12.二人の天才




 早朝五時。空はすでに明るく青が広がっている。阪野第二高校校門付近には野球部約八十名は集まっていた。数台のバスが送迎され、出発を待っていた。
 その数分後には監督吉森が現れ、野球部はバスに乗り込み合宿の目的地である千葉へと向かった。
 都会の様なビルなどは消え失せ、景色には緑が多く見られ始めた。合宿の地は近い。緊張感が現れる。同時にわくわくと言う悦びも。
 毎日繰り返す反復練習では、どうしても緊張感と言うものが無くなる。そんな部員にとってこの合宿は刺激になるだろう、と尾崎は少し思った。その隣で遊びつかれた古川は眠りこけていた。
 その連なるバスの後ろから二番目。一年生に占領された最後尾のバスとは別のバス。二年と一年数名のバスだ。そこに裕はいた。岡沢達と同乗させなかったのは恐らく尾崎の配慮だ。

 「なあ、裕」

 バスに揺られ、トランプ、ウノなどの恒例のゲームに飽きて皆が眠り始めた頃だった。その中で裕は眠る事もせずに、後ろに飛んで行く景色をぼんやりと眺めていた。
 その隣で、俊は言った。裕はゆっくりと顔を向け、何?と言った。

 「お前、兵庫から来たんだっけ?で、甲子園で会う約束してんだろ?」
 「そうだよ」

 唐突な問いだったが、裕はすんなりと答えまた外へと眼をやった。

 「兵庫、どんなとこだった?」
 「…いいとこだったよ」
 「楽しかったか?」
 「楽しかったよ…」

 生涯、俺は忘れない。あの頃は全てが輝いていて。嫌な事さえ今は愛しくて。あの頃に戻れたら、なんて未だに考える。甲子園での約束をした今でさえ。
 裕は鼻を啜った。俊は小さく溜息を吐き、そして舌打ちした。

 「…思い出して、涙ぐむくらいなら、あのまま向こうに残れば良かっただろ」

 お前に会えてよかった、なんて勝手な事を言いながら、絶対に甲子園に行くなんて言いながら。中途半端過ぎる。いい加減だ。割り切れないやつが、過去さえ犠牲に出来ないやつが、甲子園なんて軽軽しく口にしていい訳が無い。

 「駄目なんだ…。あの道は俺達には狭すぎて、同じ道を歩む事は出来なかったんだ」

 互いの為に。同じ道は歩めないけど、同じ夢を見る事は出来る。だから、俺達は道を別つ事にしたんだ。

 「我ながら女々しいよ。あの頃に戻りたいなんて、後悔したりして。前に進むしか無いって解っているのに」
 「…くだらねぇ」

 俊は吐き捨てた。

 「うっせぇな。お前に理解してもらおうなんて思っちゃいねえよ」
 「大体よ、お前が甲子園に行けても向こうが行けないなら意味が無いだろうが」
 「それは、有り得ない」

きっぱりと裕は言い切った。

 「名前ぐらいは知ってるだろな。笹森エイジと浅賀恭輔」

俊は眉を顰めて裕を見た。知らないはずが無い。
 野球の名門として有名な甲子園常連校、明石商業。その厚い層の中に今年突如として現れたルーキー。笹森エイジ。ポジションは捕手。巧みな戦略と豊富な知識を持って、凡才な投手さえも一流の投手に仕立て上げた一年。
 同じく野球の名門校、去年、今年ともに優勝を成し遂げた県立朝間高校の秘密兵器。常に全国区の猛者に揉まれる中で現れた秘密兵器、一年の浅賀恭輔。強烈な直球と鋭い変化球を持ち合わせたプロからも注目を浴びるピッチャーだ。まさに、野球をする為に生まれて来た様な男。
 共に、天才と呼ばれ騒がれている。

 「本当だよ」

 信じられない、と言った表情の俊に言った。
 知っている人は知っている二人の名前。一年でありながら、その実力はプロでも即戦力。

 「あいつらはもう、甲子園に辿り着いているんだ」

自分だけが。自分だけが残されている。置いて行かれている。
 二人はもう、すでに約束の舞台に立っている。そして、待っている。待たせる訳にはいかない。

 「だから、俺は少しでも早く、甲子園に行くんだ」
 「蜂谷…」

裕ははっとして前を向いた。そのには、椅子の向こうから覗き込む赤星の顔があった。
 寝息を立てているチームメイトの中で赤星はけらけらと楽しそうに笑う。

 「お前の夢が甲子園、そこでの再会。その相手があの笹森の浅賀とはなぁ…」
 「何処から聞いていたんですか」
 「最初から☆」

悪びれもせずに赤星は笑った。裕は小さくため息を吐いて苦笑した。

 「お前って、本当に不思議だよな」

赤星は言った。

 「どうしてか、お前の周りには“天才”が集まる」

 その笹森も、浅賀も、俊や脩、浩人に尚樹。どうしてか、いいものばかりが集まってくる。その中心にいる蜂谷は天才と呼ばれている訳でも、野球に愛され体格に恵まれた訳でもない。

 「俺、本当に合宿楽しみにしてたんだ」
 「そうなんですか?」
 「最終日、紅白戦するんだ。その時だけは、監督の指示ナシで互いのチームのキャプテンがメンバーを決める。その中でどんなチームが出来るのか。もしかしたら、お前らと戦えるかもしれない」
 「俺も、そう思う」

赤星の隣からひょっこりと顔を出した小柄で浅黒い少年。二年で赤星と特に仲のいい部員だ。名前を松本と言う。

 「初日、スポーツテストみたいな事するらしいぜ、主将情報。今年は、紅白戦出たいもんな。一年なんかに負けないぜ」

 松本は笑っていた。そして、尾崎の話を思い出した。三年ばかりがでしゃばっていて一、二年は大した事は出来なかった、と言う過去。
 大声で豪快に笑う松本に赤星が軽く小突くと、やったな、と冗談交じりの取っ組み合いが始まった。音が激しくなり静かだったバスの中も騒がしくなり、寝ていた部員も起き始めまた元の騒がしさが戻っていた。
 それを傍観しつつ裕と俊は笑っていた。