*蜃気楼 1

 遠く鐘の音が響いている。
 昨夜から降り出した雨はいよいよ本降りとなったらしく屋根を貫かんばかりの激しさで落下を始めた。石畳の並ぶ道には薄く水が溜まり、行き交う人々の足が無数の波紋を作り出している。空には鉛色の分厚い雲が浮び、太陽の光など欠片も存在しない。
 黒薙は教会の入口でぼんやりと立ち尽くしていた。
 事件から僅か三日、逢の葬儀は順調に行われている。死因が死因なだけに教会の所々には恐らく銃を携帯しているであろう警察官が彼方此方に鋭い視線を泳がせていた。それでも、参列した大勢の人々は啜り泣き、或いは棺桶に縋り付いてはもう戻っては来ない彼女の名を呼んでいる。
 既に涙も枯れた白神は壁際で膝を抱えて座り込み、腫れぼったく充血した目で生前の彼女を写した遺影を半ば睨むように見詰めていた。黒いスーツを握り締めている手が震えている事も黒薙は遠目に気付いていたが、近付いて労わりの言葉を掛ける事は出来ないでいる。傍らには逢の妹の琉璃が黒薙のスーツを破きそうな力で握り締めて震えていた。泣き疲れただろう血の気の無い顔に目を向ける事も出来ない。
 黒薙は何もしなかった。泣く事もなければ、怒る事もしない。ただ、目の前で起こった事態に対して冷静に対処し、この葬儀も殆ど黒薙が手配した。そして、多くの人々に送られる彼女の姿を遠く眺めている。
 だが、何もしなかったというのは多少の語弊があるかも知れない。黒薙は、何も出来なかったのだ。
 泣けず、怒れず。波一つ立たない自分の凍り付いた心を抱え、ただ起こってしまった事態を他の誰かに代わって行う事しか出来なかった。自責の念はあっても、それをどうすればいいのか分からない。死という遠過ぎる現象をどのように受け止めればいいのか分からない。胸の中に突然出現した虚しい穴の塞ぎ方も分からず、眉一つ動かす事無く葬儀が無事終了するのを待っていた。
 教会の中は生暖かい不快な湿気に包まれている。それが人々の涙なのか、単純に雨による湿気なのかは分からない。黒薙は湿気で曇った腕時計の表面を軽く拭って時間を確認した。午後七時十二分。もう少ししたら逢の死んだ時刻になる。
 底冷えする暗闇が何処からとも無く沸き上がり、覚えの無い感情が皮膚に鳥肌を立たせた。思考はどんどん螺旋階段を下り、目の前に広がるものが少しずつ色褪せて行く。
 現実逃避が感情を処理する方法の一つならば、俺はすぐにでもそれをもぎ取って誰も知らない遠い世界に飛び込んでしまおう。何もかも忘れてしまうのも一つの方法だ。
 だけど、縋り付くこの震える小さな手がそれを許さない。下って行く足を止める枷が現実へ引き留めてくれる。俺はまだ其処には辿り付けない。
 誰が今のこいつ等を守ってやれるんだ。俺しかいないんだ。俺はここに立って、どんなに馬鹿にされても傷付いても守らなければ。
 黒薙は真っ直ぐ逢の遺影を見詰め、拳を強く握り締めた。微かな震えは気付かなかった事にする。吐き出しそうな胃液も、握り潰されそうな心臓の痛みも分からなかった事にする。現実逃避が感情を処理する一つの方法ならば、俺は敢えて無視という方法を取ろう。大切なものを守る為に、守れなかったものの為に。
 やがて葬儀は静かに終わり、眠ってしまった琉璃を施設に戻した後で白神の傍に歩み寄った。置物のように姿勢を崩さない彼の肩を叩くのには躊躇したが、そっと色素の薄い髪に触れれば白神は顔を上げる。虚ろなビー玉の瞳に無表情の自分が映るけれど、その奥はがらんどうで何の感情も存在していないかのようだった。
 白神は片手を突いてゆっくりと立ち上がると、何も言わずに出口の方へ歩いて行く。黒薙は覚束ない足取りで進んで行く背中に低い声で訊いた。

「大丈夫か?」

 数秒動きを止め、ゆるりと振り向いた横顔はマネキンのようだった。白神は結局何も言わずに雨の降り頻る暗い外に消えて行く。万一の事を考えれば追うべきだっただろうが、葬儀の片付けがあるので足は反対の方向に動き出していた。優先順位が狂ってしまっている辺り、やはり、多少なりとも頭は混乱しているようだ。
 施設の職員が色々手続きをしてくれたし、心配そうな顔で労わりながら休んでいろと言ったけれど無視して体は動かし続けた。何も出来なかった癖に被害者みたいに黙って見ている程の弱者にはなれなかった。死者を悼む涙も流せず、哀しそうな顔一つ出来ない欠陥品でも何の意味も無い無用の長物にだけはなりたくなかった。
 片付けが終わったのは深夜だった。時間の関係上、逢が墓に収まるのは明日の早朝。それまでの長い時間は何もする事が無くなってしまった。何かに没頭していなければ余計な事を考えてしまいそうで恐かった。酷く冷静な心の中では今も無駄なエネルギーを使ってしまっている。振り返るべきは葬儀の反省点ではなく、逢との思い出だった筈だ。色褪せる前に何度も頭の中で思い返すべきだった。
 神父の許可を得て、公園の見える裏口の石段に座る。当然だが、ブランコと滑り台と砂場があるだけの小さな公園も深夜は誰もいない。ポツリと存在する橙の光を広げる街頭の下に集まる無数の火取り虫、雨が茂る若葉を打つ音が虚しく響いていた。
 感傷に浸れるような温かさは持ってなかった。でも、目の前に広がる現実しか見られない冷たい心が苦しい。喜怒哀楽が浮ばない中で自責の念ばかりが胸を圧迫し、呼吸がだんだん苦しくなる。
 あの時、俺に何が出来た。何をすれば良かった。どうすれば逢は救えた。
 思い出せば簡単な事だった筈だ。逢が落ちた事にもっと早く気付けば良かったんだ。だって、逢は俺のすぐ横で死んだ。手を伸ばせば届く距離だったんだ。それだけじゃない。俺が旅行のチケットなんか貰わなければ良かったんだ。頭の中では何度も逢を救うシュミレーションを組みたてられるのに起こってしまった事象はもう変えられない。けれど、今は振り返って愚かだった自分に呆れる事しか出来ない。
 黒薙がぼんやりと遠くを眺めていると、背中を向けていた裏口の扉がゆっくりと開いた。金属の軋む音がしたが黒薙は振り返らない。松田はそんな背中を見詰め、名を呼んだ。

「灯君」

 松田は振り返らない黒薙の隣りに腰を下ろし、持っていた二つの缶コーヒーの内一つを押し突けるようにして渡す。黒薙は小さな声で「すみません」とだけ言った。

「君は強いね」

 缶コーヒーを開けながら松田は言う。

「君だけが泣かずに現実を受け止め、眠る事も無く現実に踏み止まっている」

 松田は一口コーヒーを飲み下す。口内に広がる安っぽい苦味は昔から嫌いではなかった。
 黒薙は暫くの間黙り込んでいたが、独り言のようにぽつりと見当違いの問いを投げ掛ける。

「この世界で一日にどれくらいの人が死んでいるか知ってますか?」
「……さぁ」

 突然の問いに松田は少し考え込んだが、結局そんな答えを返した。予想通りの言葉に黒薙は前を見据えたまま、先を見越していた言葉を続ける。

「そう、分からないんです。多過ぎて」

 黒薙はやはり、遠くを眺めている。

「毎日人は死ぬ。事故や自殺、殺害、老衰。死の理由なんて人それぞれだけど、今日も何処かで誰かが何らかの理由によって当たり前のように死ぬんです。数えられないくらいに」

 だから。
 黒薙は続けた。

「だから、これは世界に有り触れた悲劇の一つでしかないんです。世界には悲劇が犇いているし、身近なエンターテイメントの世界でさえ大勢の人が死ぬのに、誰もそれが自分の身に起こり得る事だって気付かないだけ。……それなのに」

 声が震えた。額を押える手もやはり震えていたけれど、言葉は繋がなければならない。

「何で、こんなに悲しいんでしょうね。人は何時か死ぬんだって分かってて、それが早いか遅いかの違いなのに、何でこんなに納得出来ないんですかね。俺が馬鹿だからかな」
「灯君、」

 松田の言葉を遮るように黒薙は更に言う。

「俺は全然強くないんですよ。守れなかったんです。手を伸ばせば届く距離だったのに、反応出来なくて死なせたんです。俺が殺したようなもんなんです」

 ふっと指先に目を落とす。少しは日に焼けたような気がする生白い手は見っとも無く震えていた。冷たい缶コーヒーを握っていたせいで神経が麻痺して動かし辛い。
 松田は言った。

「それは違うわ。……あいつ等はGLAYって麻薬を作ってる組織の下っ端よ。ここ最近、コカインベビーを狙った過激な犯行が目立ってる。向こうが何をしようとしてるのかは分からないけど……」
「何で、逢なんですかね」
「え?」
「薬中の癖に親になって、子供の意思なんか関係無く重荷背負わせて、自分達の身勝手な都合で捨てて、殺して。ねぇ、玲子さん。俺達ってそんなに要らないものなんですか? ゴミみたいに捨てられる程軽いもんなんですか? それなら何で、存在してるんですか?」

 何も言えず、松田は口篭もった。黒薙は感情を映さない顔でただ遠くを見詰めている。

「世界は冷たいですね。凍えそうだ」

 そう言った黒薙の頭に手を乗せ、松田はコーヒーを飲む。
 確かに、彼の言う通りこれは今も世界の何処かで起こり続けている有り触れた悲劇の一つでしかない。職業柄、そんなものに一々感情移入していたんじゃ精神が持たない事は分かっている。それでも。

「冷たいだけじゃないでしょう」

 松田は言う。

「悲しい事や辛い事なんかお前の言う通り腐る程あるわよ。それでも、お前はもう前を見据えて歩いて行こうと決めてる」
「俺は冷たい人間なんで」
「逢ちゃんの遺影を見詰めるお前の拳が震えてた事くらい知ってんのよ」

 黒薙は目を伏せ、松田は言い聞かせるように続けた。

「人に限らず命は皆儚い。何時何処で誰が何で死ぬかなんて分からないし、幾ら骨砕いても守れない事だってある。結局、残された私達に出来る事なんて現実見詰めて、彼等の分まで精一杯生きる事だけよ。あの世で笑われないように、胸張って会えるようにね」

 暫しの沈黙が流れた。雨音がやけに大きく聞こえ、松田は黙って耳を澄ます。嗚咽が聞こえて来そうなくらい悲しみはビシビシと伝わって来るけれど、やはりそれを零す事は無い。
 黒薙は額を押さえた。

「――ったんです」

 聞き取れず松田は耳を近付ける。

「守りたかったんです」
「……知ってるわよ」
「俺は自分が神様みてェに全知全能だなんて思っちゃいません。出来る事があれば出来ない事もある。冷めた性分も仕方がないって諦めて来ました。でもね、俺は時々、自分の弱さが殺してやりたい程許せません……」

 松田は口を結び、一呼吸呑み込んでからゆっくりと口を開いた。

「愚痴っていても何も始まらないし、お前が何かしなくたって人は死ぬ。歩き出す覚悟があるなら、守る決意をしなさい」

 黒薙は顔を上げる。

「守りたい?」

 数秒の沈黙と共に鋭い視線が松田に刺さった。黒薙ははっきりと頷く。

「守りたいです」
「そう。……お前は警官なりなさい」
「警察……」
「警察は腑抜けばっかりだけど、GLAY対策本部は曲者揃い。歓迎するわよ?」

 黒薙は黙り込んだが、そうして真一文字に口を結んだままゆっくりと頷こうとした。だが、背後で再び扉が軋む音がした。

「警察たァ下らねェ」

 やつれた顔で扉に寄り掛かる白神が立っていた。振り返った黒薙の顔には僅かに動揺が浮かぶ。家に帰ったものだと思っていたし、これまでの間何をしていたのかも分からない。だが、白神は薄く笑った。

「あんな無能集団に何が出来る。目の前のたった一つ守れなかったてめェに何が守れるってんだ!」

 黒薙は黙った。答えられなかったのではなく、嫌な予感が恐らく的中しているのだと気付いたからだ。数日前に白神が薬物に手を出している事を知ったが、あれ以来止めたものだと思っていた。白神はそんな胸中など知る由も無く、何故か込み上げて来る可笑しさを押えようともしない。
 何の脈絡も無く笑い出す白神を二人は呆然と見詰めていたが、黒薙は睨むように見詰めながら言った。

「何が出来るなんて分からないけどな、何も出来ない訳じゃねーよ」

 壊れたように笑い続ける白神の襟首を掴んで黒薙は前後に揺すった。

「お前は何でそうなんだよ……!」
「黙れ!」

 白神は黒薙の手を振り払った。そして、一度薄く笑うと一気に背中を向けて走り出す。背中に突き刺さる声も無視して止まらない白神は教会を飛び出して行った。黒薙は追おうとしたが、それを松田が引き留める。

「おい、あいつすごいテンションね」

 何か思うところがあるような言い方だった。黒薙は目を伏せ答えないが、松田の追及は終わらない。

「あいつはいつもそうなの? それとも、まさか」
「違います」

 黒薙は松田の手を振り払った。

「疲れてるだけです」

 松田は何も言わず、一言「そうか」と言った。殆ど事態は理解出来ていたが、それ以上追求する事は恐らくきっと黒薙が許さなかっただろう。結局、走り去った白神の後を追う事も出来ず黒薙は目を伏せていた。
 胸の中に広がる不安を呑み込もうと何度も呼吸を繰り返した。湿った空気が肺を満たすが、胸の中に開いた虚しい穴はどうしても塞げなかった。
 ゆっくりと上げた顔はやはり無表情で、見詰めた先は無人の濡れた公園。赤く錆びたブランコの鎖が風に揺れ微かな悲鳴を上げている。茂る青々とした若葉も空間を支配する漆黒の闇も全てが灰色に染まって見えた。雨のせいだろうと思った。思い込もうとした。結局、全ては無駄な行為で無視して来た多くの感情は今も処理出来ずに胸の中に燻っている。
 届かなかった願いは砕けて鋭い硝子の破片のように触れるものを皆傷付ける。終わらせられなかった激情はその姿を残したまま冷え固まった鉄の塊のように重く伸し掛かる。それ等を処理する方法はきっと、始めから持っていなかった。色を失おうとしている世界を彩る絵の具は何処にも転がっていなくて、希望の言葉を紡ぐ事の出来る温かな心は何処にも無かった。
 残ったのは届かなかった小さな掌と虚しさだけ。有り触れた悲劇に飾られた中途半端なB級ストーリー。

「疲れてるのはお前じゃないの?」

 松田の微かな言葉に黒薙は振り返っただけで何も答えなかった。
 雨音ばかりの世界。時折吹き付ける風。色の無いモノクローム。

「休んでおきなさい。見てる限り、お前一睡もしてないでしょう」
「休む訳には行かないんですよ。俺しかいませんから」

 黒薙は溜息を零した。
 世界の冷たさは既に分かっていた。人生には献身的に戦うヒーローもいないし、ピンチに駆け付けてくれる五人組も、例え死んでも何度だって生き返る勇者も現れなかった。何時だって困難を切り開くのは自分だった。他の誰かを頼ったって助けてはくれない。

「ここで俺が倒れたら、あいつ等を誰が守ってやれるんですか。俺しかいないんです。俺しか出来ないから、俺がやる」

 松田は何も言わず、そっと肩を叩いた。
 雨はその後も降り注ぎ、教会で眠らぬまま一夜を過ごした黒薙は翌日も同じように埋葬の手伝いをし、逢が皆に惜しまれながらも送られて行く様を遠く傍観者のように眺めていた。遠く響く鐘の音を聞きながらまた時間を確認する。しかし、何処で買ったかも分からない安物の時計は止まっていた。午前か午後かは分からないが、七時二十五分。これは果して偶然だろうか。
 黒薙は差したビニール傘を透かして灰色に淀んだ空に目を向ける。上空は風が強いのか雲の動きがやけに激しい。
 ふっと目を落とせば隣りで昨日と同じように縋り付く小さな手が震えている。琉璃は泣いていた。

「琉璃」

 顔も向けずに黒薙は言う。

「ごめんな」

 琉璃は何も言わず、首を振った。
 棺桶に入れられ、暗く冷たい土の下に押し込まれる逢の遺体。あの銀色の髪も青い瞳も白い肌も二度と見る事は無いだろう。だけど、失うのはもう嫌だ。
 白神の言う通り、目の前の一つ救えずに何が守れるのかなんて分からない。でも、ヨウスケも救えなくて逢も守れなくて、それでも全部諦めてしまう事だけは出来ないから。
 冷たくて色の無い世界でも、滅んでしまえとはどうしても願えないから。

「必ず、お前を守るから」

 小さな掌に力が篭る。
 黒薙は姿を消した棺桶を見詰め、神父の低い声に耳を澄ませた。意味なんて全然分からないし、きっと無神論者の自分には共感も理解も出来ないものだろう。だけど、一つだけ願った事がある。

 どうか、安らかに。

 琉璃は顔を上げず、黒薙は真っ直ぐ正面を見詰めた。喪服に囲まれた墓石。白神の姿は何処にも無い。
 降り頻る雨は止む気配も無く、吹き抜ける風が髪を揺らした。黒薙は口を結ぶ。白神の声が、逢の言葉が脳裏を掠めた。

――お前なんか死んじまえ! 消えろ! 目障りなんだよ! この、欠陥品!

 好きなだけ言ってくれて構わないよ。言い返す言葉も無い俺は本当の欠陥品だ。でもさ、俺はお前の事見捨てる気はねェよ。どんだけ拒絶したって、何処まで逃げたって俺が連れ戻してこの冷たい現実の世界に縛り付けてやる。
 一人だって喚くてめェの前に指突き付けて言ってやる。お前は一人じゃねーって。

――欠陥品だなんて言って自分を遠ざけないで。灯は独りじゃない

 言いたかった言葉なんて山程あって、きっと丸一日時間を貰ったって言い足りない。でも、本当に伝えたかったのはたったの二つ。届かなかったのは感謝と謝罪だった。
 優しいって言ってくれてありがとう、温かさを教えてくれてありがとう。
 守ってやれなくて、本当にごめん。
 大切なものってさ、何時だって失ってから気付くんだよな。失った後ならあの時間がどんなに大切だったか思い知るのに。半分寝てて殆ど記憶に無い通学路とか、何気無い会話の一言とか、記憶の劣化は始まっていて思い出はどんどん色褪せる。
 それでも、俺はお前がいた事だけは忘れねぇよ。魂に刻み付けて絶対忘れない。

 お前の分まで、俺があいつ等守るから。何に代えても、どんなに苦しくても俺は弱音も吐かねェよ。だから、見守っていてくれよ。お前が人の事恨むやつじゃないって分かってるけど、恨むなら俺にしてあいつ等の事少しは支えてやってくれねェかな。

 もう、立ち止まってる時間なんて俺には無いからさ。

 埋葬を終え、人々が少しずつ墓場から離れて行く。神父と共に最後まで残っていた黒薙は墓石を見据え、スーツを翻した。右手に握った小さな手は脆く、今にも消えそうに細い。それが空気に溶けて無くならないようにしっかりと掴んで墓場の出口に向かう。
 出口の傍の柵には松田が寄り掛かって待っていた。

「覚悟は決まった?」
「はい」

 松田は笑った。黒薙は琉璃に目を向ける。

「警察になるよ、俺は」

 琉璃はきょとんとしていたが、分からないまま少しだけ頷いた。
 

2008.2.12