4. ずっと欲しかったもの <前編>




 高速道路近くに位置するコンビニは夜だと言うにも関わらず賑やかだった。一般の客は少ないもののヤンキーなどの人から避けられるような類の者がまるで集会のように円陣を組んで入り口に座っている。
 中には腕に“ 69 ”と刺青をした男もいた。

 「敬太。」

 斎は、はっと顔を上げた。聞き覚えのある声は予想通りで那波光輝の声だった。

 「光輝…!」

 ふと辺りを見まわす。丁度仲間はコンビニに入ってしまったところだったので斎が一人で入り口に座っていた。

 「何しに来た。」
 「決まってるじゃんか。」

 那波の話はいつも決まっていた。“戻って来い。”と、その小さな願いだけだった。だんだんと人から距離を置いて一部の危険な人間とだけの関係を作ってしまっても那波だけは変わらず話し掛ける。

 「俺はお前に言ったはずだろ。」
 「うん、言った。でも、俺は納得できない。…お前、あの約束を忘れたのかよ。“あいつ”との。」

 斎が僅かに反応した。

 「忘れる…訳ねぇだろ。」
 「なら、戻って来いよ…。」

 ちっ、と舌打ちをして斎は辺りを見まわす。

 「それが、出来るなら、な。」
 「…俺さ、蜂谷先輩と話したんだよ。」

 誰だったか、と首を傾げるがすぐに思い出した。光輝が昔話していた人物。今よりもずっとチビだった光輝が憧れていた男だ、たった一歳しか違わないのに、と。

 「お前の事とか、中学の頃の事とか。」

 思っていた通りの人だった、と那波は付け加えた。

 「その時さ、お前への伝言を預かったんだよ。」
 「伝言?」
 「うん、『自分で動かなければ駄目』だってさ。」

 斎は小さく笑った。
 いかにも綺麗事の好きそうな偽善者の言葉だ。ようは、自分の手は汚したくないと言う事だろう。勝手に自分で何とかしろ。俺は関係ねぇ、と。

 「…お前が何考えてるか解るよ。でも、あの人はきっとそんな人じゃない。綺麗事だって現実に出来る人だって思うんだ。」

 小さい自分にしか出来ない事もあるだろうと、諦めないで結果を残した。その姿に感動したから、だから憧れたんだ。有言実行してみせた。

 「…帰れ光輝。ここはお前みたいなヤツのいる場所じゃねぇ。」
 「お前だってそうだ!」
 「早く!」

 仲間が来る、と斎は那波を急かした。那波は悔しそうな表情を浮かべて走り去って行った。







 翌日。斎は久しぶりに学校に登校していた。入学式から時々しか行く事の無かった高校はすでに留年寸前だが、斎にして見ればさして気にも留める事でもなかった。
 一般生徒の大半はすでに登校し終えた時間帯、いるのは完全な遅刻組みだ。
 中年の女性が玄関先で立ち話をしていたり、ノラのキジ猫があくびをしている。人はそれを平和と呼ぶのだろうが斎にはどうでもよかった。
 学校に到着するとすでに校門は閉まっていた。それ軽く乗り越えてまた歩き始める。もう昼近いらしく太陽が真上に上がろうとしている。

 「行くぞー!」

 グラウンドからの小さな声。

 「わっ、馬鹿!高ぇよ!」

 ヒュッと音を鳴らして白球が飛んだ。斎の左上を抜けようとする速球だ。昔のクセか、たんっと軽く跳んで捕球する。すんなりと右手に納まった白球。懐かしい感情がこみ上げて口元が緩む。

 「すんませーん。」

 互いに罪を擦り付け合いながら男子生徒が二人走って来る。何処かで、見たような。

 「…あんたは…。」

 えっ、と小さく声を漏らして裕は首を傾げる。同学年や三年生ならば大半を知っているはず。知らないならば、多分一年だ。金髪の男は驚いたような顔だった。

 「あ、すんません。コイツ、コントロール悪くて。」
 「捕れないお前が悪いんだよ!チビ!!」

 禄高が笑う。

 「禄高のせいで迷惑掛けてんだからお前も謝んの!」
 「すんませーん。裕、チビっこいから…。」

 斎の耳に入ったのは、確かに“裕”と言うワード。人違いかもしれない。でも、何かが知らせる。本物だと言う事を。

 「あんたが、蜂谷…。」

 胸元に光るバッチには“蜂谷”と。

 「え?何?俺の事知ってんですか?すんません、知り合いでしたっけ?」
 「…いや。」

 途端に右拳が裕の顔を掠める。どたっ、と相当驚いたらしい裕は目を丸くして尻餅をついた。間一髪で顔面直撃のストレートを避けたはいいが、斎は構えなおす。

 「な、な、なんだよ!ぅわっ!!」

 話す間も無くパンチが飛んで来る。ギリギリのところで転がって避けるが立ち上がれない。禄高は何が何だか解らずに慌てている。

 「いきなりっ…。」

 一瞬の隙を見て避けながら立ち上がる。そして、左に来るパンチをいなして手を掴んで投げ飛ばす。型にはまったような綺麗な柔道の投げ技、一本背負いだ。
 だんっ、と叩きつけたはずの斎はすぐに立ち上がる。

 「お前まさか…、お前が、斎か…?」

 斎は笑う。その笑顔に背筋が凍ったようにぞっとする。

 「綺麗事好きの蜂谷先輩…っすね。」
 「何?」
 「あんまり調子こいてると、殺しに行きますよ。」
 「…なんだ、お前…。」

 那波の話と大分違う。ただの喧嘩好きか、それとも。
 掠った頬から血が滲む。

 「あんたみたいに恵まれた環境で綺麗事ばかり言ってるヤツを見るとイライラすんだよ。この世の不幸なんて何も知らないみたいなヤツが知った気になっていやがる。」

 所詮、天才。才能に恵まれた男。俺の苦しみなんてきっとこの幸せな男には一欠けらも解らない。こんな苦しみなんて一生知らないまま生きていくんだろう。そんなヤツが当たり前にいるという事実も、同情して俺に綺麗事を語る事も、何もかもが許せない。

 「…お前、知って欲しかったのか。」

 裕は笑った。驚くほど、柔らかく笑った。安心したような、そんな笑顔で。

 「…ッ、それが、むかつくんだよ…!」
 「知った気になんて、なっていないさ。ただ少し、思っただけ。」

 きっと、恐いんだろうな、と思った。
 自分だけが不幸だったならどうしよう、と。誰も助けてくれなかったらどうしよう、と。不安で不安で仕方が無かったんだろうと裕は思った。

 「俺はお前に自分で動けって言ったな。でも、それは勝手に何とかしろって意味じゃない。お前がそこから出ようとするなら、少しでも手を伸ばせって言ったんだ。すぐに手を掴んでやるから。」
 「…お前にッ!」
 「何も解らないよ。お前が何も話してくれないからな。」

 振り上げた拳を、ピタリと止める。真っ直ぐに目を見て逸らさない。避けようともしない。
 それが綺麗事じゃない事、すぐに解った。本当の事だから。

 「那波が、待ってる。ずっと待ってるよ。だから、戻って来てやれよ。」

 裕は踵を返して歩き出した。禄高が慌てて後を追った。振り返る事は、無かった。








 その夜、灰工場の集会。斎は、一歩前に出て言った。
 リーダーは銀髪の男。整った顔立ちに浮かんだ笑顔は優しげだが、黒い空気が渦を巻いている事が直に解る。

 「…69を抜けさせて下さい。」