

「お呼びですか、王よ」

 レナードは顔を上げて言った。部屋の置くの玉座には、いつもと同じく王がどっかりと座っている。その前まで歩み寄り、跪く。
 王は、言った。

「仕事だ」

 レナードは怪訝そうに眉を顰めた。
 こんな時間に一体何かと思ったからだ。明日ではいけない急用で、しかも、レナードでなければならないものなんて思い付かない。あるとするなら『暗殺』だろうか。

「何です?」

 いつもの事だと、レナードはそう思っていた。

「暗殺だ」

 簡潔で、淡白で、言葉少なないつもの口調で王は言う。
 予想通りだと内心笑っていたレナードは、次の瞬間には言葉を失う事になるなどと予想出来なかった。


「ソラ=アテナを殺せ」


 口を半開きでレナードは静止した。聞き間違いだと信じて疑わなかった。
 だが、王はそこでようやく口角を上げで笑ったのだ。

「王女直属騎士のソラ=アテナを殺せ。今日中に」

 聞き間違いでは、無い。夢でも無い、嘘でも無い。
 レナードは理由を訊かない訳にはいかなかった。以前、王は確かにソラを危険視していたが、その後は何も無かった。少なくとも、レナードが感じる限りは。

「何故……ですか?」
「理由がいるのか?」

 レナードは一瞬詰まったが、すぐに言葉を繋ぐ。

「ソラは、何もしていませんよ。騎士としてよく働いていますし……あいつを失うのは惜しいのでは……?」
「あいつは、邪魔だ。……サヤの使い道が決まった」

 実の娘をまるで物みたいに王は言う。人の命など何とも思っていない。
 レナードの耳には自身の心臓の音が嫌に大きく聞こえていた。

「サヤを殺し、私は願いを叶える。その場にあいつが居れば……間違い無く邪魔するだろう?」

 レナードは言い返せなかった。そんな事をソラに告げれば、間違い無くサヤを助けようとするだろう。
 だけど、レナードは返事が出来ない。

「本当に、殺すのですか? あいつを……?」
「不服か?」

 レナードは口を噤む。もう、王の中には中止なんて答えは存在していない。殺せと言う言葉はもう変えられない。

「……ッ……仰せの、ままに」

 礼をして、レナードは唇を噛み締めた。
 こんな日がいつか来るんじゃないかと予想はしていた。でも、実際に起こるだなんて考えられなかった。心臓はバクバクと音を立てて、冷や汗が流れた。

「レナード」

 王は、言った。

「……昔のお前は、そんな目はしていなかったぞ。もっと、冷静な紅い目をしていた」

 レナードの紅い目が光る。柔らかな光は、血の色では無く命の色。

「弱者の目だ」

 その言葉と同時に、部屋の中には扉の軋む微かな音が聞こえた。
 少しだけ扉を開けて、向こう側で緑の目が怯えを含んで見つめていた。

「……リューヒィ……」

 聞いてしまっていたのか、とレナードの目は残念そうだった。リューヒィは震える声で、問う。

「……レナードさん、ソラを殺すんですか?」
「ああ」

 返事をしたレナードの目にはもう、迷いは無かった。リューヒィは唇を噛み締める。

「嘘だ……!」
「嘘じゃない。お前は寝てろ。明日には全部終わってる」
「……ッ! あんたにソラは殺させないッ!」

 リューヒィは駆け出した。その時、王は言った。

「殺せ」

 命なんて、数でしかなかったんだとレナードはようやく気付いた。そして、黒刃の剣を抜いた瞬間のレナードの目は血溜まりの冷酷な色をしていて、光は何処にも無い。
 薄く笑ったレナードは、床を勢いよく蹴った。

 扉を破るような勢いで王の間を飛び出し、絨毯を蹴って翔ける。風と一体になったようだ。後ろに飛んで行く景色は目に入らない。
 いつもの見なれたよれよれの白衣を来たリューヒィの背中は、あっという間に目の前に迫っていた。

「サヨナラだ」

 少しだけ振り返ったリューヒィの目には確かに怯えが映っている。また、緑の目には剣を振り上げたレナードが。
 振り下ろした瞬間、血飛沫が舞った。

 血液は赤い絨毯を一層深い赤に染める。リューヒィは肩を抑えながら壁にもたれかかった。
 致命傷にはならなかったものの、酷い出血量だ。

「……ッ……レナードさん……!」
「悪いな」

 前に、レナードはリューヒィに言った。
 王の命令ならばリューヒィだろうが殺すと。でも、その時はただの例え話だった。

「……先に逝け。すぐにソラも送ってやるから」

 レナードは剣を振り上げた。リューヒィはぐっと息を呑むが、はっとして顔を上げた。目に映ったのは壁の一枚の絵画。鮮やかな赤をしたバラの花。リューヒィはその絵を押した。
 その瞬間、壁はくるりと回転してレナードの目の前からリューヒィの姿を一瞬にして消し去った。振り下ろした剣は廊下の壁に突き刺さる。
 レナードは剣を抜いて同じように再び絵を押すが、何も起こらない。

「隠し扉か……。やるじゃないか」

 レナードは小さく笑うが、何の迷いも無くすぐにまた歩き始めた。
 行き先は解っている。



 ソラは与えられた自室で眠っていた。窓の向こうでは雨音が聞こえていて、ソラの寝息は掻き消されている。だが、剣はいつでもすぐに取れるすぐ傍にあった。それは一種の癖で、そうでなければ眠れない。
 その時、ノックが響いた。

 すぐさまソラは起き上がり、無意識に剣を掴んで扉の前まで歩き始める。こんな時間に来るのはレナードかリューヒィくらいのものだ。

「……誰だ?」

 扉の向こうに問い掛けて、答えを待つ。すると、小さな消え入りそうな声で返事が。

「俺だ。……リューヒィだ」
「リューヒィ?」

 何の迷いも無く、ソラは扉を開けた。こんな時間に何だ、と小さく怒っていたがすぐにそれは消えた。
 目の前に立っていたリューヒィは血塗れだった。肩に大怪我を負っていて、足元には血が落ちて、顔色は真っ青で冷や汗が尋常じゃない。

「な……何があったんだ……!」
「いいか、ソラ。冷静に聞け」

 心を落ち付けるようにリューヒィはソラの肩を掴む。その手もまた、血塗れだった。

「今すぐ、サヤ様を連れてここから逃げろ」
「は? こんな時間に何言ってんだよ……。手当てを……」
「とにかくこの国から出て……ずっと遠くに行くんだ! 今すぐに!」

 困惑を隠せないソラの目の前で、それは起きた。

 黒刃が、リューヒィの腹を貫いた。
 残酷な影がソラの目に映る。

 リューヒィの口からおびただしい量の赤黒い血液が零れ、膝を付いた。
 全てがスローモーションに見えた。自分に向かって倒れ込んだリューヒィを受け止めながら、ソラはその向こうに見えた人影を凝視する。
 見慣れた、男。

「レナード……さん?」

 確かに其処に立っていたのは、あのレナード本人だった。
 気味が悪いくらいの笑顔で、剣を引き抜く。その血がソラの頬に飛び散った。

「ソラ……逃げろ……ッ!」

 ヒュゥと細い息を繰り返しながらリューヒィは言う。ただ、心臓が耳元にあるんじゃないかと思うくらいの大きな音がしてソラは動けなかった。足が震えている。

「何で……?!」

 レナードがどうしてリューヒィを殺す?
 状況が解らず、ソラはただ動揺するばかりだった。

「どうして……?」

 肩で感じるリューヒィの鼓動がだんだん小さくなって行くのが解った。体温が冷えて行く。
 いつの日か感じた感覚に近かった。大切な人が……殺される。

 夢だと祈った。
 嘘だと願った。

 レナードは、笑った。

「ソラ……、頼みがあるんだ」

 目の前で振り上げられた剣が目に映った。

「死んでくれないか?」

 黒い刃は闇の中で閃光のように一瞬で振り下ろされた。
 だが、咄嗟にソラは後ろに跳ぶ。無意識に起こした行動だった。無意識の防衛。リューヒィを抱えたまま、見っとも無く倒れ込むが目はレナードを睨むように見つめる。

「どうしてッ?!」

 叫びにも近い声は次の斬撃によって掻き消された。
 転げながら次々に振り下ろされる剣を避け、障害物に当たる直前でソラも剣を抜いた。白い姿に属する白刃は月光のように輝き、闇の中に浮び上がっている。
 避けていただけなのに、すっかり息が上がっている。恐怖で剣を握る手が震えるなんて生まれて初めてだった。歯の根が合わないでガチガチと音を立てる。

「……レナードさん。説明して下さい……」

 レナードの剣は間違い無く自分を殺す気だった。リューヒィはもう虫の息。夢だと言えば信じられる。嘘だと言われれば笑える。でも、その全ての可能性をレナードはその笑みで否定した。

「死んでくれ、ソラ」

 黒い閃光が闇を切り裂いた。
 見えないレナードの刀身をソラは確かに受け止めたはずなのに腕は斬れている。鋭い痛みに血は流れる。本気だと肌で感じた。体の芯が震えるような恐怖が闇の中で蠢いているようだ。

「俺は、何かしましたか? 少なくとも俺は、あんたに剣を向けられる覚えはない!」
「……サヤ様の使い道が決まったそうだ。お前はその邪魔になる」
「使い道……って」

 ソラから表情が消え去った。真っ青な顔色に唇は紫に染まり、血の気が引いて寒気さえする。

「殺して、願いを叶える。……言ったろ? あの人はその為に存在しているんだって」
「ふ……ふざけんな! 一体そんな権限が誰にあるんだ!」
「王だよ」

 ソラは目を丸くして、気付いた時には床を蹴ってレナードに斬り掛かっていた。それはあえなく受け止められたが、すぐにまた距離を置く。

「何なんだよ、王って! それの何がそんなに偉いんだッ! 誰より強いのか? 誰かを護ったのか? ただ椅子に座ってるジジイじゃねぇかッ!!」
「……口を慎め」

 今度はレナードが切り掛かる。その剣圧にソラは吹っ飛んだ。
 壁に衝突して、咽返りながらゆっくりと立ち上がるがレナードは追い討ちをかけるようにソラの右足に剣を突刺した。

「くッ!」

 ソラが剣を振り上げるとレナードは剣を引き抜き距離を取った。ソラも同じく距離を取って、血の流れ続ける右足を抑える。
 久々に傷を負ったから、この痛みを長い間忘れていた。

 痛みよりも、恐怖。恐怖よりも、悔しさ。
 信じていた、と叫べば正解だろうか?

「ソラ、お前は運が悪かったんだ・・・…」
「運……? そんなもんで……生き死に人に決められんのかよ……!」
「所詮この世は弱肉強食」

 弱肉強食なんて、ただの犠牲による成立だと考えた時の自分を思い出してソラは唇を噛み締めた。
 だけど、長く別の事を考えている時間なんて無い。ギロチンのように黒刃が頭の上から落ちて来た。

 キンッと剣が衝突した。
 何処から来るか解らない。正面にいた筈なのに、次の瞬間には上にいる。そこに立つ男は自分よりも間違い無く強かった。勝てない事を体で感じ、泣き出したくなるような恐怖が心を占拠する。
 ソラは呼吸を整えながら表情の死んだレナードを真っ直ぐ見た。

「あんたの目的って何なんですか? 何でこんなに王に尽くすんですか?」
「……俺の目的?」

 ザァッと嵐のような剣が目の前に迫った。だが、その剣を弾いてソラは再び間を置く。
 実戦と言う感覚が蘇って来る。血が熱くて体中に流れて行く。

 レナードは微笑んだ。

「俺の目的は……幸せだよ」
「幸せ?」
「そう、俺だけじゃない。世界中の人々の幸せ」

 何を言っているのか、始めは解らなかった。

「なあ、俺は間違ってるか? 間違ってないだろ? 多くの人が幸せであって欲しい。平和が続けばいい。それは間違った願いか?」
「……間違って、無い。でも、正解じゃない!」

 ソラは斬りかかり、火花が散った。
 次々に斬りかかりながらも、頭の中は妙なほど冷静だった。

「どうしてそれが正解だと思えるんですか?! ……あんたの願いは、ただの犠牲による成立だ!」
「別にいいだろ? 一人死ぬ事で百人救えるのなら、俺はその一人を間違い無く殺すよ」
「だから、それが間違ってる! ……俺は、それでも一人は死なせない」

 サヤは絶対に殺させない、と。
 自分の命はソラの意識の中に無かった。ただ、自分が負ければサヤは死ぬと。

 勢いよく床を蹴ってソラはレナードの足を払った。不意を突かれてレナードは少しだけ体制を崩し、そのチャンスを逃さずにソラは腹へ踵をねじ込んだ。
 鎧越しだったのでダメージは殆ど無いだろうが、レナードは倒れ込んだ。

 剣を使わないこの戦い方は騎士とは呼ぶに相応しくないが、ソラが最も得意とする戦い方だった。
 生きる為の、戦い方。

 更に、その倒れた隙を逃さない。
 音も無く首へと剣を突刺そうとするが、視界からレナードは消えた。

 背中からの殺気に気付いてソラは咄嗟に伏せる。
 剣は掠っただけだったが、服が切れて背中が露になる。そこには、かつてレナードから受けた傷があった。

 古傷が、微かに開いている。

 でも、休む間は無い。

 次々に来る攻撃を避けてソラは壁を蹴った。半分ほど勢いよく登り、レナードの上を取る。だが、レナードの姿は再び視界から消えて、背中に裂けるような痛みを感じた。古傷が開いた訳じゃない。その上からからに攻撃を受けた。

「……ッ!」

 倒れ込んだところで、レナードの足が見えた。
 殺されると思った。だが、レナードはあの質問した。

「お前は今、死にたいか?」

 最後の質問なんだと理解した。
 一度目は頷き、二度目と三度目は解らないと答え、四度目は興味が無いと言い、五度目は訊き返した。
 そうして、今は?

 今、死にたいか?

 ふっとセルドの横顔が過った。


「……くない」

 消え入りそうな声は、震えている。だが、ソラは搾り出すように言った。

「死にたくない……ッ!」

 その答えに辿り着くのが遅過ぎた。
 死にたくない、とたった一言なのに。誰もが思う当たり前の答えなのに。

「死にたくない!!」

 死ぬ訳にはいかない。護る者がある。
 何年も生きてようやく辿り付いた意志だった。

「死にたくない……か。お前は昔、興味無いと言っていたのにな」

 そのままだったのなら楽だったのに、とレナードは言った。でも、ソラはもう辿り着いてしまった。
 真っ直ぐレナードを見据えたソラの目にはもう、光が宿っていた。揺ぎ無い意志がそこにある。

「でも、俺にも譲れないものがある。……死んでくれ」

 視界は歪んで足は震えて踏ん張りがきかない。跳びそうな意識と霧が掛かり出した視界の中で、レナードが床を蹴ったのが微かに見えた。
 その剣が届くまでの刹那、ソラは目を閉じた。全身を神経にして、ただその一撃を待つ。
 諦めた訳じゃない。

 横殴りのような剣、黒と白が衝突した。
 高音を放って白い刀身はソラの手から消えた。中途半端に折れた刃が落下する事は、永遠に無かった。

 おびただしい量の血液を口から流し、レナードはカクンと膝をついた。白い刀身はその黒い鎧の繋ぎ目に見事なほど上手く刺さって折れている。
 レナードの剣は無傷で、切っ先に僅かなソラの血が付着しているだけだった。

 肩で息をするソラの頬から、僅かに血が流れている。

 勝敗は一瞬の内に決した。
 折れた剣を握り締めながら立ち尽くすソラ、黒刃を杖のようにして膝をつくレナード。

 ソラは奥歯を噛み締めた。

「何でだよ……!」

 斬られた傷よりも、胸が痛かった。
 全ては夢でも嘘でもなく事実。起こった事象は変えられない。

 床に倒れ込んだレナードからは大量の血液が流れ出していた。

「何でなんだよ……!」

 目の前に横たわるのは恩人とも、師匠とも言えるレナード。もう、動けない。じきに心臓も動く事を止めて死ぬだろう。ソラが負わせた傷は、致命傷だった。

「『護れる人になろう』って、そう言ったのはアンタじゃないか……ッ!」

 誰かを殺したかった訳じゃない。誰かに殺されたかった訳じゃない。こんな事の為に剣を握った訳じゃない。
 レナードは微かに笑った。

「こういう……時代なんだよ……。弱ければ死に、強過ぎれば消される。お前は後者だった……」
「俺は……強くなりたかった訳じゃないッ!」
「贅沢だよ……」

 レナードは蒸せながら血を吐き、床に広がった血の量がもう助からないと教えてくれている。

「俺はな……本当に平和な世界が欲しかったんだよ。その為なら……何を犠牲にしても構わない」

 その言葉を聞いて、ソラは『レナードらしい』と思った。頭が堅くて真面目で融通が利かない。だけど、だからこそ、その間違いに気付かない。
 王に従っていればいれば、世界は平和だと本当に思ったんだろうか。帝国が世界を統一しても争いは終わらなかったのに。
 ソラは呟くように言う。

「……犠牲なんて言葉を使う人に、平和なんて掴める訳が無い……」

 すると、レナードは息を吐くように鼻で笑った。

「結局、平和なんて俺の手に余るって事だな……」

 レナードは血を最後に吐き出して、それきり動かなくなった。
 心臓は動く事を止め、紅い目は固く閉ざされて、剣はただ主を失って転んでいる。

 ソラの目からは一筋の涙が頬から流れていた。
 でも、それを血と一緒に拭い去ってリューヒィの傍に跪いた。

 リューヒィは虫の息だったけども、まだ死んではいない。ただ、長く生きられないだろうとソラは解っていた。

「リューヒィ……!」

 友達だと、言ってくれただ一人の少年だった。希望や理想を決して捨てない強い少年だった。
 世界でたった一人の親友だった。

「リューヒィ……」

 リューヒィは、気休めのように儚げに微かに笑う。ソラは唇を噛み締めた。

「死ぬなよ……!」

 どうしたら、リューヒィは死ななかっただろう。自分が存在しなければよかっただろうか? 逃げろと言われて、すぐさま走り出せばよかっただろうか?
 でも、全てはもう、終わってしまった。

「ソラ……行けよ……」
「お前を置いてなんか……行けるか……」

 ポロポロと涙が零れた。悔しくって悔しくって。
 こんなにも無力な自分が大嫌いだった。目の前で誰かが死ぬ度に、どうして自分は生きているのかと疑問に思う。リューヒィは笑った。

「俺はもう……助からないから……」
「嫌だ……!」

 護りたいと思ったものがどんどん消えて行く、掌から砂が零れ落ちるように。
 子供みたいに駄々こねて動けないソラにリューヒィは続けた。

「解るだろ? ソラ……、殺してくれ。」
「……ッ!」
「死んでも、傍にいるよ。お前とサヤ様を護ってやるから」

 少しずつ失われて行く体温、減って行く呼吸数、途切れ途切れの言葉。
 リューヒィは、もう死ぬ。

「頼む……」

 ソラは、自分の折れた白い剣を捨ててレナードの黒い剣を取った。その剣を、リューヒィの胸に向ける。手が震えていて切っ先が定まらない。

「リューヒィ……」

 言いたい事は山ほどあるのに、何も言葉に出来なかった。だた、リューヒィは最後に笑った。

「      」

 ソラは目を閉じて剣をふっと下ろした。重力に従って剣は突き刺さり、リューヒィは動かなくなった。
 低い音を叫びながら古い大時計が十二時を告げる。ソラは動きを止めて目を丸くした。

「……え?」

 最後に、リューヒィは何と言った? 確かに、何か言っていたのに。
 でも、もう動かない。永遠に聞こえない。

「リューヒィ……ッ!」

 このまま、死んでしまえたらどんなに楽だろうか?
 でも、死ねない。頭はもう残酷なくらい早く切り替わっていた。護らなきゃいけないものがある。

 ソラは走り出した。