10、VS東光学園!


 炎天下の球場。始まった決勝戦。先攻は東光学園。
 東光学園。超高校級の投手、如月昇治を抱える野球の名門高校で完全試合も多い。投手力は文句無しの特Aだが、打撃力はBである。だが、東光の打撃を嘗めてはいけない。四番の捕手である朝倉陽治には一発がある。それに、如月の堅実なバッティングもまた脅威と言える。実質、この学校を支えているのはこの二人で正しく双璧と言える。

 「しまってこー!」

 裕の声が響いた。グラウンドの彼方此方から声が上がる。

 『一回表、東光学園の攻撃。打者は一番、センター荒居君。背番号8』

 軽く頭を下げて右バッターボックスに入る一番打者、荒居。身長はそれほど高く無いが小技が得意。特に、バントは守備の穴をついて来る。
 爾志は事前に確認した東光の選手の特性を頭の中で確認する。荒居は早速バントの構え。

 (バント。…セフティかな。センターの荒居は足が速い。)

 サインを送る。マウンドで俊が頷いた。
 投球。一球目はアウトハイのボール。

 「ボールッ!」

 審判の声。
 荒居は僅かに動いたが振らなかった。

 (今のボールに動くって事はコイツ、打つ気満々だな。)

 爾志は次のサインを送る。

 (…爾志、気付いてるよな?)

 ショートポジションは僅かに前進守備。裕はセフティに備えて低く構える。
 サインを送る爾志、バットを構える荒居を見て思った。

 (…そいつ、只の尖兵だぜ?)

 恐らく、荒居は基本的に見ろと言う指示をされた打者。そして、甘い球は打てと言う指示をされている。だが、試合開始直後で上がっているのか、見る事に徹底し切れていない。
 爾志は次のサインを送った。サインはインハイ、二球続けてのボール。さっきよりも僅かに低い。そのボール球は荒居のバットに当たったが打ち上げた。打球は三塁。高く上がった打球を那波が追い掛け、三塁よりも3mほど前で捕球してアウト。


 「ワンナウトー!」

 俊が人差し指を立てて言った。先頭は切った。あと二人。

 『二番、セカンド松嶋君。背番号4』



 「今日の市河はどうだ?」

 東光学園のベンチ。如月は言った。

 「まぁまぁ、だな。」

 荒居は倒れ込むようにベンチに座り、スポーツ飲料を喉の奥に流し込んだ。
 喉がゴクリと音を立てた。

 「今日は最高のピッチングって訳じゃないけど。それでも、其処らの投手に比べりゃな。」
 「ふーん。」
 「二球続けてボールだった。こりゃ、こっちの思惑読まれてたっぽいな。…春はいなかったから解らねぇけど、捕手の…爾志。アイツ巧くなってるな、確実に。」

 その時、キィンと音が響いた。松嶋の打球はショートの真正面。あえなくアウト。

 「…ツーアウトか。中々いい当たりだったけどな、市河を相手にしては。」
 「馬鹿言うなよ。ショートに低いの打って何処がいい当たりなんだ。せめてもっと高くなきゃあそこは抜けられねぇよ。転がすなら一塁側。…ま、打ち上げなかっただけヨシとするか。」

 如月は小さく笑った。

 「ああ。…昇治、お前がオーバースローでよかったぜ。普通、あんな上から投げられたら打ち上げちまうもんだ。お前のお陰で皆落ち着いてバッティングが出来る。」
 「そりゃどーも。」



 『三番、ショート。岸部君、背番号6』

 左打ちの遊撃手。裕を彷彿とさせるが、背は高い。加えて打順は三番。

 (左打者か。…さっきの二番、松嶋。ショートに飛んだ時、走る前に一瞬妙な顔したな。…“やっちまった。”みたいな。俺の読みが正しければ、東光はショートを警戒している。ショートは裕だ。東光を引っ張ってるのは如月と朝倉。監督の介入は殆ど無い。裕は二人と知り合いだ。警戒してるとして、足のある打者ならファーストに転がして来る。でも、岸部は違う。…打って来る。)

 打って来るとしても、チームの主将と副主将がそれほど気にしている選手のいる場所には打ちたくない。何処を狙って来るかは解らないが、転がす事はほぼ確実に無い。

 (…ここは打ち上げてもらって終わろう。)

 サインはアウトから真ん中に入って来るスライダー。スライダーは俊の得意球。これは中々打てない。それに、嫌がってるところに放られるのが読まれてるなら引っ張って来る。
 俊の放った球はアウトから逃げて来るスライダー。特に俊のスライダーは少し落ちる上に速度が速い。爾志の思惑通り岸部の打球はピッチャーフライになり、アウト。
 これで、スリーアウト。チェンジ。



 『一回裏、阪野二高の攻撃。打者は一番、蜂谷君。背番号6』

 応援の声が響き渡る。沢山の声と、音楽。その中に“蜂谷”の声が重なっている。
 裕は「お願いします」と頭を下げるとバッターボックスに入った。小さく息を吸い込み、構える。



 (蜂谷君は間違い無くこの試合のキーマン。何としても東光学園は先頭を切りたいはず。…一回から全国一の俊足を背負ってピッチングしたくないもんね。)

 右京はサインを送る。裕がバッターボックスで頷いた。



 (…蜂谷は俊足、それは十二分に解ってる。こいつのバッティングは面倒臭いんだよな。…ただ、こいつの場合一球目はどんな球が来てもパターンは二つしかない。)

 一つ目は、見送る。もう一つは、セフティ。監督もサイン出してたな。見送りか?
 一回裏の一番打者だ。確率的には前者だろう。構え方は普通だし。問題は、こいつの性格。

 (…裏を読むのが得意だからなぁ…。)

 なんて面倒なバッターだ。
 朝倉はサインを送った。アウトハイの直球。

 (蜂谷は絶対に打ち上げない。どんなに前進守備をしても。転がりさえすれば、間に合うと言う絶対な自信があるんだ。)

 ここで見て来るなら早めにストライク一つもらおう。セフティだったら、アウトハイ。打ち損じて上げてくれるかもしれない。
 如月は放った。サイン通りのアウトハイストレート。
 普通の構えから、バットを上げる。裕の口元に笑みがあった。バットを思いっきり振り下ろす。打球は前でバウンドして高く上がった。

 (…しまった!)

 朝倉はマスクを上げる。

 「ピッチャー!」

 如月の元へ落ちて来た時にはもう、裕は一塁にはいなかった。余裕のスタンディングダブル。
 これで、ノーアウトランナー二塁。

 (…そうだ。こいつにはこれもあったんだ。)

 去年の夏大会で勝っていたのに、この打法で流れを変えられた。振り下ろす打撃、ダウンスイング。
 如月の重い球をこの小さい体で長打にした打法だ。ただ、突っ込んで打つから変化球に対応し難いはず。つまりはストレートが読まれていた。

 「前進守備してたけど、最初はバントするつもりだったんだ。」

 裕は笑った。

 (…つもりだった?こいつ、あの監督のサイン無視したのか!?)

 慌てて阪野二高側のベンチを見るが、監督の右京は変わらず笑顔を浮かべて立っている。サインを無視された焦りなど微塵も無い。

 (…無視…じゃない。なら、こいつへのサインは“任せる”だったのか?)

 朝倉は小さく舌打ちをした。いきなり先頭を出してしまった。それもノーアウトランナー二塁でランナーは蜂谷。一回裏からこんな状況じゃ出鼻を挫かれたも同然。
 だが、焦りは無い。

 「こっちだってこんな状況は想定済みだ。嘗めんな。」
 「…?」

 如月は構えた。

 (次は二番…新か。こいつも厄介だな、特にこの場面では。)

 小技が得意と言う典型的な二番打者。新もまた打ち上げずに転がすタイプ。通常通り、アウトカウントを使ってでもランナーを三塁にしておきたいだろう。ノーアウトな上にランナーは蜂谷。プレッシャーなど無い事を考えれば打ち損じる確率は低い。
 朝倉はサインを出す。

 (三振で抑えるのもいいけれど、この場面で三振はちょっと面倒だな。盗塁が何時来るか解らないから。)

 サインに頷くと如月は手を高く掲げた。コースは、低めのど真ん中。

 (…打って来い。)

 新は素早く振り切った。力強いライナー。だが、三塁の正面でアウト。
 右京のサインは、バント。だが、甘い球は見逃すな。

 「ワンナウトー!」

 朝倉の声が響く。ワンナウトランナー二塁。二塁とは言え、失点の危機は変わらない。

 『三番、ファースト。禄高君、背番号3』

 「お願いします!」

 禄高の元気な声が響く。右打席にゆったりと立つ。そして、構える。構えはバント。

 (禄高は副主将だ。打撃はめちゃくちゃなんだよな、いきなりホームランも打つし。ただ、こいつに小技は無い。バントは巧くないんだ。)

 バントなら、さっきの新で決めておくべきだったな。
 そう思いながら朝倉はサインを送った。一つ目のサインは、牽制。

 一瞬構えた如月は振り返る。リード幅の大きい裕は二塁に滑り込んだ。ギリギリでセーフ。立ち上がってユニホームを軽く叩く。茶色い砂埃が舞った。

 (…随分警戒してくれるじゃんか。でも、三塁は頂く。)

 ジリジリと二塁を離れる。昔から大して変わらないリード幅。普通の人よりも若干広い。ここで三塁に行ければ随分楽になる。チャンスの時にプレッシャーを感じる人も多いが、禄高は違う。
 如月は、朝倉からのサインを受け取って構えた。その左足が浮いた瞬間に裕は飛び出した。牽制は無い。だが、ボール球だ。禄高は必死にそのアウトハイのボール球に食らい付いた。

 コツン。

 小さな音がして、打球は一塁方面へよろよろと転がった。

 「くそっ!ファースト!!」

 ファーストが追い付くのを見ながら走者に目を向ける。三塁は間に合わない。せめて、一塁はやらない。一塁カバーに如月が入った。
 裕が三塁を踏む。だが、禄高はアウト。

 ツーアウト、ランナー三塁。
 バッターは四番の捕手である爾志。阪野二高には先取点のチャンス。



 「…ツーアウト!ランナー三塁!抑えるぞ!!」

 如月の声が響いた。
 それを聞いて裕は小さく笑う。

 (抑えてみろ。)



 バッターボックスに立った爾志は右京のサインを確認して構えた。サインはバント。

 (頼りない四番だから、バントなんじゃない。ランナーが裕だからバントなんだ。)

 頼りない四番と言うのも否定は出来ないが。
 爾志は構える。もちろん、バントの構えは無く。

 (…スクイズ来る。阪野二高にはあるものが欠けている。それが四番だ。コイツも悪くはねぇけどな。)

 確実に長打を打てる打者。それがいない。爾志にはパワーはあるが器用さは無い。
 そう、爾志に小技は無い。恐いのは一発だけ。打ち取るのはそう難しくない。

 朝倉はサインを送った。一球目はインハイのボール。



 (…随分、ランナー警戒してんな。そりゃそうか。)

 三塁に蜂谷。この状況を東光は痛いほど解ってる。随分と前進守備って言う事はスクイズ警戒。つまり、バッター勝負を狙ってる訳でも無い。だから、ここは塁上のランナーを刺せて、スクイズを外せるボール球。
 つまり、インハイ。



 如月の投げた球は真っ直ぐにインハイのボールゾーンに突き刺さる。顔の傍を抜ける速球。
 如月の一試合通しての球速は140kmほど。野球推進校の東光学園がスポーツ推薦で入学させただけあって速い。でも、速球には慣れてる。

 阪野二高には、如月と同じフォームで投げる市河がいる。その球速はほぼ互角。

 (打てない筈が無い!)

 球はバットの根元に程近い場所に当たったが、上には上がらずボテボテと三塁線傍を転がる。前進守備をしていたサードが追い掛け、ショートの岸部がカバーに入った。


 球がサードの元に届いた瞬間に、朝倉の傍を影が通り過ぎた。


 「セーフ!!」


 わぁ、と応援が揺れた。
 楽器の音が喧しくなる。本塁到達を果たした裕はノースライディング。一塁セーフになった爾志に裕は親指を立てて笑顔でサインを送った。

 スコアボードに1が点灯される。先取点。



 (…くそ。)

 朝倉は仕切り直すように一度立ち上がった。

 (蜂谷の足は警戒してたのに…。その為の練習もして来た。なのに、抑えられなかった。)

 たった数ヶ月。その間にまた速くなったような気がする。
 陸上部が喉から手が出るほど欲しがるこの俊足を、どうやっても抑えられない。



 「タイムッ!」



 審判の声がグラウンドに響き渡った。東光学園のナインはマウンドに円を作って集まる。
 朝倉はミットで口を隠しながら言った。

 「悪い、俺のミスだ。コースが読まれてた。」
 「…大した事ねぇよ。まだ一回裏だぜ?」

 荒居が笑う。

 「…市河から点が取れるほど、俺らの学校は打撃強くねぇんだ。」
 「如月。」

 冷静に如月は言う。

 「でも、それは向こうだって一緒だ。」
 「そうだ。お前の球を長打にするような強打者はいないんだよ、向こうにだって。」
 「でも、代わりに阪野二高には俊足の蜂谷がいる。」

 蜂谷が塁にさえ出れば得点が入る。なんて大きなハンデだろう。

 「…グダグダ話してても仕方無ぇだろ!簡単な事じゃねぇか!」

 苛立ったように荒居が言った。

 「如月、お前があの蜂谷を三振で抑えりゃいいんだ。朝倉がコースとか気にする必要はねぇ。」

 如月に注目が集まる。

 「……そうだな。」

 ニッ、と笑い如月は顔を上げた。

 「俺が抑える。楽勝だ。…代わりに、ちょっと皆忙しくなるかも知れないけど、頼むぜ。」
 「当たり前だろ!俺らはその為にいるんだからな!」


 東光学園のナインが散って行く。
 バッターボックスに立った那波は、正面に構えた如月の目を見て一種の恐怖を感じた。

 静かに、でも力強く燃える炎の目。重過ぎる空気。
 如月は静かに振り被った。


――ズドン、と言う盛大な音が応援を退けて朝倉のミットからグラウンドに響き渡った。