ある朝、ソラは帝国を発った。レナードからのある指令を受けたからだ。
 生きる為には、存在するだけではいけない。ソラが生きる為に多くの人を殺したように。

 だから、ソラもそれを当然の事だと思っていたし、リューヒィも仕方が無いと思っていた。
 その指令が生んだ結果を知るまでは。




8、No,title.



 しんしんと、雪の降り積もる山道をソラは一人で歩いていた。周りは切り立った崖が行く手を阻み、まるで進み続けろと命令しているようだ。
 ついさっき踏み付けた足跡もすぐに消され、視界は真っ白。この雪山は、進んで欲しいのか立ち止まって欲しいのか訳が解らない。

 その白い世界で、『紅い』点があった。
 異質な紅い点は、ひたすら前へ進む。

 その後ろに出来るのは紅い点。
 雫が雪に足跡より長く残る跡を残している。

 ソラは、ふと立ち止まった。
 そして、自分の掌を見つめる。その手は、真っ赤だった。

(……馬鹿だな、俺は。こんなのは、今更なのに)

 全身血塗れになりながらも自身は無傷で。傷の一つでも負えば救われただろうか?
 ソラはまた歩き出す。吐いた息ばかりがただただ、雪のように白かった。



 レナードから、ある指令を出された。
 一つの封筒を持って、雪山の奥のある村に届けると言うものだった。
 酷く簡単な指令を、レナードは目を伏せて伝えて来た。だから、それが妙に引っ掛かった。それでも、ただで生きて行くと言うのは自分の流儀に反するから、帝国の騎士になったと言う事を含めて二つ返事で了解した。

 雪山に足を踏み入れ、吹雪の中を進んで二日。飲まず食わずで歩き続けて、ようやく見えた村はよそよそしい雰囲気でよそ者を受け入れるとはとても思えなかった。
 でも、指令を遂行しようと持って来た封筒を、見せた。見た目こそ質素な無地の封筒ではあるものの、金色をした帝国印が押された雅やかなものだった。

 その村人は、一瞬慄いて周囲の者とヒソヒソと耳打ちした数秒後に持っていた農具で襲い掛かって来た。
 手は咄嗟に腰にある剣を掴んでいた。男が農具を振り下ろした時にはもう、剣はその体を引き裂いた。

 血飛沫の中、悲鳴が上がった。

 殺す気は無かったなんて、言えない。
 殺さなきゃ殺されていたからだ。雪山に轟く悲鳴は次々に武器を持つ人をソラの元へと走らせる。

 訳が解らなかった。
 それでも、剣を振り下ろした。何度も、何度も。雪が真っ赤に染まって、周りから気配が消えても。


 ……気付いた時、独りで紅い中に立っていた。


 殺したかった訳じゃない。殺す為に来たんじゃない。
 頭の中で言い聞かせるほど、遠くから声が聞こえた。



――ほら、お前はそうとしか生きられない。

――殺すしか無かった?違うよな。殺す事を選んだんだ。
――誰かに殺されるくらいなら、そいつを殺した方がいいと思ってたんだろ?
――自分は人殺しの悪魔のくせに、今更偽善者か?そういうのは、全部無駄なんだよ。
――人殺しは永遠に人殺しとしか生きられない。
――死にたい?甘ったれんな。じゃあ、何で今まで生きてしまったんだ。
――お前がいなけりゃ何人救われた。いや…何百人?結局、お前は生まれちゃいけなかったんだ。

――もっと昔に、死んでいればよかったんだ。

――生きる意味なんて元々無いんだよ。生まれちゃいけない存在だったんだから。




 生きる為には、殺さなければならなかった。
 それは弱肉強食と言う世界の絶対的定理に従っただけの事。だから、ソラも同じように彼等に殺されても文句は言えないし言わない。それが当然だ。

 だけど、本当にそれが真理か?

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。
 そんなの、単なる犠牲による成立じゃないか。

 結局、俺は殺して誰かを犠牲にする事で生きて来た。今も昔も、この先も。
 そこに何の意味も無いのに。


 何で、俺は生まれて来ちまったんだろうな。


 でも、自ら命を絶つ度胸も無くて。



 本当、俺なんて存在しなければ良かったのに……。



 その時、轟音が轟いた。
 山頂から大きな何かが流れ落ちて来るような、地を揺るがす轟音。咄嗟に身を引いて村から走り出た。背後からは轟音がずっと聞こえていて、振り返った瞬間に目を疑った。

 紅い大地を白いものが流して行く。
 白と言うよりはいささか青く。

 一瞬の内に紅は視界から消え去って、薙ぎ倒された木々と真白な雪が残っていた。



 ああ、そうか。
 俺はこうやって、目を背けたい過去を覆い隠して生き延びてんだ。



 じゃあ、また、そうやって生き延びるんだ。
 馬鹿みたいに。虫みたいに。



 本当



 生まれて来なきゃ良かったな。


 もう、振り返る事は無かった。