*不夜城 3
灼熱を浴びた高速道路に車の群れが出来ている。その中の一台に黒薙と佐倉はいた。
F地区某銀行を目指すが、その走行は酷く穏やかでとても凶悪犯罪に立ち向かう最中の様子ではない。黒薙は本部の机に仕舞っていた買い置きの煙草内ポケットから取り出す。据え付けのライターに手を伸ばしたところで佐倉は睨み付けた。
「車内禁煙です。シートがヤニ臭くなるんで止めて下さい」
黒薙は聞いていない。火を点けた煙草を咥えてぼんやりと変わり映えしない景色を退屈そうに眺めている。
黒薙は多くの人間に抱かせる印象をずっと改善しようとせずにここにいる。『無愛想』と言うのは、今では彼だけの専売特許だ。少しも笑わず、睨むように前を見据えている。だから、不気味にも思える。
「どうして笑わないんですか」
何気無い言葉に、ぼんやりしていた黒薙は佐倉に目を移した。
「面白く無いから笑わないと言っていたけど、灯さんは面白くても笑わないでしょ」
佐倉は前を見つめている。緩やかなカーブに合わせてハンドルが回った。
GLAY対策本部に配属されてから佐倉はずっと黒薙と組んで来たが、それまで一度として違う表情は見た事が無い。眉を顰める事はするが、それは表情とは違う。
黒薙はまた、外に目を移した。前を走っていた車を簡単に抜いて行く。
「俺の勝手だろ」
それ以上、佐倉は追求しない。
目を閉じると蘇る記憶がある。其処に光があるなら、その人は幸せだ。だけど、それが闇の中で、失われた絶望の過去ならばどうだろうか。
目的地が近くなり、車は高速道路を下りた。次第にパトカーの台数も増え、覆面パトカーだが佐倉は通り過ぎる度に挨拶している。
黒薙はホルダーに収まっていた銃を取り出して弾を確認した。空砲は無く、当たりが良ければ一発で死ぬだろう。全部で六発、確認を終えるとホルダーに戻す。
「人を殺す時、何を考えますか?」
佐倉は視線も寄越さずに訊いた。
「何も」
黒薙は言い捨てた。
GLAY対策本部の職員は皆銃を装備している。他の警察機関では認められていないのだから、その仕事内容がいかに危険かを物語っている。だから、政府は凶悪事件が起こればGLAYの関連性を無理矢理見つけて事件を押し付ける。今回もそれと同じだ。
その中で黒薙は多くの犯罪者を射殺している。現場担当が多いから自然とそうなるのだが、組んでいる佐倉は配属されて一年経たない為もあって零だ。
「それは、灯さんが冷たいからですか? それとも、皆そうならざるを得ないんですか?」
「……知るかよ、そんな事」
面倒臭そうに黒薙は煙草を灰皿に押し付けた。先端の橙は黒に染まり、紫煙が途切れる。
(コイツ、美月に似て来やがったな)
外に鋭い視線を投げながら思う。それは余り好ましい事では無い。
美月は依存している。黒薙もそうされて良い人間では無いと分かっているから、佐倉がそうなってしまうのは許されない事だ。
目を閉じると蘇る記憶がある。
叱咤する両親、逢の死、親友の破滅。
目を開けると見えるものがある。
血塗れになった自分の両手だ。一体幾つの命を奪ってここまで来た。一体、何の為に、何の権利があって。
(潮時かねェ)
そんな事を、考えている。
立て篭もりの続いている銀行の周囲は説得を続ける警察とシールドで身を護りながら動かない機動隊、囁き合う野次馬でごった返している。少し離れたところに車を止め、二人は説得をしているネゴシェーターの傍で待機している刑事らしき男の傍に向かった。
警察の中でもGLAY対策本部の力は大きい。本庁と支部くらいの違いはあるだろう。
黒薙が警察手帳を見せると、刑事は目を輝かせて上司の警部らしき中年の男を呼んだ。
「GLAY対策本部の黒薙です」
「佐倉です」
「おお、よく来てくれた」
警部は三沢、と名乗った。恐らく明日には忘れる名前だ。
事件のあらましを説明され、黒薙は頷きながらシャッターと落とされた銀行を見つめる。犯人は一人、人質がおよそ九人。出入り口は全て封鎖され、犯人は興奮して人質に銃を押し当てている。要求は金と亡命、どちらも準備しているが、ネゴシェーターが引き伸ばしに掛かっているところだ。微かに苛立った犯人らしき声が聞こえる。
犯人はGLAY中毒者、下手に刺激すれば簡単に人質を殺すだろう。現に、駅前で起こした銃乱射で七人死んでいる。
黒薙は事件についておおよそで理解すると、ホルダーから銃を取り出した。佐倉が目を丸くする。
「灯さん」
「何だ?」
銃をホルダーに戻し、上着をパトカーの屋根に乗せる。着替えていないので汚れたシャツのままだ。
「何をするんですか」
「裏口を抉じ開けて侵入、犯人の姿を捉え次第射殺」
当たり前の顔をして革靴を履き直す。自分の言っている事に何の迷いも躊躇も無い顔だ。佐倉だけが信じられないと言う顔をしているが、三沢警部を始めとした警察は黒薙と同じ顔をしている。
「そんな簡単に……」
「お前、何に対して驚いてんだ?」
黒薙は眉を寄せた。
「俺の判断か? まさか、こんな場所で殺人についての倫理では無いよな」
「……どうして」
「犯人は一人、正面はシャッターが下りてるんだから裏から行くしかないだろ。それから、相手は既に無差別大量殺人犯だ。何の問題がある」
そう言って黒薙はいつも通りの無表情を向けたが、佐倉にはそれがどうしようもなく残酷なものに見えた。裏切られたような感覚が心臓を握り締める。
黒薙に対する期待と依存が全て粉々に打ち砕かれた。
(この人は、表情一つ変えずに人を殺す人なんだ)
絶望がじわじわと胸の中に広がって行く。
それを察した黒薙は小さく溜息を吐いた。
「迷いがあるなら来るな。お前が仕事にどんな理想を抱いてたか知らねェが、俺達の仕事はこんなもんだ。何故、GLAY対策本部の人間が呼ばれたのか」
考えろ。
黒薙は言った。
「殺す為に呼ばれたんですか?」
「そーだよ」
もう返事する事も面倒臭い。早く事件を解決して帰宅し、風呂に入って食事して、五日ぶりの睡眠に着きたい。
そんな事をぼんやりした頭で考えていると、佐倉が俯いていた顔を上げた。
「行きます」
「別に来なくてもいいよ」
黒薙はもう、佐倉を見ない。どうでもよくなったような、関心を失ったように一瞥も寄越さずに裏口へ回る為に歩き出す。だが、佐倉は後を追った。
裏口は薄暗く、数人の機動隊らしき男達が待機しているだけだった。黒薙が警察手帳を見せるとすぐさま道を開ける。裏口は灰色をした重厚な鉄の扉が塞いでいた。
手帳の間に栞のように挟んでいた細い曲がりくねった針金を取り出し、鍵穴に捻じ込む。酷く手馴れた作業でいとも簡単に鍵が開いた。佐倉はそれを呆然と見つめる。
「慣れてますね」
黒薙は眉を寄せた。
「警察学校で習わなかったのか?」
佐倉が首を振ったので、不思議に思いつつ扉を開いた。
黒薙は警察学校を卒業していないが、先輩について多くを学んだ。その際にピッキング等の知識も得たので、正規のルートで現在の位置にいる佐倉や菊崎達に比べると大分特殊だ。
扉を開くと、薄暗い通路が細く続いている。黒薙に続いて佐倉が入った時、扉を閉めるように言った。腑抜けた警察にごちゃごちゃ手を出されては上手く行くものも上手く行かない。
「犯人は受付付近にいる……とは言ってたけどな」
犯人の連絡手段である電話の発信は受付からだったからだ。だが、黒薙はそれを余り当てにしていない。もっと言うと、三沢警部から言われた内容は犯人がGLAY中毒者で銃を所持している事と人質がいる事くらいしか信用していない。
「佐倉、お前は銃を使うな」
少し明るくなった階段の傍で足を止め、黒薙は佐倉を睨んだ。
「どうしてですか」
「お前にはまだ早い。これから二手に分かれるが、犯人との接触は避けろ。発見次第俺に連絡。いいな?」
佐倉が渋々頷こうとしたその瞬間、乾いた銃声が鼓膜を貫いた。同時に悲鳴、佐倉は体を強張らせる。
だが、黒薙は微動だにせず確認する。
「いいな?」
「いや、それどころじゃないでしょう! 今、銃声が……」
「は? 犯人がぶっ放したんだろ。交渉がヘマしたか、人質が暴れたか。まあ、暴発か脅しだといいんだけどな」
後が楽で、と黒薙は付け加えた。
訊きたい事は山ほどあったが、そんな状況ではないと思って佐倉はそれらを呑み込んだ。質問の代わりに肯定を示して首を縦に振ると、黒薙も同じく頷く。
「じゃあ、俺は受付の方に回る。お前は二階、一般人がいたら保護を最優先しろ」
「脱出しろって事ですね」
「そうだ。俺は俺で勝手にやる」
黒薙はホルダーから銃を外し、先端にサイレンサーを付ける。
「じゃあ」
それだけ言って走り出そうとして、黒薙は振り返った。二階へ向けて一歩踏み出そうとしたところだった佐倉も動きを止める。
「青、約束覚えておけよ。それから……、死ぬんじゃねェぞ」
今度こそ黒薙は走り出した。
佐倉はその後姿を呆然と見つめる。やはり、いつもの姿で。作業的に殺すと言う姿と、『死ぬな』と言う細いのに頼りになる背中。どちらが本当の姿なんだろうか。
答えの出ない問いを繰り返し、佐倉は小さく自嘲して階段を登り始めた。
佐倉と別れてから黒薙は建物の造りの記憶を頼りに廊下を走る。こういった特殊部隊の専売特許のような仕事も少なくないから足音が自然と立たない。犯人がいるだろう受付まで扉一枚隔てた部屋まで難無く下り、黒薙は銃を準備した。
扉を少しだけ押し開けると、冷房が効いているらしく冷たい風が吹き込んだ。
受付の前、待合室のようにソファが並んだところにマシンガンを持った犯人が行ったり来たりしている。黒い目出し帽で顔は分からない。
(マシンガンか、面倒なモンを)
一撃で殺さなければ錯乱して引き金を引く恐れがある。そうすると、人質になっている客と職員に被害が及ぶだろう。もちろん、黒薙自身無事では済まないかも知れない。
銃の腕に不安がある訳では無いが、何せ相手は薬中だ。何が起こるか分からない。
嘗て、GLAY中毒者の脳天を撃ち抜いて即死させた筈なのに撃たれた事がある。幸い被害は無かったが、その時は心臓が飛び出すかと思うくらい驚いた。
後々、調べてみたら角度などの悪条件が重なって偶然頭蓋骨上を銃弾が滑ったらしい。
何の事は無い。科学的に証明出来る事だ。ただ、問題は犯人が本当に単独かどうかだ。
(どうする)
身動き出来ずに苛々していると、黒薙に気付いた人質の一人が目を丸くした。咄嗟に口の前に指を立て、声を上げる事を止めさせた。縋るような目が絡み付く。
口を動かして犯人の数を訊くが、錯乱している人質は助けてと答えるばかりだ。埒が明かない。舌打ちしたい気持ちを隠しながら何度も犯人の数を訊く。時間だけが流れ、突入するかと考えると、隣にいた女職員が後ろに縛られた手で指を一つ立てた。
一人、と。
なら、こんな場所でグダグダしている暇は無い。黒薙は銃口を視界に映った犯人の頭に向けた。もう、あんなミスはしない。一撃で間違い無く殺す。
パシュッ、とサイレンサーによって殺された銃声がした。ぱっ、と犯人の頭から鮮血が飛ぶ。人質の悲鳴の中で微かに呻き声がした。
倒れ込んだ犯人は動かない。動揺した人質の声が揺れ、寝不足でぼんやりとした脳に響く。扉を蹴破って一応他の犯人の姿を探すが、無い。安堵の息を漏らした。
「警察です、助けに来ました」
先程犯人の数を教えてくれた女職員の両手を拘束するロープをナイフで切り、正面出口のシャッターを開く。昼間の太陽の光が差し込み、備えていた警察のパトカーが姿を現す。
黒薙が犯人を射殺した事を確認すると機動隊が突っ込んで来る。彼等はいつだって良いとこ取りで、遅過ぎる。犯人のマシンガンから銃弾を全て抜いた後で黒薙は走り出した。
嫌な予感が胸にある。心臓が痛い。
微かに聞いた犯人の断末魔、ネゴシェーターと交渉していた犯人の声は、同じだっただろうか。
心なしか、もう少し低かった気がする。どちらも注意深く聞いていた訳では無いからはっきりした事は言えないが、どうにも嫌な予感が胸の中で渦を巻いて低く唸っている。心臓が、痛い。
受付を飛び出して階段を駆け登る。心臓が耳に移動したように、大きな音が轟く。だが、黒薙は足を止めた。上からの気配。やはり、単独じゃなかった。
そうなると佐倉が心配だった。ゆっくりと下りて来る気配を前に黒薙は酷く冷静に銃を構えている。
カツン、と階段の滑り止めが鳴った。正面に覆面の男。腰にあるのに銃も構えていない。
「――黒薙灯か?」
黒薙は眉を寄せたが、答えない。名を知られている事に対して疑問は無い。
その業界では黒薙の名は知れ渡っているし、追うばかりではなく、命を狙われる対象でもあるからだ。だが、男は小さく舌打ちして踵を返そうとした。少し焦っているのか、つま先を引っ掻けた。
黒薙は銃を上げ、背中を向けた犯人の頭を撃ち抜いた。脳が弾け、血液が上から雨のように降り注いだ。
頭に鉄の臭いがこびり付く。黒薙は目の周辺だけを拭って走り出した。
(何だ? 何が、起こってる)
どうして、背を向けた。どうして、殺さない。
疑問が頭の中で津波を起こしていた。
黒薙と別れた後、佐倉は二階に上がって部屋を一つずつ丁寧に調べて行った。犯人は単独だと言われていたが、黒薙の言う通り鵜呑みには出来ない。全ては憶測に過ぎないのだから。
確かに犯人は単独で駅前で銃を乱射して七人殺し、ここに立て篭もった。だが、もしかしたら全ては計画されていてここで落ち合う約束をしていたのかも知れない。更に可能性は低いが、同じ頃に銀行強盗がここに忍び込んでいたと言う事もある。
いざと言う場面では起こり得ない事が平気な顔して発生する。だから、恐いのだ。
そっと四つ目の扉を開ける。黒薙に犯人と接触するなとは言われているが、何が起こるかは分からない。一応銃をホルダーから外して構えた。
部屋は空だった。誰もいない。書類などがロッカーの中に乱雑に詰め込まれている。安堵の息を吐こうとして動きを止めた。微かな、気配。
咄嗟に銃口をその方向、机の下に向けた。人影が揺れる。小さい。
銃を下ろさずに覗き込むと、小さな少女が震えていた。
「こんなところに……」
隠れていた。
(いや、どうしてだ?)
何故隠れている。犯人は単独で、ここを見回ったのか。それもおかしい。単独犯が二階に行っている間に受付にいた人質は皆逃げれば良かった筈だ。
兎に角。
「俺は警察だ。君を助けに来たよ。……おいで」
とにかく少女を抱き上げて脱出しなければならないだろう。扉に手を掛け、脱出しようとして動きを止めた。
(この子だけか?)
もしも、他に隠れている人がいたらどうする。可能性は低いが、ゼロではない。犯人が単独ではない可能性が上がって来ている状態で、その人を放って置けば間違い無く殺されるだろう。助けなければ。でも、黒薙の声が過る。
頭の中で答えを何度も否定し合い、佐倉は小さく咳き込んだ。
(灯さんは――、冷徹だ)
つい先刻の遣り取りが、佐倉の行動を決定させた。黒薙と言う人物の裏切り、絶望、諦め。それらが足を他の扉へと促す。
その頃、黒薙は受付で犯人を射殺している。人質のざわめきが壁を通して響いていたが、佐倉には届かなかった。
少女を抱えたまま部屋を出て次の扉へ向かう。銃を構えるが、部屋の中は空だ。残すところ部屋は後二つ。このまま何も無ければ良い。一応部屋に入って中を確認する為に少女を下ろした。やはり、誰もいない。
小さく溜息を吐いて扉を押し開けた。その時だった。
ターンッ、と銃声が響いた。廊下にきっちりと張られたタイルに丸い穴が空き、硝煙が昇る。つま先から数センチと離れていない距離だった。咄嗟に扉の方へ隠れようとした時、気付いた。
あの少女は、何処に行った。
ふっと目を上げると、その少女が扉の向こうにいる。
「あっ――」
思わず手を伸ばした。だが。
ターンッ――
短い筈の銃声が、尾を引いて長く聞こえた。小さな体がスローモーションにゆっくりと傾く。目の前で鮮血が空中に舞い、白い壁に貼り付く。頭蓋骨が床に鳴る。喉が空気の抜けるような音を立てた。
嘘だ、と頭の中で否定した。咄嗟に廊下に飛び出して少女の死体を抱き上げる。だんだんと冷えて行く、動かない。
背後で銃を構える音がした。ゆっくりと振り返ると、男が銃口を向けて笑っている。佐倉も銃を持つ腕をゆっくりと上げた。
頭の中が真っ赤になって何も判別出来ない。人か、物か、敵か、味方か。
男が引き金を引く。だが、弾が発射されない。焦った表情、すぐさまもう一丁を構える。佐倉は既に、撃っていた。
乾いた銃声が、二つ。男は撃てなかったのに、二つだ。
男の体が大きく後ろに仰け反って倒れた。銃声は、背後から聞こえた。
「……灯、さん」
片手で少女を抱えたまま、佐倉は振り返る。頭から血を被ったような黒薙が銃を構えて立っていた。
「俺が頭を撃ち抜いた。お前の撃った弾は壁にめり込んでる」
「どうして、ですか!」
佐倉の叫び声が廊下に反響した。黒薙は制止するが、少し長くなった前髪から滴り落ちる血を拭う。持っていた銃をホルダーに収め、佐倉の手から離れない銃を取り上げた。
「殺され掛けてたくせに、よく言う」
黒薙の銃弾で男は即死、死体が後ろに傾いたところで佐倉は撃ったので、銃弾は壁にめり込んだ。白い壁に開いた穴は二つ、黒薙のものは貫通したのだろう。
佐倉が抱えている少女の遺体を抱き上げ、黒薙はその目を閉じさせた。きっと、何が起こったか分からなかっただろう。
「保護を最優先しろって言ったよな」
口調が怒りを含んでいる。佐倉は何も言わなかった。
「銃を使うなって言ったよな」
佐倉の頬に涙が伝っていたが、気付かないフリをした。黒薙は背を向けて歩き出す。少女の指先から血液が滴り落ちて廊下に紅い染みを作った。
「お前は、人を殺すにはまだ早ェ」
「アンタはこうやって、簡単に殺すのに……?」
「俺を其処等の快楽殺人者みてェに言うんじゃねェよ。別に、殺したくて殺してる訳じゃない」
口調は変わらず苛立っているが、やはり、表情に変化は無い。
「感情で人を殺すな。悪ィが、そんなヤツとはこの先組みたくねェ」
それだけ言って、黒薙は佐倉の視界から消えた。
残された佐倉は暫く動けなかったが、後から来た警察に外へ運び出された。佐倉はぼんやりした頭で自分の車に戻る。黒薙の姿は無く、遠くで少女の遺体を抱き締めて泣き叫ぶ母親の姿が見えた。
感覚が酷く鈍っている。思考が追い付かない。このまま車に乗ったら事故を起こすかも知れないが、車を置いて行く訳にもいかない。
どうにか車を走らせて佐倉は本部に戻ったが、黒薙の姿は無かった。
2007.10.14
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