9.来たる夏 夏が、近い。 日差しが日を増すごとに暑くなって来た。湿気も多い。立夏を過ぎ、小満はもう目前。春の甲子園もいよいよ幕引き。 テレビではその決勝戦が中継されていた。 『…さぁ、やって参りました春甲決勝。昨年と変わらぬ組み合わせ。春夏合わせて甲子園四連覇を果たした兵庫県立朝間高校。対するは、一昨年から準優勝に留まらされている明石商業。どちらが勝ってもおかしくない試合から、一気に離される試合まで波乱万丈のこの二校。今年は…』 「あれ?裕は?」 テレビから目を離し俊が部屋を見回すと、そこに裕の姿はなかった。好敵手同士の試合。裕が一番見たがると思ったが興味無いのだろうか。 「……?」 俊は一度首を傾げるが、「ま、いいか。」と目を戻した。 夏がやって来る。もう、すぐそこに来ている。 裕はいつもの見なれたタオルを首に掛けて走っていた。部活も休みだが、だからと言って休んではいられない。例え、足が壊れても、ここで終わる訳にはいかないから。 「…ん?あれ蜂谷じゃね?」 新は汗だくに走って行く裕を指差した。傍にいる岡沢達に確認をするが「ほんとだ。」と、いかにも興味無さそうに言った。新は苦笑する。 岡沢は裕を毛嫌いしている。何が嫌とははっきりと言えないが、とにかく嫌い。と、そう言う人間は誰にでもいるものだ。岡沢にとって、それは裕なのだろう。 「おーい、蜂谷ァ!!」 新は大きく手を振るが、裕は気がつかずに走り去ってしまった。 「あーあ。行っちまった。」 「いいよ、放っとけよ。」 「…岡沢、本当蜂谷嫌いだなァ。」 そう、彼等は笑う。だが、新は違うと思った。嫌いと言うよりも、気に入らない。どちらかと言うとその方がしっくりくるような感じだ。 何が気に入らないのか、それは新にも解らないが、きっと岡沢にも解らないだろう。本人が解らないものを裕が解るはずもない。 「…本当にあっちぃなぁ…。もう、夏だな。」 最後の夏。三年間の最後が刻一刻と迫る。 ぼんやりと、真っ青な空を見つめ赤星は思った。甲子園中継のテレビ。アナウンサーが声を張り上げて実況する。 魂が抜けたような顔とは正に。 (早いなぁ…。) 時間が経つのが速過ぎる気がした。二年前は遅くて遅くて、早く時間が経てと怒っていたのに。今は早くて早くて。目に映る何もかもが急ぎ足で行ってしまう。 高校ももうすぐ卒業。そう言ったら、松本に気が早いと笑われた事を思い出した。だが、夏が終われば部活は引退し、受験を待つばかり。はっきり言って進路も決まっていない。 「啓輔、テレビ見てるの?」 老女が優しげな笑顔で言った。赤星の祖母で、いつも家にいない両親の代わり。 「あ、うん。見てる見てる。」 そう、と納得するとゆっくりと祖母は行ってしまった。 はぁ、と溜息。東大を目指すと言う松本。見た目では解らないが、全教科学年トップの成績を持ち、全国でもベスト5に入る頭の良さ。多分、東大も合格するだろう。 そこら辺のガリ勉よりも遥かに頭がいい。大して勉強していなくても。 それに比べて、どうすればいいのか。 その時、家の前の塀を見た事のある少年が通過した。夏も近く日も強いと言うのに黒いTシャツ。見覚えのある小さな少年。 「…蜂谷ァ!!」 だが、裕はそれにも気付かず走り去ってしまった。汗だくになって、必死に前を見据えて。その先に何があるのか解らないけれど。 「…自主練か…?」 ふっ、と笑いが漏れる。 そうだ、こんなに簡単な事だ。 「ばぁちゃん!ちょっと行って来る!!」 まずは、やれる事からやる。 公園の日陰でぐったりとしている少年が一人。禄高である。せっかくの休みだが、遊ぼうにも連日の疲れが抜けない。だが、家にいるのも退屈…とはいい訳で。本当は三歳年上の姉の彼氏が来たので追い出されただけ。 外は暑い。 「くっそ…。姉貴の野郎…。」 どんなに怒っても、言えるのは影でだけ。面と向かって言う勇気が無い。適わないと解っているから。弱虫と自分を罵りつつも禄高は地面に寝転がった。人気の無い公園だからこそ出来る事だ。 何故、この公園に人気が無いのかと言うといわくつきなのだ。夕暮れ時に小さな子供達が遊んでいて、遊ぼうと誘われて返事をしてしまうと二度と帰れないらしい。よくある話だ。 ジャリ 出やがったか、と身体を起こすが、何もいない。気のせいかとまた寝転がろうとすると、タッタッタッと走る音。主を探してキョロキョロすると、道路の方でその正体を見た。 「…裕!」 だが、裕はそのまま行ってしまう。追いかけようとするが、道路に出るともうその姿はなかった。 「…あれ〜?あいつ足速いなぁ。」 相変わらず真面目な事だ、と思いまた公園に戻ろうとするが、足を止める。 (せっかくの休みなのに、何でわざわざ走ってんだ?すげーな。十分体力あるくせに。) 更に体力をつけるのだろうか。化物ではないだろうか、それでは。 (…何て言うんだっけ。ああ、そうだ。克己だ。…己に克つか。) 「…よしッ!」 俺は、俺の苦手なものから克つとしよう。 禄高は家に向けて歩き出した。 (…やっぱりなぁ。) もう昼を過ぎた午後二時。裕はまだ帰らない。部屋のテレビに釘付けだった俊もテレビを消して大きく背伸びをした。 丁度、部屋の扉を裕が開けた。 「おかえり。」 「うん、ただいま。」 「それ汗?風呂入って来いよ。」 「今入って来た。」 肩に掛けていたタオルを取って短い黒髪をクシャクシャと拭き始めた。 「甲子園、どうなった?」 「うん?ああ、いつも通りさ。」 「やっぱりなぁ。」 「…それだけ?」 「え?だって、他に言う事無いし。」 「はぁ〜?ライバルが決着着けてんだぞ。」 「それより飯だって。美咲さんが呼んでた。」 裕の後に続いて俊はゆっくりと歩き出した。 『春の甲子園、優勝校は昨年と変わらず兵庫県立朝間高校です。全国に恐れられる豪腕の天才投手、浅賀恭輔君にインタビューを…』 『2−0と相手を0点に抑えての快勝だったようですが…。』 『快勝でも無いです。何度も満塁のピンチとかありましたし。』 『ところで、高校入学から甲子園三連覇ですが、その喜びを誰に伝えたいですか?』 『そうっすね。…まだ、伝えるようなヤツはいませんよ。少なくともこの大会では。』 『は……?』 |