7、大地の姫君
数百年前、ある巨大な国が世界を統一した。その後、王妃は直系の女の子を身ごもり平和な世界が訪れたかと思われた時、天からのお告げがあったと言う。
『その胎にいる子は大地が生みし子。その命を対価に願いを一つ叶える力を持つ。』
しかし、国王はそれを否定し王女に何人足りとも近寄らせなかった。更に、緘口令を敷いて王女を護ろうとした。
遠い昔の神話にも近い話だ。
ソラは胡座に腕を組んで難しそうな顔をしていた。外は暖かくて最高の天気なのに、王宮の一室に押し込められて何かと思えばレナードの御伽噺だった。子供じゃあるまいし、と舌打ちして立ち上がる。
「こら、どこに行くんだ」
「もういいだろ! 御伽噺はガキにしろ!」
「お前も十分まだガキだし、これはただの御伽噺じゃない」
レナードは大きく溜息を吐いた。
「黙って聞け。重要な事だ」
ソラは一瞬顔を顰めたが、渋々元の場所に戻って胡座を掻いた。
「……で!?」
態度がでかいと思いながらレナードは苦笑する。
「前に『サヤ様が死ねば世界が滅ぶ』って言ったのを覚えてるな?」
「それが?」
「……この神話には続きがある」
緘口令を敷いたものの、噂はたちまち世界中に広がった。
ある時、一人の男が欲に目が眩んで王女に刃を突き立ててしまう。王女は死に、国は滅んだ。
「……滅んだ?」
「そうだ。願ったのは……国の滅亡だったんだ。」
「滅、亡……」
どうして?
一人の命で何万もの人が死ぬ。その一人の命は……人の領域を越え過ぎている。
「それがあの子なのか……?」
「そうだよ。サヤ様は生まれた時に予言された……『大地の姫君』って訳だ」
殺せば願いが叶う大地の姫。それは、『殺される為に生まれて来た』と言う事だろうか。
そんな事の為に生まれて、ここまで生かされて、やがて殺されるのか?ただ、それだけの為に。
「……酷く憐れだな」
「はは……、同感だ」
皮肉っぽく笑ったレナードの目は何処か遠くを見ていた。紅い目…紅…血溜まりの色…。
レナードは時々、こうして遠い目をする。ソラは、その先はまるで地獄に繋がっているような気がして寒気を覚え、見ていたいとは思えない。
ソラは目を伏せながら部屋を後にした。
自分の命で願いが叶う。
胸に刃を突き立てて、鮮血の中で望みを告げる。
世界は滅び、一人で狂う。
サヤは今日も王宮の庭にいた。特に何をする訳でも無いけど、こんな天気のいい日に部屋の中に閉じ篭っているなんて勿体無いと思ったからだ。
欲を言うなら、本当はこの国から出て外の世界を見たい。そこには一体何が待っているのか。
草原を撫でる一陣の風、絶え間無く押し寄せる白い波、市場の活気と騒がしさ。
サヤは何も知らない。
不幸と言う事も、幸せと言うものも、自由さえ。
ただ一つ、知っている事がある。それは…孤独。
国王である父親は、誰もサヤの傍には近付かせなかった。
母はとうの昔に死んで、周りは選び抜かれた軍人と女官と、強欲な義理兄弟。その中でサヤは独り、中庭に座っていた。
今日も、孤独だ。
周りを見張る軍人は瞬き一つしていないようにさえ見える。本当に人間だろうか。
もしかしたら、自分は世界に独りぼっちで周りは皆人形なんじゃないか。
「……また、か」
正面に突然現れたのは、ソラだった。
「随分と暇なんですね」
「あはは、ソラも同じでしょ?」
ソラはふっと笑って、少し離れたところに座った。
「サヤ様。あんた大地の姫なんでしょ? あんた殺したら、どんな願いも叶うんだろ?」
挑戦的な笑みを浮かべたソラを、周りでぴくりとも動かずに見張っていた軍人達が見た。やはり、人形ではなかったらしい。
「そうだよ! あたしを殺せば……どんな願いも叶う」
「死者を蘇らせる事も?」
「うん!」
すると、ソラは笑った。
蘇らせるべき死者は……セルドだけだ。
身勝手で弱過ぎた自分が初めて殺してしまったただ一人の恩人。育ての親と、言うんだろうか。
「気の毒な事だ」
今度は自嘲気味に鼻で笑って、ソラは目を下に落とした。
そこに生えた黄緑の芝生を何気無くむしっていると、サヤは首を傾げた。
「あたしを殺したいとは思わないの?」
ソラは再びサヤの方に目を戻して鼻で笑う。サヤは肩を竦めた。
「生き返らせたい人が、いるんでしょ?」
「今更、どんな顔して会えってんだよ。死んだ者は死んだ者として受け止めなきゃ、死んじまった意味が無いだろうが」
セルドには悪いが、ソラは願いが一つ叶うとしても生き返らせたりしない。
確かにセルドには会いたい。この世界で初めて信頼する事が出来た育ての親で、剣を教えてくれた恩人だ。でも、彼が死んだ事で得た何かがあるだろう。逆に失ったものも。
死者に対して生者の出来る事なんて極僅かだ。でも、生き返らせる事はそこに含まれていちゃならない。
「そんな間違いすんのは生は生、死は死であると解らないヤツだけだ。……俺は確かに文字も読めない馬鹿だけど、その位は解る」
それに、もしもサヤの命を犠牲にしてセルドを蘇らせたところで、彼は絶対に怒るだろう。
そんなセルドが脳裏に浮んでソラは笑った。
「じゃあ、ソラには願いが無いの?」
「願いはもう叶ってる。」
今の願いは、生きる事だ。犯した罪もちゃんと背負って、真っ直ぐ前を向いて生きて行く。それがソラの殺してしまった人への懺悔で、ソラの存在している意味だ。
「生きる意味は、もう見つけたから」
生きる事こそが、生きる意味だった。
罪を背負いながら誰かの為に生きようと思った。もう、それくらいしか出来る事は残っていない。
そうやって、本当は誰かに必要とされたかったのかも知れない。
「生きる、意味かぁ」
サヤは苦笑いで繰り返した。
「あたしはね、そういうのわかんないんだ。何であたし生きてんのか、とか。何の為に生まれたの、とか」
その疑問はソラがずっと自分に問い続けたものだ。でも、それは根元こそ同じでもまったく逆のもの。
「いつも、押し寄せる『理由』の中で生きてた。富だとか、名誉だとか、権力だとか、平和だとか、征服だとか。色んな理由の中で生かされてた」
それ以外の理由がまるで存在しないみたいに、自分が消されていく。
サヤはその中で、必死に今にも崩れそうな自分を守っていた。
だから、どんな形でも理由が欲しかったソラとは正反対だった。
「あたし、何の為にここにいるのかなって」
サヤは哀しげな笑顔をソラに向けた。淋しい宝石のような碧の瞳は揺れる。
「……あなたと俺は正反対の生物だ」
「え?」
「俺は、ずっとその理由が欲しかったよ」
どうして、人はこんなにも弱いんだろうか。
持ってないものを持つ人に憧れるばかりで、自分の持つものの大切さに気付けない。逃げ出したいくらい嫌なものが、誰かにとっては憧れるものだと気付けない。
大切なものは、何ですか?
ソラは、ふっと笑った。
「でも、逆の立場になったら……俺はきっと今の俺を羨むんだろうな。結局、俺達はいつだってないものねだりだ」
呆れてしまうくらい弱い自分を知ってる。強くなりたいと泣き叫ぶ自分を知ってる。
そんな自分を、俺達は大切にするべきなんだ。そういうものを全部抱き締めて歩いて行くべきなんだ。
大切なものは、もう見つけたんだ。
「無いものは無いものとして、進まなきゃならないんだよ。死者が死者でしか無いように、生物は生物でしかない。俺達が生きるのは生物だからだ」
そういう簡単な事を平然と教えてくれた人がいた。それが、俺の歩いて来た人生で誇れる唯一の事だ。
だから、大切なものはそういった『思い出』であり、『人』であり、『今この瞬間』である。
「あんたは考え過ぎなんですよ。…少なくとも俺は、あんたに生きる事を強要しない。生きたきゃ生きろ。死にたきゃ死ね。勝手にしろ」
乱暴な口調に隠れた優しさがセルドにそっくりだった。でも、その事にソラは気付かなかった。
サヤは優しく微笑んだ。今まで見せたどの笑顔よりも綺麗だった。
そんな二人の様子を、この帝国の主である国王は王の間の窓から見下ろしていた。さも、退屈そうに。
傍に佇んでいるレナードは声一つ発さない。
「レナード」
「……何か?」
「あいつは、あのままにしておくのか?」
「と、言いますと?」
探るような目つきでレナードは国王を見た。古い大木のように皺が刻まれた顔には威厳があり、さすがと言いたくなる風格もあった。
「ソラ=アテナ。……いずれ、この国を脅かすぞ。」
レナードは唾を飲み下す。
「では、殺せと?」
「いや、解らせてやるだけでいい。自分の立場をな」
「……仰せのままに」
一礼して、レナードは王の間を立ち去った。
乾いた足音の響く廊下は無人で、考え事をするには十分だ。
(ソラ、お前は悪くない。……俺も、悪くない。)
自分に言い聞かせるように何度も、何度も繰り返した。まるで、罪から逃れるように。
そして、悪に徹し切れなかったレナードは祈りにも近い思いで一つ願う。
――死ぬな、と。
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