13、対戦前夜 初戦の相手が決まったのは数日前。そして、その戦いを突破して三回戦を迎える。 時が経つに連れて夏の日差しは暑くなる一方で、風も少なく試合中にも熱射病で病院に運ばれる選手も少なくは無かった。当然、全国でも深刻な問題となりついには死者さえも出たらしい。 そんな中でも、止められない戦いがあるから。 「…三回戦の相手は…古豪慶徳かぁ…。」 三回戦の相手が決まった。 相手は埼玉代表の古豪、慶徳学院高校。春は準決勝敗退で阪野二高と同じくベスト4である。 「本当にくじ運ねぇかも…。」 「気にすんなよ。…どの道、お前は何時か戦わなきゃなんねぇ相手だろ。」 俊の言葉に武藤の顔が過った。 慶徳の主将武藤と裕は知り合いだ。 「なぁ、俊。運命って信じるか?」 「はぁ?」 裕は上を見た。木の天井にチカチカした光源がある。 一羽の小さな蛾が羽ばたいているのを鬱陶しく思いながら再び顔を下ろす。 「だってさ、この三回戦で当たるのは慶徳学院。武藤にしたらリベンジ戦だ。…そのまま勝ち進んだらさ、春負けた大阪の明石商業。エイジの学校だ。…それに勝てたら…。」 「恐らく、王者朝間高校だよな。」 春・夏大会三連覇の王者。彼等が決勝にいるのはもう間違い無いだろう。 「すっげぇよな!」 何時の間にいたのか、禄高がひょいと顔を出した。 「裕、今までありがとう。」 急に深深と禄高は頭を下げた。 裕は意味が解らず目を丸くする。 「お前のお陰だよ。」 禄高は笑った。 「毎年地区予選止まりだった俺達の学校が甲子園に行くなんてさ。」 「馬鹿言うな。何で俺のお陰なんだよ。先輩達や、皆が頑張ってんだ。」 「そうだな。でも、お前が皆にやる気をくれた。」 “甲子園”なんて目指す事さえ恥ずかしいような弱小高校で平然と言ってのけた。 ――甲子園はお前の夢か? ――夢…、とは少し違う。約束したんだ。必ず、甲子園で会おうって。 ――…誰と? ――俺の知る限り、最高のバッテリーと。 「お前がやる気をくれたから、皆ここまで頑張って来れたんだ。だから、甲子園に来れた。」 「…何でそれを今言うんだよ。まるで、明日負けるみたいじゃねぇか。」 「負けないよ。お前が最後まで諦めない心をくれたから。」 禄高は笑った。きょとん、として裕は何も言わない。 禄高は優しい。そして、純粋。それ故に鋭い。皆が言えないような事を、気付けないような事を簡単に言ってしまう事が出来る。 「…俺達は負けない。」 禄高の後ろで新が言った。 「俺、野球やって来て初めて思ったんだ。このチームで、絶対に負けない。負けたくない。…俺のキャラじゃないだろ?」 何時の間にか負けるのは仕方が無い事だと思い込んできた。でも、その思いからようやく開放かれた。 天才だとか才能だとか関係無いんだって。努力は人を裏切らない。 「明日は、慶徳戦。勝つのは並大抵の事じゃないけど…勝つのは俺達だ。」 「……当たり前だよ。」 裕は笑った。 その夜。明日は同じベスト4の相手と対決だと言うのに緊張感も無く仲間は宴会騒ぎだった。 実力差は殆ど無い。特Aランクの投手を抱える慶徳。堅実な守備と打撃には隙が無い。本来なら皆が焦りを感じる相手だが、その様子は無い。 今頃、爾志辺りが相手の確認をしている頃だろう。 (…武藤か…。) もう三年も前になる。あの試合が皆の運命を分けた。 沸き立つ入道雲。互いに追い詰められたツーアウト満塁。放物線を描き観客席に消えて行った白球。 ――逆転満塁ホームラン。 体の小さな自分には打てないと思っていた。でも、打てた。 だからこそ勝てた試合。どちらが勝ってもおかしくはなかった。 (あの試合…。俺は、武藤を負け投手にしたんだ。) 当然の事だけど。あの時の武藤の気持ちなんて考えなかった。最後の最後に逆転され負けた気持ちはどんなだろう。これまで、武藤はどんな気持ちで野球をして来たのだろう。 (俺を倒す為に…。) ただそれだけの為に野球をして来たのなら。 それほど、武藤の心に深く傷付いた思い出になったんだろう。あの試合は。 それでも。 例え武藤が再びそんな思いをしたって、逆だったとしたって後悔なんてしない。 後悔しない方法を見つけたから。 やればいいんだ。全力で。 やらなかった事は後悔する。やった事に対しては後悔なんてするものか。 「必ず…。」 後悔なんて、したくない。 その為なら命だって懸けてやる。 「なぁ、俺思うんだよな。」 新は言った。正面の禄高は眠いのか、瞼を重そうにしている。 「蜂谷が天才じゃなくてよかったな。」 「はぁ?」 「あいつがもしそうだったら、俺達は強くなれたかな。」 禄高は少し考え込んだ。 そして、口を開く。 「そうかもな…。俺らは、あいつが凡人だったからついて来たんだ。今なら、浅賀の言ってたあの“最強打者”の意味が解る気がするよ。」 弱いが故に強く。ただひたすらに強さを求めて走り回って。 その間に沢山の傷を負ってきたから、同じ傷を抱える人に優しく出来る。 禄高は何気無くベランダに出ている裕を見た。裕はまるで気付かないように星空を眺めていた。明る過ぎる空に星なんて殆ど見えないのに。 「…何、しんみりしてんだよ。」 俊がどかっと座った。 「いやぁ。明日頑張ろうと思ってさ。」 「当たり前だ。明日は慶徳だからな。」 爾志がファイルを持って現れた。 「慶徳は投手力のあるチームだ。…それに対してこっちも当然向こうの打線を抑える。つまり、お前等が打たなきゃ駄目なんだよ。」 「武藤から打つのはキツイぞ。」 眠そうに笑いながら裕がゆっくりと座る。 「武藤は左のサイドスロー。一試合通して球速は140km台って言う速球派だし、得意の球はスライダーとシンカー。サイドスローでシンカーが得意って言うだけあって綺麗に落ちるよ。」 「知ってたのか?」 「中学の頃対戦したから。」 爾志と禄高と新が顔を見合わせる。 「全国の決勝で当たった。」 「それが武藤なのか!?」 裕は頷いた。 「…中学の全国準優勝校の投手かよ〜。」 「ちなみに優勝校の投手は浅賀だぞ。」 「なるほどねぇ…。」 現実は予想以上に高い壁で僅かに焦りが出た。だが、俊が口を開く。 「でも、その優勝校の四番はお前だった。…打てるだろ?」 「当然。…ま、今は一番打者。出塁するのが仕事だからね。」 「その前に打者は打つのが仕事だ。必ず打てよ。」 裕は力強く笑った。当然、と言うように。 それから約半日後に誰も予想しない試合が開始される事など、この時点で気付く者など誰一人いなかった。 |