19.胎動




 「裕ッ!!」

部屋の扉を勢い良く開いた。入ってきたのは俊。
丁度午前九時を過ぎたばかりで家の前では子供達の楽しそうな声が聞こえていた。

 「…なんだ?」

まるで、覚えが無い。と言った調子でアイスをくわえて裕は首を傾げた。そんな様子を見て俊は早足に裕へと近付く。そして、何気無くテレビのスイッチを入れた。
まず、現れたのは昨日のニュース。銀行強盗やら殺人事件やら。物騒な時代になったものだと裕は一人心の中で呟いた。俊はすぐにチャンネルを変える。甲子園の特集をしている番組を映し出すと、見ろと言わんばかりに裕を睨んだ。

そこに映っていたのは、浅賀恭輔だった。
甲子園四連覇を成し遂げた朝間高校のエース。

 『……前回の春季大会で、勝利の喜びを伝えたい相手は“まだ”いないと言っていましたが今回はどうでしたか?』
 『そうですねー。甲子園には、来たみたいやけど。』
 『…つまり、この夏季大会には出場して来た、と言う事ですね?』

浅賀は頷く。

 『それは例の神奈川にいると言う噂の…?』
 『はい。』
 『神奈川県の代表は今回、阪野第二高校ですが二回戦敗退ですね。また、阪野第二高校と言えば大阪代表の明石商業高校の笹森君のライバルもいるそうですね。』

アナウンサーの言葉に浅賀は無言で意味深な笑顔を浮かべている。
テレビの前でさも楽しそうに胡座をかいて見る裕を余所に俊は半ば呆れつつハラハラしていた。

 『浅賀君と笹森君は中学が同じでチームメイトだったとか。もしかして、二人の言う相手は同一人物でチームメイトだった人なんて事は…。』
 『そうやけど。』

あっさりと浅賀は肯定した。これには流石に裕も驚いたが笑顔は崩さない。
テレビの奥で朝間高校の野球部、浅賀のチームメイトが浅賀を呼ぶ声が聞こえた。

 『ちょっと、コメントって言うか言うていいですか?』

浅賀はアナウンサーからマイクを半ば強引に奪うと小さく息を吸い込んだ。

 『…最強の打者に告ぐ!俺達は約束の地にてお前を待つ!!…早くここまで上がって来い。』

心臓が、高鳴った。
裕はテレビに、浅賀はカメラに向かっていたのに。二人の視線が合っている気がした。


 「最強の…打者…。」

ポカン、として俊は再度呟いた。裕は小さく笑う。

 「最強かぁ!」

裕はゆっくりと立ち上がった。

 「…ここまで言われて、行かない訳にはいかないもんな!」

やがてテレビはまた新たなコーナーへと移る。
テレビの音声も、外の賑やかさも、蝉の声も、全て遠退いた。

 「…俊、甲子園優勝、行こうぜ。」

その目に迷いは無かった。新しいおもちゃを手にした子供のようにキラキラと輝き、一方で真っ直ぐに冷酷な現実を見据えた目。

裕は、絶対に優勝まで行く事が出来ると思っている。信じて疑わない。
二回戦コールド負けと言う結果を残しながら、甲子園に行くだけでどれだけ大変だったか知りながらも。

馬鹿らしい。だけど、信じてやりたい。懸けたい。

この小さな選手に。

最強と呼ばれた男に。


 「……ああ。絶対にな。」

すると、裕はいつもの子供っぽい笑顔で笑った。






――埼玉。

 『…最強の打者に告ぐ!俺達は約束の地にてお前を待つ!!…早くここまで上がって来い。』

その言葉に反応して男は急にバタバタと動き始めた。
手元にある甲子園の資料。トーナメントで二回戦敗退した阪野二高に指を差しながら確認し、パソコンに電源を入れて検索する。

二回戦敗退した阪野二高のメンバーを一人一人確認する。


 “七番サード、那波光輝…中学からも密かに期待されていた選手で、高校に入学し一年生ながらレギュラーを勝ち取った…”

――違う、コイツじゃない。
男はまた違う選手に目を移す。その行為を二、三度繰り返し、一人の選手で動きを止めた。


 “一番ショート、蜂谷裕…高校二年生で他の選手に比べ小さいが俊足を持つ。打率は六割と高い。”


 「蜂谷…裕。……裕?」

そして、手元の資料を捲る。

 “中学生全国大会優勝高校、兵庫県代表大崎中学校。…四番バッター、サード桜庭裕。”

 「…見つけた。」

男は楽しそうに笑った。



目を閉じれば蘇るあの夏の日。青い空、大きな入道雲、溢れる観客。1−3で迎えた九回裏。二死満塁。
試合を決めたあの瞬間。

劇的な、逆転負け。


――あんた、名前は?



――桜庭



 「…今度は、俺が勝つ。」

男は薄く笑う。
壁に掛かった写真。二年前の、全国大会決勝負けの時の写真。


男は、ゆっくりと立ち上がった。