1. 大型ルーキー





 春が来た。
 窓の外では、桜が舞う中で新品の制服と鞄を持って、強張った表情で坂を登る。そんな新入生を見て裕は微笑んだ。去年を思い出すのだ。もしかしたら、自分もあんな風にしていたのかもしれないと。
 春は出会いと別れだ。
 卒業式が行われたのは二週間ほど前。昨日の事のように鮮明に思い出せる。送辞は赤星だった。今にも泣き出しそうな表情で、先輩達の門出を祝った。そして、答辞は生徒会長だった。

 「裕。」

 振り向くと、そこには俊が立っていた。黒いスポーツバッグを肩に掛けてポケットに手を突っ込んでいる。身長が高い上に鋭い目付きに新入生はコソコソと避けて行く。

 「赤星主将が探してたぜ。」
 「今行くよ。」

 一年の経過。それは学年が一つ上がったと言うだけではない。皆が心機一転して新たな気持ちで一歩を踏み出そうとしている。
 時間は人を成長させる。

 「新入部員、一杯いるといいな。」
 「どうだろうな。」

 俊と並んで赤星の元へ向かう。一年前は中学生に見られた裕も身長は伸びた。165cmだ。俊と並べばそれは些細な変化だが、裕は大きくなった。

 クラス替え。それは毎年の恒例行事。結果、裕と同じクラスになったのは新。俊と爾志同じクラスで脩と禄高は同じクラスだ。

 「赤星主将ー。」

 三年生の階は二階。職員室の真上。赤星は二人が来た事を知ると、輪の中心から扉のところまで小走りにやって来る。
 野球部のエースピッチャーでキャプテン。何処か抜けた赤星も、その一年を通して逞しくなった。身長がどうだと言う訳ではなく、主将としての貫禄と言うのだろうか。
 ただ、子供のような性格は変わらない。

 「今日の練習なんだけどな、せっかく仮入だしバッティング中心にやろうかなと思うんだよ。」
 「そうっすねー…。俺はいつも通りでいいと思いますけどね。なんか、騙してるみたいじゃないっすか。」

 二人が今日のメニューについて討論している間、俊は暇そうに扉に寄りかかってぼんやりと窓の外を見ていた。空は蒼く広い。去年の引継ぎ式と同じ空だ。
 鳥が羽を広げて行く。桜が風に舞う。平和、とはこの事だ。

 「喧嘩だぁ!!」

 その静けさを破って、外は急に騒がしくなった。まるで、祭りにでも誘われるかのように生徒達は窓側に集まり声の方を覗き込んでいる。
 外は大変な騒ぎとなっていて、もはや誰が誰と喧嘩しているのかさえ解らない。
 裕はと言うと、誰よりも速く、赤星と共に窓に詰め寄り見ていた。

 「今年の一年は生きがいいですねぇ。」
 「ああ。予想以上に、な。」

 すぐに教師達が駆け集まり、その野次馬達を解散させた。中心にいた、喧嘩をしていたのは見た事が無い生徒。新入生だ。入学早々に喧嘩とは。
 だが、それ以上に驚く事があった。その喧嘩は、一対多数で行われていた。リンチと言うべきだろうか。しかし、それは表現として可笑しい。なぜなら、その一人の力は圧倒的だったからだ。

 「やるなぁ…。」

 何処か楽しそうに裕が呟いたのを、俊は見落とさなかった。








 三年生が卒業して、何処か寂しかったグラウンドも仮入と言うことで沢山の一年生が訪れていた。グラウンドには陸上、サッカー、テニス(軟式・硬式)など、多数の部活動が行われている。
 野球部はその一角。最も広いエリアを使用する部活である。場所はバックネット傍。

 「朝、一年が喧嘩してたらしいな。」

 柔軟を二人組みでやっている時、不意に新は言った。
 その事実を遅れて知った新は、それを聞いた時非情に残念そうな顔をしていたのだ。

 「あー、すごかったぜ。化物みてぇに強くてさぁ。」

 まるで、子供向けの特撮ヒーロー番組を語る少年のようだ。新は苦笑する。
 その時、仮入に来ていた一年生達はバッティングの練習に入っていた。ピッチャーは、マシンだ。だが、直球だけを投げる訳じゃない。速度はもちろん変化球まで投げられるそのバッティングマシンは野球部の宝物だ。一年生はそれに苦戦しつつも楽しそうにクルクルと代わっていく。

 「…バッティング練習、したいなぁ。」
 「柔軟も終わってないのに、何言ってやがる。」

 新が裕の上半身を倒す。裕は悲鳴を上げた。
 同時に、甲高い金属音が響いた。ふとバッターボックスを見ると、一人の少年がバットをスイングし終えたところ。打球は三遊間。鋭い。
 余程の選手でなければ、止められないだろう。それは、速さだけでなく地面スレスレを走りイレギュラーしてしまった。
 その打者は、次から次に投げられる球を全て打った。記録、十球中八ヒット。二球はホームランしてしまった。

 「すげぇのが、来たな。」

 ポカンと口を半開きのままでいる新の頭を軽く小突く。新は小さな声で「 いて。 」と言った。
 そのバッティングマシンは野球部の宝だ。なぜなら、誰もそのバッティングマシンに勝てないから。だが、こんな突然現れた少年に微笑むとは。

 「君、名前とポジションは?」

 赤星が尋ねると、少年はヘルメットを外して笑った。まだ、幼さの残る優しげな顔。
 整った顔立ちに、そのどこぞの名画を思わせる完璧な笑顔は一部の曇りも無い。

 「那波、光輝です。ポジションはファースト。」


 はっとして、裕は傍で屈伸をする禄高を見た。
 禄高はいつも通りおどけた表情だったが、何かを決心したような、そんな表情をしていた。






 仮入期間が終わり、いよいよ本入となった。野球部に入った一年生は多かった。その中に、「 那波光輝 」の名前があったのは、言うまでも無い事実。

 「来たな…。」

 禄高は意味深に笑いつつ、黒く重い禍禍しい空気を背負っている。

 「あんなガキに、ファーストの座は渡さん!」
 「…って、お前。お前こそレギュラーでもないだろうが。」

 俊が軽く突っ込むと、爾志は大笑いした。

  「なあ、裕。今年はどうだと…。」

 禄高が裕の傍に寄った。だが、裕に反応は無い。
 手に持った一枚の入部届け。そこに書かれた名前は「 斎敬太 」だ。

 「…誰、それ。」

 「入学早々に、暴力事件として退学まで考えさせられた、命知らずの男。」

 そう、斎敬太はあの日の朝に喧嘩をしていた。
 その男が、野球部に入る。

 「面白い年になりそうじゃん。」

 意味深な裕の笑いに気付いたのは、誰もいなかった。