14、灯火
目を覚ました時、見覚えの無い洞窟にいた。薄暗くて湿っぽく、肌寒い。
少女が体を起こそうとした時、全身を稲妻のような痛みが貫いた。その痛みでまた後ろに倒れ込む。そのまま、思い出せる限りの記憶を呼び起こした。
名前は、シルフィと言う。家族は無い。流行り病で村が死滅し、たった独り生き延びた。生活力など無かったけれど死にたくなかった。そのまま流れ、寂れた漁村に行き付いた。
生きるには食べ物が必要だった。昔から身軽で素早かったので、盗みを働いた。一度や二度じゃない。何度も何度も。漁村も寂れていた事を考えると食べ物には飢えていただろう。傍の森に住み付いて食料を盗んでいたのが見つかり、縄を打たれて海に捨てられた。向こうも生きるか死ぬかの瀬戸際だったのだ。度々食料を盗まれて、もしかしたら誰かが餓死したかも知れない。かと言って、こちらも謝るつもりは無い。生きる事に必死だったから。
海に沈んで、もう死ぬと思った。そう思いながらも必死に生きようとした。両手を封じられながら死ぬ気で泳いだ。でも、力尽きて、目を閉じた。その時に、誰かの手を感じた。誰かが助けてくれた。
「――目を覚ましたのか」
落ち着いた女性の声。洞窟の入口を背中に顔はよく見えない。
「覚えているか? 縄に巻かれて、海に浮んでいたんだ」
「貴方は……」
女性は背中を向けて火を灯した。洞窟の闇が追い遣られて、暖かなオレンジ色が広がる。
「私か?」
振り向いた女性の横顔が炎に照らされていた。
艶やかな黒髪と意志の強そうな黒い瞳が印象的な美人だ。
「名は、アルス=アルテミスと言う」
「アルス……」
「貴方は?」
「あたしは、シルフィ」
アルスは微笑んだ。
「良い名前だ」
それきりアルスは背を向けた。
どう見ても旅の風体だし、ナイフのような物と弓が荷物の中に覗えるものの、女性一人で旅が出来るほどこの世界は安全じゃない。帝国軍と革命軍の戦いは日々激しさを増しているし、それに紛れて賊が溢れている。病も流行っているし、この世界も永くは無いのかも知れない。
「アルスは一人で旅をしているの?」
「旅……」
アルスは振り向いて、困ったように笑った。
「旅と言う程綺麗なものではない。私は、復讐者だ。ある男を追っている」
「復讐……」
「そう。殺す為に」
パチリと炎が爆ぜ、影が揺れた。
「シルフィは知らないかも知れないが、今、世界が全力で行方を追っている男だ。名を、ソラ=アテナと言う」
シルフィは黙った。聞き覚えの無い変わった名前だ。
「世界最強の騎士で、帝国の裏切り者。王女を誘拐したと聞いている」
話を聞いてシルフィはとんでもない豪傑を想像した。黒い髭を蓄えたニメートルを越える巨体の大男。だが、それにアルスは付け加える。
「姿は、神話の世界のようだよ。銀色の髪に蒼い目。肌は白く、童顔の少年だった」
それでシルフィは想像したものを消し去った。果してそれが、世界最強の名を持つ裏切り者の騎士なのか、と。
「その人は、一体何をしたの?」
「――私の全てを滅ぼした」
そう呟いたアルスの眼は、氷のように冷たかった。感情全てを殺し切った復讐者の目だ。それでも、シルフィに恐怖は無い。
「私の故郷は、雪深い山奥の小さな村だった。決して裕福では無かったが、皆で力を合わせて細々と生きていた」
アルスは目を閉じる。その瞼の裏には故郷が思い出された。家族も友達も、皆。
年中降り積もり白い雪、その中で寒さに強い植物を育て、狩りをして生活をしていた。楽な毎日じゃなく、時には食事にありつけない日もあったし、猛吹雪で外に出られない時もあった。
「楽では無かったけれど、幸せだったよ」
裕福ではなくても、幸せはあった。永遠に村に閉じ込められたって十分だった。
それがある日、突然に破壊された。
村に、鬼が来た。
「突然、あの男が来た。白い鎧にマントを纏って雪の中に溶けるような風体だった。蒼い目がその中で浮び上がり、ギラギラ輝いていたんだ」
遠目にそれを見て、不覚にも美しいと思った。だが、次の瞬間にソラは村人を斬り殺した。
姿に反する真っ黒い剣が振り下ろされ、雪が鮮血に染まった。悲鳴が響き渡り、皆が武器を片手に次々と戦った。
「あの男は突然、私の同胞を殺した。皆戦ったが、殺されて行ったよ。強過ぎた」
雪が赤く染まった。その中でも一際紅く染まっていたのはソラだった。頭から血を被ったように染まり、剣からも血を滴らせていた。
「私は父に物置へ隠された。両親は私を護る為に戦い、死んだ」
呆気無かった。ソラに向かって行ったと同時にソラが剣を一振りして、二人とも死んだ。友も皆そうだ。
やがて、皆殺された。殲滅したと思って、ソラは村を出て行った。
「物置から出た時が一番地獄だったよ。無音の世界だ。……私も出て、戦いたかった」
勝てなくとも、皆と一緒に死にたかった。
なのに、初めて殺されると思った時、怯える事しか出来なかった。
「そうしたら、地響きがした。雪崩を知っているか? 山の斜面の積雪が音なんかが原因で崩れ落ちて来るんだ。咄嗟に私は逃げた。逃げて振り返ったら、村は消えていた」
余りに呆気無い。今までの人生を過ごした場所が一瞬で消えた。
朝起きた時は、変わらない一日が始まると信じて疑わなかったのに。気付けば全て失っていた。
「残ったのは、この弓だけだった」
そう言ってアルスは自分の弓を引き寄せる。黒くに輝く美しい弓だ。弧を描いた中に一本の線のような糸が真っ直ぐピンと張られている。
アルスは言わなかったが、その時最後にソラを見た。雪崩で消え去った村を見て、笑ったのだ。全身真っ赤に染まった姿は雪の中で見付け易かった。向こうは気付かなかっただろうが。
「私は――」
そこで言葉を止め、アルスは洞窟の入り口の方へ向き直った。影が三つ。
「何者だ」
外は夜らしい。曇った空に月が隠れて影がぼんやり浮ぶ。が、その三つの影が中へ一歩足を踏み入れた時、賊だと気付いた。
シルフィは自然、身構える。アルスは弓を持ち、片手に矢を引き寄せた。
「女の子が二人で物騒だね。おじさん達が護ってあげるよ」
「余計な世話だ。失せろ」
賊は顔を見合わせながら喉の奥で乾いた笑いを漏らす。
「気が強いねェ」
笑いながら、また一歩近付く。アルスは睨み付けた。
「死にたいのか?」
「――は?」
その瞬間、アルスから何かが飛び出した。矢だ。眼にも止まらぬ速さで弓を引き、射た。
矢は正確に男の眉間に刺さった。男の体が後ろに傾き、倒れ、二度と起き上がらない事を告げる。途端に二人の男が剣を抜いた。人か何かを斬った形跡があり、刃毀れだらけの汚い剣だ。
「この女!」
ワッと襲い掛かって来たところでアルスは右の男を同じく射た。同時にナイフを抜き、もう一人の喉を掻き切ろうと備える。
だが、男は既に絶命していた。
「――シルフィ」
シルフィが放った細いナイフが、男の喉に刺さっていた。
「こんな技、身に着けたく無かったけど」
困ったようにシルフィは笑った。心臓を直接掴まれるような、哀しい笑顔だ。
アルスはナイフを抜いて血を切り、返した。
「こんな時代だから、ね」
「うん。……生きるには、殺さなきゃならなかったんだ」
アルスはそれが誰に言った言葉なのか少し考え、解った。それは彼女が自分自身に言った言葉なのだ。
そっとシルフィを抱き締めた。お互い、久々に感じる人の温もりだ。
「行き先はあるのか?」
シルフィは首を振った。
「なら、私とおいで。復讐に付き合えとは言わないから」
そう言って、アルスは強く抱き締めた。
「――っ」
シルフィの黒い瞳に涙が堪る。強く眼を閉じると、零れた。
孤独でしかなかった暗い世界に火が灯った。そんな気分だった。
シルフィは何度も頷いた。
久々の温もりが、泣いてしまう程に嬉しかった。
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