11、悪夢より<後編>


 城内は夜中だと言うのに酷い騒ぎだった。追い掛けて来る大勢の足音から逃げるようにソラは一心不乱に疾走し、サヤの部屋を目指す。
 腰にはレナードの白い剣。纏った白いマントは既に紅へと変色している。やっぱり、白なんて似合わないと思う。何時だって血塗れで、生きる為に殺し、護る為に殺し。そうしてここに存在しているのに、のうのうと不殺の道で生きて行ける訳が無い。世界はそんなに優しくない。
 前から数十人の気配を感じてソラは剣を抜いた。角から一斉に現れるであろう兵士達。でも、ソラは止まらない。戦っている時間なんて無い。目の前から飛び出して来たその兵士達を通り過ぎざまに切り捨ててソラは走る。白い衣は一層紅く染まった。

 殺したかった訳じゃない。何かを欲しがった訳じゃない。
 ただ、生きたいと願っただけだ。それなのに、何でいつも失ってしまうんだろう。
 護られたかった訳じゃない。ただ、護りたかった。大切な人を死なせたくなかった。ただ、それだけなのに。
 どうして世界はこんなに残酷なんだ。生きたいと願わなくても当たり前に生きられる時代だったなら、剣を持たずに、誰も殺さずに護れる世界だったなら良かったのに。

――護れる人になろう

 そう言ったのは、レナードだったのに。
 護るって何? 生きるって何? どうしてこんなに苦しい思いをしてまで存在していなければならないの?
 

――何があっても、俺はお前の事を見損なったりしない。裏切ったりしない

 リューヒィ、俺は護られたかった訳じゃないんだよ。護りたかったんだ。真っ直ぐ向き合ってくれたリューヒィやサヤを護れるようになりたかったんだよ。


 本当はさ、剣なんて握りたくなかったんだよ。
 騎士にだってなりたくなかった。選択を下す事でまた大切な人が死ぬのなら、選択肢なんて無くてよかったんだよ。


 襲い来る騎士や兵士の隙間を風のように通り過ぎた。一瞬、何が起きたか解らずにいたが、それらはすぐに物言わぬ死体へと成り果てた。
 それにしても、敵の数が多過ぎる。それもサヤの部屋に近付くにつれて増えているようだ。嫌な予感がした。もしかしたら、サヤはもう……。
 でも、その言葉の先は首を振って消し去った。まだ、諦めない。ソラは加速した。


――私はあなたを信じていい? 信頼させてくれる?

 今までの十数年間、誰にも心を許せなかったんだよな。たった一人で押し付けられる理由の中で生かされていたんだよな。あんたも護られたかった訳じゃない、ただ、生きていたかったんだよな。
 生きる事に、理由なんて無いんだよ。意味なんていらないんだよ。護られなくても生きられる世界なら、もっと笑えたのに。


 角を曲がり、サヤの部屋が見えた。そこで、一気に血の気が引いた。
 扉に手を掛ける騎士が二人。嫌な予感が的中する。気付けばすでに地面を蹴っていた。

 一瞬で騎士の懐に消え、血飛沫が舞う。間髪入れずにもう一人を半分に叩き切った。
 あっという間に血の海と化した廊下。ソラは肩で息をしながら、唇を噛み締めて扉を開く。何十人もの兵士や騎士を斬り殺して、全身真っ赤に染まりながらようやく辿り付いた時にはもう意識が朦朧としていた。足がガクガクと震えて真っ直ぐ立てない。でも、ここで倒れたら死ぬ。死ねない。まだ、死ねない
 キィィと軋んだ音。途端に違う世界のような甘い匂いが零れて来た。壁全てが本棚となったサヤの部屋は明るかった。少し向こうで椅子に座って本を読む人影が一つ。後姿ではあったが、それは確かにサヤだった。

「サヤ……様……」

 独り言のような音量で呟くと、サヤは振り向いた。

「ソラ? どうしたの、こんな時間に……」

 その瞬間、サヤは表情を強張らせた。そして、すぐさま本を投げ出して駆け寄る。

「ソラ! どうしたの?!」
「サヤ、様……」

 無事で良かった、と心からそう思った。同時に、血塗れの廊下に来なくて良かった。
 地獄を見るのは、俺だけで十分だ。

「冷静に聞いて下さい。……リューヒィが死にました。レナードさんも」
「えっ?!」

 翡翠の目には動揺が映り込む。ゆっくりと丁寧に話すべきなんだろうけども、そんな時間も余裕も無い。今は一刻も早くこの国を脱出する。

「どうして?! 何が起こったの?!」
「……俺が、殺しました」

 そう言った瞬間、サヤの表情が凍りついた。でも、ソラは続ける。

「理由は後で話します。今は俺を信用して下さい。……帝国を脱出します」
「……殺した……の? その血は……誰の血……?」

 サヤは紅く染まりきったソラを見ていた。

「これは……リューヒィ、レナードさん。それから…大勢の兵士や騎士達のものです」

 怯えているのが解る。でも、そんな事を気にしている余裕は無い。

「あなたには今、選択肢が三つある。俺とここを脱出して生きるか、ここで俺に殺されるか、ここに残って誰かに殺されるか」

 随分な選択肢だけども、まだマシだ。俺の時はたった二つしかなかった。殺すか殺されるか。結局、考える間も無く前者を強いられたけども。
 ただ、不幸の量を比べたい訳じゃない。唇を噛み締めて黙りこくるサヤに向かってソラは開きかけた古傷を抑えながら大きな声を出した。

「時間が無いんだ! 答えろ! あんたは今、死にたいか? それとも……生きたいか?! 死にたいなら今すぐ俺がここで無心に殺してやる! でも、生きたいなら! 俺がこの先何が起きても、命に代えても護ってやる!」

 こんな時代で無かったら、といつも願った。剣なんて握らなくても生きられる世界だったなら、殺さずに護れる世界だったならといつも祈っていた。
 でも、そんな時代じゃないから。こんな世界に生まれてしまったから。護る為にも、意見を主張するにも剣が必要だから。例え馬鹿にされても、笑われても、何を言われてもそうやって生きるしかない。

「答えろッ!」

 ソラが睨み叫ぶと、サヤは搾り出したような震える声で小さく呟きのような声で言った。

「……生きたい……」

 涙が、零れた。

「生きていたい……!」

 その言葉を聞いて、剣を握っていた手に何時の間にか力がこもり、足がしっかりして視界が広くなった。サヤに空の手を差し出す。血塗れの手だったけども、サヤは手を伸ばした。

「なら、俺が護ります」

 この血塗れの手は、リューヒィが言ったように、こうする為にあるんだと信じたい。
 傷付ける為じゃなく、奪う為じゃなく、剣を握る為でも無く。誰かと手を繋ぐ為にあるんだと、そう信じたい。
 俺がここにいるのは、誰かを殺す為でもなく、誰かに殺される為でもなく。誰かを護る為に、ただその為なんだと信じたい。

 生まれた意味も生きる価値も解らない。でも、この為に存在したと願いたい。


「覚悟は出来ましたか? 外の世界は、サヤ様が想像するような美しいところではありません。でも、絶対に目は背けないで下さい。一度でも逃げれば、二度と向き合えませんから」

 サヤが頷いた事を確認してソラは窓を開けた。白いカーテンが風になびき、夜空には星が瞬いている。こんな綺麗な星空なのに眺める余裕も無いなんて。
 ソラはサヤを抱きかかえ、下を見下ろした。大して高くは無いけども、決して低くはない。でも、何とか行けるだろう。と言うよりも道はここしかない。扉の向こうからは足音が響いている。

 ソラは、飛び降りた。丁度、扉が破られ兵士たちの姿が見えたが、もう届かない。


 着地した時、遥か上の階の窓から王が見つめている事に気付いた。呪いを掛けるような狂人の目付き。ソラはそれを睨み返した。

 あんたは、必ず俺が殺す。
 王だか何だか知らないが、あんたは俺の大切なものを奪い過ぎた。

 首を洗って待っていろ。



 ソラは走り出した。