20、バッテリー 一回表、ワンナウトランナー一塁・三塁の場面で走者一掃のホームラン。今まで阪野二高には無かった強烈な攻撃だった。 本塁を踏んだ御杖は空に向かって右手を突き上げた。その表情は変わらぬ爽やかな笑顔。その動作は漫画のヒーローのようだった。 「すっげーな、御杖!天才!」 「マジすごいよ、お前!」 阪野二高のベンチはいきなり舞い上がる。それもその筈、御杖はこの試合が高校初なのだ。今までは入院していて、野球どころか日常生活さえ危ぶまれていた程。 そんな男がいきなり四番サードで、最初の打席でホームランなんて誰が考えられただろうか。 「大した事じゃないよ。試合はまだ始まったばっかりだ。」 「そうだよ。」 御杖の言葉に共感したように裕は言った。その視線の先はマウンド上のピッチャー菖蒲浩輔とキャッチャー笹森エイジ。 (…このホームランでどう動く?) 笹森エイジが黙っている訳が無い。伊達に甲子園連続準優勝校の主将を務めていない。 (あれが、四番か。) 笹森はさっきの御杖の打席を思い返す。 妙にキャッチャー寄りに立っていた。その打ち方をする打者は基本的に強打者だ。変化球にも直球にも強く、苦手なコースが無い。 それに、さっきの見送りも決め球を待っていただけ。結局、御杖の掌で踊らされていたに過ぎないのだ。 未知数のまま、阪野二高の四番はホームランを打った。ただ解ったのは、とんでもないスラッガーだったと言う事だけ。 あんなヒョロヒョロした男にあんな球が打てるなんて誰が考えられただろう。 「…すんません。」 「何、落ち込んでんねん。まだ一回表やで?」 笹森は軽く笑った。 普段は気の強い菖蒲だが、初打席の男にいきなり打たれたホームランの傷跡は大きいようだ。 「今のは俺のミスや。お前は落ち込まんでええ。」 笹森は言った。 (…とは言え、菖蒲の力であの御杖を抑えるのには限界がある。御杖を無しとしても阪野二高には得点力がある。だから、御杖を敬遠したところで意味なんて無い。) 「…笹森先輩?」 「え?…ああ。」 暫く黙って考え込んでいた。 自分自身どんな表情で考え込んでいたのか、それを笹森は知らないが投手に心配されるくらいだ。情けなく思った。 「さ、抑えるで。」 笹森は戻って行く。 (何が、菖蒲には限界や。) 菖蒲の努力なら誰よりも知っている。 自分のストレートには浅賀のようなスピードも威力も無いと痛感して死に物狂いで身につけた変化球。菖蒲は天才じゃない。だけど、菖蒲は最高の投手だ。 (…天才は最強にはなれんのや。御杖は最強やない。) 笹森はサインを出した。 それから、明石商業は五番・六番打者を三振に抑え攻撃を迎えた。 雨は未だ止む事を知らずにポツリポツリと降り続けている。これからの豪雨を予想させるようだった。 一回裏、明石商業の攻撃。打者は一番、春の大会と同じく浅黒い小柄な選手。菖蒲と同じく二年生で名前を小野と言う。彼の警戒すべきものは、その俊足。 (さ、頭脳戦だぜ。任せたよ爾志。) 春の大会で負けてから、爾志は打倒笹森を掲げて来た。頭脳戦では笹森に完敗した。ホームランさえ打たれている。 笹森は肩も体格もいい。才能もあるし頭もいい。そんな笹森に勝つのは並大抵の事じゃない。キャッチャーとして勝つならば、この試合の勝敗なんて考えないならば勝てるかも知れない。 だけど、そんな事は出来ない。 (…俺は、笹森に勝てない。それでもいい。) 自分にあって、笹森にないもの。それは投手だ。 俊は強烈なストレートを持つ天才投手。だけど、変化球もある。特に決め球の高速スライダーは脅威だ。しかし、明石商業の菖蒲にはそのストレートがない。故に身につけたコントロールと変化球だろう。 (俺は負けてもいい。阪野二高が勝つなら。) 爾志はサインを出した。 (何、馬鹿な事考えてんだか。) 俊は思った。正面でサインを出す爾志の表情。どう見たって悔しくって仕方ないと言う様子だ。 どうせくだらない事を考えてんだろう。 阪野二高のナインは、自分の事より人の事。つまり、大義を優先する。誰かの為に自分の心を殺してしまう傾向があった。我の強いもの同士、天才が集まった阪野二高が仲良くやってるのはその為だろうが、俊は違った。 (少しくらい我侭に生きたって、誰も恨んだりしねぇよ。) 犠牲人間の裕でさえ、自分を通すところは通し抜く。キャプテンなのにだ。 だから、爾志だって少しくらい迷惑をかけたっていいんだ。 (俺はこの試合、敬遠なんてしねぇからな。) 俊は心の中で笑った。 一番打者を三振に抑え、二番打者をフライで打ち取り、三番打者をショートゴロに終わらせると審判がチェンジと叫んだ。 互いに入れ替わっていく選手達。笹森は裕の楽しそうな顔に気づかなかったが、裕もまた笹森の神妙な表情に気付く事はなかった。 二回表、阪野二高の攻撃。 打者は七番と言う下位打線からのスタート。阪野二高は立ち直った明石商業の投手、菖蒲のフォークに手も足も出ず、簡単に三振を取られて行った。そして、あっという間にスリーアウトチェンジ。 次は一番から始まる。それを考えながらグラウンドへと走った。 二回裏、明石商業の攻撃。 『バッター四番、笹森君。背番号2』 明石商業の応援席が揺れた。それだけその存在は大きい。 いきなり三失点を許してしまうと言うピンチは明石商業には初めてだった。だからこそ、この場面での笹森の登場は救世主にも近い。 (…あんな四番がおるって解ったんや。こっちも本気出さなあかんな。) 笹森はバットを握り締めた。 春の大会は自分でも少し遊び過ぎたと思う。だけど、今は違う。 爾志はサインを出す。明石商業の四番は、阪野二高にしてみれば最悪のホームランバッターだ。こんな化物に100%通用する配球なんて無い。一番楽で確実なのは。 (…あの野郎。) マウンドで俊は首を振った。珍しい事だった。 爾志のサインは敬遠。 (俺の球を信じてねぇのかよ。) 俊は断固として首を縦には振らなかった。爾志は仕方なく別のサインを出す。 (…市河のプライドの高さは知ってたけど、ここは意地張る場面じゃないだろ。) 出したサインは外角低めの直球。ギリギリのストライクゾーン。 そこでようやく俊は頷いた。 (…今、市河がサインに何度も首振ったな。) 笹森は構える。 (市河はプライドの高い男や。爾志のサイン…敬遠と見た方がええか?したら、次は普通よりは甘い球が来る。バッテリーとして噛み合わない不安な場面で、変化球は投げんやろ。) 直球。それを狙い笹森はグリップを握り締める。 そして、俊の球が走る。予想通りの直球。それを思い切り叩いた。 「…ッ!ライトー!!」 爾志は叫んだ。 ライトの那波は打球を懸命に追う。しかし、走った先でフェンスにぶつかった。打球は、その奥へと消えて行ったのだ。 ホームラン。この試合二度目のホームランは、明石商業の四番。 笹森エイジは当然のような表情でダイヤモンドを回っていく。 「…本気みたいじゃん。」 「当たり前や。…手加減を期待しとったんか?」 「まさか。」 通り過ぎて行く笹森の姿を見る事も無く、裕は小さく笑った。 そして、裕は思った。あの春の大会、たった一点差で負けたのは笹森が本気でなかったから。笹森は、本当は御杖並の、いや、もしかしたらそれ以上のスラッガーなのではないだろうか。 (…さて。) 立ち尽くす爾志と、ただ何も無かったかのようにいる俊を見て裕は思った。 (交代かな。) このままバラバラになっているバッテリーを放っておく訳にはいかない。このホームランでどうにかなるかと思ったが、無駄だったようだ。 こんな無駄に点数をあげてしまうようなバッテリーなら、いない方がマシだ。 裕はマウンドに行こうとしたが、それを御杖が止めた。 「…何?」 「交代にはまだ早いよ。…ここで代えたら、もう立ち直れない。」 裕は小さく笑った。 「…違うんだよ。別にあいつ等はショック受けて落ち込んでる訳じゃない。ただ、言葉が足りないんだ。」 「だけど、ここで裕が話したって意味はない。少ないともこの回は二人で乗り越えないと。」 裕はキョトンとして御杖を見た。 御杖は、本当に人の事を良く見ていると思う。まだその人を良く知らないから客観的に見られる為かも知れないけれど。 「解ったよ。」 裕は元の位置に戻って行く。 これで点数は3−1になった。ノーアウトランナー無し。 「…バッチ来い!」 禄高の声が響いた。 「打たせてけよ!」 まるで、爾志の心の中を読んだような言葉だった。 次の打者は五番。小さく深呼吸をして、サインを送る。俊はそれに静かに頷いた。 その後の打者を三振で抑え、二回の裏を終えた。 そして、三回の表。阪野二高の攻撃は一番からと言う好打順だった。 |