24.凶報




 ルルルルッ。
 新幹線の出発の合図が駅のホームに響く。周りには両手一杯の土産をぶら下げた中年男性、化粧直しに忙しい若い女性。楽しそうにはしゃぎまわる子供達。
 乗る新幹線を待ち、裕と瑠はベンチに座っていた。時刻は七時十五分。今日、阪野二高は甲子園予選三回戦。こんな大事な日に行けないとは。

 「兄ちゃん」
 「何だ?」
 「あのさ、俺…、兄ちゃんが嫌いだよ」

 プァーッっと新幹線が風と共に走る。別れを惜しむお婆さんとお爺さん。孫を乗せた新幹線は容赦なく出発する。

 「いつも、ヘラヘラしてて、怒りもしない。馬鹿にされても」
 「うん」
 「言われ放題でいいのかって思う」
 「いいと、思うか?」

 瑠は首を振った。
 こんな問いを、以前もされた。そう、あれは俊だった。怒らない事に、プライドは傷付かないのかと言った。

 「俺だって、怒る時は怒る」
 「怒ってるとこ、見た事無い。泣いてるとこも、見たこと無い」
 「当たり前だろ。弟の前で泣けるか」
 「…ッ。…お父さんとお母さんが死んだ時も、兄ちゃんは泣かなかった…ッ!!」

 駅に木霊する放送よりも、瑠の言葉が耳に響く。
 確かに、俺は泣かなかった。

 「なんで!?どうして、そうやって笑ってられるんだよ!!死んだんだよ?もう、二度と会えない…ッ!」
 「……」
 「兄ちゃんの考えてる事解んねーよ!!」

 裕は俯いた。だが、すぐに顔を上げた。

 「…お前に解らないならそれでもいい。だけど、いつか解る」

 悲しくなかった訳じゃない。辛くなかった訳じゃない。だけど、泣けなかった。泣いたらいけない、と言う訳の解らない責任感で、堪えた。
 瑠もいつかそんな思いをする日が来るだろう。だから、その日まで。

 瑠は首を傾げた。裕は苦笑して、目を正面の線路に戻す。ホームに入ってくる新幹線が自分達の乗るものだと気付いて荷物を持つ。そして、並ぼうと立ち上がった。

 その時だ。一人の女性が、ふらふらと線路に向かって歩き出していた。裸足に、手ぶらで。表情は無く、まるで吸い寄せられているように。



 「あっ…」



 ゴトンッと、鈍い音を立てて、女性は線路と新幹線の中に吸い込まれた。途端に聞こえる悲鳴が遠く感じた。空を切った手がそのまま止まって、目は呆然と。
 紅く染まったホームに駆けつける駅員。頬に付いたそれがまだ生暖かい。

 「えっ、あ……」

 ざわざわと揺れる野次馬。その中の一人が言った。





                「 跳び込み自殺 」だと。





 何が起こったのか解らずに訊く瑠の声。

 「今……」
 (死んだのか?)

 手を下げて、その呆気なさに驚く。
 そして、後悔。

 (止めようとしたのに…)

 人の命は、こんなに儚いものだったのだろうか。それは、自分の両親も同じだろうか。

 「自殺…?」

 ベンチの傍で呆然と佇む瑠を見て我に返る。すぐに駆け寄って線路に背を向けて、瑠の目の前に立つ。そして、自分に言い聞かせる様に「 大丈夫 」と繰り返した。

 「死んだの?」
 「…死んだ、と思う」
 「なんで?」
 「瑠」
 「なんで、あの人は死んだの?」
 「瑠…」
 「どうして!!」

 瑠の瞳から涙が零れた。
 見知らぬ誰かの為に涙を流せる瑠の純粋さと、優しさに目頭が熱くなった。だけど、それを見れば見るほど自分は冷酷な人間なんじゃないかと思う。

 「なんでだよぉ…」
 「あの人はきっと、今まで辛い思いをして来たんだよ。それでもう、耐えられなかったんだよ…」
 「それでも、死んじゃ駄目だ!死んでいい訳ないよ…」
 「…生よりも死は優しい。何故なら、死だけは誰にでも公平だからだ」

 瑠が何を言いたいのか解る。「 誰にも死んで欲しくない 」と言う純粋な願い。
 裕は表情一つ変えずに荷物を置き、次の新幹線の時刻を調べに行った。瑠は倒れる様にベンチに座り、手の甲で涙を拭う。

 瑠は無言で、残された女性の靴と荷物を見つめていた。





 時刻を調べ、その新幹線がどう見ても試合には間に合わないと知ると裕はがっくりと肩を落として瑠の元へ戻った。瑠は何を言う訳でも無く、もう片付けられた女性の遺品の置かれていた場所を見つめている。

 「兄ちゃん」

 ぽつりと、消え入りそうな声で瑠は呟いた。聞こえるか聞こえないか程度の声だったので、裕は少し戸惑った。

 「死にたいって思った事ある?」

 顔は向けずに、瑠は訊いた。真剣な目だった。裕は少し困った顔をして、小さく息を吐いた。

 「あるよ」

 はっと瑠が顔を向ける。どんな顔をすればいいのか解らず、裕は苦笑する。

 「死にたい、って、思った事は何度もある。だけど、それで終わりだ。本当に死のうとした事は無いよ」
 「なんで、死にたいって思ったの?」
 「そうだなぁ…。大切な試合を自分のミスのせいで落としたり、自分のせいで誰かを傷付けてしまったり、大切な人を失ったりしたからかな」
 「…兄ちゃんは、死なないでね」

 裕は笑った。

 「死なないよ。…思うんだよな。人が自ら命を絶つ時って言うのは、自分の場所や価値を見失ってしまった時なんじゃないかって」
 「場所?」

 裕は頷く。

 「自分を必要とする人のいる場所。自分でなければ駄目だと言って、待っていてくれる人達。それが無ければ、どんな人も生きられない」
 「あの人は、無かったのかな」
 「さぁ。俺は、多分本当はあったんじゃないかと思うよ。ただ、気付けなかったんだよ」

 涙を溢し、すすり泣く遺族達がホームから出て行く。
 きっと、こうして泣いてくれる存在に気付けなかった。

 「自分の場所…。俺にはあるかな」
 「あるよ」

 裕は即答して笑った。

 「家族だろが」

 世界中を敵に回しても、待っていてくれる人がいれば救われる。
 きっと、恭輔は知らない。恭輔が待っているといってくれた事で、どれほど裕が救われたか。

 「うん…」

 瑠は顔を上げた。もう泣いていなかった。それを確認すると、裕はまた笑った。

 「あー、皆どうしてっかなー。今試合中かな。勝ってるといいな」
 「甲子園行くんでしょ」
 「当たり前だろ」

 そして、笑う。周りの人間は不謹慎だと怒るかもしれないが、笑った。
 今まで亡くなった人の為にも、沢山。





 阪野第二高校が三回戦敗退と言う凶報が届いたのは、その数時間後だった。