12、咎人

 この世は穢れている。
 今日も何処かで人は死に、大地は血に染まる。

 ゴロゴロと鉛色の重苦しい曇り空が唸っていた。雨がポツリポツリと降り出し、とうとう大雨となって道端には小さな川が出来始めている。周辺の田畑は水浸しだが、長いところ乾季が続いていたので好都合だろう。
 小さな教会の主、リーフ=ソフィアは喪服に身を包み外を見渡してそんな事を考えていた。
 神父だった父は数年前他界し、それ以来この小さな教会の神父はこの少年。この辺りには教会がここ以外に存在しないので、少し離れたところからもお祈りに来る人は多い。同時に、葬式も多かった。
 殆ど毎日、葬式が行われる。墓場もところ狭しと墓石が並び、土地を広げなければ死者の眠る場所が無くなってしまうだろう。リーフは小さく溜息を吐いた。
 この戦乱は、一体何時になれば終わるのだろうか。帝国の統一により、平和が訪れると思ったのはただの勘違いだったらしい。変わった事と言えば、人にランクが付いた事くらいじゃないか。帝国特有の金髪が偉いだとか、それ以外はカスだとか。そんなの関係無いとどうして気付かないんだろう。今日の死者は、帝国兵士に斬り殺された少女だった。十年も生きていないのに、何も知らないまま不条理に殺されてしまった。そして、その少女を庇った母も死んだ。残された父は帝国を恨むだろう。憎むだろう。
 どうして、人間はこんなにも愚かになれるのか。自分が殺したその少女が、自分と同じように生きているんだとどうして解らないんだろう。
 こんな世界は滅んでしまえばいい。そう願ってしまう自分は神父失格だろうか?

 そういえば、こんな噂を最近聞いた。
 帝国騎士が一人、裏切ったと。その時に王女を連れ去り、世界最強の称号を持っていたレナード=ルサファを殺し、親友だった科学者も殺したのだと。
 その新しい世界最強の騎士はお尋ね者となった。だが、未だに捕まっていないらしい。例えるなら、野に放たれたライオンだ。まったく、穏やかでない世界だ。平和なんて何処に言ってしまったんだろう。やはり、人は生まれながらの悪で、二人いれば傷付け合い、大勢集まれば戦争になってしまう性悪説が正しいのだろうか。
 遠くを見据えながらふと自分の頬に触れた。僅かに熱を持ったそこは、じくじくと痛んだ。

 この大雨によって人足が絶え、無人となった礼拝堂。そこへの扉が軋みながら開いた。珍しいと思いながら目を凝らすと、二つの人影。
 自分と大して歳も変わらぬだろう少年と、比べて少しばかり小さな少女。ずぶ濡れだが、無いよりはマシだと言うように少女には布が被せられている。

「……雨宿りをさせてもらえませんか?」

 少女は小さな越声で言った。それを断れる道理があるものか。

「どうぞ、中にお入り下さい。今、何か拭くものを持って来ます」

 暖炉に火を灯して、そこから歩き出した。オレンジの光が灯った空間でも、少年の姿は闇の中に解けている。ただ、少女の輝くような金髪と宝石のような翡翠の瞳が煌くだけだった。
 ありふれた白い麻布を渡すと、少女は丁寧にお礼を言った。仕草一つ一つに品があり、おそらくは貴族の娘だろうと思う。対照的に少年は、濡れた頭をガシガシと拭く。その時になって、その髪が銀髪だと気付いた。

「この雨の中大変だったでしょう。近くの人ではありませんね、遠くからいらしたのですか?」
「はい」

 困ったように笑って、少女はそれ以上何も言わなかった。代わりに、顔を伏せた少年が腹を抑えながら嗚咽を漏らす。渡した真っ白いはずの麻布には、紅い模様が付いていた。

「怪我をしているんですか?」

 思わず手を伸ばすと、すぐ雨に濡れた冷たい手に弾かれた。

「……触るな」

 手を引っ込めたが、それでも再び伸ばして布を掴む。紅い染みはだんだん広がって白を追い詰めていた。この怪我はちょっとした怪我じゃない。放置すれば、命に関わるだろう。
 今までそういう怪我を幾つも見て来た。その怪我によって死ぬ瞬間も見て来たし、埋葬された事も知っている。

「死にたいんですか?」
「うるせぇ」

 その時、少女が同じように布を掴んだ。

「ソラ」
「……ッ……」

 ようやく、その少年は布を取った。その瞬間、紅く染まり切った衣服が暖炉の炎に照らされながら姿を現す。酷い有様だと眼を細めた瞬間、少年はグラリと倒れ込んだ。
 何度も名を呼びながら揺り動かす少女を抑え、傷を見ると、それは今まで見続けて来た剣による切り傷だった。腹は裂け、背中にも深い裂傷。足には酷い刺傷。戦場で今まで戦って来たかのようだ。傷を消毒し、針と糸で縫って行き包帯を巻く。慣れた手つきに少女はまじまじと見つめていた。

「……ふう」

 ようやく落ち着いたところで小さく息を吐いた。傷は塞がり、流れ続けていた血はようやく止まった。これだけの出血でよくこの雨の中歩いて来たものだ。よく見れば顔は蒼白だった。

「もう大丈夫でしょう」
「本当? ……ああ、よかった。ソラに何かあったら私……」
「一つ、訊いてもいいでしょうか」

 少女は首を傾げた。

「あなたの名前は?」

 すると、少女は一瞬少年の方を見たが、意識を失っている事を思い出して眉を下げた。

「……サヤ。あなたは?」
「僕はリーフ。リーフ=ソフィア」
「そう、リーフ。……助けてくれて、ありがとう」

 ようやく、サヤは笑った。

「今まで、ソラはこの傷抱えて戦っていたの。でも、私じゃ手当て出来なくて……」
「戦っていた?」
「うん。盗賊だとか、追っ手。私達、追われているの」
「一体誰に?」
「……」

 サヤは黙り込むので、質問を変えた。

「一体、何故ですか?」
「何でだろうね。……悪い事は、してないんだよ」

 ふと、サヤはオレンジ色の光に染まったソラの銀髪に触れた。ソラは寝息を立てて胸を上下させている。

「ね、リーフ。悪い事って何かな?」
「悪い事……ですか?」
「泥棒だとか、人を殺すのは悪い事よ。でも、誰かを護る為の殺人だってあるよ。死刑の執行人だって、罪人にはならないでしょう?」
「僕は、罪ではない事の方が少ないと思っていますよ」

 暖炉に眼を移す。パチパチと音を立てて爆ぜる炎は、何処か心の中に安息をもたらした。

「窃盗も殺人も罪です。人は罪を重ねながら生きている」
「生きる事は、悪い事なの?」
「そうかも、知れません」
「じゃあ、どうして人は生まれるの? 一体何の為に生まれて、どんな意味を持って生きていくの?」
「生きる事に意味なんてありませんよ。大勢の死がそれを示しています」

 炎を見ながら、脳裏には墓場が映る。あの殺された少女は、何の為に生まれたんだろう?

「その通りだ」

 何時の間に気が付いたのか、ソラは蒼い瞳に炎を映して言った。

「生きる理由? 生まれた意味? そんなの誰も知らない。当たり前だ、そんなもの無いからだ」

 それは、絶望の言葉に聞こえた。なのに、その眼には絶望なんて存在しない。命を否定しながら、どうして?
 ソラは眼を閉じた。

「生きる事に意味なんてねぇよ」
「でも、人はどんなカタチであっても理由を欲しがる。理由がなければ、生きられないから」

 サヤは小さく言ったが、ソラは答えなかった。代わりに別の事を吐き捨てる。

「理想主義者が、馬鹿な真似してやがる」

 その言葉は、薪と共に爆ぜた。



 数時間経ち、闇と共に夜が訪れた。教会には蝋燭の炎が灯ったが、人気の無さは相変わらず。暖炉の傍で丸くなってサヤは眠りに着いていた。
 その傍に胡座を掻いて、ソラもまた相変わらずそこにいた。

「眠らないのですか?」

 紅茶を片手に話しかけるが、ソラは蒼い目を動かして微かに見ただけだった。

「もう寝た」
「あれっぽっちですか?」

 紅茶を傍に置いたが、ソラはそれに手を伸ばさなかった。

「なあ、神父」
「リーフです」
「お前は役者だな」

 口角を上げて、意地悪っぽくソラは笑った。

「仮面の上に仮面を被って……平然と性悪説唱えてやがる。普通のヤツには出来ねぇよ」
「何を言っているんですか?」
「その冷静な神父の仮面の下は……殺人者……か?」

 心臓が跳ねた。

「お前がそうやって冷たい人間演じてんのは、戒めか? いや……、違うな。これも『逃げ』の一手か」
「何を言っているんですか?」
「言えよ、誰を殺した?」

 心臓が高鳴る。冷や汗が流れた。指先は震えて、視界が霞む。
 ソラは無表情で繰り返した。

「誰を殺した」
「僕は……!」
「そうか、親父か。」

 ソラには、人の心の中が見えているようだった。

 あれは、何年前の事だろうか。あの日も確か、こんな風に雨が降っていた。
 神父の父は立派な人だった。義を重んじ、人々に信頼されていた。僕はただ一人の肉親であるそんな父が大好きで、尊敬していた。何時から狂ったのだろうか。
 父が帝国兵士に金貨を渡している姿を見た。それからすぐに、葬式が行われた。それが何度も繰り返され、不審に思って帝国兵士の後をつけてみれば、兵士は人を殺していたのだ。
 父は、帝国兵士に金を渡して人を殺してもらい、葬式を行って金を儲けていたのだ。それは、神父として有るまじき行為だった。
 その事について口論したあの夜、気付けばナイフを握って、血塗れの父の前に立ち尽くしていた。

「生きる事の意味を否定するのは、親父の命を奪っちまったからだろ? そんなのは逃げだよ。幾ら冷たい自分を演じたり、人助けをして戒めたって事実は変わらないって事に、いい加減気付けよ」
「僕は……!」

 その時、ソラはふっと立ち上がった。

「一つ訊く。……お前、その頬どうした?」
「これは……」

 頬は赤く腫れていた。
 この怪我は、殴られた時に出来たものだ。父が死んだあの日以来、この教会には最悪な客が訪れる。

「窃盗も殺人も確かに悪だよ。でも、そうとしか生きられないヤツもいる。結局、正義や悪なんて少なくとも俺には関係無い」

 ソラは剣を抜いた。それは、鋭く輝く黒刃だった。

「正解や不正解なんてどうでもいいよ。そうやって括られたら、どうせ俺は不正解なんだから」

 入口の扉が軋みながらゆっくりと開いた。雨音に紛れて足音と、金属のぶつかり合う音。
 父が死んで以来訪れる客、帝国兵士は金を求めここへ来る。かつての仕事を強要するのだ。それを断ってからも、嫌がらせに始まり恐喝、周囲への暴力に及んだ。つい最近、ここへ訪れた帝国兵士に殴られた頬はまだ腫れている。

 ソラは、一瞬で視界から姿を消した。次の瞬間には入口から声が上がり、血が舞う。眼には銀色の閃光が一瞬映り、見えるのは倒れていく兵士の姿ばかり。
 最悪の来客は、あっと言う間も無く無言となった。

 ソラは、ようやく剣を納める。

「死刑執行人は悪か……、サヤ様はどうしてか的を得ているよな」

 生きる為に兎を食い殺した獅子は悪ではないだろう?
 ソラはそう訊いた。

「どうして、そんなに堂々と生きられるんですか?」

 涙が零れた。その理由が解らないけども、止まらない。
 自分の弱さが嫌でしょうがないのに、やめる事も出来ない。強くなりたいのに、なれない。正解や不正解も関係無く堂々としていられたらいいのに。

「堂々となんかしてねぇよ。ただ、普通に生きてるだけだ」

 どうして、世界はこんなに冷たいんだろう。生きているだけで、誰かを傷付ける。護れる人になりたいと願う自分も誰かを殺している。

「生きる事って、どうしてこんなにも苦しいんでしょうか?」

 ソラは言った。

「そういうもんだからだよ」

 その時、眼を擦りながらサヤが目を覚ました。

「ソラ……行くの?」
「はい、雨も止みましたから」

 サヤはゆるゆると荷物を纏める。ソラは、再び剣を抜いた。

「これは餞別だ」

 キンッと鋭い音が響いた。次の瞬間、リーフの後方にあった金色に輝く十字架が一刀両断された。

「背負うべき十字架は、もう無い。後はお前の好きにしろ」

 それきり、ソラは振り返らなかった。
 二人の姿は闇に消え、気付けは入口に転がっていたはずの死体も無い。まるで、夢でも見ていたようだ。でも、一刀両断された十字架がそう信じさせてはくれない。暖炉は変わらず爆ぜた。

 その二人がお尋ね者であると気付いたのは、その時だった。
 帝国の第一王女と、最強騎士。サヤ=レィス=ルーサーとソラ=アテナ。
 しかし、それに気付いたところでどうしようと言う気も起きなかった。

 ただ、窓の外には夜明けが迫っていた。