25.受け継がれる意志




 「負けたって、本当なのか…?」

 辺りはすっかり暗くなっていて、人通りも少ない。夏だと言うのに肌寒い。部屋の中は白い光が満ちている。俊は床に座ったまま「 そうだよ 」と、はっきりと言った。

 「そんな馬鹿な…。相手は…」
 「相手は東光学園。今大会のダークホースだ。あんなの、野球じゃねぇよ…」
 「どういう意味?」

 俊は悔しそうだった。

 「俺達は、たった一人と戦って負けたんだよ。それも、一年だ」
 「一人…?」

 意味が解らずに裕は首を傾げる。

 「如月昇治。一年だけど、レギュラーピッチャーの四番。三打席連続ホームランで0−3で俺達は負けたんだ」
 「尾崎主将も、歯が立たなかったのか…?」
 「そうだよ…」
 「そっか…。…ごめん…」
 「お前が謝る必要なんて無い」
 「でも、行けなかった…」

 目の前に立ちはだかる壁が、より高くなった。だけど、今はそれ以上に悔しくて、悲しくて、もどかしくて。

 「行けなかった理由は皆知ってる。…文句言ったヤツもいたけど、赤星先輩はお前がいなくて良かったって言ってた」
 「なんで?」
 「こんな、惨めな試合見せなくて済んだって」

 赤星らしいと、普段なら笑った。
 だけど、余りに呆気ない。こんな簡単に終わってしまうものなのだろうか。

 「皆泣いてた。尾崎先輩は、皆の前では笑ってたけど…」
 「…ごめん」
 「だから、謝るなよ」
 「でも、他に言葉が見つからない…」

 裕は肩を落とす。慰めや励ましの言葉は掛けられない。安っぽい同情なんて出来ない。
 何を言うべきだろうか。

 「裕、謝らなくていいから、約束しろ。これから先、どんな事があっても夢を諦めないって…」
 「約束するよ。…命を懸ける」

 その真っ直ぐな瞳に嘘は無いと、そう確認して、俊は小さく笑った。

 「明日、引継ぎ式やるそうだ」







































 時間は無常に過ぎて行く。
 どんな瞬間にも「 終わり 」は存在する。

 夢の終わりは、あまりに呆気ないものなのだ。



































 朝が来た。朝は希望と人は言うけれど、今は絶望にしか見えなくて。
 今日を持って、尾崎達は引退する。

 「今日で尾崎等三年は引退だ。今まで……」

 監督の声がスルスルと耳を通り抜けて行く。空は悲しいくらい青くて、夏空だと言うのに真冬の空を思わせた。余りに残酷だ。未来は。
 昨夜、俊に試合の過程を聞き、負けた事を確認した。だけど、今の今までは、まだ、信じられなかった。

 「…で……だが………」

 吉森の声は遠い。時間が経つほど、三年生との距離は離れて行く。昨日で、彼等の三年間、いや、それ以上が終わったのだ。呆気ない。
 努力の先に行き着くのは、ただの絶望かもしれない。夢が叶うとは限らない。

 「…みんな」

 裕ははっと顔を上げた。何時の間にか吉森の話しは終わり、いつものように尾崎が皆の前に立っていた。「 今日の練習は。 」なんて言っていそうだったけど、その表情はどこかさっぱりしたような。

 「昨日は残念だったけど、勉強になってよかったと思う。俺達は甲子園に行けなかったけど、次の代では必ず甲子園に行って欲しい」

 すすり泣く声が彼方此方から聞こえた。隣の尚樹は肩を震わせている。
 裕は、ただ、見ていた。

 「今まで、ありがとう」

 まるで、仮面を被って話しているように感じた。
 違和感。いや、違う。全部、嘘なんだ。

 「尾崎先輩…。本当に、それが言いたかったんですか…?」

 赤星が、震える声で言う。尾崎は、笑っていた。
 その時、赤星の大きな瞳から涙が零れた。

 「本当の事、言って下さいよ…。そんな、模範的な言葉はいいっすから…」

 止まらない涙を何度も手の甲で拭いながら赤星は言った。
 同時に、尾崎の口から言葉が出た。

 「悔しいよ…ッ」

 涙が溢れる。
 悔しくない筈が無いのに。辛くないはずが無いのに。無理に笑って。それは皆の為。
 悲しい人だと、それ以上に優しい人だと思った。

 「まだ、お前等と野球してぇよ・・・ッ!こんな簡単に、終わるなんて、嫌だって思うよ…ッ」

 涙と言葉が溢れ出た。
 皆、泣いていた。

 「でも、俺達に次は無いから、お前ら…頼むから…」












































 誰もがそうやって笑って哀しみを隠している。
 夢は余りに呆気なく終わるし、残るものが勝利とは限られない。

 それでも、進もうとする人達がいる。









































 「……ごめん。予定が狂った…」

 一頻り泣くと、尾崎は赤い目でいつものように言葉を綴る。
 皆、まともに聞ける状況じゃなかったけど。

 「次のキャプテンは、赤星に、頼もうと思う」

 ふっと赤星に視線が集まる。
 「 えっ 」と声を上げる赤星に笑いつつ、拍手が贈られた。

 「それから、副キャプテンを、松本に」

 それに誰も反対はしなかった。
 彼等の力はそれだけ大きいし、頼りになる。
 優しくて、公平で、どんな時でも全力で。

 それは誰にでもあるものじゃない。

 「阪野二高を、頼んだ」









































 時間は容赦無く過ぎて行く。
 その中でも全力で生きる人がいるから、未来はある。

 一つ席が空いて、一つ席が埋まる。

 その間にも、強い炎の意志は受け継がれていく。





































 「……今日が、最後の練習だな、俺達。それから、夜は監督のおごりで焼肉だぞ」

 歓声が上がる。
 監督は苦笑している。

 「今日までは俺がキャプテンだからな、精一杯しごくとするか!」

 溢れる笑い。
 涙が少しずつ消えて行く。

 「よーし…」












































                            「練習始めるかー!」