12.約束




 「…はい。阪野二高です…。」

野球部の騒動が終わり、静寂の戻った職員室。もうじき行われる職員会議では岡沢らの処分が決まるだろう。
電話に出たのは校長だった。偶然、電話の近くにいたと言うだけ。電話の向こうは別に名指しだった訳では無いのだが。
それは、思いもよらない相手からの電話だった。


 「○×テレビ局ですけども――。」







ざわざわと朝の校門はごった返していた。「おはよう。」の挨拶はもちろんの事、昨日の出来事やらの話をしている。だが、今日は特別で。あるニュースの話題で持ちきりだった。


 「裕ッ!!」

裕のクラスに禄高が跳び込んできた。
目も腫れずにいつも通りの裕は、いつもよりも少し元気の無い笑顔で笑った。

 「昨日のニュース、見たか…?」
 「ニュース?見てないけど?」
 「じゃあ、新聞は!?」

禄高は昨晩の新聞をつきつけた。一瞬、裕は肩をすくめたがその新聞に目を通し始めた。

 「甲子園連勝兵庫県立朝間高校の怪物、浅賀恭輔。優勝に迫る準優勝高校大阪府明石商業の風雲児、笹森エイジ。最大のライバルについて……?」
 「もっと、よく見ろ!!」
 「“最大のライバルって言うと、やっぱり明石商業の笹森エイジですね。あ、でも。それに並ぶライバルが神奈川にいて…。今はここまで来るのを待ってる最中なんです。…浅賀恭輔君。”」

一瞬、浅賀の顔が浮かんで裕は可笑しそうに笑った。だが、禄高はまだ真剣な顔で「もっと読め!」と怒鳴っている。

 「“最大のライバルは兵庫の浅賀恭輔…と、神奈川のヤツです。名前は言えないですけど、県立阪野第二高校だったかなぁ…。あいつが甲子園に来るの楽しみ…で…す・……。」

裕は息を呑んだ。
名前が完全に出ている。高校名が。今は大した事無いが、もしかすると、夏の大会にはテレビ局が来るかも知れない。
完全に全国ネット。

 「は…はは…。あの野郎…。」

笹森がうっかり言ってしまったといい訳する姿が簡単に想像出来てしまって泣けてくる。絶対にわざとだ。計画犯に決まっている。
だが、こんなタイミングで。

 「大変だ!蜂谷ァ!!」

次に教室に掛けこんで来たのは赤星と松本だった。目はまだ腫れている。
息を切らせて、余程伝えたい事があるのか。

 「窓の外、見てみろ!!」

言われて窓の外を見ると、大袈裟な垂れ幕が下がっていた。そこには。
“必勝!阪野第二高校野球部!!目指せ甲子園と。

 「ど、どう言う事っすか・・・??」
 「昨日、テレビ局から電話があったらしくて…。ミーハーの校長がインタビュー受けちまったんだって。そんで、今年こそ甲子園とか言ったらしいぜ…。」
 「ええっ!!」
 「赤星主将!それって、もしかして……!」

新がその先を言わずとも、皆理解していて。
驚きよりも、呆れよりも、嬉しくて。こんな馬鹿な事と人は笑うかも知れない。それでも、嬉しくて嬉しくて。赤星は裕に飛び付いた。

 「蜂谷!よくやった!!お前、連絡したのか…。」
 「え?いや…俺は…。」

喜ぶ赤星には悪いが、裕にはもちろん覚えが無い。
だが、二人のお陰で助かった。それは事実。
廊下で飛び上がって踊るように喜ぶ赤星や松本、そして、禄高。
その傍に、人影が集まった。
気がついた裕は、顔を上げた。

 「……岡沢……。」

取り消しが取り消されたからだろうか。昨日のような殺意にも近い憎悪はまるで無い。何もかも笑ってふっとばす事も出来そうなくらい。
今、裕の心の中は雲一つ無い青空のようだった。悪意など一欠けらも無い。

 「大会、出られるんだな。」
 「ああ。どうなるかと思ったけどな。」
 「……今朝、野球部を退部した。」
 「!」

岡沢達の顔は何処かさっぱりしていた。裕が今まで見て来た岡沢の表情の中で、最も友好的に見えた。
でも、それは裕の錯覚。そして、その二人の対立の全てを新だけが理解していた。

 「これが、決着か?お前の、負け…か?」
 「ふん。勝手にしろ。でもな、俺は待ってる。お前が倒れるのをな。夢も何もかも無くして絶望するのを。」

そう、岡沢は笑った。

 「…何とでも言え。何とでも笑えばいい。でも、俺は立ち上がるぞ。例え何度倒れても。それが、俺の見つけた答えだから。」

ふん、と。岡沢は去って行った。
そして、すれ違い様に新は岡沢に言った。

 「…心にも無い事を。」
 「何?」
 「いや、何でもねー…。」

疑問符を浮かべながら岡沢はやがて新の視界から消えた。
そして、たった一人真理に行き着いた新は思う。
岡沢のあの感情は、もしかしたら“憧れ”だったのではないだろうか。
小さな子供が特撮のヒーローに憧れるように、岡沢は裕と言うある種遠過ぎる存在に憧れていたのだろう。何でも出来る、不死身のヒーローのように。
だが、裕は天才ではない。ましてや、万能選手でもない。だからこそ、岡沢は裕に怒りを感じたのだろう。裏切られたような。

今となっては、全て遅過ぎた結果。
新は苦笑し、その全てを胸の内にしまった。







バイブレーションが響いた。机の上に置いてあった為、酷い音が教室に響く。その携帯を外岡が裕へと軽く投げる。それを簡単に受け取るとお礼を言って画面を見た。
画面には着信、そして、名前は『浅賀恭輔』と出ていた。

 「もしもし。」
 『裕かー?』
 「お前、テレビで余計な事言いやがっただろ!驚いたぞ!!」
 『はは。でも、助かったやろ。』
 「え?」

知る筈の無い状況。裕は訊いた。

 「知ってたのか?」
 『当たり前やんか。俺…、いや、エイジの情報なめんなや。』

やっぱりな、と裕は心の中で思った。ニヤリ、と悪戯っぽく笑う笹森の顔が浮かんで苦笑する。

 「そっか。うん、ありがとうな。本当助かったよ。まさか、お前らに助けられるなんて思ってなかったからな。」
 『何言うてんねや。約束したやろ。必ず、甲子園で会おうて。その為なら手段は選ばん。お前来るの遅過ぎやからなぁ。』
 「ああ、悪い。そうだね。必ず…。」
 『必ず来い、裕。待ってんねんで。…俺は最後の最後まで甲子園連覇する。』
 「させないさ。…決着を着けよう。甲子園で。」
 『そうやな。中学までやったら、お前の勝ち越し…。やけど、高校入れたら俺のが上や。』
 「それでも、越えて見せる。待ってろよ。」
 『―――ああ。』

電話が切れた。
浅賀も笹森も、似たもの同士で笑ってしまう。笑ってしまうくらい、優しくて、強い。

 (いや、弱いのは俺だ。)

自分の無力さなら嫌と言う程解ってる。強くなりたいと願う。努力だってする。
誰も傷付けない人間になんて誰にもなれやしない。それも、十分解ってる。だからこそ、誰もを救える人になりたい。


一つの決着。そして、新たな約束。
その舞台である夏の甲子園の姿がもう見えていた。