14.双璧のバッテリー




とうとう、夏が来た。赤星たちの最後の夏。泣いても縋っても、負ければ終わる最後の大会。甲子園は、高校球児の永遠の夢の舞台。其処へ行く為に選抜される甲子園予選。
神奈川県地区。春の選抜、優勝校“東光学園”。主将の如月は、裕達と同い年の二年生。三年生を一人も入れない変わった、いや、もしくは痛ましいチーム。
完全な実力至上主義を取り入れ、名も無いところから一気に甲子園に駆け上った。

阪野第二高校は、準優勝と言う偉業と春に成し遂げたが、甲子園には及ばなかった。選手宣誓の為に前に進み出ている如月の率いるチームに決勝で敗北したのだ。
何百人と人が集まっているにも関わらずグラウンドは静寂。如月の言葉を待つ。


 「――我々は、スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦い抜く事を誓います!」


夏が、始まる。最も過酷な夏が。
負ける事は許されない。三度目の夏、そして、主将として迎えた最後の大会を、赤星は静かに感じていた。鼓動が高鳴り、その選手宣誓に、決意する。

夢の実現を。

今年、レギュラーとして迎えた二度目の夏。裕は小さく笑った。緊張故におかしくなったのかも知れない。それとも、暑さ故かも知れない。だが、どうしてか嬉しくて仕方が無い。
絶対に、勝つ。負けないと言う、確固たる自信が何時の間にか心の中に確立されていた。
脳裏に描くイメージは、勝利だけ。明日から始まる予選。
全国でも同じように甲子園予選が始まる。夏の風物詩となったこの残酷にも思われるトーナメント。誰もが、悔いの残らないように戦って行く。


阪野第二高校が甲子園に行くには、如月昇治の率いる東光学園を倒さなければならなかった。








 「とうとう、最後の夏かぁ…。」

試合開始前のベンチ。夏の厳しい日差しを遮った日陰で、ポツリと赤星は呟いた。
爾志はそれが何故だか可笑しくて、小さく笑った。

 「ああ。絶対に、甲子園行くんだ。」
 「当たり前っすよ!」

とん、と軽い足音がした。そのまま自然に手前のベンチに座り裕は口を歪めて笑顔を作った。
何処かすっきりしたような、腫れ物が取れたような表情。その理由を知る者は少ないが、そこには自信が満ち溢れていた。

 「こんなところで、負けらんねぇっすね。」

新が言う。
夏はまだ始まったばかり。準優勝で第二シードを勝ち取った阪野二高。初戦は、まだまだ弱小高校。それでも一回戦を勝ち上がってきたチームだ。

 「油断大敵!全力で行こうぜ!!」
 「ほどほどに…っすよ。偵察、一杯来てますから。」

那波が観客席の方を顎でしゃくる。確かに、そこには次に当たるであろう敵チームが腕を組んでグラウンドを食い入るように見つめていた。

 「そうだけどなぁ。やるからには全力じゃねぇと。獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすと言うし。」
 「俺達はたかが一匹の兎の為に全力を出すような馬鹿な獣とは違いますよ。」

斎が不適に笑った。俊はくっ、と笑って賛成と小さく言う。
裕は屈伸をしながら振り返る。

 「まぁまぁ。作戦を決めるのは俺らじゃねぇよ。ね、赤星主将?」

赤星は突然話題を振られビクッとした。それを見て禄高が笑った。

 「ああ、そうだ。…全力…じゃなくてもいい。だが、手は抜くな!絶対勝つ以上!!質問は?」
 「ありませーん。」

ナインはグラウンドに立ち、円陣を組んで言った。
甲子園への、進出を。






 「…やっぱり、決勝にはお前が来るんだろ?」

本塁に滑り込む裕を見て如月は小さく笑った。試合はまだ中盤だと言うにも関わらずもう勝敗は決まろうとしている。もちろん、阪野二高のコールド勝ちで。

 「おう、昇治。お前の言ってたヤツはどれだ?」
 「今、滑り込んだヤツだよ。ほらあの…。」
 「あの小さいヤツ?」
 「……そうだよ。あの、小さい…。」

あの小さな選手。誰も期待しないような、体格に恵まれなかった選手。天才なんて呼ばれるような才能だって無いのに、どうして。

 「…楽しみだな、陽治。」
 「え?」
 「阪野二高と当たるの。」
 「ああ…。でも、俺らの楽しみは甲子園だろ。こんな地区予選に苦戦してる暇なんてねぇんだ。」

その時、鋭い視線が突抜けた。背筋に冷たいものが落ちてその方向を向く。
そこには。

 「……蜂谷…!」

裕がいた。真っ直ぐに見つめて。
ぞっとするほどの冷たい視線のまま、笑ってみせた。思わず陽治は凍りつく。

――…いつまで見下してる気だ?お前等の足にはもう火が点いてんのによ。

そう、主張するように裕は笑い、泥を払いながらベンチへと戻って行った。
地獄耳か、と苦笑する如月に、陽治は笑えず立ち尽くしていた。





 「…何見てたんだ、裕。」
 「東光学園の偵察。」
 「ああ、如月昇治と…朝倉陽治か。」
 「朝倉陽治?」
 「知らない?」

ひょっこりと奥から外岡が顔を出して言った。今回マネージャーは二年の外岡が入る事になったのだ。外岡は緑色の古びた歴史の在りそうなファイルを捲って話し始めた。

朝倉 陽治
東光学園の野球部副主将。ポジションはキャッチャーで如月昇治の相方。鋭い考察力と配球で三振の山を築く、この学園の立役者の一人。
打順は以前までは五番だったものの、今大会では四番を勝ち取りスラッガーとして活躍している。


 「キャッチャー…。」

如月と並ぶ大柄の男。
誇らしげな外岡とは違い裕は神妙な表情で暫く考え込んでいた。

 「春の大会で活躍してただろ?凄かったな。俊の球もばんばん打って。」
 「そうだっけ?」
 「はぁ?」

東光学園の敵は、如月だけだと思っていた。いや、如月しか見えなかった。だからこそ、他に目は回らなかった。

 「…ま、お前がそう思うんなら。」

禄高は何処か割りきったような表情で笑った。そして、ネクストバッターズサークルへと向かう。松本がバッターボックスに立っているという事は次だ。

 「その程度の男ってことさ。」

光を背負って禄高の姿は見えなくなった。
裕は笑い、肯定を示した。

 「…鋭い考察力か。」

考察力なら、負けないけど。
裕は塁にいる爾志を見て笑った。今度の試合は、如月との戦いじゃなく、バッテリー戦になるな、と。