13、棘の道

 頭の中に焼き付いて離れない景色がある。それは決して美しいものなんかじゃなくて、目を背けたくなるような絶望だった。まるでトラウマのように時折フラッシュバックしては胸を締め付ける。俺はあの朝を永遠に忘れる事など出来ない。

「イオさん」

 寂しげな荒地の小高い丘の上から景色を見下ろしていた黒髪の少年は振り返った。炎を称えたような赤い瞳が見つめると、その声の主ははきはきとした口調で続ける。

「会議を始めましょう。もう、集まっています」
「……ああ、解った」

 見下ろしていた景色に背を向け、歩き出す。物寂しい風が黒髪を揺らした。



 革命軍、本拠地。
 簡素なテントの立ち並ぶそこは人がごった返していて、それでも人々の表情は明るい。反帝国を唱える人々の住処である。イオはその人込みを器用に避けながらしっかりと進路を見据えていた。
 とあるテントを通り掛った時、中で椅子に座ったままだった少女が声を掛けた。

「こんにちは、リーダー」
「おう、怪我は良くなったか?」

 イオが尋ねると、少女ははにかんだ様に微笑む。

「うん、ここのお陰ね」
「いいや、殆どはお前の頑張りだよ。……薬も少なくて、ろくな手当ても出来ないままでごめんな」
「そんな事無い! だって、ここに来なければあたし、きっと死んでた」

 視線を落とす少女の頭をくしゃりと撫でた。

「必ず、お前の未来を切り開いてやるからな」

 少女は微笑み、イオもそれ以上は言わずに歩き出した。
 こんな時代じゃなかったらといつも思う。剣を握らなくても護れる時代に生まれたかった。当たり前に生きていられる世界があれば良かった。望むのは簡単で、頭の中ではいつも夢見たいな桃源郷を描いている。でも、実際にそれは何処にも無くて。だから、作るしかなかった。

 およそ一年前、帝国軍が何の前触れも無くイオの村を滅ぼした。
 山奥で細々と暮らす質素な村だった。帝国に関わってはいなかったが、世界が統一されて全ての村や町が帝国の支配下に置かれた事は知ってた。それでもこんな山奥の生活は変わらないはずだった。だって、普通はそうじゃないだろうか。一体、誰がこんな山奥の村に干渉すると言うのか。
 だから、その日もいつも通りの一日が始まると思っていた。

 朝起きると物置の箱の中にいた。自分で入った覚えは無く、そこから何とか抜け出して見ると地獄が広がっていた。
 燃え盛る家や木々、血塗れで横たわる村人。そして、惨殺された両親、友。モノクロの視界で赤い炎と血液だけが鮮明に色付いていた。
 剣による傷、地面に残った馬の蹄。村の中は子供が遊び散らかした部屋のようだった。

 嘘だと願った。
 夢だと信じた。

 それでも何も変わらなかった。

 この世には絶望と言うものがあって、それは一瞬で今までの幸せを打ち崩してしまうものだと知った。
 たった一人生き残って、胸の中に沸いたのは『憎悪』と『憤怒』だった。悪でしかない帝国を滅ぼしてやりたいと思った。自分達をこんな目に合わせたあいつ等を八つ裂きにしてやりたかった。

 殺してやる……!!



「イオさん」

 はっとしてイオは顔を上げた。気付けば過去の悪夢に囚われていたようだ。目の前にいた青年、シロヤは困ったように笑った。

「疲れてんですか?」
「いや、平気だ」

 疲れているなんて弱音は絶対零さない。革命軍のリーダーとなった時に誓った事だ。自分の復讐に皆を巻き込んでいるのに弱音なんか零す権利は無い。
 すると、正面で腕を組んでいた男、ソウジュが言う。

「無理はするな。ここでお前が倒れたら話にならねぇよ」
「大丈夫だよ。……で、裏切り者が何だって?」

 ソウジュの言葉を軽く流してイオが尋ねると、シロヤは真剣な表情に変わって口を開く。

「帝国の騎士が一人、裏切ったんです。それも、王女を連れて」
「王女を連れて? ……サヤ=レィス=ルーサーか」

 シロヤは頷いた。

「その時、レナードを殺したそうです」
「最強騎士を?!」

 今まで革命軍が手を焼いていたのは『騎士』と言う存在だった。彼等は強過ぎた。特に、最強騎士が戦いに出て来たらもう引くしか無かったのだ。
 これはチャンスだ。

「ここで攻め込むべきじゃないか?」

 ソウジュが言った。しかし、イオは頷かない。

「その裏切り者の行方が気になるな。囮の可能性も否定し切れないし、もしかしたらレナードの死も嘘かも知れない」
「慎重だな」
「当たり前だよ」

 イオは力無く笑う。

「俺は、誰も失いたくない」

 誰も傷付かない戦争なんか無い。誰もが幸せになれる道なんか無い。
 進むも戻るも棘だ。自分はみんなをそこに引き込んだと言う事をイオは忘れない。

「シロヤ、その裏切り者の行方を追えるか?」
「やってみます」
「その裏切り者の行動によっては……、名前は?」

 その言い難さにイオは眉を顰めて問う。すると、今度はソウジュが答えた。

「ソラ=アテナ。銀髪に蒼い目をした奇妙な風貌だが、こいつはかなりの曲者だ。……仲間にはなれないと思うぞ」
「仲間にするとかしないとかはまだ考えて無い。ただ、俺は知りたいだけだ」

 何故、帝国を裏切った。何故、王女を連れ去った。何故、仲間を殺した。
 聞きたい事は山ほどある。イオは口角を上げて笑った。これが追い風になれば心強いけども、世の中そんなに甘くは無い。最悪の事態は常に想定しておく。そうすれば、そうなった時にも動き出せるから。

「もし、ソラが敵だったらどうするんですか?」

 シロヤはぽつりと問う。それは悪い方の事態だが、イオは笑う。

「殺すよ。もちろん、俺がね」
「相打ちですか……?」

 最強の騎士を殺したと言う事は、今の世界最強はその男だ。その勝率の低さをシロヤは考えているのだろう。

「相打ちなんか有り得ない。俺は帝国を滅ぼさなきゃならねぇから」

 そう言ったイオの目は、赤だったにも関わらず氷のように冷たかった。復讐に支配された鬼の目だ。ソウジュは少し目を閉じて考え込む。闇の中でもイオの憎しみの炎は瞼を越えて見えていた。この歳でこんな目をする子供がいてはならない、本当ならば。でも、この時代が生み出してしまったのだ。

「誰もが幸せになれる時代だったら、な」

 ソウジュが言ったその願いをイオは知っている。でも、無いから。

「そんなもの、存在しないよ」

 冷たく言い放ってイオはテントの外に出た。
 外には太陽が弱々しく輝く。もう少し南に行けば全てを焼き尽くす灼熱の太陽に変わるのだろうけども。そう、砂漠の太陽に。



 世界は醜い。
 汚くて、ずるい。

 進む先全て地獄で、光なんか無い。
 血塗れで切り開いても、気付けば自分の同じなんだと思った。

 村を滅ぼしたあの鬼たちと自分は同じだ。

 それでも、果さなければならないものがある。
 それが例えどんな未来に導いたとしてもだ。



「……殺してやる……!」

 イオのその呟きが、誰かの耳に届く事は無かった。