18.最良のバッテリー
グラウンドに散って行くAチーム。立ち直した赤星、そして、一年とは思えない俊の投球により試合は投手戦となり膠着したまま動かない。そして終に、最終回を迎える。
九回表。Aチーム最後の攻撃。打者は二番、市河俊。
俊はバットを構え、バッターボックスに立った。点差は一点。次の回でスリーアウトに持ち込めれば、ここで打たなくともAチームの勝利だ。俊は構えた。
とは言え、取れるならばそれに越した事は無い。二番からの打席は、例え二者連続三振でも四番の尾崎に回る。Bチームは、敗北の一歩手前まで来ている。
赤星は構えた。そして、僅かに頷く。これまでの回、赤星はまったく打たれなかった訳では無い。ただ、点を取られなかっただけだ。俊は一切の進塁を許さない。
対照的なバッテリー。
(足りないもの…。)
俊は思った。それが解らないまま、終に最終回を迎えた。
第一球。ストレート、外角低め。俊はバットを振ったが、あえなく空振り。球はミットに納まった。審判がストライクと叫んだ。
第二球。赤星が投げたのは、直球だったのに。
「……ッ」
打者の手前で、鋭く落ちる球。フォークだ。赤星の武器は確かに高身長から繰り出される剛速球だが、多種多様の変化球も武器の一つ。
その変化球は、確かに俊には無いものだ。俊よりも長く、野球に携わってきた赤星ならではの持ち球。
打球は、ボテボテとピッチャー前に転がって行く。そのゴロを軽く捕球し、ワンアウト。
三番は浩人だ。松本に比べ、体格に恵まれた浩人。
「…市河。『足りないもの』、解ったか?」
今までその事に触れて来なかった尾崎が言った。
「変化球っすか?」
「…いや、違う。まあ、それでもいいんだけどな」
尾崎は小さく溜息を吐いた。
その頃、審判は二度目のストライクを叫んだ。
「…赤星と松本。市河と爾志。あいつ等には、お前等の様な天賦の才。つまりは、才能ってもんがお前等ほど無いんだよ」
その時、鋭い音が響いた。ヒットだ。爾志は走った。打球は裕の構えるショート。ここは、一度として打球が越えていない。鉄壁の守備、矢の様な鋭い送球。爾志は滑り込むが、それも虚しくアウト。
次の打者は。
「…よく、見てろよ」
四番。尾崎晃平。
赤星は爾志を気にしつつ、打者を見た。打者は赤星松本にとっての天敵だ。二回表に初球でホームランを打たれてからはそれほど大きな事は無かった。
最終回。ワンアウトランナー無し。
赤星は構えた。松本のサインを受け取って、頷く。そして第一球。
放られたストレート。その速度は130kmに届く。その辺りのピッチャーよりは速い。だが、尾崎にその程度は通用しない。
バットを掠って打球は松本の後方へ。初球から当てて来る。ファールだ。Aチームが盛り上がる。
赤星は奥歯を噛み締め、次の為に構える。松本は、口元を少し歪めて一つのサインを送った。
シンパイスルナ カナラズ カツ
赤星は笑った。そして、笑顔で頷いた。
蜂谷は、信じていると言った。松本も、信じて疑わない。
赤星は投げた。尾崎はスイングする。だが、球は恐ろしく綺麗に、ミットに納まった。ストライク、と審判が叫ぶ。バットに当たる直前にカーブした。バットを避ける様に下へのカーブ。ドロップと呼ばれる変化球だ。
一連の遣り取りを見ていた尾崎は苦笑した。何故か、笑ってしまうのだ。嬉しくなって。尾崎はこのバッテリーが好きだ。何か温かいものを感じる。
赤星が再び構える。松本のサインを受け取って頷き、投げる。尾崎も構えて、球を追う。だが、球は尾崎の視界から消える。それが打者の直前で沈む球、シンカーだ。
ストライク。後が無くなった尾崎だが、どうしてか、追い詰められた気にはならない。
赤星は無言で構える。
市河、爾志が天に愛され、『最強』となるべく生まれたバッテリーならば、赤星、松本はきっと違う。最強ではなくて、それでも、負けない。言うならば。
「ストライクッ!」
『最良』のバッテリー。
尾崎の三振にAチームは驚きを隠せない。だが、古川は何処か嬉しくて堪らないと言った表情で戻って来た尾崎の肩を叩いた。
赤星は、笑っている。嫌味な笑いではなく。
続く打者は古川。副主将だ。実質上、No.2のバッターだ。ツーアウトランナー無し。
「…解るか?市河、爾志」
ベンチで休む二人に尾崎は声を掛けた。
「あいつ等は、俺の最も信頼するバッテリーなんだ」
どんな窮地でも、絶対に崩れない。確かに才能は俊や浩人に比べれば小さなものだ。だけど、あの二人は信頼で成り立っているバッテリーだから。実力で成り立つ俊と浩人とは違って。
その時。キィインッと断末魔の長い金属音がグラウンドに響く。打球は、二回表に見た様に青空に吸い込まれ、フェンスの奥へと消えて行った。
一瞬遅れての歓喜。ホームランだ。二度目のホームラン。
赤星は肩で息をしながら、呆然とダイヤモンドを回る古川を見ていた。
2−0
九回表に来てBチームは離される。
「…流石、古川だな」
戻った古川に声を掛け、尾崎は笑った。赤星が連投で疲れて甘くなっていた事も原因の一つだが、天敵である尾崎を打ち取った事が大元の原因だ。
油断が、球を甘くした。敵は尾崎一人ではない。
マウンドに集まるナイン。中心は赤星だ。
「大丈夫かよ、赤星」
「…すんません。また、俺のせいで」
勝利は、見えた瞬間に逃げる。代わりに現れたのは、敗北。その二文字が、目の前にちらつく。
「…二点差くらい、どうとでも出来ますよ」
Aチームの投手が俊だと知っていて、理解した上で裕は言った。
どうして、これが紅白戦でありながらA・Bで分けられているか。それは、簡単な理由だ。Aチームは殆どが正規のチーム。逆にBチームはそれ以外の寄せ集め。
実力で劣っているのは、誰もが知る事実。
「…諦めないで下さいよ。まだ、大丈夫です。二点取られたんなら俺達が三点取ればいい話。諦めたら負けですから。」
この状況をどうにか出来るような、巧い言い回しなんて知らない。だけど、負けたくない。あの夏の最後の試合だって追い込まれて、追い込まれて、それでも、諦めなかったから、勝った。
「…ここで諦めたら完全な負け犬だぜ?赤星」
「…そうだな。蜂谷、ありがとう。やろうぜ、松本」
活気が帰って来る。
それが、尾崎さえ恐れたこのバッテリーの恐怖。
その後、持ち直した赤星により六番を三振で抑え、2−0のままBチームは最後の攻撃を迎える。
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