15、血溜まり


 不快な雨が毎日降り続けている。食料は腐る一方で、毎日新しいものを探さなければならなかった。
 連日の疲れの為に堪え切れず、ソラは久しぶりに眠った。それでも物音で起きる程度の浅い眠りだ。帝国を脱出してから深い眠りに着けない。不眠症と言う一種の病気だ。
 眠ると決まって同じ夢を見た。
 まず、セルドの死んだ瞬間。

 炎に彼が剣に貫かれた姿が浮かぶ。自分はそれを呆然と見ている。何度見ても助けられないのだ。
 倒れたセルドの声が遠く、そのまま剣を取って賊を殺す。次々に賊は現れて、殺す。

 その間にセルドは死んでしまう。また、助けられない。

 其処で場面があの夜に変わる。
 雨の夜だった。ノックの音が部屋に転がって、扉を開けるとリューヒィは血塗れで立っている。息は荒くて肩に重傷を負っていた。声は震えている。そして、言うのだ。

 逃げろ、と。

 その瞬間に刃がリューヒィを貫く。血飛沫が掛かる。
 崩れるリューヒィの後ろで、レナードは笑っていた。

「死んでくれ、ソラ」

 そう、言うのだ。
 振り翳される黒刃、それに目を閉じる。目を開くと――、自分の折れた白刃がレナードの鎧の継ぎ目に刺さっているのだ。そうして、殺した。

 最後に虫の息をしているリューヒィの傍に歩み寄り、レナードの白刃を翳す。

「ソラ」

 名を呼んだ。が、剣を落とした。

「     」

 リューヒィは最後に何か言った。だが、永遠に聞く事は無くなった。彼は死んだのだから。いや、殺したのだ。
 もう、誰も帰って来ない。

 其処でいつもの夢は終わる。なのに、その日は違った。

 血溜まりの中でレナードを抱き締めて、美しい女性が睨んでいる。何度と無く見て来た憎しみの目だ。殺意が見え、恨みの炎が燃え盛っている。
 見覚えがある。帝国の象徴、金の髪。そして、アメジストの瞳。あれは――。

 あれは、セレス=スカーレット。
 紫水晶の女騎士と呼ばれたレナードの恋人だ。



「――――ッ!」

 ソラは飛び起きた。突然の事にサヤがビクリと肩を跳ねさせる。
 息を荒くして額を抑えると、汗がじわりと滲んでいた。現実世界は真夜中で、辺りは雨音以外の音は存在しない。

「ソラ?」
「――何でも」

 力無くソラは笑い、目を伏せた。セレスの目が忘れられない。憎悪に汚れた目だった。彼女はもっと綺麗な透き通った瞳をしていたのに。

(汚したのは――、俺だ)

 いつも奪うばかりだ。
 護ろうとしても、失ってしまう。セルドもリューヒィもレナードも皆、殺した。

 そうして、生きている。
 ソラは酷く皮肉染みた自嘲の笑みを浮べた。クックックッと喉を鳴らしながら目を覆って上を見上げる。気が狂ったように見えるが、サヤはその手を包むように握り締めた。が、ソラは依然として笑う。
 泣きそうに蒼い瞳が揺れる。サヤは呼ぼうとして、止めた。どんな言葉も届かないと悟ったのだ。

 時々、壊れたように笑う。それは泣くと言う行為の代わりなのだとサヤは最近気付いた。だから、ソラがそうやって笑う時はいつも傍で手を握る。その回数が目に見えて増えていた。
 彼の手は傷だらけだ。剣を握って来た胼胝や肉刺が細い手をボロボロにしているし、火傷のような痕や傷も多い。歳相応に見えない掌だ。
 ソラは手を外して目を落とす。既にサヤは見えていなかった。この時のソラはいつも死人の目をしているから、本当に死んでしまうのではないかとサヤは強く握り締めた。

「時々、俺は何の為に生きているのか解らなくなります」

 そう呟いた。蒼い目は弱々しく揺れている。
 これが、全世界に指名手配される世界最強の騎士だと誰が思うだろうか。まだ二十歳にも満たない少年だ。

「ソラ……」

 名を呼ぶと、ソラは微笑して謝った。

「すみません。何でも、ありませんから」

 今、ソラの生きる意味は一つしかない。サヤを護る事。それだけが唯一の生きる意味だ。
 だから、サヤが死んだならばソラはすぐに自決するだろう。自分に対してはその程度の価値しか持っていなかった。

 生きる事に意味なんて無い。
 時々、そう思わないと遣って行けない。だけど、その反面で泣きたい衝動に駆られる。

「ソラ、死なないで」
「……死にませんよ」

 笑って、剣を抜いた。白刃が静かに光り、遠くの敵意に反応している。耳を澄まし、敵の人数を探った。
 雨音の中で草むらを踏み分ける甲冑の音、騎士だろう。

(一人、二人、三人、四人……六人。騎士が六人か)

 兵士なら迷わず出て行って斬り捨てるが、騎士と言うのはまずい。隠れて遣り過ごすのが一番賢い遣り方だけども出来るかどうか。

 ソラは口に指を当てて息を潜めた。同じくサヤも潜める。
 足音が近付き、通り過ぎる。一つ目、二つ目、三つ目、四つ目、五つ目……。

(――通り過ぎねぇ)

 最後の一人が動かない。ここを中心に探索でもする気だろうか。
 これでは時間の問題だ。ソラは小さく舌打ちし、サヤを見た。

「……サヤ様、俺が戻るまでこうしていて下さい。出来るなら、目を閉じて耳を塞いでいてくれると有り難い」
「解った」

 サヤは身を伏せて目を固く閉じた。そして、耳を塞ぐと闇に支配された無の世界がぽっかりと現れた。それを確認してソラは立った。

 ガサリと茂みが揺れ、居座っていた騎士が振り返る。その目に映ったのは闇に溶けるような黒刃。
 ソラは振り翳した刃を振り下ろし、騎士の頭上に叩き落した。鈍い音が響いて兜が歪む。音に気付いて足音が一斉に近付いて来た。
 一瞬、意識を其方に捕られた隙に騎士の剣が喉元を掠る。線のような傷から血が滲んだ。が、そのまま後ろにターンして騎士の首を裏から切り落とした。ボトン、と首が落ちて鮮血が吹き出す。

「貴様ァ!」

 四人が一気に集まって来た。状況が良くない。
 一人目の剣を潜って交し、そのまま二人目の首を突刺す。その瞬間に後ろに剣が光った。

「――チッ」

 素早く剣を抜き取り、死体を投げ付ける。騎士が動揺した隙に死体事突刺した。残り、三人。
 剣を抜くと血が頬に飛んだ。頭上から剣の気配――振り下ろされた。息吐く間も無い攻撃を転がって避けると、ついさっきの死体にぶつかった。
 しまった、と思う間も無い。また、落ちて来る。その騎士の腹を寝転んだままで蹴り上げた。鎧の上では衝撃は無いだろう。が、時間は稼いだ。
 体制を立て直そうと距離を置き、木を背中に取った、と、思った。気配が違う。
 木じゃない。敵だ。
 振り抜かれた刃を受け止めようと剣を持ち上げたところで、目の上に衝撃を受けた。

「――――ッ」

 熱い。
 瞼が切れた。視界が一気に狭くなり、暗闇が襲う。見えない。敵が、障害物が見えない。
 見えないまま、肩に何かが突き刺さった。

「うあッ」

 剣が肩に刺さった。骨で受け止め、ソラは転がって剣から離れる。
 血が止まらない。腕が上がらない。

(あと、三人)

 ソラは両目を閉じた。闇だ。

(もう、目は捨てよう)

 目に頼るからおかしくなるんだ。
 風の流れ、空気の動き、茂みの音。体中を神経にして動け!

 左右から二つの気配。

(両側から串刺しにする気か)

 趣味が悪い。そう思いながら身を伏せた。騎士の視界からソラの姿が消え、互いの刃が闇に光った。ソラは両足を左右に伸ばし、騎士達の足を思い切り蹴り飛ばす。
 体制を崩した二人の剣が、伸びる。気付いた時にはもう、遅い。

「――うっ」

 闇に呻き声が落ちる。互いの刃が体を突き抜け、支え合うようにしてゆっくりと倒れていった。ゴトン、と鎧の落ちた音が耳に残る。兜の隙間から金髪が血に染まって見えた。
 ソラはすぐに体制を整える。

(最後だ)

 目を閉じ、気配を探る。風を読み、匂いを追う。
 木々のざわめき、雨音、地を踏み締める音。――見つけた。

 気配は背後からだ。ズシリと背中が重くなるような錯覚を覚える。酷い、殺気。神経が研ぎ澄まされている分、肌に刺さるような怒りが感じられた。
 呑まれちゃいけない。自分自身の声を復唱し、呼吸を整える。傷口に心臓があるみたいで、鼓動と共に血が溢れ出た。痛い、と言うよりは熱い。瞼からの流血が頬を伝い、顎から地面に落ちた。
 強く、地面を踏み締める。水を含んだスポンジのようだ。柔らかい。

「帝国騎士がわざわざ裏切り者の追撃か」

 時間を稼ぐつもりでソラは言った。何かに集中しないと意識が飛びそうだ。肩の傷は浅くないが、問題は目だ。目以外のものに頼りきる戦い方は慣れていないから長時間は辛い。
 騎士が、喉を鳴らした。乾いた笑いが雨音に混ざる。

「お前は今、全世界に追われている。帝国にも、革命軍にも」
「? 革命軍に追われる筋合いはないな」
「それだけ、危険だと言う事だ」

 危険だと、ソラはその言葉を心の中で繰り返した。呪文のように心臓を蝕む、あるいは病気のように食い付いて離れない。どちらにせよ、いい言葉ではないが、笑ってやった。

「それは、光栄な事で」

 精一杯の嫌味と共に鼻で笑った。
 雨の匂いの中で鉄の臭いが鼻を突く。眩暈がした。

「俺は別に何もしねェよ。なのに、面倒だな」
「なら、何故サヤ様を誘拐した?」
「誘拐?」

(ああ、そういう事になっているんだっけ)
 納得して苦笑した。帝国というのは実に便利な組織だな、と嫌味を考える。が、それをこの騎士に言うつもりは無い。言ったところで信じないだろうし、意味が無い。彼はここで死ぬのだから。

「じゃあ、アンタはお姫様を救いに来た騎士様って訳だ。最高だね」
「そうさ。悪漢には死んでもらわなきゃならない」

 騎士が剣をゆっくりと持ち上げる。ソラは小さく息を吸った。
 酸素が肺の中に全然入っていかない。蓋がされてしまっているような息苦しさがある。何故だろう。突然、頭がグラリと揺れて足元が浮いているような感覚が襲った。

(ああ、血を流し過ぎたんだな)

 冷静に考え、ソラも剣を持ち上げた。レナードの漆黒の剣だ。

 グッと地面を踏んでみるが、感触がよく解らない。五感の内、視覚と触覚が麻痺しているらしい。加えてこの血の臭いで嗅覚も駄目だ。味覚なんか役に立たない。聴覚だけが頼りになる。
 目だけが頼りになっている正面の男よりは幾らかマシかな。そんな事を思った。

 剣を肩の辺りまで引き上げ、その切っ先を相手に向けた。ジリジリと背を焼くような緊張感が心地良い。
 視覚に頼り切った世界で、ソラの姿がぼんやりと浮かぶ。だが、特徴のある銀髪が血塗れで闇の中に沈み込んでいた。瞳は閉じられ光が無い。
 薄く輝いたまま、動かない。かと思った瞬間、動いた。
 ヒュッと風を切る音、受け止められる、そう思って剣を引き寄せ返り打ちにしようとした。が、地面を踏んだ瞬間嫌な感覚が襲う。水が染み込んでいる。
 引き寄せたまではいいが、其処から動けない。泥の中に足を取られてもがいている内に、ソラは剣を振り下ろした。兜がそれを受け止め、衝撃が脳まで伝わる。何処にそんな力があるのか音が中で反響していた。
 曲は終わらない。そのまま軸足を地面に刺してルーレットのように回転し、剣を首に突刺した。兜と鎧の継ぎ目がぽっかりと開いているのだ。狙わない訳が無い。
 ソラは鎧を着ない。逃げ続ける生活で鎧は枷になる。防具が無い分危険は増すが、その分の素早さがある。
 騎士は小さく呻き声を上げ、自らの喉に手を当てた。掌は真っ赤に染まる。その様を見届け、ソラは首を落とした。


(賊も騎士も皆、死ぬ。呆気ねぇ)

 死体を見下ろしながら、ソラは目を伏せた。
 一人一人顔を確認するが、どれも知らない顔だ。知り合いだからと言ってどうこうと言うつもりは無いが、それらが全て自分より歳を食らった中年のような騎士である事を祈った。だが、違う。最初の一人、子供だ。ソラと同じか、それ以下の少年が鎧を纏ってここにいた。自然と、笑いが腹の底から起こった。
 額を抑えると汗がじんわり滲んでいるようだが、返り血かも知れない。ククッと先程の騎士のように喉を鳴らした。それ以上に皮肉染みた嫌な笑みではあるが。
 顔など笑っていない。今にも泣き出しそうな顔で、声だけで笑った。大笑いした。

「ははははッ!!」

 狂ったような笑い声が闇に響く。ソラは笑い続け、サヤを思い出した。
 フラフラした足取りで記憶していた場所に行くと、サヤが泣きそうな顔を上げた。膝を抱えて蹲っているが、耳など塞いでいない。全部聞いていたのだろうか。悲鳴も、呻き声も、怒声も、全部。
 でも、もう遅い。起こってしまった事象はもう変える事は出来ない。

「……サヤ様、行きましょう」
「ソラ、怪我は……」

 ソラは困ったような笑みを向けた。

「平気です」

 嘘だ。

「追っ手が来ます。行きましょう」

 追っ手など来ない。
 ただ、逃げ出したかった。地獄から、それを作った自分から、今の状況から。
 この森を抜けた頃には朝になる。そうしたら、救われるだろうか?

「ソラ」

 サヤが呼んだが、振り返らなかった。瞼から血が涙のように流れる。肩の傷で腕が上がらない。立ち止まりたい。もう、何もかも嫌だ。死んでしまったらどんなに楽だろう。
 でも、その感情を全ての記憶が叱咤する。これは俺だけの命じゃないんだ、と。

(生きよう。死んじゃいけない)

 奪った命の上で生きなければならない。護る為に生きなければならない。死ぬ事は許されない。
 足がその命令に従って地面を踏み締めた。目が前から逸らせず、耳だけが背後の足音を確認する。

 人形になれたら、どんなに楽だろうか。
 そんな事を考える自分は相当病んでいると思ったが、ソラはその思考を止める事が出来なかった。

 やがて、森が消えた。途端に視界が開ける。目の前に山々が闇に沈み、まるで巨人が構えているような大きな威圧感を覚えた。冷たい風は頬を凪ぎ、そのまま森の木々を揺らしながら闇に消えて行く。
 寒い。そんな風に感じた瞬間、サヤが隣りに立ち、正面が急に明るくなった。金色の光が山の隙間から零れ落ち、景色に色を付けて行く。黒が緑に、小川が金に染まる。
 眩しい。

「……綺麗」

 サヤは目を輝かせて言った。碧の瞳に朝陽が映っている。ソラは片目を細めて眩しさを遣り過ごした。蒼い瞳が血溜まりのように冷え切って沈んでいる。

(綺麗? ただ、遠くまで見えるだけだ)

 そんな事を考えながら、進む道を探した。
 酷く冷たい風が胸の中に吹き込み、通り過ぎていく。穴だらけの心は実に便利だ。どんな風も留まれない。
 冷えた心を抱え、血を拭いながらソラはまた歩き出した。