11.崩れゆく夢




 裕と岡沢の対立が激しくなった。会話などもっての外で、すれ違えば火花が散る。それでも、部活には支障を来すまいと裕はもちろんの事、皆努力していた。
 先輩達の最後。せめて、笑顔で送ってあげたい。涙だって、嬉し涙で。そう思うからこそ、岡沢も大きく動かないのだと、裕は思っていた。
 それが、甘かった。


 練習が休み。その連絡が届いたのは水曜日の朝。連絡をして来た赤星も訳が解っていない様子だったので、皆疑問符を抱えていた。
 そして、練習の代わりにミーティングを行うと監督の吉森から連絡があった。
 「試合のスタメンじゃね?」と禄高が軽く笑ったので、皆なるほどと軽い足取りでミーティングルームへと入って行った。


 皆が揃い、それぞれ席に着いた。その部屋の中に岡沢らがいない事が気になったが、皆と馬鹿な話をしている間に忘れてしまった。
 そして、五分もすると部屋の中に吉森が現れた。その後ろには、岡沢ら。そして、校長やPTA――…。




 「大会出場辞退―――…!?」

その凶報を聞いた瞬間。足元から崩れ落ちそうになった。血の気が一気に引いて、指先が震える。心臓が急に忙しく動き出して上手く息が出来ない。

 「ど、どうしてですか!?なんで!?どうして!!」

赤星が席を立って吉森のシャツを握り締める。吉森はと言うと黙って俯いていた。傍に立つ校長や教頭が何とか赤星を諌めようとオロオロしている。
赤星も、余りに突然過ぎて理解出来ていないようだった。裕は、何よりも皆の前に一列に並ぶ岡沢らに目が行った。

 「二年の岡沢らが、万引き事件を起こした。」

吉森は淡々と述べた。
“もう決定事項なのだから、仕方ない。”と言い聞かせるように。
だが、ガタンッと大きな音を立てて、信じられないと言った表情の裕は立ち上がった。

 「う、嘘だろ……?」

赤星は目をこれ以上無いと言うくらいまん丸に開いて岡沢らを見た。本人達は俯いていて赤星のその視線には気付いていない。

 「そんなのって、ありかよ……。」

ふらつき、倒れそうになる裕の体を慌てて爾志が支える。蒼白の顔。その目には絶望がありありと見えた。だが、その絶望の目は一瞬で消え去り憎悪の炎が映った。

 「…岡沢ァ!!!」

裕は叫んだ。部屋にいる誰もが、一番遠いところにいる部員さえ耳を塞ぎたくなるくらいの大声で。

 「ふ、ふざけんな!!俺達…、何の為にここまで頑張って来たと思ってんだよ!!」

岡沢は答えない。
裕の脳裏には、あの日の「決着をつけよう。」と言う自分の言葉がぐるぐると回っていた。
全ては、自分のせいなのかも知れないと言う罪悪感を感じながら。

 「最後の大会なんだぞ!!この為に、先輩達がどんだけ頑張って来たのか、どんな思いでここまで来たのか…。お前らにその一欠けらでも理解出来るのかよ!!お前等なんかが壊していいもんじゃねぇんだよ!!」

目の奥がカッと熱くなる。
先輩達の最後を、笑顔で送ってあげたいと。涙なら、嬉し涙でと。そう、思っていたのに。
これが、決着なのか。これが、岡沢の答えなのか。

 「蜂谷ァ!!!」

赤星の怒声。初めて聞く。思わず部屋の中が静かになる。

 「黙って座ってろ…。」
 「赤星主将!!だって、こんなの…。」
 「いいから座ってろ!!」

力が抜けたように、ストンと裕は座り込んだ。倒れ込んだと言っても過言ではないほど。心配した俊が呼び掛けるが、ただ真っ青で。
目の前が、真っ暗になった気がした。

 (夢って、こんなに簡単に奪われていいもんなのかよ。)

裕が座ったのを確認すると、赤星は静かに言った。其処には試合中の冷静な赤星がいた。

 「……監督……。」
 「学校の決定だ。恨むなら、こいつらを恨め。」

吉森も静かだった。
部屋の中は耳が痛くなるくらいの静寂。こういうのを、本当の絶望って言うんだなと何となく俊は思った。
そんな中で、静かに赤星は岡沢らの前に立った。

 「…お前等は、最ッ低だ…!!」

赤星の目に、涙が溜まっているように見えた。握り締めた拳はガタガタと怒りに震えている。だが、その怒りを何処にもぶつけないまま赤星は部屋を出て行ってしまった。
黙っていた松本も、歯を食いしばって岡沢らの前に立つ。

 「信じらんねーよ。信じらんねーくらいのクズだよ、お前等は。適当な事しかしてねーから、こんな事が出来んだよ。」

ポタリ、と。松本の目から涙が零れた。

 「……腐ってるよ……!」

嗚咽を噛み殺して、制服のシャツの袖で涙を拭うと松本は赤星の後を追った。
また、静寂が戻る。それを壊したのは、裕だった。

 「岡沢…。お前等が、謝らねぇんなら…一発殴らせろ…。」

そんな事を教師達が認める筈無いと解っていても。
次々に涌き出るこのドロドロとした怒りを何処にぶつければいいのか解らない。罵声さえも呑み込んだ赤星は立派だと思う。だけど、裕はそんなに大人では無い。
ここにナイフがあったなら、間違い無く投げていた。そして、脳天にヒットさせていただろうに。

怒りが涙となって溢れて来た。

 赤星や松本達三年が、今までどれだけ頑張って来たのか知っている。それはほんの僅かかも知れないけれど。笑われても、馬鹿にされても、何を言われても。
必死に、ただ、必死に頑張って来た事くらい解る。

 「監督!先生!!」

ゴン、と鈍い音が響いた。それは、裕が机に頭を打ち付けた音だった。
土下座なんかで許してもらえるなんて思っていない。でも、何もしないままじゃいたくない。

 「先輩達の、最後の大会なんです!!三年間の最後なんです!!お願いします!!こんな、こんな終わりなんて嫌なんです!!お願いします…!」

血と涙がポタポタと零れた。俊は何か考え込むように少しの間眼を閉じると、立ち上がり頭を下げた。

 「お願いします…!」

つられるように禄高も、爾志も、新も。皆が頭を下げた。
それでも、返事は変わらない。

 「もう、決定事項なんだよ。」

死の呪文よりも、死刑宣告よりも。
何よりも恐かった。聞きたくなかった。
また、涙が零れた。そして、グシャリと裕は椅子に倒れ込んだ。俊が心配するが、立ち上がり部屋を出て行った。
その目が余りにも、余りにも悲しくて、冷たくて、寂しくて。声すら掛けられずに伸ばしかけた手が虚空をさ迷った。
部屋の中には、また、静寂が戻っていた。






 「…うっ、うっく…。」

誰かの泣く声が聞こえて、無意識に足がそちらへと動いていた。
けれど、その泣き声が誰のものかすぐに解って足を止めた。

学校の屋上は危険と言う事で立ち入り禁止だけども、倉庫の通気口の蓋(螺子が外れ錆びている)を外せば簡単に入れた。
そこに広がる景色は、建物ばかり。夕方では夜景も見えないし、決していい景色とは言い辛いけれど、裕はよくここに来ていた。
昼食の時や、授業をサボって寝てる時、大会で負けて憂鬱な時。本当によく、ここにいた。
だからこそ、俊は真っ直ぐここに来た。

 「…裕。」

裕は何の反応も示さなかった。
ただ泣きじゃくる子供のようだった。脱水症状になるんじゃないかと思うほど涙を流して。

初めは、どうして人の為にここまで泣くのかと不思議に思った。来年のある、俺達は。
けれど、きっと裕はあの約束の為に、三年生と同じくらいこの大会に掛けていたんだと思う。

 「大丈夫だからな。」

弟を持った気分だな、と俊は自嘲気味に心の中で笑ってみた。
泣き続ける裕が子供だとは言わない。素直なのだ。あの綺麗事も、もしかしたら全て本心なのかも知れない。




絶望でも、希望でも。
誰が死んでも、何があっても日は沈んで朝を連れて来る。



その頃、阪野二高に二本の電話が入った。