22.墓前の誓い




 「親父、お袋」

 一際寂しい風が吹いている気がした。辺りは夏らしく緑色で溢れ返って、小さな山を森の様に変貌させている。周囲の墓前にも来訪者が多く、小さな子供は『お盆』と言う行事の意味も解らず楽しそうにはしゃいでいる。
 裕は、隣に立つ瑠と共に両親の墓の前に立っていた。死んだのは、もう一年以上も前。月日が経つのは早く、あの深い悲しみさえも忘れてしまった。
 二度と聞く事の無い両親の声も、見る事の出来ない笑顔も。もう、懐かしいと言う感覚しか残らない。死ぬには早過ぎたね。もっと、生きて欲しかったよ。
 見て欲しいもの、知って欲しいもの。沢山在るよ。だけど、もう、出来ない。

 「…俺達は、相変わらず元気だよ」

 瑠は無言で、正面の墓に記された『桜庭』と言う名前を見つめていた。

 「名前、変わったけど、馴染んだよ。もう、桜庭って誰だっけって感じ」

 裕は笑ってみた。つられて、瑠も小さく笑った。辺りの騒がしさが遠く、遠く聞こえる。漂う線香の何処か懐かしい匂い。供えられた菊の花束。
 この場所に来ると、両親が死んだと言う事実、自分の無力さを嫌と言う程確認させられる。それでも、来ずにはいられない。この場所には、自分の父と母が眠っているのだから。
 だから、哀しくなるのだ。

 「親父、お袋…」

 また、笑おうとした。でも、笑えなかった。それを誤魔化す様に墓石の前にしゃがみ込む。

 「…苦しかったね」

 一際強く風が吹いた。裕は目に溜まった涙を零すまいと空を見上げた。空はいつだって青くて、広くて。小さな悩みなんてちっぽけなものだ、と思わせてくれるけれど、時には残酷過ぎて。

 「…ごめんなさい…」

 肝心な時、自分はいつもいない。それでもここに立っているのは、沢山の人に護れらて来たから。吐き気がする程嫌になる。こんなにも弱い自分が。
 強くなりたかった。誰も傷付けないで済むくらい、強く。大切な人を、夢を掴み取れるくらい強く。

 「兄ちゃん…」

 早朝出発し、新幹線に揺られる事数時間。この兵庫県に到着した。途中に会った人々はまだ裕と瑠を覚えていて、嬉しそうに話し掛けた。だが、来た理由を聞くと皆辛そうな表情をする。
 自分の事の様に喜んでくれる人々の優しさは充分に解る。けれど、その優しさが今は辛い。
 幸か不幸か。中学時代の友達とは余り会わなかった。そして、恭輔とも。強豪校のエースだから、練習があるんだよな。
 何時の間にか夕日が沈み掛けていた。その時間の経過の早さに驚く。紅過ぎる夕日は、血の様だ。それが沈み掛けた今は黄昏時。つまり「 逢魔が時 」だ。魔物が通り、禍が起こる前兆。

 思えば、「 あの日 」もこんな頃だった。
 禍は、ここに来たんだね。





 「裕ッ!!」





 振り返ると、そこには、恭輔がいた。高い身長。また、伸びた。鋭い目付き。たった四ヶ月だけど、変わった。いや、変わっていないのは自分だけ。

 「恭輔…」

 裕は黙った。恭輔は苦しそうに息をしている。それでも、ゆっくりと歩いて正面に立つ。完全に裕を見下ろす恭輔は、俊や浩人以上に大きい。

 「なんで、ここに…ッ」
 「墓参りだよ」
 「言ってくれればええやんか…」
 「…うん。そうだね」

 暫し、沈黙が流れる。気付けば周囲に人はいない。

 「なんで、黙っとんねん」
 「何て言ったらいいか解らない」
 「…神奈川の阪野第二高校やっけ?お前のおるとこ」
 「そうだよ」
 「強いんか」
 「そこそこね」

 不審そうに眉を顰めて恭輔は首を傾げた。裕は誤魔化す様に苦笑していた。

 「なんや。どないした?自信喪失か?」
 「ちょっと鬱病でね」

 恭輔は笑った。何処か馬鹿にした様な。だが、その程度で裕は怒りはしない。恭輔はこういう人間だ。人間、そうは変わらないな、と思う。

 「もう、立てへんのか」
 「え?」

 恭輔は、小さく溜息を吐いた。

 「約束、忘れてへんやろ?」
 「当たり前」
 「甲子園、行けんのか?お前はその程度か?」
 「何言って…」
 「お前は鬱病とちゃうねん。全部背負って、立てななって、それでも、助けを求める方法知らんねんな」

 たった一人で生きられる人間なんていない。それが解ってるくせに、たった一人でやろうとするからこうなる。昔からそうだ。近くに誰がいても。

 「傍に誰もいないんか?ちゃうやろ?」
 「うん…」
 「やったら、助けて言うて助けてもらえばええ。お前のやってる事は、失礼やで」
 「うん…」
 「まあ、親父とお袋あないな事なってんのに、笑えるお前はすごいて思うで?例えそれが作り笑いでもな」

 気を使う事も無く、恭介は淡々と述べた。

 「お前、ほんまは墓参りに来たんとちゃうねんな。背負ったもん、一旦下ろしに来たんやろ」

 背負い過ぎて、苦しくなったから。まだ、向こうじゃ下ろせる程に信頼するものが見つからないから。そんなに笑顔でいながら、人の傍にいたがりながら、本当は誰一人信用していないんだ。

 「下ろしたらあかん。背負い続けろ。お前が決めた道や」
 ( ここで下ろしたら、きっとこいつは立ち上がれない。 )

 何処か命令の様な口調で恭輔は言った。目は真剣そのもので、まっすぐに裕を見ている。

 「解ってる」
 「…ここで誓え。途中で、諦めんて。止まらへんてな」





 「誓うよ」





 真っ直ぐな目で、はっきりと裕は答えた。もう、迷わない。立ち止まらない。両親に誓う。走り続ける。全部背負って。転んでも、傷付いても、泥だらけでも、独りきりでも。
 風が、強く吹いた。

 「…ありがとう」

 裕は笑った。恭輔は調子を狂わされた様に頭を掻いた。

 「…いつまで、ここにおるん?」
 「今日だけだよ」
 「なんや、急やなぁ。…本家の人には、挨拶したんか?」
 「…いや、しないで帰るよ」

 裕と瑠の表情が僅かに曇った。恭輔は苦笑して話題を変える。

 「…そうか。あ、今日泊って行かへん?中学の集まれるメンバーで同窓会でもせんか」
 「いや、それは駄目だよ。瑠は連休…だけど、明後日試合なんだから」
 「お前、出るんか?」
 「いや…。多分出ないけど。行かない訳にはいかないだろ?今日だって休んでる訳だし」
 「ええやろ、別に。たまには息抜きも必要やん。人間なんやから。お前、今休まんと何時休むねん。明日帰っても試合には間に合うやろ。それに、今から切符買って帰るんやったら、向こうに着くの何時やねん。深夜やで」

 裕は改めて考え直した。深夜に帰宅するのは控えたい。迷惑を掛けてしまう。そして、小さく溜息を吐いて「 そうだね 」と言うと恭輔は笑った。

 「ほな、今すぐ皆に連絡するわ。お前もあちらさんに電話しとけ」