36、誰かの望むモノ<後編>
誰かに呼ばれたような気がした。
革命軍の本陣で薬や包帯等を纏めていたエルスは顔を上げ、恐らく呼ばれたであろう方向を見るが何も無い。気のせいだろうと目を伏せ、手元の包帯を巻き直す。
この手は今まで多くの命を救う為に戦場から離れた場所で戦って来た。だけど、その中でもやはり救えないものはあって、多くを取り零し、拾い上げる事もままならないまま歩いて来た。戦争が無ければ死者は少なかっただろうが、あのまま帝国に支配された人々が果して本当に生きていると言えるのかと訊かれれば何も言う事は出来ないだろう。
エルスは巻き終えた包帯を置き、次の包帯へと移動した。
外は酷い雨で、武器や食料等の物資が塗れないようにテント内に運び込む人々がてんやわんやと走り回っている。シルフィは歳の近いサヤと何か楽しそうに話していて、リーフは変わらず即席の教会に缶詰状態、イオはリーダーとして北征の準備に引っ張りダコ。メロウは帝国の騎士として色々なところに走り回っているし、アルスは弓の手入れをしていた。
その中でソラは何処かへ消えた。いなくなるのはいつもの事だと溜息混じりにイオが言っていたのが記憶に新しい。とはいえ、その場合ろくな事にならないのだけど。
エルスは包帯を置いてテントの外を覗く。粗方片付いた荷物、雨に塗れながら走るイオの姿を捉えた。
「あ、エルス! ソラ見なかったか?」
「まだ見つかっていなかったの?」
イオは苦笑して顔を袖で拭う。酷い豪雨で雷の低くなく声が聞こえる。さっき呼ばれた気がしたのはこれかとぼんやり考えた。
「一応王宮は探したんだけどな、何処にもいねェ。勿論、この本部にもいないし……」
エルスは少しだけ考え、ふと思い出す。
「墓場は?」
「墓場?」
「王宮からそんなに離れていない場所にあるって聞いた。私なら、真っ先に行く。レナード=ルサファとリューヒィ=ヴァイサーは其処に眠っているのだから」
イオは口を結び、頷いた。
豪雨のせいで視界が悪く、見えるもの全てがぼやけて見える。イオはそれを肘を傘にして防ぎながら先を走るエルスの背中を懸命に追っていた。この酷過ぎる雨の中に本当にソラがいるのかどうかも怪しい。
少し崩れた王宮を越えた先の草原を突っ切ると件の墓場は見えた。本部からは大分離れていたが、まさかこの中で馬に乗れる訳も無い。イオは目を擦りながら墓場に目を凝らす。
所狭しと犇くように並ぶ無数の墓石。かなり大きな墓場だが、ここに眠っているのは帝国のほんの一握りの人間だけだ。この戦争による被害者数を考えると泣きたくなった。
雨のせいで遠くまで見る事は出来ない。足元には薄く水が溜まり、天上からは雷雲の唸る声がした。もしもここに落雷でもしたら全滅じゃないかと考え、背筋が寒くなる。
「手分けして探そう」
エルスはそう言って走り出した。
イオもすぐさま走り出す。最後に見たのは何時だ。こんなに手が掛かるなんて子供じゃあるまいし。だけど、そうやって心の中で悪態吐きながらも放って置けない辺り、お人好しなんだろうと自覚する。
視界の悪い中を走り回ってどのくらい経ったのか、最奥の列に差し掛かり時間の無駄だったかと諦めた時だった。
「――ソラ?」
薄く水の張った地面に突っ伏す見慣れた姿があった。
もう一度叫んで傍に駆け寄り上半身を起こすが目は閉じられたまま開く気配も無い。嫌な予感に冷や汗が頬を伝う。帝国から救出した時を彷彿とさせるような状況だった。
「おい、ソラ!」
「――――?」
揺すると、ソラはゆっくりと瞼を押し上げた。蒼い瞳が見えた事に安心してイオは息を吐く。
ソラは体を起こして額に触れ、自分の意識を確かめている。そして、自分の状況を理解する。二人の墓参りに来てそのまま倒れてしまったのだ。
「情けねェ……」
心の中で呟いた筈の声は喉の奥から発されていた。イオは苦笑しつつソラが立ち上がるのを手伝う。
「余り無茶するなよ」
「……墓参りに来ただけなんだけど、な」
ソラは自分の掌を見詰めた。泥に塗れ汚れた両手がちっぽけに思えた。
吐き出したい感情が頭の中を駆け巡る。でも、どうすればいいのか分からない。喉の奥からは搾り出すような声が窮屈で何度も呼吸を繰り返すが、吸い込むばかりで吐き出す事が出来ない。叫びたい衝動は形に出来ない。
酷く、苦しい。
ヒュゥと細い音がした。
イオは既に背中を向け、その後をソラがついて来ていると思っていたので振り返って驚いた。両手で喉を覆いながら膝を着いている。
「おい、どうした?」
「何でも無い」
声が掠れている。吐き出すべき二酸化炭素が吐き出せない。苦しいけれど、どうすればいいのか。
背中を摩る手に気付いて振り払おうとしたが、もう体が上手く動かせない。苦しい。いや、違う。恐いんだ。
睨むように見詰めた先はリューヒィの墓だ。その墓石の下に彼は今も眠っているのだろうか。
会いたい。
会いたいよ。
「何で」
答えは返って来ない。それが悔しい。吐き出したい沢山の感情が頭の中でループしては重みを増し、益々吐き出せない。何処にも持って行けない。何だ、これは。
頭がパンクしそうだ。今までの記憶が思考回路が詰まる程固まって駆け込んで来る。辛い。苦しい。恐い。気持ち悪い。この世界はずっとそうだ。色々な激情を何も無かったかのように覆い隠して呑み込んでしまう。
――お前の見て来たものが全てと思うな。この世界は、ただ冷たいだけじゃない
――護るべきものがある。たかだか十何年しか生きていないガキが語るな
――何かを護れる人になろう
――人間の目が何で前に付いてるか知ってるか? それはな、そうやって前に進む為なんだよ
――お前が自分の生きる意味が解らないって言うんなら、俺たちがその理由になってやる。だから、そうやって一人で背負い込むな。何の為の、友達なんだよ……
――ソラ……逃げろ……ッ!
――お前は今、死にたいか?
恐い。全身を吹き抜ける冷たい風。
「ソラ、無理するな」
イオの声が遠くに聞こえた。苦しい。お前は誰なんだ。
肩に触れる手を弾き、必死に息を吐き出そうとするが上手く行かない。苦しくて仕方が無いけれど、どうすればいいのか分からない。恐い。
「お前に何が分かる!」
「……ソラ?」
訳が分からずイオは眉を寄せるが、ソラの鋭い視線はイオを通り過ぎてリューヒィの墓石を見ている。
吐き出せない息が、感情が、激情がループする。苦しい。でも、会いたい。もう一度でいいから、会いたいよ。リューヒィが最後に何を言っていたのか教えて欲しい。
このままじゃ沢山の記憶の中に埋もれてしまう。
「落ち着け」
イオの言葉は聞こえている。ソラは黙って呼吸をどうにか整えようとするが、中々上手く行かない。ついさっき、叫んだ瞬間は息が吐き出せたのだけど。
「もう、大丈夫だ」
「何がどう大丈夫なんだ?」
「お前には関係無い」
「何でだよ」
ソラは動きを止めた。この遣り取りはまるで、リューヒィと交したそれではないか。
背筋が寒くなるのを感じ、舌打ちした。
「お前には分からない」
そう言い捨てた瞬間、頬に熱が走った。
体が浮き上がり、背を向けていた墓石に衝突する。内蔵にまで響いた衝撃に呼吸が一瞬停止し、地面に落下してから大きく咳き込んだ。
疼くような痛みを感じて頬に触れる。未だに熱を持っていた。
睨み付けるようにイオを見れば、息を荒くして拳を振り抜いた姿勢のままで此方を睨んでいた。
「……お前は、本当に好い加減にしろ……ッ!」
この豪雨の中で燃え上がっているような怒りが見える気がした。ソラは口の端が切れて滲んでいる血液を手の甲で拭い、その赤を眺める。
「いつになったら、お前は其処から歩き出すんだよ! 甘えてんじゃねェ!」
「俺が甘えてる……?」
ゆらりと立ち上がり、睨み付けたままイオの襟首を掴もうとするが、それよりも早くイオの重いパンチが腹部を襲った。腹の底に響くような、抉り出すような重みにソラはよろりと距離を置き咽返る。イオはそれを睨んでいた。
「世界は動いてんのに、お前はいつまでそうしてんだ! 人に心配掛けさせておきながら関係無ェだァ? ふざけんじゃねェ!」
「お前に俺の何が分かるんだよ!」
「何も言わねェお前の事なんざ誰が分かるってんだ!」
立ち上がったと同時にイオの拳が振り切られたが、読んでいたソラは交しながら顎を蹴り上げる。イオの体が後ろに跳び、追い討ちを掛けるようにソラは馬乗りになって拳を翳し、頬を思い切り殴り付けた。
「分かって欲しいとは、思ってないんだよ!」
「じゃあ、お前は何でッ!」
イオはソラを蹴り飛ばした。ソラは滑るように転がったが、すぐに起き上がってイオを睨んでいる。
「何でそんな目で世界を見てるんだ!」
「……目?」
ソラが動きを止めたところで丁度、イオの拳が右頬を打った。肉を打つ音が豪雨の中響き渡り、ソラは弾けるように転がり込む。息荒くするイオは起き上がらないソラを睨んでいるが、まさか手を差し伸べるつもりはない。
もう、好い加減に気付かなければならないのだ。
「自分が世界をどんな目で見てるか知らないだろ。俺は、お前が諦めた目で世界を眺める度に虫唾が走るね!」
イオの脳裏に今までのソラが過る。今まで見て来たどんなソラも世界を諦観して見詰めていた。でも、そうして諦めている世界をイオはこれまで必死に救おうとして来た。その為に皆戦い傷付いて来た。ソラの背負っているものが軽いとは言わないけれど、イオの背負っているものだって決して小さくはない。
「お前が今までどんな道歩いたかなんて知らねェし、興味も沸かねェ!」
イオは、ソラが起き上がった瞬間に殴り飛ばす。咽返ったソラの喉の奥からは血液が零れていた。だが、それも気にせずにイオは殴り付ける。
「でもな!」
ソラの顔が腫れている。イオが一瞬手を止めた瞬間、ソラはその襟首を掴んで後ろに投げ飛ばした。
激しい音を立てて雨水の地面を滑って墓石に衝突するイオはゆっくりと立ち上がり、未だに膝を着いたままのソラを見下ろしている。
「お前がそうして諦めてる世界は俺達にとっちゃ掛け替えの無い世界なんだよ!」
ソラは、黙った。この言葉は過去に自分がレナードに向かって言った言葉に似ている。
――どんなに汚れた世界でも……必死に生きてるヤツはいるんだよ……!
途端に、吐き出したい衝動が戻って来る。でも、何を吐き出せばいいのか分からない。
咄嗟に喉を抑えたけれど、空気の抜ける奇妙な音しか鳴らない。体中を駆け巡る感情が、激情が吐き出せない。ループするものは何処にも行けない。
恐い。辛い。気持ち悪い。何で、どうして。
答えが欲しい。でも、そんなものは何処にも無い。
「俺だって、生きてんだよ……!」
ソラの搾り出すような声を聞いて、イオは漸く嘗てリーフが言っていた事の意味が分かった。
『生きる』事と『活きる』事は似ていても違うのだ。ここにいるソラは前者だ。呼吸をしているだけの、誰かに望まれるまま形に嵌ろうとしているだけの人形だ。
「それがお前の意思か? 其処にいるお前の名前は本当に、ソラ=アテナかよ」
ソラは答えられない。過去のサヤの生き方が、今の自分にリンクしている。
色々な人と出会う度に沢山の糸が絡まる。それは絆とも言えるけれども、それだけじゃない。他人の背負って来た鎖が絡まる。誰かを自由にする程に自分に振り掛かる。でも、他の生き方なんか今更出来無い。だって、皆がそう望むから。助けてと差し伸ばされる手を無視出来ない。
今まで、無視されて来たから――。
「望まれるまま生きるんじゃねェよ!」
「じゃあ!」
吐き出したい衝動が、零れた。
目頭が熱くなり、生暖かい雫が零れ落ちる。吐き出したい激情が涙として溢れ出る。
「俺に押し付けるなよッ! 俺は神でもなければ英雄でもない下らない一人の人間なんだよ!」
叫びたい言葉が溢れ出る。声帯が震える。
「俺だって恐いんだよ! 死にたくないって思っちまうんだよ! 誰かに、助けて欲しいと縋り付きたいんだよ!」
蒼い瞳が涙に揺れる。吐き出された感情が雨の中に溶け込む。
そうしてずっと抱え込んで来た感情は無視していいものではない。でも、強迫観念によって追い詰められなければならない程重いものでもない。吐き出せばいい。
イオはソラの正面に立った。極度に疲労した体は地面から立ち上がらせてはくれず、ソラは正面に出来た壁に唇を噛み締め、殴られる事を覚悟して硬く目を閉じる。だが、衝撃は何時までも訪れなかった。
イオは、目の前に座り込んだまま動けないソラを真っ直ぐ見詰めている。
「お前は生きたいのか?」
ソラは一瞬、答えに詰まった。これまで何度も繰り返された質問だと思ったけれど、違う。イオの紅い瞳はレナードに似ているけれど、違う。
何時だって『死』を望まれて来た。でも、死ぬ事は許されなかった。どうすればいいのか分からない。でも、願う事は許されるだろうか。望まれなくても、願ってもいいだろうか。
「当たり前だろ……」
どんなに苦しい未来しか残っていなくても生きたかった。でも、生きるには権利や意味が必要だった。だから、誰かに望まれるように生きなければならないと思っていた。
自由なんて何処にも無い。でも、生きるにはそれしか許されなかった。
叫びたかった。吐き出したかった。多くの感情の中で決定される自分の命を見詰めて、助けて欲しかった。
「……全部、吐き出しちまえ」
イオは笑った。
その瞬間、ソラの目から堰を切ったように涙が止まらず零れ出した。喉の奥から溢れ出す声にならない感情が豪雨の中に響く。喉が裂けるんじゃないかと思った。
吐き出す筈の声が無い。イオは泣き出したくなった。
声が無い。
吐き出せばいい筈の感情や激情は、叫び声に出来ない。
其処に、偶然エルスが駆け付けた。
鉛色の空を見上げたまま、声にならない声を発して涙を流すソラは異様だった。側から見れば狂っているようにも見えるその状況で、エルスは何も訊かずに黙ってソラを抱き締めた。
「――――ふっ」
自分を抱き締める腕に縋り付くようにして、ソラは涙を落とした。
「うっ……ふ……」
吐き出せない感情はそのままでいい。だから、零れ落ちるものまで拾い上げなくてもいい。
エルスは無言でソラの頭を幼児にするようにポンポンと撫でる。ソラの硬く閉じられた瞼の下から零れ落ちる雫は涙なのか雨なのか分からないけれど。
全てを守り切る事なんて出来ない。ましてや、ここにいるのは二十歳にも満たない子供だ。こんな少年達にこの世界は残酷な程に冷たい。背負わせたものは重過ぎて、大人ですら出来ない事を押し付けられて崩れようとしている。
世界には彼が必要だったけれど、各地で吹き出る不満の捌け口として生かされ続けた少年は、こうして自分の中の感情を吐き出す事すら出来なくなってしまった。
大人が背負うべき責を負わされた子供達。
エルスはソラを抱き締め、人知れず泣いた。
イオは二人を見詰めて背を向ける。振り向いた先はリューヒィとレナードの墓だ。
「ソラ!」
叫んだ声が墓場に響く。イオは背中を向けたまま、まるで其処にいる二人に誓うかのように続けた。
「俺がお前を置いては行かない! ここに、お前の親友がいるんだろ?」
漸く振り向いたイオ。ソラの顔はエルスの腕の中に埋まっていて見る事は出来なかったが、それを確認すると再び墓石に向き直る。
「今から俺がお前の親友だ! 覚えとけ、俺の名前はイオ=フレイマー! 分かったか!」
返事は無かったけれど、その声は豪雨と雷鳴の中で酷く響いていた。
嗚咽を漏らしながらも、胸の中に在る多くのものを吐き出せないままでいたソラはくぐもった声で呟く。
「……本当の願いは、何時だって叶わないから」
その聞き取り難さにイオは眉を寄せつつ傍にしゃがみ込んだ。エルスに抱えられている様は、世界最強なんてものを背負っているように見えなくて、ただ、余りにも哀し過ぎる子供でしか無かった。
そんな子供は、豪雨の中に掻き消されそうな声で続ける。
「何時も諦めながら生きてた……」
始めは、セルドを死なせてしまった時だ。
何も分からないまま、あの地獄のようなスラムで生きていた自分を救ってくれたセルド。其処から始まった生活は決して裕福では無かったけれど、光の中でとても温かくて、其れが何時までも続けばいいと願っていた。
王や貴族が思い描くような富や名誉なんて要らない。ただ、その温もりと一緒に生きられたら良かった。
でも、叶わなかった。
綺麗事を振り翳した自分の手は小さくて、愚かだった。
それから、レナードとリューヒィ、サヤに出会った。
幸せと言うものを知ったから、其れがどんな形でも、自分を包んでくれる皆を守る為に強くなろうと思った。其の為にどんなに傷付いても構わない。だから、守りたかった。
でも、叶わなかった。
僅かな大切なものさえも守れずに、生き残った。
もう、生きたいとは願えなかった。
選ぶ事で大切なものを失わなければならないなら、選択肢なんて無くっていい。幸せも命もいらない。せめて、たった一人の少女を守りたい。
多くを諦めながら歩いた。
見える景色は色を失っていた。何も分からなくても、彼女が幸せなら其れだけで良かった。例え、傍にいられなくても。
「どれだけ苦しくても構わない。だから、せめて、守りたかったんだ」
願いは、祈りは、叫びは、それだけだった。
世界は冷たくて、何時だって凍えていた気がする。大切な思い出が血に染まらぬように必死で抱え込んでいたけれど、気付けはどれも血塗れだった。
血塗れだったのは、掌だ。触れるもの全てを汚し、壊し、傷付ける。
それでも、守りたかった。
「それだけだったんだ」
雨の中に掻き消されるような呟きを拾い上げて、イオは唇を噛み締めた。
願ったものは決して大き過ぎる傲慢なものではない。それなのに、失ってばかりいるのはどうして。
この世には、どんなに必死になっても叶わない願いがある。だけど、願う事すら許されないのはどうして。
「お前の願いは、こんなところで終わらせてやらない」
イオは言った。
「俺達は失われてなんかやらない。俺は、お前なんかに守られてやらない。お前を見捨ててなんかやらない。一人になんかさせない。お前のせいで傷付いてなんかやらない」
ソラは顔を上げ、イオの言おうとしている事を汲み取ろうとしている。その蒼い目には涙なんてもう見えない。
そうやって隠す事ばかり上手くなってどうするんだ。怒鳴り付けたい気持ちを抑えながらイオは続けた。
「代わりに、走り疲れたお前の手を掴んで引っ張ってやる。行くところまで行ったら、隣りに座って一緒に酒でも呑んでやるよ」
イオは、笑った。ソラは顔を伏せ、肩を震わせる。泣いているのかと思ったが、すぐに顔を上げてソラは笑い出した。
雨が少しだけ弱くなっている。其の中に響き渡る笑い声、イオもつられて腹を抱えた。
丁度、心配したリーフやサヤ達は墓場の入口まで駆け付けたが、大笑いする彼等を見て首を傾げるばかりだ。ソラとイオは二人で笑い合っている。
ソラは、イオの手を借りて立ち上がり、リューヒィとレナードの墓に向き直った。
祈りの言葉も、感情吐露の言葉も知らない。だから、人知れず胸に誓った。
今も口に出来ない傲慢な願いは、其のままでいいだろう。
「俺も、全てを守りたいって願ってたよ」
イオはソラを見ずに独り言のように言った。
「でも、俺は神じゃない。不可能を沢山抱えるちっぽけな一人のガキでしかない。全てを守り切る事も、抱え込んで走り続ける事も、一人で終わらせる事も出来ない。多くの犠牲無しに掴み取る事は出来ない」
「……神なら、可能だっただろうか」
イオは首を振った。
「人は神なんかじゃない。だから、俺達はこうして地面に足を着けて歩いて行く。多くを取り零しては拾い上げて、背負い切れないなら分け合って」
そして、イオは拳をソラの方に向ける。ソラは其の意味を悟って自分の拳をぶつけた。
鈍い痛みを感じつつ、見上げた空は驚く程蒼く澄み渡っていた。
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