20.届かない距離。




 熱い。

 心臓がドクドクと音を立てて、汗が川の様に流れる。髪の先からその汗の雫が枕に滴り落ちる。息がし辛い。ヒュウヒュウと喉が音を立てる。
 苦しくて、苦しくて。右手の甲を額に乗せると、蒸発しそうな程の熱を感じた。

 マズイ、な。

 余りの息苦しさに、思わず咳き込むと隣で寝ていた尚樹が覗き込んだ。どうした、と問い掛けると同時に驚いた様に眼を開いて慌てて電気を点けた。
 蛍光灯の光が眩しくて、目を細めるとすぐに俊と浩人が起きて枕元に座った。そして、俊は大丈夫か、と問い掛けて浩人はすぐに監督を呼びに行った。

 どうして、こんなに急に。

 その思いは、そばに置かれた携帯電話を見てすぐに解った。
 画面には時計とその日付が記されていて、時刻は十二時を過ぎて日付は今日になっていた。

 今日は、両親の命日だ。

 監督や尾崎、心配した赤星、松本が部屋に訪れたのを知ったのを最後に、記憶はそこで途絶えた。





 かちこち かちこち。
 時計が時間を刻んでいく音が煩わしいな、と思って目を開いた。そこには白い天井があって、元の部屋ではない事を理解した。
 頭が痛い。まるで、耳元で除夜の鐘でも衝かれている様に、ぼーんと鈍い痛みが響く。気休め程度に頭を抱えてゆっくりと体を起こすと、そこが臨時の医務室である事を理解した。
 時計に目を遣ると、時刻は十四時半。今頃、皆は練習しているだろう。
 昨夜ほどの熱は無いだろうが、全身を襲う気だるさと熱っぽさは未だ取れない。体温計を探そうと思った。
 誰もいないだろう、と自嘲染みた笑いを小さく零し、周りを囲む薄い青色のカーテンをカラカラと動かした。だが、そこには人がいた。余程弱っているのか、余裕が無いのか。その気配を感じる事が出来なかった。

 「おはよう、蜂谷君」

 茶色のベンチに腰掛けている少女。それまで読んでいた本を下ろして、傍にあった体温計を裕に渡す。
 裕はその少女を知っている。スポーツテストの時、握力測定をしていた少女だ。それだけじゃない。学校の練習でも、度々その姿を見た。マネージャーの一人で、同じ一年生だ。

 「おはよう…。外岡さん…」

 少女の名は外岡紗枝と言う。
 裕は体温計を受け取って、小さく頭を下げながら傍のイスに座った。

 「平気?」
 「あ、多分。…大丈夫。…もしかして、残ってくれたの?」

少女は微笑んで、肯定の意味を示した。
 申し訳無いな、と思った。

 「ごめん。迷惑掛けて…」
 「気にしないで。これが仕事だから」

 丁度、体温計が電子音を上げて体温測定の終わりを告げた。見れば、ほとんど平熱に戻っている。これなら、明日の長谷商業の練習試合には間に合う。出られるかどうかは別として。

 「熱、下がったよ」
 「よかった。…あ、そうそう。今日は練習だったんだけどね。長谷商業との練習試合、今日になったんだ」

 ガタンッと勢いよく立ち上がる。驚いた少女は目をまん丸に見開いた。だが、次の瞬間に脳を揺さぶる様な衝撃が走って、イスに崩れる様に座り込んだ。

 「…大丈夫!?」
 「あ、ごめん…」

 神様は、本当に俺の事嫌いなんだな。俺に、野球をさせたくないらしい。
 どうしてこうも、俺は…。

 「まだ、試合終わってないと思う。だから、見に行く?」
 「行く!!」

 紗枝は笑った。





 「…蜂谷君、昨日すごかったね。足、速いからびっくりしたよ」
 「あ…」

 作戦とは言え、勝つ為とは言え、仲間を騙していた。皆はその程度、と笑うだろうが罪悪感は残る。

 「ごめん…。騙して」
 「謝らなくていいんだよ!これで、阪野二高の未来は明るい!!」

 紗枝は笑った。後で赤星達にも謝らなければならないと思ったと同時に、キィンと言う金属音が響いた。そして、沢山の歓声。
 気付けば目の前にあるグラウンド。その外から、緑色のフェンス越しに覗く。点数は未だ0−0の接戦。ピッチャーは、俊だ。キャッチャーは浩人。打ち取った!
 クルクルと回るバッターに、投げ込まれる俊の球。





 どうして、俺はここにいるんだ。





 どうして、立てない。どうして、この体は、動いてくれない。






                                悔しいよ。




 フェンスをより強く握り締めて、歯を食いしばる姿を紗枝だけが見ていた。