40、結末


 あの頃思い描いた未来は、信じ続けた未来は来なかった。
 でも、俺、一生懸命遣ったんだぜ? ちょっとくらい、褒められたっていいだろ?

 なあ、皆……。



 ソラは、目を開けた。静寂に包まれた広場は不気味でもある。
 この公開処刑に集まった人民の群れ、溢れる憎悪が真っ直ぐ自分へと向けられていた。脳裏を駆け巡った走馬灯はもう戻っては来ない。
 少しだけ、笑った。

 背後の神父はもう何も訊かないだろう。どんなに情けを掛けたところでソラは残酷な殺人者以外のものを演じるつもりはない。安っぽい綺麗事なんかで誤魔化す事は出来ないのだから。

 広場に詰まった人々の中には見覚えのある顔もある。此方を見て何か縋り付くような目で訴えているけれど、もう届かない。



「吊るせ!」

 初老の神父の声が高々と響き、ソラは微かに開いた口から息を零す。その瞬間に足元の床が開き、支えを失ったソラは重力に従って落下した――。







「それで、どうなったの?」

 日溜りの中、リーフの前に座っていた少女が泣きそうな目で首を傾げた。
 リーフは戦争が終わった後も変わらず神父として深い傷痕の残る世界に貢献している。教会には連日人が溢れているのはその人柄だろう。今では信仰なんて殆ど無かったメロウ等も訪れる。
 子供達も好き好んで訪れるので日々賑わいを見せ、平和を感じさせる世界でリーフは今も生きている。

 あの戦争が終わってから八年の月日が流れ、リーフ達も歳を取った。
 傷はまだ癒えないが、流れる月日は多くの感情を風化させて来た。起こった革命は今も親から子供へと語り継がれ、そう遠くない未来には伝説、もしくは神話のようになるのかも知れない。

 教会でもその革命は語り広げている。それは、同じ歴史を、過ちを繰り返させない為だ。戦争が終わった後に生まれた子供達はあの苦しみを知らないけれど、永遠に知らせたくはない。あの苦しみを味わわせたくはないのだ。
 だから、リーフは其の頃の憎悪や悲愴や憤怒、絶望を語る。聞いている子供達は時には泣きながらも戦争を知る。だが、何の気紛れかリーフはこの日、戦争が終わってから初めて歴史上から抹殺された『ソラ=アテナ』の話をした。

「ソラは死んじゃったの?」

 話し終えたリーフに子供達は同じ質問を繰り返す。リーフは苦笑し、膝の上に広げてあったハードカバーの分厚い本を音を立てて閉じた。
 そして、顔を上げると潤んだ目で見詰める子供達の顔が並んでいる。

「……死んだよ」

 そう言った瞬間、子供達が抗議するような声を上げた。リーフは意味深な笑顔を浮かべたまま椅子を立ち、本を元の場所に戻そうと本棚の方に歩き出す。そうすると、傍の椅子に座って無言で話を聞いていたシルフィは可笑しそうに鼻で笑った。

「何か?」
「……世界は大罪を犯したんだって思っただけ」

 リーフは複雑だった。どんな言葉を使えばいいのか分からない。面倒だと思い、こんな事なら長い間誰にも語らなかったこの物語を話さなければ良かったと思った。
 だが、その脳裏にはあの公開処刑の日が思い出されている。








 掛かっていた白い縄は細い首に食い込み、奇妙な形で停止する。軋む音と共に等間隔でソラの体が揺れた。
 後ろ手に縛られたソラに抵抗等出来る訳も無い。喉は圧迫されて呼吸が出来ず、早く終わりたいのに無意識の内に必死で息をしようとしている自分がいる事にソラは気付かなかった。それがどういう事なのかも分からない。確実に死は近付き、目の前で待っている。


 イオはソラの体が落下した瞬間、拳を握った。リズミカルに揺れる細い体、今動いている心臓が停止するのは時間の問題だ。死ぬ。
 其の時、今まさに死のうとしている其の少年の声が脳裏に蘇った。

――俺だって恐いんだよ! 死にたくないって思っちまうんだよ! 誰かに、助けて欲しいと縋り付きたいんだよ!

 あの時、少しだけ吐き出した言葉を思い出す。其処には嘘なんて無かった筈だ。
 言葉を理解するよりも早く、体は動き出していた。

 傍にいた馬の手綱を奪い取って跨る。持ち主の驚いた声が背中に突き刺さるが無視した。戦場を駆け抜けていただけあってその技術は素人の域ではない。その持てる技術の粋を集め、イオは疾走した。
 広場に蹄の乾いた音が響き渡る。人々のざわめきの中で馬は駆け、自然と道は目の前に作られていた。


「その処刑待ったァ!!」


 イオの声が響く。蹄の音はソラのいる処刑台まで駆けている。
 どよめく人込みの中、王宮の窓から広場を見ていたサヤは心臓が高鳴るのが分かった。

 朦朧とする意識の中、ソラは薄く開いた目で茶色い何かが近付いている事を知った。だが、その到着よりもソラの死は早い。呼吸は停止しようとしていた。
 それでも、イオは懸命に手を伸ばした。こんな事をしてただで済む訳は無いけれど、死なせたくなかった。こんなにも必死に生きて来た少年を、守る為だけに戦って来た少年を殺してはいけない。
 間違っている。どうして、ここまで自分の意思で生きる事も許されずに自分自身を抹殺し続けた彼が、世界の罪を一人で全て背負い込んで殺されなければならないのだろうか。

 だが、どんなに必死に手を伸ばしても届かない。
 また、届かない。何度伸ばしても届かないのだろうか。

 ソラはそれを悟ったのか無意識か、イオの方に向かって微笑んだ。その笑みにイオは心が軋むような痛みを覚える。その儚さを見る度に死なせたくないと必死で願うのだ。
 届かない掌。ソラの意識が消えようとする瞬間、戦場で聞き慣れたあの細い音がした。ひゅ、と一本の矢が空気を裂いて行く。放たれた矢はソラの首を吊るす縄を見事な腕前で裂き、強制的に停止させていた呼吸を再開させた。
 縄が切れた事のよって落下したソラの体をイオが受け止める。誰もがその展開に呆然とする中、何処かから拍手のような音がしていた。

「……ッ……ゴホッ……!」

 咽返るソラは馬上で必死に呼吸を繰り返す。目には涙が堪っているが、そのまま背後のイオを睨んだ。

「何、で……!」
「死にたくなかったんだろ……。俺は、生きたいと言っていたお前を死なせたくない」

 イオはすぐさま手綱を引いて元の道を引き返そうとする。だが、其の道は既に兵士によって塞がれていた。
 流石に冷や汗が頬を伝う。ソラは縄の痕の残る首を撫でながら馬を下りようとした。

「離せ、ここで俺が死ねば全部丸く収まるんだよ……!」
「じゃあ、俺達の気持ちはどうやって消化すればいいんだ!」

 下りようとするソラを抑えつけたままイオは叫んだ。
 決死の覚悟を決めて手綱を握り締めた瞬間、目の前の道を塞いでいた兵士達が一瞬にして一掃された。

 バタバタと倒れて行く兵士、辺りから轟く悲鳴。作られた道の中央には剣を携えた人影が二つ、立ち塞がるようにして在った。
 其処にある姿を呆然と見詰め、ソラは其の名を口にした。

「ケルマ……ローズ……。何で……?」

 ケルマとローズはソラを見て微笑んだ。
 自然とイオの口が弧を描き、馬の横腹を蹴った。地面を蹴った馬は勢い良く飛び出して乾いた音を響かせる。ケルマとローズは周りの兵士を抑えるように剣を振っている。流石に玄人である。
 そして、馬と擦れ違う瞬間にローズが振り返った。

「イオさん、ソラ先輩を頼みますよ」

 そして、馬の方を向いたローズは剣を振り下ろす。イオはその剣圧を感じたが、ソラの両手を後ろで縛る縄はパラリと切り外された。ソラは自由になった手を見詰め、目を丸くする。

「何で……?」

 何故、彼等がこうして助けてくれるのか分からない。彼等に何のメリットがあると言うのか。
 不意に見上げた立ち並ぶ建物の一つ、其の上に細い人影が見える。アルスだ。弓を携え、日光を背中に浴びながら此方を見て微笑んでいる。

 訳が分からない。
 ここで自分が死ねば、この世界は何の綻びも無く平和を迎えられる筈だ。其の為に生きたんだと思っていた。

「約束した筈だ。誰がお前を死なすかよ」

 立ち塞ぐ兵士から馬上の二人を守るように、メロウが踊り出る。益々ソラは困惑するばかりだった。
 どうして、だろうか。

「お前一人に背負わせる訳、無いだろ」

 イオはそう言って手綱を引く。馬はメロウの横を走り抜けた。
 背後で聞こえる声が驚愕や憎悪だけではないのだと、ソラは気付いた。聞こえる声に拍手が混ざっている。どうして。
 誰かが「行け」と叫んでいる。
 だから、馬は走る。

 どうして。

「これだけ、自分を犠牲に人の為に生きたんだ。そろそろ、お前の人生始めたらどうだよ」

 イオの声に振り返ろうとするが、余りの速さにそれは適わなかった。
 だが、その耳にイオではない他の誰かの声が届いた。掠れるような、それでいて優しい声。

――お疲れ

 それが、レナードの声だと気付くのに時間がかかった。だけど、気付いた瞬間に涙が零れ落ちた。
 もう、背負って来たものを下ろす事は許されるのか。吐き出せなかった激情を出す事は認められるだろうか。もう、自分の為に歩き出してもいいのだろうか。
 笑ってもいい?
 泣いてもいい?

 生きても、いいですか?

 零れ落ちる涙は拭えない。頬を伝う涙が後ろに流れて行き、イオはその雫が流れて染み込んで行くのを黙って見ている

 届かなかった手は、漸く届いた。こうして、多くの人の力を借りながらも届いたのだ。
 随分と時間は掛かってしまったけれど。

 ソラの耳には声が聞こえている。昔、もう届かないものと諦めていた過去の、どうしても忘れる事の出来なかった声が帰って来る。
 涙が零れるのは、その諦めていたものが帰って来てくれたせいだ。二度と届かないと思っていた声。
 リューヒィが何を言っていたのか、分かった。聞こえなかった訳が無いのに、どうして分からなかったんだろうか。あの死に際のリューヒィに剣を下ろしたと言う事実が余りにも大き過ぎた。でも、声が帰って来る。

――頑張れ

 どうして、あの瞬間にリューヒィはそんな事を言ってくれたんだろう。
 あんなにも優しかったリューヒィに何も返せなかったと言う事が、今は悔しくて仕方が無い。

 守りたかったんだ、ずっと。

 ソラは涙を拭い、遠く離れて行く広場を振り返った。イオがいる上離れているのでよく分からなかったが、王宮のテラスの欄干から身を乗り出しているのはサヤだろう。あの子は泣いているだろうか。

「……イオ、ちょっと気を付けてくれ」

 ソラはそう言って馬の上に立ち上がった。凄まじい速度で走り抜ける不安定な馬の背中に立つのでイオは慌てて手綱を持ち直す。訳が分からないままだったが、ソラは器用に立って広場を振り返る。そして、大きく息を吸い込んだ。

「サヤ!!」

 腹の底から発した声は広場だけでなく建物に反響して遠くまで響く。


「何時か……、何時の日か必ず迎えに来るから!! 待ってろ!!」


 サヤの瞳から涙が零れた事等、ソラは知らない。
 そのまま馬に座り直すとすぐにイオが茶化すように言った。

「プロポーズかよ」

 ソラは答えなかったが、耳が少し紅かったのでイオは笑ってしまった。あの世界最強と恐れられた男がこの様なんだから、人々がソラの本当の姿を知ったらどうなるのだろうか。
 そんな事を思いながらもイオは手綱を引く。馬は疾走し、町を飛び出していた。



 その後の二人の行方は、知れない。
 だが、メロウやケルマ、ローズ、アルス達が裁かれ罪を負う事は無かった。それは、世界が下したソラに対する評価の一つだったのかも知れない。







 リーフはその時を思い出して苦笑した。あの場にいた人々も知っているのは其処までだろう。ソラとイオは姿を消し、二度とは戻って来なかった。そのまま何処かで生きているかも知れないし、死んだかも知れない。そう、生死さえ分からないのだ。
 だけど、この語られなかった物語には続きがある。

 シルフィは大きく背伸びをして窓の外を眺めた。
 雲一つ無い真っ青な青空が広がっている。時折過る名も無き白い鳥の群れ、輝く日輪。この平和の為に傷付いた人や死んだ人がいる事を彼女達は忘れない。
 部屋の中にはリーフを責める子供達の賑やかな声が溢れている。リーフは軽く返事をしながら本を戻した。

 丁度其の時、扉から乾いたノックの音が部屋の中に転がった。
 中の返事を聞くよりも早く扉は開き、外からの太陽の光を浴びて人影を浮び上がらせる。

「リーフ、母上からの伝言だよ」

 扉の向こうから現れたのは、一人の少年だった。
 日光を浴びて輝く『銀色』の髪は短く、微風に揺れている。整った顔立ちは、やはり覚えのあるものだ。

「退屈だから遊びに来てくれってさ」

 少年は面倒臭そうにそう言うと、部屋の中に入ってシルフィの隣に座った。リーフは苦笑する。

「サヤも相変わらずだね。それに比べて、『ダイヤ』は大分王子らしくなって来たのかな?」

 ダイヤと呼ばれた少年は銀髪を掻き揚げて「当たり前だろ?」と少し照れ臭そうに笑う。そうして、『蒼い』瞳を瞬かせるのだ。


 サヤが子供を身篭ったのは、公開処刑がその結末を迎えてから数年経った頃だった。彼女は結婚しておらず、父親が誰かと言う事は身近なリーフ達にも告げる事はしなかった。だが、やがて生まれた子供の容姿を見た時誰もが其の父親が誰かを悟った。
 彼は生きている。きっと、一人の立派な大人となって。


 其の時、再びノックの音が転がった。今度はリーフが返事をしてから扉は開く。現れたのは――。

「よう」

 まるで、何時も会っているかのような素振りでその男は軽く手を上げて言った。リーフやシルフィは動きを止めてその男を穴が開く程見ている。
 短い黒髪と柘榴石を嵌め込んだような瞳の男ははにかんだように笑う。

「久しぶりだな、九年ぶりくらい?」

 イオ=フレイマーは、其処に立っていた。
 リーフはクッと笑う。懐かしさに泣いて抱き付くのもいいが、その態度が余りにも普通だったので笑ってしまったのだ。

「……今まで音信不通で何をしていたんだ?」
「仕事してたさ」

 そう言ってイオは目を遣り、ダイヤは不思議そうに首を傾げた。

「知り合いだったの? 其の人は、母上お抱えの貿易商人だよ」

 リーフははっとして見たが、イオはにやりと不敵に笑っただけだった。なるほど、とリーフは納得する。
 あのまま消えたと見せかけて、そんな風に王宮とコンタクトを取っているとは知らなかった。

「貿易商人なんかしてるとはね」
「そうすれば色々なところに行ける。……俺達は、お前等とは違う場所から世界を守っているよ」
「達?」

 今度はシルフィははっとした。イオはやはり笑ってダイヤを見る。

「今日は一人なの?」

 ダイヤの問い掛けに、イオは首を振った。

「少し遅れて来るよ」
「良かったァ。剣を教えて貰う約束してんだ」

 ダイヤは嬉しそうに笑って窓の外から、其の男の到着を待っている。
 そして、其の男の到着を知ったダイヤは「あっ」声を上げて部屋を飛び出して行った。扉の閉まる音が響き、リーフはそっと窓の向こうを覗き込む。
 光を背負った男が、昔と変わらぬ風で凛と佇んでいる。其処に駆け付けたダイヤは飛び付いた。

「教えてくれてもいいだろうに」

 その光景を見ながら、不満そうにリーフが言う。だが、イオは苦笑した。

「メロウ達は知ってた。でも、アイツは指名手配みたいなもんだからさ」

 覗き込んだところに立っている男の髪は黒いが、恐らく偽物だろう。本当は、透き通るような『銀髪』をしているに違いないのだ。
 イオは笑っている。

「今は、リューヒィと名乗っている」

 リーフは笑った。アイツらしい、と。
 窓の向こうでダイヤと何か話していた男はリーフに気付くと照れ臭そうに笑った。ダイヤそっくりの笑顔。間違い無く、彼こそが父親なのだろう。

「ダイヤは知っているのか?」
「いや。……いつかアイツが言うまで、俺は知らん顔しておくつもりだよ」

 イオはリーフの隣りから窓を覗き、手を振る。
 光に溢れた世界で手を振り返した男の瞳は、色が存在しないのかと思う程に透き通った蒼い瞳をしていた。その輝きは誰にも触れられず、壊す事も出来ないものだろう。まるで、最強の硬度を持つ『ダイヤモンド』のように。

 そう、ダイヤモンドは世界最強の硬度を誇る。
 そして、その美しさは人々を長く魅了し続けている。


 帝国が滅んだこの世界を人は『ダイヤモンド』と呼んでいる。それは、単純にサヤの子供の名の由来を取ったのかも知れないし、この平和が壊れる事無く永遠に続くようにと言う悲しいまでに強い願いから来るものかも知れない。
 だが、その名を持つ少年がこの世界には、いる。



 ソラは、自分の正体を明かさないまま息子に向かって笑い掛けた。ダイヤも笑顔を返すが、其れがそっくりだと言う事に二人は気付いただろか。

「今日こそ剣を教えてくれるんだろ?」

 ダイヤがせがむが、ソラは苦笑した。

「今は剣なんか使わないで済むんだ。それより勉強しろって」
「退屈なんだよ」

 ソラは笑い、その銀髪をくしゃりと撫でた。

「じゃあ、昔話をしてやるよ」
「えー。どうせ、革命の事だろ?」
「ああ、そうだよ。でも、その中で語られなかった話をしてやる」

 そう言うとダイヤの目が輝いた。
 ソラは微笑み、窓の向こうで覗き込んで来るイオ達に手を振って歩き出す。其の片手はダイヤと繋いでいる。


 この手は、多くのものを失って来たけれど。

 こうして、また手を繋いで歩き出す事が出来る。



 あの頃思い描いた未来は来なかった。苦しかった過去には英雄なんてものは存在しなかったし、神様も手を差し伸べてはくれなかった。だけど、今はこうして歩き出す事が出来る。
 胸を張れるような生き方は出来なかった。後ろめたい思い出は幾つもある。しなければならない謝罪もあるし、届かなかった感謝も残っている。綻びだらけの中でもこうして掴んだものがある。

 生きているのだから、何度でも歩き出せる。

 生きる意味や生まれた理由を問う事はあれからしていない。だって、そんなものに価値は無い。
 答えなんかもういらない。無くたって生きて行けるし、必要なら勝手に作り出せばいい。



 歴史上から抹殺されたこの物語は、決してバッドエンドなんかじゃない。だから、もう涙なんて流さなくっていいのだ。
 でも、どうしても悲しいなら泣いていい。その代わり、最後には笑えるように。
 綺麗事では語り切れない苦しみから歩き出したって美しくは飾れず、薄汚い真実は真っ直ぐ其処に在り続けている。だから、有りのままを受け止めていかなければならないのだと知った。それがどんなに苦しい事かは身を持って分かる。

 前進とは代償を伴うものだ。
 其れは痛みかも知れないし、疲労で済むかも知れない。それが苦しい時があるかも知れないけれど。



 俺の人生の幸運は、こうして生きている事だ。
 それから、心を許せる仲間に出会えた事。



 幸せなんて知らない。見た事も無い。でも、ここにあるものがそうならば誰にも奪わせたりしない。
 今度こそ、守れるように。



「リューヒィ」

 ダイヤはソラの方を見た。蒼い瞳は煌き、過去の自分のようながらんどうになる事は無いだろう。其の瞳は、真っ直ぐ見詰めている。

「アンタを、こう呼んでもいいだろうか」

 少し大人びた口調で、言うのだ。

「親父って」

 ソラは答えられなかった。何時の間に気付いたのだろうか。

「昔話をしてよ、アンタの歩いた語られなかった物語を――」

 ダイヤは微笑む。そして、ソラは返事の代わりに笑顔を返した。

 まだ、剣を捨て去るには早い世界。完全な平和が訪れるまではまだ僅かに時間がかかり、今も何処かで戦乱は続いている。だから、ソラはまだ剣を捨てない。まだ、戦っている。
 其処にしか見つけられなかった居場所。帰る場所はやはり、其処かも知れない。だけど、今度は生きる為に戦いたいのだ。



「これは、俺が信じ続けた未来の結末――」



 ソラは、語り始めた。






END.