1.最後の大会




 ジリジリと肌を焼く灼熱の太陽。丸い空には大きな入道雲が浮かんでいる。直接太陽によって照り付けられる扇形をしたグラウンド。球場である。

たった今、中学生の全国大会決勝戦が行われている。


 飛び交う歓声。その中心は、地面から数十センチメートル高くなるように土で盛られたマウンドの少年。紺色の帽子を被り、ユニホームは縦のストライプ。滴りそうな汗をユニホームの袖で拭う。

 対するバッターボックスで構えるのは四番バッター。最強打者。黒いヘルメットを深く被った少年。ユニホームは白。今までの試合経過の中で汚れ、土色をしている。

 九回裏。一対三の二死満塁。ピッチャーにとっても、バッターにとっても緊張の走る対戦。ここでホームランならサヨナラ勝ち。打たなければ―-――。

 大きく振りかぶってピッチャーは球を放った。直進し、スパァンと音を立ててミットに収まった。ストライク。審判の声が響く。

 気を引き締めるようにメットを被りなおすバッター。サラサラとした短い金髪が揺れた。そして、再びバットを構える。黒色の鋭い瞳がピッチャーを見つめる。

 同じモーションでピッチャーは球を放った。ギィンと濁った音がしてバッターの後ろのフェンスにぶつかった。ファウル。再び審判の声。

 チッと舌打ちするピッチャー。バッターは何事も無かったかの様に構えた。会場は静まり返って二人の対戦を凝視する。

 第三投目。ググッと少し曲がった。カーブ。しかし、少しストライクゾーンから外れてボールとなった。バッターは瞬きひとつせずに、ただ球を見ていた。そして、ザッザッと地面を慣らした。

 返球を受け取ったピッチャーは、手の中で何かを確かめるように球を転がした。そして足元のロージンバッグを拾い上げた。駆け引きは通用しない。パンパンと何度か叩いた後、ロージンバッグは白い粉を散らしながら、再び足元に落ちた。

 半ば睨みつけるように、ピッチャーはバッターを見た。バッターの視線は動かない。周りから音が消えたような気がした。

 四球目。シュッと衣擦れの音が聞こえ、球はミット目掛けて飛んで来る。バッターは右足でタンッと地面を蹴り、片足を上げた。目は球一点に向けられ、バットを振り切った。

 だが、鈍い音がして球は後ろに飛んだファウル。どちら側からのベンチからもどよめきの声が上がった。走者は心配そうにバッターの少年を見つめている。

 ツーストライク。次の球がミットに収まった瞬間。チームは負ける。敗北。キャッチャーはピッチャーにサインを送る。バッターが構えるとピッチャーは少し口元を歪めた。次の一球で…。互いにそんな事を考えていた。

 恐らくは、試合の勝敗を決める一球。それが今、投げられた。ストレート…が、ミット目前で少し下に落ちた。
 バッターではなく、キャッチャーが驚いた様に目を見開いた。暴投。その球を追う様に慌ててミットを下に下げる。だが、キィンと澄んだ音がした。キャッチャーの目に銀色の円筒形の物が映った。




 打球は―――。




 青空に吸い込まれる様に高く上がり、放物線を描いてゆっくりと、ゆっくりとライト方面の観客席に消えて行った。数秒の沈黙が流れ、一気に歓声が上がった。




 ホームラン。


 満塁サヨナラホームラン。決勝戦に相応しい劇的な逆転。走者は口元に笑みを浮かべながらホームへ戻って行く。

 それを対戦校は見つめていた。がっくりと肩を落としている者もいれば、悔しさに拳を握り締めている者もいる。絶望を感じ呆然と佇む者もいた。



 その中で、金髪の少年は三塁を蹴った。

 ホームまで後三メートル、

二メートル

一メートル…。

 ホームイン。ワッと大きな歓声。試合を共にして来た戦友とも言えるナインはそこに駆け寄った。ホームベースを踏んだ瞬間、ナイン達の手厚い歓迎。


 「よくやった!」
 「さすが部長!!」
 「ナイスバッティングです!!」


 殴る者や、抱き付く者。嬉し涙を零す者。それは様々だったが、対戦相手とは対照的な動作だった。


もしも、あの時打ち取られていたら、これはまるっきり逆になっていただろう。


 周りの喜びを隠し切れないナイン達から離れ、バッターだった少年はピッチャーに近づいた。深く被っていたヘルメットはいつの間にか無くなっていて、金の髪があらわになっていた。


 「ナイスピッチング」


 慰める訳でもなく、諭す訳でもなく、少年は語りかけた。ピッチャーは俯いていた顔を上げた。視界は歪んでいる。

 目からはポタポタと雫が零れ、足元には丸いシミが幾つも作られていた。


 「優勝…、おめでとう」


 血が滲むほどに唇を噛み締めて少年は言葉を返した。金髪の少年は左手を差し出した。土に汚れた手だった。黒く焼けた肌が、マメだらけの手の平が、今までの練習量を物語っている様だった。


 その手を取ってピッチャーは笑った。同じように黒く焼けた、土に汚れた手だった。それこそ、何百、何千回投球したのか解らない程のマメが手にあった。金髪の少年に表情は無かった。それが、相手に対する自分なりの礼儀だった。


 「あんた、名前は?」


一言一句を噛み締めるように、ピッチャーは震える声でしっかりと続けた。少年は柔らかく笑った。嫌味のない笑顔で


 「櫻庭」


と、答えた。ピッチャーは、覚えておくよ。と言い残して自分のチームのベンチに戻って行った。場内のアナウンスが告げる。




    「優勝校 兵庫県代表 大崎中学校」




 三年生にとって、最後の大会が幕を閉じた。