3. Regulus 日はまだ高く春の暖かな日差しでグラウンドを照らしている。新メンバーにも慣れた頃、春の甲子園予選は間近だった。練習も日々厳しくなる一方で、中学と高校のレベルの違いに驚愕し夢を断念した負け犬が全て出尽くした頃合でもあった。 「時間が経つのはあっという間だな。」 「…確かにな。もう俺達二年生だ。」 禄高は何処か照れ臭そうに苦笑した。つられて裕も小さく笑う。 厳しい練習の合間、休憩の時間。内野の守備練習だった為に裕は禄高と水分補給をしていた。 「よかったな。」 「え?」 「背、でかくなって。」 裕は大きくなった。周りと比べればまだまだ小さいが、去年に比べて裕の顔が近い。 「はは。今にお前も抜かすよ。」 「無理無理!」 他愛の無い事で笑い合う二人を遠くに、那波は一人グラウンドの隅でタオルを片手に座っていた。ぼんやりとグラウンドを見ながら。グラウンドなど見えていなかったのかもしれないが。 約束をした。敬太と、あいつと。必ず甲子園に行くと言う約束。 (ここで、終わりなのかな…。) 希望なんてない。奇跡なんて期待していない。その手に残ったのは絶望。 終わりたくない。終わりたくないから終わらせない。でも、俺にあいつを連れ戻す事が出来るのだろうか。あいつは何を望んでいる? 「集合ー。」 松本の声が掛かったので、重い体を起こしてそこへ向かう。歪む視界は幻だろうか。これが、夢ならばどんなによかっただろうか。 「…那波!」 右肩を叩かれて振り返ると裕が立っていた。那波の心の中なんて何も知らないかのように嬉しそうに笑って。何がそんなに嬉しいのか。笑う理由も、そこにいる理由も何も解らない。 「無理すんなよー!」 ひょい、とその後ろから禄高が現れて笑う。悩みなんてないみたいに。幸せそうに。 それが悔しくて、精一杯笑い返した。その表情が引き攣っている事にすぐに気が付いた。禄高は眉を少し下げて苦笑して裕を引っ張って行く。 訊きたい事があった。 (どうして、そんなに笑っていられるんですか?) どうして、当たり前に笑っていられるんだ。不安にならないのか。永遠なんてもの、ないんだ。友情だって何だって。必ず終わりは訪れる。 甲子園で待っているなんて保証あるのか。待っていないかもしれない。冗談で言ったのかもしれない。忘れてるかもしれない。 (なんで、不安なんて何も無いみたいに当たり前に笑っていられるんですか。) ―― 俺は小さい。だけど、だからこそ出来る事がある。 ―― ああ、そうか。 この人は疑う事を知らないんだ。仲間も野球も自分も。何もかもを信じて真っ直ぐに生きているんだ。信じて疑わないから笑っていられる。そんな人を包む人はそれを知ってるから、嘘なんかじゃないって知ってるから信じられる。 どんな逆境でも、たった独りきりでも信じていてくれる人がいたならどんなに心強いだろう。 俺には、そんなに強くはなれません。 「蜂谷先輩。」 「んあ?」 かぁかぁ。烏が多く飛び交う夕暮れはまだ少し肌寒い風が吹いている。片づけを始めた野球部は疲れただのお疲れだの感想を言いながらグラウンドに散っている。 「俺、斎を信じてみますよ。」 「?」 「きっと、あいつは戻って来ますよね?」 「―――…そうだな。」 裕は少し笑った。何かを確信したような意味深な笑顔だった。 「…信じる、か。」 「え?」 「俺さ、こんな話もなんだけどよ。出会ったモノ全てを信用しちまうんだよな。」 裕は子供みたいだよな、と小さく笑った。 「お前みたいに疑う事が恐いんだよ。」 「そうなんですか?」 「一度疑ったら、二度と信じられないような気がして、さ。…弱いよなぁ…。」 裕は悔しそうだった。 (それは、強さだ。) 那波は思う。一度疑うくらいで、二度と信じられないほどに全てを信用しているんだ。それはきっと自信とはまったく別のもの。 もしも、それが弱さだとしたなら、きっとその弱さはいつかこの人の味方になる。弱者にしか出来ない事。それを見つける事が出来るんだろう。 「もう、春の甲子園が始まるな。」 「そうですね。」 風が一層冷たくなって来た。夏に近付いてはいるものの冬の寒さがまだ残っているようだ。空は藍色に染まり始め星が瞬き始めた。 「一番星だなあ。」 裕は空を指差し言った。他に瞬く星はあったが、その星を指差して。 「あれは南十時星かなー。」 「日本で見れましたっけ?」 談笑しつつ歩を進める。他の部活も片付けの時間だろう。いそいそと動き始めた。足元に転がってきた土色のサッカーボールをゴールに蹴飛ばす。ボールはもちろん奇想天外な方向だ。 星が、瞬く。 裕の指差したあの星は、獅子座。その首。名をレグルスと言う。青白色に輝く。 意味は。 「蜂谷先輩。甲子園行けますよね。」 「当たり前だろー。」 意味は、王。 |