12、開幕


 夏の暑さがピークを迎えた。今年の夏は特に暑くて、熱射病の患者が多く出ている。政府も対策を練ってはいるが全て空回りで、太陽はそんな人間達を笑うように熱くなるばかりだった。
 そんな中で過酷な夏を迎えている人々がいる。各都道府県から代表のチームが選び抜かれ、競い合う。その舞台となるのは聖地、兵庫県甲子園球場。全国高校球児の夢の舞台である。

 全国高等学校野球選手権大会。
 それぞれの代表が選ばれ、とうとう始まった。



 優勝旗を掲げるのは王者、兵庫県立朝間高校。
 準優勝の盾を持つのは大阪府明石商業。

 「…とうとうやね。」

 浅賀は言った。
 開会式を終え、朝間高校は日陰で少しの間休みを取っていた。この後も炎天下の中で練習なのだから。全国から今年も猛者が集まった。王者は常にそれらを退けて来た。

 「やぁっと始まったな。甲子園!」

 大きく背伸びをしながら少年は背伸びをした。大きな眼の端に涙を溜めて欠伸をする。
 天岡晃治はからりと笑った。その様子を見て浅賀は呆れたように息を吐く。

 「甲子園も最後やねぇ。俺、プロ行けるかな!」
 「無理や。」
 「何でやねん!そこは否定せんでや!」
 「…プロに行くのは俺やから。」

 浅賀は笑う。

 「ほなら、一緒に行ったるで。」
 「いらん。」
 「照れんでもええでー!」

 ただ座っているだけで体力を消耗すると言うのに天岡は元気一杯だった。
 呆れたような浅賀だが、天岡のこの馬鹿みたいなポジティブさを嫌いにはなれない。余りにアホらしくて笑ってしまうのだ。

 「最後やし、いつも通り終わらせような。」
 「そやね。」

 浅賀は空を見上げる。
 空は、青く澄んで何処までも広がっていた。

 「恭輔。」

 自分を呼ぶ声に振り返ると、そこには見なれた友の姿があった。
 糸目に黒く短い髪を風に揺らしながら、笹森は歩み寄る。その傍には菖蒲が立っていた。

 「久しぶりやね。」
 「そうか?春ぶりやろ。」
 「十分やん。」
 「何の用や。」
 「宣戦布告に来たで。」

 笹森は軽く笑いながら言った。

 「最後やねん。優勝は俺ら、明石商業が頂く。」

 表情は笑ってはいるが、キンと冷えた瞳が睨むように光っていた。
 それを見て天岡はギクリと動きを止めたが、浅賀は笑った。

 「その眼や。」

 春の、負ける事になれてしまった笹森の眼は消え失せた。中学時代のような笹森の真剣な目が其処にはある。そして、中学時代と言えばもう一人。



 「暑い…。」

 バタバタと忙しなく団扇を動かしながら裕は言った。人で生め尽くされた日陰は熱気が凄い。だが、火炙りにされるような日向よりは幾らかマシなので動かずにいる。
 隣で禄高はだらしなく壁にもたれながら死体のように座っていた。副主将とは思えないだらしなさだ。

 「よう、桜庭。…いや、蜂谷。」

 裕は顔を上げた。逆光で始めはよく解らなかったが、その姿がはっきりすると裕は名を口にした。

 「武藤…。」

 全国ベスト4の埼玉代表私立慶徳学院高校の主将エース、武藤直人。

 「随分疲れた顔してんな。」
 「…暑いだけさ。」
 「俺と戦う前に負けなんて止めてくれよ?お前が負ける時は俺達との試合だ。」
 「俺は最後まで負けないよ。」

 ふと顔を上げると、テレビカメラが来ていた。
 カメラは浅賀と笹森を写しているようだった。

 「…お前のライバルは有名人だな。」

 裕は笑った。
 二人とはスタート地点から違った。実力も才能も違った。

 「高っけぇ壁だな。お前に越えられるもんか。」
 「越えるよ。こっちも高ければ高いほど燃えて来る性分でね。」

 裕は言った。

 「…あ、君が副主将?」
 「え、あ、はい。」

 禄高は意識が戻ったように眼を開けた。

 「…埼玉の慶徳学院主将武藤です。よろしく。」
 「あ、どうも。神奈川阪野第二高校副主将の禄高です。」

 からかわれてる事も気付かず禄高は軽く頭を下げた。それを見て裕が苦笑する。

 「…この夏、君達が負ける投手です。」

 武藤の言葉に禄高は笑う。

 「はは、それは無いっすね。勝つのは俺達だから。」

 禄高の眼が光った。
 武藤は一瞬動きを止めたがすぐに大笑いした。

 「…お前の仲間はお前そっくりだな。負けねぇよ。」

 後ろ手を振りながら武藤は歩いて行った。
 だが、そこをアナウンサーに捕まっている。それを見て裕は笑いながら歩き出した。



 この夏、全国民が注目する歴史に残る夏が始まる。
 誰もが予測する未来を裏切りながら、歯車は回り始めた。