6、騎士


 帝国が世界を統一したのはまだ三十年ほど前の事だ。それ以前は乱世、もしくは戦乱と言うのか。文字通り『弱肉強食』の自然界のような時代だったと言う。
 生きる為に、奪い、殺す。そこに安息は無かっただろうけども、遥かに広がる自由が存在していた。漠然とした『無』の時間が。

 帝国を否定する訳じゃない。
 統一が起こった事で失われたものはあっただろうけども、確かに得たものはあるのだから。



 ソラは大きく背伸びした。空は真っ青で気持ちがいいくらいで、ふわふわの雲がゆっくりと流れている。明日の天気は恐らく『晴天』だ。
 帝国の国王宮、中庭。大きな樹の木陰の下、手入れの行き届いた芝生の上でソラは寝転んでいた。

 レナードから騎士団への入団を半ば強引に決められたのはもう一週間も前の事で、その二日後に他の多くの騎士と手合わせしたがソラと並ぶ者はいなかった。それ以来、ソラは兵士や騎士達の稽古場へは足を運んでいない。無駄だと悟ったからだ。

 ここに来てから剣を抜く事は殆ど無く、命を奪った数はゼロ。生きる為に何かをする必要は無くなった。ただ呼吸をしていれば生きて行ける。そんな場所。
 訪れたのは莫大な時間。何も無い『無』の時間が津波のように押し寄せて来た。

『する事が無いなら、本でも読めば?』

 そう言ったのはリューヒィだ。でも、俺は文字が読めない。そうしたら、『じゃあ、今文字を覚えればいいじゃん』と言った。
 だけど、それが一体何の役に立つと言うのか。沢山の格言を知っていたら生きられる? 何桁もの数を計算出来たら殺されない? そんな馬鹿な話あるか。この世界が弱肉強食である以上、そんな事が出来るのは囲いの中で生きてる人間だけ。
 それに、本なんか読んで何になる。夢を持ったところで幸せになれる訳でも無いし、哲学を理解しようが関係無い。人に指図されるのは嫌いだ。人に決められるな、と教えたのはセルドだった。

『お前の人生だ。流されるな、命令されるな、ただ前を見据えろ』

 でも、それもまた一つの指図であると気付いたのは最近の事だ。
 人間なんて、自分の意思だけで生きて行けるほど強い生物じゃないんだよ。何処かで誰かに依存しながら、傷付く事を恐れ、何かを奪う。独りぼっちで生きれば楽なのに、それも出来ない。

 中でも俺は一、二を争う弱者だ。
 適当な屁理屈並べて、自分の罪を正当化しようとする。でも、そこまで悪にもなり切れなくて馬鹿な自分を見下す事で自分を保ってる。
 そんな弱い自分が大嫌いだった。卑小で、陰湿で、吐き気がする。



「こんにちは?」

 ひょいと覗き込んで来たのは金髪の少女だった。
 ぼーっとしていたせいで気配にも気付かず、ソラはぎょっとして慌てて起き上がる。そんな様子を見て少女はクスクスと小さく笑った。

「見ない顔ね。新しい人?」
「……そっちこそ。」

 金髪碧眼の少女。その碧の目は、リューヒィのそれとは比べ物にならないくらいに美しかった。取り出せば宝石として高値で売れそうだ。春の深緑を称えたような、綺麗な目。

「私は永くここにいるよ。生まれた時から……ずっと」
「へぇ。でも、俺は知らない」
「じゃ、あなたの方が新しい人ね」
「そういう事になるな」

 丁寧な話し方に、上品な素振り。どこぞの大臣の箱入り娘かと思うと反吐が出る。

「あなた名前は?」
「……ソラ=アテナだ」
「そう、私はサヤ。よろしく、ソラ」

 サヤはにこりと柔らかく笑ったが、ソラは無表情のままで見つめる。そして、ポツリと言った。

「……酷く、虚ろだな」
「え?」
「置物みたいだって事だ」

 ソラが、サヤの目を『宝石』だと例えたのはそれがまるで無機質な石のようだからだ。命と言うものが感じられない。

「生きる事を、諦めてる目だ」

 ソラがはっきりと言うと、サヤは少しだけきょとんとした後で可笑しそうに笑った。

「そうかも知れないね。私は、生きる事を拒絶してる。……一体、何の為に生きてるのか解らない」

 その問いは、ソラが持ち続けた疑問と同じだった。
 生きる意味、存在する意義。何の為に生まれ、何の権限があって殺し、生き残るのか。そして、そこにどんな価値があるのか。
 それが解らないまま、こうして生きてる。

 その時、遠くから足音が聞こえ近付いて来る。この気配は、リューヒィ。
 ソラが振り向くと、確かにリューヒィがいつものよれよれの白衣とずり落ちそうな眼鏡を掛けて走って来ていた。

「ソラ!」

 騒々しいなと思いながらソラは立ち上った。

「お前に何してんだ!」
「見ての通り、何もしてない。悪いけど、お前の言う『お勉強』なんて俺には……」
「馬鹿野郎! この人は、サヤ様じゃないか!」
「は?」
「帝国第一王女の、サヤ=レィス=ルーサー様だよ!」

 目をまん丸にしてソラはサヤを見た。帝国純血の印、金の髪が揺れる。

「じゃあ、私はもう行く。……また、お話しようね」
「とんでもない! 失礼致しました!!」

 サヤが王宮の方へ歩いて行くのを足音だけで感じながら、リューヒィは呆然としたソラの頭を掴んで頭を下げさせた。



 王宮の広い廊下に足音を響かせながらソラはリューヒィに引っ張られていた。怒ってるような、呆れてるような表情でリューヒィは何も言わない。
 それが不気味で、ソラは口を開いた。

「何? 俺が何かしたか?」
「お前は本当に馬鹿だ! それでも騎士の端くれか!」
「俺は騎士じゃない」
「黙れ! このゲス!」
「……そこまで言うか?」

 王女だろうが何だろうが、同じ人間に違いは無いはずなのに何でこんなに怒られなきゃいけないんだ。
 随分な格差社会じゃないか、と皮肉めいた事を考えていると、ようやくリューヒィは足を止めて振り返った。

「お前は二度とサヤ様に近付くな! お前は血の気が多いんだ。何するか解ったもんじゃない!」
「よく解ってんじゃん。俺があの人を殺すかも知れないって?そうしたらどうなんだよ」
「世界が滅ぶ!」
「……は……?」

 リューヒィは傍の扉を開いた。部屋の中にいたのは、レナード。ソラは思わず声を上げる。

「何であんたがここにいんだよ!」
「何で……って、俺の部屋だし……」

 呆れたように肩を落としながらレナードはコーヒーをすする。一瞬沈黙が流れたが、リューヒィが足音を立ててレナードの前に立って言った。

「こいつ……サヤ様に……!」
「ああ、聞いたよ。でも、危害を加えた訳じゃないし別にいいかなって思ってた」
「そんなんでいいんですか?!」

 レナードは軽く笑っていたが、リューヒィは怒ってるように動揺していた。
 ソラは、リューヒィが何故そんなに怒っているのか解らずにいた。何が悪いのか。会話する事さえ許されない人種が存在するなんて有り得ない。ましてや、それが国のトップに存在するのならもう終わっている。

「なあ、リューヒィは何でそんなに怒ってんの?」
「はぁ?!」
「俺は怒られるような事をした覚えは無い。世界が滅ぶとか…怒るなら理由を言ってからにしてくれよ」

 すると、リューヒィとレナードは顔を見合わせ、そして、空気が抜けたようにリューヒィは肩を落としてソラを見た。頭に上った血が下がったのだろう。

「……ごめん、悪かった。お前は、何も知らないもんな。」

 急にリューヒィのテンションが下がってしまったのでソラは一瞬戸惑う。

「サヤ様は……『普通』とは違うんだ。」
「何だよ、『普通』って」

 リューヒィが言葉に困っていると、代わりにレナードが続けた。

「……例えば、その人の命と引き換えに世界が滅ぶとしたらどうする?」
「はあ?」
「その人を殺せば願いが叶う。……どんな願いでも」
「どんな願いでも……?」

 レナードは頷いた。ソラはごくりと唾を飲み下す。

「本当かよ」
「そう、そんな人間がいるんだよ」

 時代の節目には色々な者が現れる。
 異端者、異能者、指導者、――破壊者。
 そうした人間が、新しい時代を創り出す。失敗を繰り返しながらも、後悔、挫折しながらも、創造と破壊を繰り返しながら。

 時代が変わろうとしている。その駒の一つはきっと――。

「ソラ、もしも少女一人を犠牲にする事で願いが叶うなら何を願う?」

 レナードはソラを見つめた。時代の節目に現れる駒の一つを。
 ソラは少しだけ視線を落として考え込んで――顔を上げた。

「俺は……願えない」

 ソラは困ったように眉を下げて言う。

「俺は卑小な人間だから、平和な世界を望むほど善人にもなれないし、私利私欲に走るほど悪人にもなれない。」
「……なるほど。」

 息を吐くようにレナードは笑った。リューヒィもまた、小さく。そして、無言でソラの銀髪を撫でた。

「お前は、お前が考える以上に優しい人だよ。それは誰にでもあるもんじゃない。だから、一生大事にしろ」
「は……?」

 レナードはまたコーヒーをすすって笑う。
 その意味がよく解らないまでも、ソラはその言葉をいつかセルドの言った言葉を重ねながら胸に刻み付けた。

「この国の『騎士』は強い事が前提だ」

 突然レナードが振った話題に付いて行けずソラとリューヒィは身を乗り出して首を傾げる。

「強いってのは、腕っ節があるって事だ。戦って勝てると言う事が騎士の条件なんだよ……ここでは」

 レナードは窓の外を見た。そこには日課の稽古に励む騎士達の姿があった。

「でも、俺はその前提が間違っていると思う」
「何で?」
「騎士は戦う者じゃなくて、護る者なんだ。戦うのはあくまでも最終手段なのに、今はそれが最初に来てる」
「戦う事と護る事。その二つはどう違うんだよ」
「ここだよ」

 レナードは親指で自分の胸をとんとんと叩いて言った。

「優しい人が騎士になるべきなんだよ。力があるだけの人間なんてただの破壊者だ」

 レナードの紅い目がソラの蒼い目とぶつかった。燃え盛る紅蓮の炎と、何処までも広がる大空。

「ソラ、何かを護れる人になろう」

 その言葉に、ソラは頷くしかなかった。